*      *       *

 ──七月二十一日、茜が消えた後の屋上。
 散々泣いた私の涙も枯れ果て、少し落ち着いた私の視界に、一つの封筒が飛び込んできた。
 それは、水玉のあしらわれた可愛らしいもの。手に取ると、「小松怜香様」と、見覚えのある丸っこい文字で書かれていた。
「これ……」
「──それは多分、西村さんが書いた奴なんじゃないか? 俺が貰った封筒と一緒だし」
 私を気遣うように、優しく小久保一樹は言った。その言葉に背中を押されるように、私は封を開けていた。
 中に入っていた便箋を取り出し、半分に折られていたそれをそっと広げる。
〝Dear レイ〟
 そう始まった手紙には、見慣れた彼女の文字が記されていた。
〝レイに手紙を書くのなんて、初めてだから、何だか緊張するね。でもレイ、読む前にこの手紙を捨てるのだけは止めてね。泣いちゃうよ……。
 この手紙を読んでいるということは、もう私は君の傍には居ないのでしょう。あんなに傍に居るって言ったのに、約束、破っちゃってごめんね。
 そして、ずっとずっと、嘘を吐いていてごめんなさい。私は君を、大好きな人の身代わりにしようとした。同じだなんて嘘を吐いて、レイに自分を偽って友達になった。謝って許されることではないけれど、本当にごめんなさい。
 言い訳に聞こえてしまうかもしれないけれど、レイと友達になって、本当に嬉しかったんだ。初めは身勝手な身代わりでしかなかったけれど、レイと話す内に、レイのことが大好きになっていった。誰の代わりでもなく、レイとして、私は君のことが大切になっていった。でも、だからこそ言えなかった。軽蔑されるのが、嫌われるのが怖かったから。どこまでも自分本位な奴で、自分で自分が大嫌いになった。
 そんなこんなで、ダラダラとレイに真実を告げるのを引き延ばしていたから、罰が当たったんだ。車に轢かれた時、そう思った。死んじゃったってわかって、絶望した。でも一つだけ嬉しかったのは、死んでから初めて、レイお兄ちゃんと、そして、レイと、同じ景色を見れたことだった。本当はね、私、ずっとレイと同じ景色が見たかった。中途半端な能力しかなくて、レイの見ている世界を全て理解してあげられないのが、悔しかった。だから、レイが引き留めてくれて、嬉しかったの。「ああ、これで、もう少しレイと同じ景色を見れるんだ」って。
 でも、最終的に、私は君を置いていくことを選んだ。あんなに傍に居るって言ったのに、ごめん。私も、できるのなら、ずっとレイの傍に居たかった。それでも、いつか自分がレイを傷付けてしまうよりは、離れる方が、ずっとずっとマシだった。どこまでも自分勝手でごめん。
 あと、レイがずっと悩んでたこと、何となく知ってたよ。ずっと普通の人に憧れていたことも、死んだ人のために心を痛めていたことも。レイは確かに他の人とは違うかもしれない。それでも、他の誰かのことで心を痛めるような、優しい人だよ。だから、自分のことを嫌わないで。私はそんなレイだからこそ、大好きになったんだから。
 レイはきっと、私の遺言(死んだ後だから、遺言ってのは違うかもだけど)を守ってくれるでしょ? 生きてほしいっていう、私の遺言を。だから、一つ、伝えておくね。レイ、君はこの先も色んな人に出逢うよ。幽霊にも、生きている人にも。その中には、君をわかろうとしてくれる人がきっといる。小久保君みたいに、幽霊が見えなくてもレイのことを大切に想ってくれる人がきっといる。だから、大丈夫。レイはもう、独りなんかじゃない。
 それじゃあ、長くなったけど、ここら辺で終わりにします。もしも、レイにまた逢える日が来たら──〟
 最後の一文を読み終えた瞬間、折角止まった涙がまた溢れだしていた。でも、今度は絶望の涙ではない。
「茜──」
 もう今は居ない、彼女の名前を呼ぶ。
 ──私の、親友だった、少女の名前を。
 青空の下、君の消えた世界で、私は初めて自分のことが好きになれた気がした。

*      *       *

 七月二十一日、午前十時。
 私はそのまま学校をサボり、ある場所に訪れていた。
 そこまでは問題ない。学校は後で色々煩いだろうが、まあ、何とか誤魔化せるだろう。
 問題は。
「……なんで、あんたまでついてきてるのさ」
「いいだろ、俺ももう一限目サボっちまったし、今から戻っても怒られるだけだしな」
 後ろに着いてきた小久保一樹をチラリと睨み、ふいと前を向いた。
「で、どこ向かってるんだ?」
「──ずっと、行けなかった場所」
「……そっか」
 本当は、小久保一樹が着いてきてくれて、少しだけホッとしていた。私一人じゃ、また逃げ出していたかもしれないから。多分、奴もどこに行くかわかっていて、心配して着いてきているのだろう。そのお節介を、今は余計なお世話とは言えない自分がいた。
 辿り着いたのは、とある霊園。
『西村家ノ墓』
 そう刻まれた墓石の前に、私は立っていた。
 ……ここに来ることに、どれだけの意味があるのかなんてわからない。だって私は、ここに君が居ないことを知っている。君が、ここではない遠い場所に行ってしまったのを知っているから。
 それでも来たかったのは、けじめをつけたかったからだ。居ないことを言い訳に逃げ出さないように、──君の死から、もう目を逸らさないように。
 途中の花屋で買ってきた、鮮やかな黄色の五本の薔薇を供えた。
『こんな想いをするくらいなら──いっそ、茜と出逢いたくなんてなかった』
 あの時言ってしまって傷付けた言葉の代わりに、この花束を君に贈る。
 そして、その墓石に向かい合う。様々な想いが頭の中を駆け巡った。彼女との出逢い、共に過ごした日々、絶望した別れと、彼女の最期の願い。私の、私たちの、歪だった、それでもかけがえのなかったあの日々。
「……大丈夫か、怜香」
 遠慮がちに、でも心配気に掛けられた声に、私はハッとした。思わずぼんやりとしてしまっていたようだ。
「……うん、もう大丈夫」
 私は振り返り、心配そうな顔をしていた小久保一樹(お節介)にそう言った。
「行こっか、──カズ」
 瞬間、小久保一樹──カズは、目を見開いた。信じられないような顔で私を見て、そして、くしゃりと笑顔になる。それは、笑っているのに、どこか泣き出しそうな、そんな笑顔。
「──ああ、行こう」
 その顔を見られたくなかったのか、カズはすぐさま踵を返し歩き出した。その背中を追って歩き出そうとした時、忘れていたことを思い出す。
「……あ、そうだ」
 立ち止まって、振り返った。
「──じゃあね、茜」
 ──ずっと言いたくなかった〝さよなら〟を、今は言える気がした。