ご飯を食べて部屋に戻ると、置きっぱなしにしていたスマホを手に取った。
 通知が何件か来ている。その中に、古賀くんの名前を見つけた。
 心臓がドキリと鳴る。
 ずっと、ここに古賀くんの名前が表示されたら良いのにと思っていたはずなのに、今はこのメッセージになにが書かれているのか、見るのが少し怖くなる。

 今日、古賀くんと話して、古賀くんのお願いを受け入れなかったことを思い返すと、胃が痛む。
 今までみたいに良いよって言えなかった自分に、今更後悔している。
 ほらね、こうやって後悔するんだから、いつもみたいに相手に合わせておけば良かったんだ。
 メッセージを表示して、あたしは驚いた。

》さっきは変な頼み事してごめん。よく考えたら涼風のことなんも考えてなかった

 画面を閉じることなくスマホをそっとテーブルの上に置いた。
 しゃがみ込んで、ベッドサイドに寄りかかる様に小さくなって膝に顔を埋める。

 泣いちゃダメだ。
 だけど、なんか寂しい。

 葉ちゃんに言われた時も思ったけど、やっぱり古賀くんは、あたしのことなんてなにも考えてなかったんだ。
 本人の言葉を見て、実感が湧く。
 溢れてきそうな涙を必死に心の奥底に押し込んだ。
 泣かない。泣いたって仕方ない。
 腕を伸ばしてスマホを取ると、文字を打つ。

《気にしてないよ

 一言だけが限界だ。あとはもう知らない。古賀くんとはこれで終わりだ。そう思ったのに、画面にはすぐに返信が返ってくる。

》良かった! また七美となんかあったら相談しても良いか?

「はぁ?」

 思わず、切なくなっていた涙の波が引き潮の様にさぁっと引いていった。

 相談? あたしに? なんで?

《いや、相談されても困るし

 冷静に、無心でスマホに文字を打ち込む。

》涼風にしか七美のこと話してないし、聞いてくれると嬉しいんだけど

「いや、待て待て待て。なんかおかしいよね? 絶対おかしいよね?」

 ついに、スマホに向かって突っ込んでしまった。
 さっき、後悔するくらいにしっかり断ったはずなんだけどな。全然響いてないってこと? 古賀くんって、儚げ王子に見えていたのに、実は神経図太い?

 人と深く接してこなかったから、もちろん古賀くんのことも彼氏ではあったけれど、何一つ分からない。本当に好きだったのかなとまで、自分のことを疑ってしまいたくなる。
何に対しても、上辺だけしか見ていないからかもしれない。
 もう、これは古賀くんの恋の応援をするしか道はない様な気もしてくるのだが。

《古賀くんって、友達いる?

 失礼覚悟で聞いてみる。
 だって、あたしにしか頼めないとか、選択肢無さすぎるでしょ。モテるんだからもっと良い相談相手の女の子とかいるんじゃないのかな? 男友達だってきっとたくさんいるだろうし。彼女の話くらいしても良いと思うんだけどな。

》えー、友達? 七美よりはいると思うけど

 古賀くんからの返信に、もはや呆れてしまって、あたしはポッカリと開いてしまった口を数秒経ってからハッとして閉じた。
 いや、なんで七美基準?
 なんでも七美、七美って。どんだけ七美のこと考えてんの?

《七美のこと、好きすぎじゃない?
》うん、めっちゃ好き

 なにそれ。
 スマホの画面には、あたしが古賀くんから欲しかった言葉が表示されている。
 だけど、それはあたしに送られた文字であっても、言っているのは七美に対してだ。
 なんだろう、このやりきれない気持ちは。
 もうなんか、あたし古賀くんのことちょっと嫌いになりかけてるかもしれない。

 胸の中で、ズキズキと切り刻まれるような痛みをしていた心臓は、すっかり元通りになってむしろ平常心を保っている。ドキドキもなければウキウキもない。ただ、生きるためだけに動いている。
 自分勝手。ああ、そうだ。この言葉が今の古賀くんにはぴったりかもしれない。

 あたしの気持ちなんてお構いなしに自分の気持ちだけを満たそうとしている。自分勝手だよ。身勝手。
 でも、まりんちゃんを見ていても思ったけど、あんな風に自分のことに一生懸命になれるって、羨ましいかもしれない。
 どうしてこんな風に思う様になってしまったのか。

 なんだか、他にも自分の好きなことを貫く誰かの言葉に影響された様な気もするけれど、それが誰だったのか、何だったのかは思い出せない。
 ただ一つ。自分のやりたい様にやるって、大事なことなのかもしれない。

《分かった。古賀くんの恋、応援する
》え! まじ? 嬉しい!

 やけにテンションの高い古賀くんの返信に、思わず笑ってしまう。
 ほんと、古賀くんって、こんな人だった? あたし、何も知らないで古賀くんのこと好きになってたんだな。付き合ってたんだな。そう思うと、なんか、フラれたことが腑に落ちるし、フラれて良かったとまで思えてきてしまった。

》今度七美とも会ってやって
「……それは……ちょっと考えるなぁ」

 返信に困ってしまって、あたしはその後なにも送らずにスマホを手放した。


 次の日、学校の手前のコンビニ前で古賀くんの姿を見つけた。目が合うなり手を振ってくるから、あたしは辺りを見回してから自分に振っているんだと気が付いて、足取りがゆっくりになる。

「おはよう、涼風」
「……おはよう」
「昨日はありがとな。嬉しかった!」

 満面の笑みで話しかけられて、古賀くんが学校へと歩き出す。
 これは、付き合っていた時の朝の登校と同じパターンだけど、今は付き合っていないし、友達でもないし、フラれてるし、なのに一緒に登校するってよく分からないよね?
 一度立ち止まって、古賀くんから距離を取る。
 あたしが着いてきていないことに気がついたのか、古賀くんが振り返った。

「どうした?」

 いや、どうした?、じゃないよね?
 あたし、もうフラれて彼女じゃないし、古賀くんと一緒に歩く権利ないし、恋の応援はするとは言ったけど、友達になるとは言ってないし。
 頭の中で色々と考えて返答に困ってしまうと、隣に誰かの気配を感じた。目の前にラムネサイダーのペットボトルが差し出されて驚く。

「おはよ。なんか、揉めてる?」

 ラムネサイダーを持つ腕を辿って顔を上げると、西澤くんが困った様な顔であたしを見ていた。

「……あ、西澤くん」
「古賀、俺杉崎さんに課題教えてもらわなきゃないから、連れてくねー」
「え、」

 ラムネサイダーをもう片方の手に持ち替えて、あたしの手を取る西澤くんの手のひらは冷えたペットボトルのせいかひんやりと冷たくて少し湿っていた。
 古賀くんの横を手を繋がれて通り過ぎる。驚いた様に目を見開く古賀くんの顔が、一瞬だけ視界に入った。
 昇降口まで来ると、思い出した様に西澤くんがあたしから手を離した。

「あ、ごめん、つい」
「ううん」

 そのまま靴を脱いで、上履きに履き替えている西澤くんの顔が赤く見える。
 ひんやり感じたのは一瞬で、強くて暖かい手のひらの感触がまだ右手に残っていて、ドキドキする。

「……古賀と、なんかあった?」

 心配そうに聞かれて、あたしはどう説明したら良いのか分からずに黙ってしまった。

「ごめん、なんか杉崎さんが困ってる様な顔してたから、強引に連れてきちゃったけど、古賀に勘違いされたらまずいよな。後で俺からフォローしとくから。ごめん」

 謝る西澤くんに、あたしはようやく靴を脱いで上靴に履き替えた。

「謝らなくていいよ」
「……でも」

 困っていたのは本当だから、西澤くんがきてくれて安心したのは本当だ。悪いことなんて何もないから、謝ってほしくない。

「とりあえず、まだ大丈夫だから。心配しないで」

 西澤くんより先に教室を目指して歩き出す。
 何かはあったけど、べつに何もない。
 だから、まだ大丈夫。西澤くんに心配されるようなことはない。
 教室に入れば、前の席で振り返った葉ちゃんがジトっとした目であたしを見ている。
 何が言いたいのかは分からないけど、たぶん怒っているような、気がする。

「お、おはよう、葉ちゃん」
「おはよう……」

 カバンを置いて椅子に座るあたしに、何か言いたげにいるけど、挨拶の後の言葉は続かない。
 あたしが何かを伝えなければならないのだろうかと思って、とりあえず笑ってみる。

「……涼風さ、昨日古賀くんといた?」
「……え?」

 ようやく視線を合わせた葉ちゃんが話し出す。

「帰りにたまたま通った公園のベンチに、二人が座って話してるのが見えたんだよね」

 葉ちゃんは洞察力が高い。前にも花火大会で古賀くんと七美が一緒のところを見たと言っていたけど、よく人を見ている。確かめるように聞いてくるけど、確信を持ってあたしと古賀くんだったと言って聞いてきている気がする。
 確かに昨日、公園のベンチであたしは古賀くんと話していたから。

「……偶然、古賀くんと会って、それで、呼び止められて」
「謝られたの?」
「……うん、謝ってた」

 ごめんって、言われた。でも、なんだかあたしの全部を否定されたみたいで悲しかった。
 元カノと友達になってほしいとか、付き合っていたことを無かったことにしてとか、よく分からないことを言い出す古賀くんに困惑した。だけど、結局は。

「古賀くんの恋の応援をすることになった」
「……は!?」

 ポツリと漏らしたあたしの言葉に、葉ちゃんが勢いよく立ち上がった。教室が一瞬だけシンッと静まって、またすぐにザワザワと元に戻る。

「なにそれ? どう言うこと?」
「……あたしもよくわかんないんだけどさ、古賀くんから頼まれたの」
「頼まれた……? って言っても意味わからんくない?」

 首を傾げる葉ちゃんに、あたしまで困ってしまう。

「なんかね、古賀くんのことあたし本当に好きだったのかなぁって。今になって考えちゃうんだ」
「えー、だって、あんなイケメンなかなかいないよ? 好きにならない理由なんてないじゃん? めっちゃモテるし、彼氏としては完璧じゃん」
「……葉ちゃん、さ、古賀くんのことめちゃくちゃ推してくるよね?」

 ずっと思ってた。あたしが古賀くんのこと好きかもしれないって葉ちゃんに言った時も、めちゃくちゃ応援してくれた。それは友達だから、当たり前のことなのかなと思っていたけど、古賀くんのことを貶す割にあたしとは付き合っていて欲しいような感じでいる。

「だって! めちゃくちゃお似合いなんだもん、二人! 美男美女とは古賀くんと涼風のことを言うんだよ? 目の保養だよ。並んで歩いてるとほんとうっとりする」

 手を顔の前で組んで頬を赤らめる葉ちゃんに、あたしは何も言葉が出てこない。
 観賞用でなんて、付き合えないよ。

「古賀くんの彼女、あたしとは真逆な子だよ」

 あの時見た七美の姿を思い出して、つい口をついて出てしまう。
 華やかな古賀くんに対して、自信がなさそうに肩を丸めて後ろを歩く姿は、とても彼氏彼女には見えなかった。だけど、古賀くんの顔はすごく幸せそうに見えた。
 あんな風な笑顔をさせられる七美って、凄いと思う。

「ああ、元カノってあの花火大会の時の子なの? めちゃくちゃ普通……よりもなんか暗い感じの子だったなぁ」
「葉ちゃんはよく見てるよね」
「視界に入ってきちゃうんだもん。仕方なくない?」
「……まぁ、それは仕方ないね」

 美男美女とか言っているのはとりあえずスルーしておいて、あたしだって普通だなって思ったくらいだから、きっと葉ちゃんからみた七美はさらに印象の薄い子なんだろう。

「よっぽどなにか魅力があるんだろうねぇ」

 うーん、と考え込みながら、担任が教室に入ってくると、葉ちゃんは前を向いた。

『よっぽどなにか魅力があるんだろうねぇ』

 葉ちゃんの呟いた言葉が耳に残る。
 七美には古賀くんに好きになってもらえる魅力がある。あたしには、きっとそれがない。
 魅力ってなんだろう。
 あたしにはきっと誰から見ても魅力なんてないんだろうな。七美の魅力かぁ……

 授業が始まってからも、勉強になんて集中出来なかった。
 一度見ただけの姿ではどこにその魅力があるのかなんて、全然分からない。
 芸能人みたいに近づきがたいオーラがあるとか、誰が見ても可愛いとか、おしゃれだとか、そんな雰囲気も感じない。その辺を歩いていてもきっと気が付かずに通り過ぎてしまうくらい印象の薄い子だ。
 今顔をよく思い出そうとしても、まったく思い浮かばない。
 そもそも、他人になんてそこまで関わりたくないあたしが、なんでこんなに会ったことも話したこともない七美のことを気にしなくちゃいけないのか。そんなのどうだっていいはずなのに。
 また、ため息が出てきそうになって、寸前で堪えた。

「涼風ちゃーん、一緒に帰ろーっ」

 放課後になると、ふにゃりとした声で名前を呼ばれて顔を上げた。廊下側に視線を向けると、入り口でまりんちゃんが大きく手を振っている。

「あ、葉ちゃーん、あたし今日も部活お休みしまーすっ」

 前の席で部活へ行く準備をしていた葉ちゃんにも手を振りながら、まりんちゃんは笑顔で堂々とサボり宣言をしているから、あたしは葉ちゃんが怒り出すんじゃないかと内心冷や冷やしてしまう。
 チラリと葉ちゃんの横顔を見れば、呆れたように無言で頷いていた。

「下で待ってるねーっ」

 あたしの返答も聞かずに、まりんちゃんは笑顔で手を振って行ってしまった。
 別に誰かと帰る約束とかはしていないけど、あたしと一緒に帰ることが、まりんちゃんの中では決まってしまったようだ。

「え、まりんともいつの間に仲良くなったの?」
「あー、ははは」

 驚いて振り返った葉ちゃんに、あたしは笑うしかない。
 あたしだってそこまで仲良くなったつもりはないんだけど、なんだかぐいぐいくる子らしい。

「気をつけなねー、なんか見た目変わってから変な噂もあるみたいだし、調子にのってるのかもしれないから」

 変な噂? 心配しているような雰囲気を出しながらも、きっと葉ちゃんはまりんちゃんに対して呆れている感じだ。
 人気者で真面目な葉ちゃんから見たら、まりんちゃんは不真面目に見えるんだろう。
 現に、部活は行っていないし、この前は校則違反のバイトもしようかなとか言っていたし。きっと、葉ちゃんには合わないタイプなのかもしれない。
 こうやって、関わっていくと色んなところで合う合わないが生じてくるから、あたしはどちらにも極力合わせて穏やかに過ごしたい。
 波風は立てたくないんだ。
 あっちがいいとか、こっちがいいとか。
 そんなの面倒なだけ。

「じゃあ、またね、涼風」
「うん、部活頑張ってね」

 笑顔で葉ちゃんを見送ると、あたしも教室から出た。

 まりんちゃんが下で待っているって言っていたけど、帰る方向は一緒なのかな。
 昨日はかき氷を食べた後に先に帰ってきちゃったし、まりんちゃんと隆大くんがどっちに帰ったのかなんて分からないから、なんとなく気になった。

 昇降口にまりんちゃんの姿は見当たらない。とりあえず端から端まで確かめてから帰ろうと思って一番奥の階段下、壁に寄りかかりながらスマホに視線を落としているまりんちゃんの姿が半分見えているのを見つけた。
 なんであんな人気のない場所にいるんだろうと不思議に思いつつも、見つけておいて黙って帰るわけにもいかない。
 悩みながらもゆっくり近づいて行くと、あたしより先に一人の男子生徒がまりんちゃんに声をかけた。
 だから、それ以上は進めなくなった。何かを話し始めてしまって、そこに入っていくのも気が引ける。
 仕方ない、と踵を返そうとした瞬間。一瞬だけまりんちゃんと目が合った。
 なんだか、怯えているような気がして、不安に思う。

 声をかけていた男子生徒には、なんとなく見覚えがある気がする。誰だったか、名前までは分からない。同級生ではないから先輩かもしれない。
 なんだろう。関わりたくないのに、胸騒ぎがする。
 昇降口の自分の靴の列まで戻ってから辺りを見回すと、視界に入ってきたのはどこにいても目立つ背丈の古賀くんの姿。

「古賀くん!」

 自分でもよく分からないけれど、気が付いたら呼び止めていて、振り向いた古賀くんはすぐにこちらにきてくれた。

「涼風? どうした?」
「あ、えっと……」

 どうしよう。なんであたし、古賀くんのこと呼んじゃったんだろう。
 それに、状況もよく分からないのに、なんて説明したらいい?
 戸惑いながら振り向いて、まりんちゃんがいる階段下に視線を送ることしかできない。

「なんかあった?」

 あたしの顔を不思議そうに見て、古賀くんがゆっくり階段下に向かっていく。
 さっきまで見えていた二人の姿は、今はもうここからは完全に見えない。
 古賀くんは躊躇なく奥まで進んで、立ち止まった。

「なーにやってんのかなー?」

 階段下を覗くように見て、突然呆れたように大きな声を出した。

「せーんぱーい、無理やりは良くないと思いますけど? その子、泣いてるじゃないすか」

 こちら側からは古賀くんの姿しか見えなくて、階段下で何が起きているのかはよく分からない。だけど、泣いているって言うのは、きっとまりんちゃんのことだ。
 辺りはほとんど人がいなくて、だけど、古賀くんの声に足を止める人もいる。

「良いんですか? 三年の大事な時期にこんなことして。将来有望な先輩が勿体無い」
「うるせぇ! 古賀に何が分かる!」

 古賀くんよりも大きな声で飛び出してきた男子生徒が、走ってあたしの横を通り過ぎていった。
 見たことがあるのは当たり前だった。近くで見てすぐに分かった。生徒会長だ。

「なーんもわかんねーんだけど」

 先輩の走って行った方を向いて、呆れたように古賀くんが睨む。

「ねぇ、涼風、早くこっち来てよ」
「……あ」

 頷いて、あたしは階段下まで急ぐ。
 ぺたりと座り込んで小さく震えるまりんちゃんの姿に、愕然とした。

「まりんちゃん……?」
「涼風ちゃんっ! 怖かったよぉ……」

 震える手であたしに抱きついてくるから、まりんちゃんをしっかり包み込んであげた。

「あれさ、彼氏かなんかなの?」

 古賀くんが確認するみたいに聞いてくる。
 まだ答える余裕のないまりんちゃんに変わって、あたしが顔を上げて代わりに答えた。

「違う。まりんちゃんの彼氏は別の人だよ」
「は? ならちゃんとそいつに言っとけ。こんな簡単に襲われるような見た目と格好させんじゃねぇって」
「……え?」
「噂立ってんだよ。二年の高橋まりんは誰とでもヤラせてくれるって。生徒会長までそんな噂間に受けて。バカだよな」

 そんな噂、あたしは知らない。

「……え、そう、なの?」

 俯いたままのまりんちゃんに聞くと、小さく首を振った。

「リュウくんは悪くない。あたしが変わりたかったからこんな格好してるんだよ。良いじゃん、可愛くなったって。周りがおかしいんだよ。なんでそんな目で見るの? あたしはリュウちゃんだけに可愛いって思ってもらえたらそれで良いのに」
「リュウちゃんって彼氏はさ、あんたの見た目だけが好きなの? ってか、見た目だけ好きになってほしいの? それっておかしくない?」
「そんなこと、言ってない」
「見た目なんて関係なくない? 好きなら中身を見ればいいのに……まぁ、別に俺には関係ないし。とりあえず気をつけなよ。今度はリュウちゃんって彼氏にちゃんと守ってもらいなー」

 腑に落ちない顔を一瞬だけしてから、古賀くんは行ってしまった。
 あたしが呼び止めて助けてもらったのに、お礼も言えなかった。そして、あたしはただ、まりんちゃんの肩をさすってあげることしか出来ない。

「……ごめんね、涼風ちゃん」

 落ち着きを取り戻したまりんちゃんは小さくため息をついてから謝る。

「幸せ、逃げちゃうよ?」
「……あ、そっか、はは」

 あんなに元気いっぱいなまりんちゃんが、今は落ち込んでいる。

「キャラ、作りすぎてたかも。可愛くメイクして、格好も派手にして、彼氏作って楽しくいようって、毎日頑張りすぎてたかも。まさか、生徒会長にまで襲われるとか、ないよね?」

 また、小さく笑うから、あたしはまりんちゃんの隣に腰を下ろして座った。

「休み明けのテストで点数が思うように取れなかったって。ずっと勉強ばっかりで嫌になったからヤらせろって。意味わかんない」

 ぎゅっと両腕で包み込むみたいに小さくなるまりんちゃんに、胸がギュッとなった。
 やっぱり、自分を変えるってことは、今までの自分とは違うものを作り出すことなんだ。まりんちゃんが初めからこんな感じの子じゃなかったのを、あたしは知っている。きっと、自分を変えるって、相当勇気がいることだと思う。だって、絶対に疲れる。自分じゃない自分を作り出すなんて、そんなのあたしだったら絶対に……
 そこまで考えて、あたしはふと、自分じゃない自分って言葉に違和感を感じた。
 本当の自分ってものが、よく、分からない。

「疲れない? 自分じゃない自分でいるのって」

 あたしはずっと我慢してきた。今だってしてる。正直しんどい。だから、誰とも深くは関わりたくないし、自分のことも話したくない。

「そりゃ、疲れるよー」
「でしょ?」

 だったらそんなのやめたら良いのに。

「でもね……楽しいんだもん」
「え?」
「可愛くなれるのが楽しいし、リュウちゃんにかわいいって言ってもらえるのも嬉しい。たまにメイクが下手すぎとか、髪型かっこわるとか、酷いこと言われたりはするけど、あたしはかわいいって思ってやってるし、リュウちゃんがかわいいって言ってくれるのが嬉しいから、だから、やめられない」

 真っ直ぐに、まりんちゃんの思いの強さを感じる。
 なんだろう、こうやって、前にも誰かの強い思いを聞いたことがあったような気がしてくる。

「あはは、あたしだいぶリュウちゃん大好きだよね」

 すっかり震えもおさまって、まりんちゃんは笑っている。

「ありがとう、涼風ちゃん。助けてくれて」
「え……あ、いや、助けたのは古賀くんで」

 あたしじゃない。

「でも、古賀くんのこと呼んでくれたのは、涼風ちゃんでしょ? あたしが助けてって目で合図したの、ちゃんと分かってくれた。ありがとう」

 あ、やっぱり、あの目は助けを求める目で間違いじゃなかったんだ。
 勘で動いてしまったことを後悔していたけれど、お礼を言われると良かったと安心する。

『合図して』

 また、頭の中で声がする。なんとなく、それが西澤くんの声に聞こえるのは何故だろう。
 やっぱり、あたしの知らない西澤くんとの時間があったのかもしれない。

 制服のリボンを結び直して、まりんちゃんはスッと立ち上がった。

「あと……、この事はリュウちゃんには言わないで」
「え……」
「心配かけたくないから。リュウちゃん今、サッカーの試合にめちゃくちゃ集中してて、こんな事で心配、かけたくないから」
「……こんなことって」

 そんな簡単に隠してしまうような事じゃない気がする。今回はたまたまあたしや古賀くんが気がついたから良かったけど、ここの階段下は、ほとんど使われていない教室に上がっていく階段で、普段から生徒はもちろん先生もあまり通らない場所だ。
 なんでそんなところにまりんちゃんがいたのかは分からないけど、もしかしたら誰も助けに来なくて嫌な思いをしてしまったかもしれないんだよ。古賀くんの言う通りに、ちゃんと隆大くんに話して守ってもらわないと。

「大丈夫、今回は生徒会長って肩書きを信用しちゃっただけ。そもそもこんなとこに呼び出すのがおかしかったよね。あたしももっと気をつけるから」

 また大きなため息を吐き出したまりんちゃんは、ハッとしてから両手でため息を取り戻すようにかき集めている。

「じゃあ、幸せになるためにパフェ食べ行こっ!」

 立ち上がると、まりんちゃんはあたしの手を引っぱる。意外と力があるまりんちゃんに驚きつつも、そのまま誘いにのることにした。

 いつも学校が終われば家に直帰していた。
 教室の中では愛想よく笑っているだけでも疲れるのに、学校の外でも誰かといるなんて、考えられなかったから。
 葉ちゃんとだって学校帰りに遊んだりすることなんてなかったのに、やっぱりまりんちゃんは押しが強い気がする。あたしが嫌な顔を見せずにいるのにも、限界は来るかもしれないのに。

 学校から歩いて五分くらいのところに、カフェ・フレーバフルがある。
 店長さんがイケメンなお兄さんで、学校内でも特に女子に人気のあるカフェだ。情報くらいは知っている。でも、実際に来た事はなかったから、店内に入ると木目の床に古民家のような趣のある雰囲気になんだかとても落ち着く気がした。

「いらっしゃいませ」

 噂通りの涼しげな目元に優しい笑顔の店長さんがあたし達を案内してくれた。
 迷うことなくおススメのパフェを二人とも注文して待っていると、テーブルに置いているまりんちゃんの手が、まだ小さく震えているような気がした。

「……大丈夫?」

 確かめるように聞くあたしに、まりんちゃんは不安そうな目をしてから笑う。

「大丈夫、大丈夫っ。なんか、ここにきたらホッとして、急にさっきのこと思い出しちゃって……」

 無理に笑っているみたいに見えるから、やっぱりあんなことがあって平気でなんて居られるわけがないと思った。

「ねぇ、隆大くんって部活何時まで? やっぱりちゃんと話そう?」
「……い、いいよ」
「じゃあ西澤くんにでもいいから」
「え! 大空くんにはもっと、言いたくないよ」
「あ、そっか、そうだよね」

 西澤くんに言っても仕方ないし、知られたくないよね。何言ってんだあたし。言ってしまってから後悔してしまう。
 目の前にパフェが運ばれてくると、クリームたっぷりにイチゴとバナナ、メロンまで綺麗に飾られているから気分が上がってくる。

「かわいいーでしょっ、涼風ちゃん嬉しそうでよかった」

 パフェの向こうのまりんちゃんに視線をあげると、にこやかに笑っている。
 嬉しさが表情に出ていたのかと、あたしは思わず顔に手を当てて俯いた。

「大空くんがね、涼風ちゃんが寂しそうにしているんだって、ずっと気にしていたよ」
「……え?」
「夏休みに図書室で会っていた時のこと」

 長いスプーンを手に取って、クリームを掬って口に運びながら、まりんちゃんが言った。
 まりんちゃんは、西澤くんとあたしが夏休み中に何かあったことを、聞いているんだと思う。それが少し、気になる。
 だって、あたしは何一つ覚えていない。

 事故に遭って、目が覚めたら病院にいて、その間に一ヶ月以上の月日が経過していたというのは、本当に信じられなかった。
 それに、話したこともなかった西澤くんといつの間にか仲良くなっていたことには、もっと驚いた。

「……正直に言うとね、全然覚えてないの」

 まりんちゃんに言ってしまっても大丈夫だろうかと、不安はある。
 一番近くにいる葉ちゃんにすら、あたし自身のことを話した事はなかった。
 だけど、西澤くんと繋がりのあるまりんちゃんなら、西澤くんがあたしを好きになってくれた理由にも、もしかしたら繋がっていくのかもしれない。そう思ったから、少しだけ、話してみたくなった。
 まりんちゃんの弱みじゃないけれど、さっきの事件を考えると、それを知っているのはあたしと古賀くんだけだし、きっとバラされたくはないだろうし、あんまり深くまで入り込んでくるようなら、なにも話さなければいいんだ。

「涼風ちゃん……、もしかして、なんか悩み事でもある?」
「……え?」
「なんか、すっごく、辛そうな顔してるよ?」

 眉を目一杯下げて、まりんちゃんがあたしを覗き込むようにただただ心配してくれるから、一気に色んなことを考えすぎていた自分がなんだか馬鹿馬鹿しくなる。最低だ。ただ純粋にあたしを心配してくれているのに、あたしはいざとなれば弱みをって、考えてしまっていた。
 どうにか嫌われないように、離れて行かないように、繋ぎ止めておく何かがあることに安心しているだけだ。
 だからいつも苦しいのかな。
 でも、不安なことなんて簡単には吐き出せない。

「悩み事はあるけど大したことじゃないし、大丈夫」

 あたしもスプーンを手にとって、生クリームとイチゴを一緒に掬って食べた。甘くてまったりとした濃いクリームの中のイチゴを噛み締めると、じゅわぁと甘酸っぱさが口の中に広がった。

「涼風ちゃんは、大空くんのことどう思ってるの?」
「……え?」

 唐突に聞かれて驚いてしまう。

「大空くんは確実に涼風ちゃんのこと好きだよね? 今朝、古賀くんから涼風ちゃんのこと連れ去っていくのあたし見たよー」

 言い逃れはできないといわんばかりに、まりんちゃんは笑顔を向けてくる。
 校門前から昇降口まで手を繋がれて歩いていれば、確かに誰かしらには見られていてもおかしくなかった。葉ちゃんには見られていなくてよかったなと、少しだけホッとしていたのに。

「見てたんだ」
「うん、なんかね、大空くん頑張ってるーって廊下の窓から応援してたの」
「……応援」
「さっき、涼風ちゃん何も覚えていないって言ってたけど、大空くんは全部覚えているみたいだよ。涼風ちゃんと過ごした夏休み期間」

 話しながらもパフェを食べる手は止まらないから、あっという間にメインの果物もアイスクリームもほとんどなくなった。

「それって、思い出さなきゃいけないのかな」

 あたしが花ちゃんのことを覚えているような接し方をした時、西澤くんはすごく嬉しそうに笑ってくれた。思い出してあげたいけど、忘れていることを無理に思い出そうとして、やっぱり思い出さなきゃよかったってなったら、その方が嫌だ。

「無理にとは言わないよ。でも、大空くんとはこれからも仲良くしていてほしいなって思っただけだよ」
「友達になったから、仲良くはするつもりだけど」
「え! そうなのっ?」

 さらりと流すように言ったあたしの言葉に、弾むような笑顔で食いついてきたまりんちゃんに、驚いてしまう。

「じゃあ、また四人でデートしようねっ」

 また? デート?
 思わず考え込んでしまう。

「よかった、なんか涼風ちゃんと話してたら落ち着いてきた」

 ずっと、楽しそうだけど強張ったような笑顔に感じてはいたのは、やっぱり間違いなかった。

「西澤くんと仲良くするから、隆大くんにちゃんと今日のこと話してね」
「むぅー、分かった」

 ようやく観念したのか、まりんちゃんが頷くからあたしもホッとする。