上田と初めて話した日から、登下校を一緒にするようになった。好きなゲームとか、漫画とか、他愛のない会話を毎日繰り返す。

 教室では変わらず、僕は一人ぼっちで上田の周りには誰かしらがいる。正反対の僕たちが一緒に居るのは、部活をやってないからという共通点だけが理由である。

 上田のことを登下校中は色々知ってる気がするのに、教室にいると何も分かっていないような気分にもなる。地続きのはずなのに、どこかで違う世界に迷い込んでいるのだろうか。

「碧葉は部活やらないの?」

 部活をやってないから僕らは友達になれた。上田がこれから部活をやる気がないのかどうか、気になったのだ。

「……」

 どんな話題でも楽しそうに返事をしてくれるのに、上田は何も答えなかった。無言が苦痛だったわけではない。毎日一緒に登下校を共にしていると、話題が尽きたりする。そういう時は無理に会話をせずに、お互い好きなことをして過ごしていた。上田はスマホゲーム。僕は読書。

 でもこれは話題が尽きたわけではない。

 どうしても聞きたかったわけではないけど、僕はもう一度繰り返した。

「碧葉は部活やらないの?」

「……、聞こえてたよ」

 上田は怒っているようだった。何か怒らせるようなことをしただろうか。

「ごめん」

「なんで謝るの?」

 上田の口調は強くなっている。やっぱり怒っているのだ。原因を探るべく頭の中をフル回転させる。スマホゲームのキリが悪いところだったのかも知れない。

「タイミングが悪かったから?」

「なんの?」

「ゲームの」

「違うよ」

「分からないけど、ごめん」

 上田は冷たい目をしていた。

「創志って、女の子みたいだよね?」

 やっぱり知っていたのか。

 だんだんと息の仕方が分からなくなり、意識が遠ざかっていって、無になる。

 幼い頃から、男の子が好む電車とかヒーローものに興味が持てなかった。逆に女の子が好む人形とかドレスに心惹かれた。

 可愛いものが好き。

 それは言ってはいけない言葉だった。ピンクのものを選ぼうとすると、お母さんにブルーの方がいいんじゃないと変えられる。それの繰り返し。かっこいいよりも、かわいいと言われたかった。でも、それはいけないこと。

 無駄な抵抗はやめて、自分の気持ちを押し殺して生きてきたある日、ネットで女装をしている人を見つけた。コメントで可愛いと褒められているのが羨ましいと思った。

 男だって可愛いって言ってもらえるんだと気づいたら、僕は自転車で行けるだけ遠くの洋服屋を目指していた。

 ヒラヒラがついた白のワンピース。

 自分の部屋に鍵を閉めて、恐る恐る着てみた。

 可愛い。

 鏡に映る僕は可愛かった。それから、こっそりワンピースを着ていた。でも、何かが足りない。誰かに見てほしい。可愛いって言ってもらいたい。家族はダメ、友達もやめた方がいいだろう。そうしたらネットしかない。僕は顔を隠して、写真を投稿した。初めは反応が貰えなかったけど、だんだんと閲覧数が増えていって、三ヶ月後には、大勢の人に可愛いと褒めてもらえるようになった。

 しかし、楽しい日々は一瞬で崩れ落ちた。

 僕は野球部に所属していた。男らしい部活というのと、とある野球漫画にハマっていたから選んだのだ。スポーツは得意ではないが、人数も少なく本気でやっているというよりは思い出作りでやっているという雰囲気で居心地は悪くはなかった。

 それは着替えをしている時、一つ上の先輩が僕を見て「そーちゃん」と言った。僕は新藤と呼ばれていて、あだ名などなかった。

 そーちゃん。それはネットに写真をあげている時に使っている名前だった。顔は出していないので、僕だと分かるはずはない。動揺もせずに、無視をしたはずだった。

 先輩は僕の首にある二つ並びのホクロを指差した。「ホクロの位置が一緒。これ、新藤だよな?」と、そーちゃんと名乗る人物の写真を見せる。間違いなく僕だった。

 そこからはあまり覚えてないけど、僕に女装趣味があると広まって、周りとの距離がどんどんと広まっていった。

 お母さんの言うことは正しかったのか。大人しくブルーを選んで男らしい道を進めばこんな事にならなかったのかもしれない。後悔してももう遅く、中学生活は無かった事にした。

 上田の出身中学は、野球部で合同練習をしていた中学の一つだった。だから、もしかしたらと、僕は薄々気づいていたのかもしれない。

「大丈夫?」

 目を開けると、上田がいた。

 見慣れない景色、ゆっくりと起き上がると、そこが駅のホームだと分かった。地元の駅の一つ手前の駅名が目に入る。

「創志、ごめんね」

 上田は飼い主に怒られている犬のようで、見えるはずのない耳と尻尾が垂れ下がって見えた。

「やっぱり知ってたんだね」

「うん」

「からかってたの?」

「それは違う」

 上田は迷わずに答えた。嘘をついてるようには思えなかったし、誤魔化したりしなかったので、信じることにする。

「じゃなんであんなこと言ったの」

「……、倒れるほどだとは思わなかった」

「それは僕も思ってなかった。もう忘れたつもりだったけど、そんなことなかったみたい。碧葉は野球部のやつから聞いたの?」

「うん、写真も見せてもらった」
 
 そこまで広まっていたのか。

「どうだった?」

「可愛かったよ」

 碧葉の目を見る。真っ直ぐで輝いて見えた。

 碧葉は僕のことを否定せずに可愛いと言ってくれたのだ。心臓が強く主張して、目頭が熱くなる。僕はずっとその言葉が欲しかったのだ。可愛いって、それだけでいいのだ。

 気がつけば頬に涙が伝う。

「泣いてるの?」

 碧葉は僕の涙を優しく拭ってくれた。

「大丈夫」

「ごめんね、ねぇ創志、許してくれる?」

 僕の中に怒りの感情はなかった。

「いいよ」

 上りの電車がもうすぐ到着するというアナウンスが聞こえる。僕は立ち上がって、ドア位置の前に向かった。

 僕は碧葉の方を振り返って、

「じゃ、実際に見てみる?」

 と、我ながら大胆な発言をする。気分が高揚していて、もし僕に羽がついていたら高いところへ飛んで行っていただろう。

「えっ、いいの?」

 碧葉は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。それがなんだかおかしくて、笑う。いや、変なことを言ったのは僕なんだけど。

「うん」

「絶交されるかと思ってた」 

「可愛いって言ってくれたから」

「なら、何度でも言うよ」

「また意地悪なこというつもり?」

「そんなことしないよ」

「本当? まぁ可愛いって言ってくれなかったら、絶交だから」

 恥ずかしいことを言っている自覚はある。でも、頭の中がフワフワしていて、夢の中にいるようだった。お酒を飲んだことはないけれど、酔うってこういう気分なのかもしれない。

「じゃ、その心配はないから、創志と俺はずっと友達だね」

 なぜか友達という言葉がチクリと心に刺さる。

 電車が到着して車内に乗ると、碧葉は耳元で「可愛いよ」と囁いた。

 やっぱり、からかっているのかと睨みつけるが、碧葉の顔を見ていたら、なんかもう遊ばれててもいいやと窓の外に視線を投げた。


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 テレビのニュースが、上田新葉(しんば)というサッカー選手の活躍を伝えている。

 普段は興味がないのに、どこか引っかかるような感覚がする。名字が上田だからかもしれない。下の名前も雰囲気が似てるような気もする。

 縁もゆかりもなくても、同じ名字の芸能人に親近感が湧くのに近いことだろう。と流したが、電車の中で本日二度目の上田新葉を耳にした。

 近くの女子高の制服を着た女子が三人。後半のゴールがカッコよかったとか、顔がいいとか話している。 

 そのうちの一人が、新葉選手の弟が近くの高校にいると言い出した。忘れてしまったようで、少し間があってから、僕が通っている高校の名前を口にした。

 ふと、隣でスマホゲームをしている碧葉を見た。変わった様子はない。女子高校生たちの会話を聞いていなかったのか、聞いた上で何も思わなかったのか。

 上田という名字は珍しくない。同じクラスに上田は一人だけだったと思うが、学校全体で見たら何人かいるだろう。

 だから、上田新葉選手の弟が上田碧葉とは限らないと、中吊り広告に目をやる。 

 いや、絶対にそうだろ。リュックの中にあるスマホを取り出して、『上田新葉』と調べる。すぐに弟がいるという情報と共に現在は高校一年生であるということが分かった。

 少し調べていくと、父親も有名な選手だったようで、期待の息子達と紹介されている。小学生の頃の写真だが、面影は残っている。碧葉だ。

 碧葉は部活に入っていない。もし兄と同じようにサッカーをやっているのなら、スポーツ推薦とかで強豪校に行っているだろう。僕の通っている高校のサッカーに目立った成績はない。父親の話とか部活の話とか、機嫌を悪そうにするから避けていたけど、腑に落ちた。
 
 サッカーは辞めてしまったのか、気になったが聞かれたくない話だろうから、何も言えずに碧葉の横顔を眺める。

「どうしたの?」

 と視線に気づかれて、

「なんでもない」

 と目を逸らす。

 僕だって聞かれたら嫌なことはある。それを察して気づかないふりをする友情もあるだろ。しかし、碧葉は僕の女装のことを突くような発言を以前した。

 それで仲が悪化したかと言われれば、逆で深まった気がする。でもそれはたまたま運が良かっただけ、大喧嘩して一生口を聞かなくなる可能性だったあったはずだ。結論が出ずに学校に着く。

 教室に着いた途端、碧葉はクラスメイト達に囲まれた。話題は上田新葉のこと。苦笑いしながら受け答えをする姿を見て、余計なことを言わなくてよかったと心の底から思った。

 その日の帰り道は空気が重たかった。どんな話をしたらいいのか分からないまま、隣を歩いていた。

「俺の兄さんが上田新葉って知ってた?」

 駅のホームに着いて立ち止まった時、碧葉は遠くの空を見ながら口を開いた。僕は上田新葉というサッカー選手がいることすら今日知ったのだ。

「今日まで知らなかった」

「やっぱり、知らなかったか」

「ごめん」

「謝ることじゃないよ、あのさ創志は、なんで中学の時に野球部やってたの?」

「えっ?」

「きっかけ、あるでしょ。今やってないってことはそこまでじゃないんだろうけど」

 男らしくあるためと言おうとして、辞めた。これじゃない方がいいだろう。

「好きな野球漫画があって、当時はそれに憧れてたんだ。まぁ僕には運動が似合わなかったけど」

 嘘は言ってない。今でもたまに読み返すくらい好きな漫画だからだ。

 地元で最強と言われていた主人公が、強豪校に入学して自分より強い相手に出会って成長していく話。僕自身がそうなりたいと思ったことはないけど。
 
「いいね、俺は気づいたらサッカーをやってたんだよね、好きでも嫌いでもなかったけど楽しかった」

「じゃ、なんで」
 
 なんで辞めたのか。踏み込んだことを聞くのが怖くなって途中で止めてしまったが、上田は僕が言わなかった言葉を理解したようだった。

「俺、サッカー上手かったんだよ。たぶん。でも、どうしても父さんが出てくる。兄さんが出てくる。比べられてしまう。それが嫌だった」

 碧葉の声がどんどんと弱くなっていく。自分より背が高く大きい存在を守りたいと救いたいと思った。

「あのさ、さっき僕。少しだけ嘘をついた。野球やってた理由、好きな漫画もあるけど、本当は男らしい部活だから選んだんだ。だから何って話だけど、上田が正直に話してくれてるのに不誠実だったなと思って」

 上田と目が合った。

「ごめん」

「何が?」

「創志が話したくないこと言わせちゃった」

「そんなことないよ」

 そんなことなくなかった。はずだったのに、絶対に誰にも言いたくなかった事なのに、上田ならいいやと思えたのは、どうしてなんだろう。

「ごめん。創志の事を傷つけるつもりないのに、いつも嫌なことしてる気がする」

「べつにいいよ」

「どうして?」

「えっ?」

「ごめん、またイジワルした?」

 他の人に言われたら絶対に怒っている。言葉は人によって意味を変える。受け取り側の問題なんだ。

「大丈夫だよ」

「ありがとう、今は兄さんやサッカーのことはなんとも思ってないからね」

 碧葉は不敵な笑みを浮かべる。

 これはどういう意味なのだろうか。