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 来しかたを振りかえる。

 少年はブランコに座ったまま、まんじりともせず空を見あげている。

 煙は、たゆたうこともなくまっすぐ天に向かっていく。

 堰き止められていたものが流れだしたように、迷うことなく、まっすぐに。

 天に向け、一礼する。

 花は散る。
 然らばせめて安らかに。



 坂を下る。

 黒髪の高校生という擬態を解く。

 視界の端に映る銀髪。
 身にまとうは狩衣。
 やはり常の装いのほうが気が休まる。

 しかしこの姿は如何せんひと目につく。
 人の目に映らぬよう、神業(みわざ)を用い姿を隠す。

 と、カラスが飛んできた。

「空、ただいま」
 カラスがわたくしを呼ぶ。

 わたくしはいま、(さくら)(そら)と名乗っている。

 カラスは高度を落としていき、しだいしだいに文字どおりの濡羽色から灰白へと姿を変じ、そしてわたくしの肩に舞い降りた。

 このカラス、名をばツクネという。

 ツクネは参謀である。
 依頼人を募るためTwitterのアカウントを開設する、風説を流布し人口に膾炙させるなどの手練手管はすべてツクネによるものだ。

 そしてまた、ツクネはわたくしの共犯者でもある。

 我らは多くの罪を重ねてきた。
 人の命を失わしめてきた。

 運命とはいうまい。
 己の選んだことだ。

 わたくしとツクネは、互いを補いあいながら歩んできた。
 我らは共に手を汚し、共に罪を雪がんとしている。

 我らの務は、花散らす者の最期の願いをかなえること。
 我らの望みは、より多くの願い持つ者の最期を安らげること。

 故に我らは願いを募っている。
 願いを書いてよこした者を見守っている。
 もしその願いをかなえることなく花散らしてしまったらば、そのときはせめて末期の夢を授けられるように。
 カラスが如く、獲物の死期はまだかと見守っている。

「今回もメモリ・リークが起きていたね」

 ツクネがわたくしに告げる。

「そうだな。水窪佳も自ら言うていた。麻布まりかの最期の夜、訃報を耳にするより先に、ひとしずくの涙がこぼれたと」

 走馬燈は夢幻である。
 反実仮想であり、架空であり、最期には何らの跡も残さず消える。
 夢は醒め、幻は消え、なべて世はこともなし。

 となるはずなのだ。
 だがしかし、然にあらず。
 どうしたことか、走馬燈は現の世にわずかながらの跡を残してしまう。
 涙ひとしずくのぶんだけ、現実に残ってしまうのだ。

 ツクネはそれをメモリ・リークと呼んでいる。
 なんでも、現実という基盤のうえで作動させた仮想環境がメモリの解放もれを起こしてしまうのだとか。

 知らんわ。
 ツクネは、わざとわたくしにわからないような言葉をつかう。

 彼のおかげで携帯電話を使えるようになったし、インターネットを通して広く願いを募ることができるようにもなった。
 だが、もう幾ばくなりと手心があってもよかろうよ。

「僕が思うに、メモリ・リークは、特に強い感情が解放されずに残ってしまうのが原因だね。怨念を晴らせず世にとどまる地縛霊や、有機ELディスプレイの焼きつきと同じだ」

「そうだな」

「空、絶対わかってないよね」

「わからないように話すほうが悪い」

「ごもっとも」

 ひとしずくの涙は、どれだけ稀少であってもしょせんはひとしずく。
 世を変じるだけのものではないし、人ひとりの定めを動かすこともない。

 それでも、麻布まりかのもたらしたひとしずくが、水窪佳の胸に残るといい。

「いい子たちであった」

「いい子だったかな? 世界滅亡を願って、家出して」

「然様。悪い子でもある」

 思いかえすと、笑みがこぼれる。

「……ねえ、空。前にも言ったけど」

「わかっているさ」

「なら、いいけど」

 ツクネはわたくしに繰りかえし忠告する。
 あまり深く関わるな、と。

「ああ。わかっている」

 とはいえそれは、むずかしい。

 第一話 了