3年生の神楽くんは、学校で行われる夏期講習に参加し、寮に帰ってきても勉強をし続けていたのですが、ちょっとした勉強の休憩時間になると、必ず僕の部屋を訪れてくれたのです。ときには、「那月がいると落ち着くし、邪魔されないからここで一緒に暮らしたい」と笑いながら言って、勉強道具一式を揃えてきて居座ることもありました。入室を断ることはありませんでした。僕も嬉しくて仕方ないし、話しかけることはできないものの、一緒に居るというその事実だけで、充分幸せだったからです。

そんな感じで満喫していた夏休みも、最終日。いつも通り勉強道具を持った神楽くんが部屋に入って来るなり、とある提案をもちかけてきたのです。

「那月が高校卒業したら、俺と一緒に東京で暮らさないか?」

僕は驚きを隠せずにまごまごとしていると、「那月には、俺と将来を歩んでくれるパートナーになって欲しいんだ」と、今度は真剣な眼差しで伝えてくれたのです。僕はこの時、まだ進学・就職先も決めておらず、何なら将来の夢すらもなかったのですが、神楽くんからの提案と思いを聞いてから、神楽くんと一緒に暮らせる未来に憧れて、卒業後は東京に行くという、小さな夢を持つことができました。

「僕も、神楽くんと暮らせるんだったら、どこでもいいです。付いて行きます!」
「へへへ。ありがとな」

 神楽くんの本気度には凄まじいものを感じました。男が憧れる男、そのものだったのです。困ったときにはサッと駆け付けてくれるヒーローっぽいところがあって、いざというときには相談もできるし、信頼もできる。見かけによらず勉強熱心で、包容力だってある。僕にとっては、最高の恋人なのです。

 夏休み明け早々、9月には体育祭、11月には文化祭が開かれました。この2大行事では、とにかく神楽くんの色んな表情を見ることができて、僕はお腹いっぱいになりました。

体育祭では、勝利に一切の妥協を見せない姿や、怪我をした仲間の代わりに直走る姿という、男気溢れる神楽くんを見られたことは眼福だったし、みんなで盛り上がれる借り物競争では、神楽くんがウケを狙って、恋人を連れてくるというお題で僕のことを真っ先に選び、手を繋いでゴールまで走れたことは、最高の思い出となって心の中に残っています。

また文化祭では、お茶目な姿で踊る姿や、選択教科ごとの発表では、汗水を飛ばしながらドラムを演奏し、仲間とのバンド演奏を楽しんでいる姿と、体育祭では見られなかった一面を近くで見られたことは、とても幸せでした。

それだけではなく、午後からの自由時間、僕は神楽くんと過ごしていました。神楽くんには僕と違って、たくさんの友達がいるため、「僕じゃなくて、友達と楽しんでください」と言ったのですが、神楽くんは、「俺は那月とだけ楽しみたい」と言い張って、高校最後の文化祭を僕と過ごしてくれたのです。学校外の人も大勢訪れている中で、特別な雰囲気に包まれた僕たちは、頭を撫で合ったり、一緒にお化け屋敷に入ってキャーキャー言って、互いにビビりながらも手をぎゅっと握っていたり、とにかく五感をフルに使って楽しみました。体育祭と文化祭を通して、僕は幸せ者なんだと思えました。