*      *       *

 白い光に包まれ、目の前からレイが消えていく──いや、実際には、私がレイの目の前から消えているのだろう。
 気が付くと、私は真っ白な空間にいた。ここが所謂〝死後の世界〟というものだろうか。
 私はふっと息をついた。
 ──よかった、レイを死なせなくて済んだ。
 ずっと、レイが何かを抱えていたのは気付いていた。
 頑なに自宅に入れようとしないこと。話題に出たことのない家族のこと。ずっと一人でいようとしていたこと。時折見せる、全てを諦めたような表情。そして、幽霊の見えない(普通の人)を羨ましそうに見つめる瞳。
 そういうレイを知りながら、私は何もできなかった。相談に乗ることも、悩みを聞き出すことも、何も。
 だって、そんなこと、どうして私にできるだろう。だって、嘘を吐いているからレイに心を許されているだけの私は、結局、本当はレイが羨む幽霊の見えない(普通の人)でしかないのだ。そんな私に、レイの深い部分にまで踏み込む資格が、どうしたら有ると言えるのだろう。
 恥ずかしい話、私は死んで幽霊になってから初めてレイやレイお兄ちゃんと同じ景色を見たのだ。レイお兄ちゃんから聞いた話と、不確かな黒い靄だけで何とかレイと話を合わせていた私は、レイの見ている世界を、抱えている何かを知りたいと口に出すことすら赦されない気がしていた。
 だから、レイに成仏を止められた時、「ああ、やっと罪滅ぼしができる」と思ったのだ。レイの願いを聞いてずっとレイの傍に居ることが、私のできる唯一の罪滅ぼしなのだ、と。だから、成仏しないままで、レイの傍に居ようと、そう思っていた。
 ……でも、柿本さんが悪霊化しかけて、レイが階段から落ちたのを見た時に、私の心はぐらついた。
 もしもこのままレイの傍に居たとして、成仏しないままでいたら、いつか柿本さんのように悪霊化してしまうかもしれない。そしたら、いつか私が、レイを傷付けてしまうかもしれない。そう思うと、無性に怖くなったのだ。
 このまま、ただ近くに居るだけじゃ駄目だ。レイを傷付けないために、レイに生きてもらうためには、一体どうしたらいいのだろう。
 悩んで、悩んで、私が辿り着いた答えは、──レイに、絶対に断れないお願いとして、生きてもらうことだった。
 レイと喧嘩して、君枝さんと出逢ったあの日、私はずっと悩んでいたことに決心をした。
 レイへの罪滅ぼしと言いながら、実際はただレイと離れるのが嫌なだけだった。ただ、レイと一緒に居られなくなるのが、どうしようもなく寂しいだけだった。
 だから、私は選んだ。レイのために──いや、私のために、私はもう成仏しよう、と。
 これは誰かのためなんかじゃない。カズ爺が言っていた通り、誰かのため、なんてものは、結局は独り善がりで、自分のためでしかない。人を使って言い訳しないで、認めよう。私は、レイをいつか自分が傷付けてしまうことが怖いから、自分のために成仏するのだ。
 そして、自分の我が(エゴ)のためだけに、レイに生きていてほしいと願う。レイに、死んでほしくないと願う。だから、ズルいお願いをしようと決めた。
 レイは、私の一生のお願いを断れない。だから、ああしようと、約束を交わした時から決めていた。
「……そう言えば、もう気付いたかな」
 スカートのポケットの中に手を入れ、そこに何もないことを確認する。どさくさに紛れてあの場に残してきた一通の手紙に、レイはもう気付いただろうか。
「ねえ、レイ。私、諦めが悪いみたい。だって、レイのこと、まだこんなにも大好きで、ずっと傍に居たいんだ」
 だから、もしも成仏して、レイに胸を張って逢えるような自分になれたら。
 今度は、あんな歪な嘘まみれの関係じゃなく、レイお兄ちゃんの代用でもなく、──小松怜香と、本当の友達になれるだろうか。
「……そのためには、レイお兄ちゃんに逢いに行って、全部すっきりさせないとな」
 どこに行けばいいかわからないけれど、この世界のどこかに涼原零仁(レイお兄ちゃん)は居るはずだ。なら、どれだけかかっても見つけ出して見せる。
 そう思い、前に一歩踏み出した──その時。
「──久しぶりだね、茜ちゃん」
 不意に、後ろから声がした。その声に、私は身動きもできなくなった。だって、振り返らずともわかる。その声は、私がずっと待ち望んでいたものだったから。
「……久しぶり、じゃないよ。急に死んじゃって、居なくなって、どれだけ私が泣いたか知らないくせに」
 嫌味のような言葉が、口を衝いて出た。でも本当は、そんなことが言いたいんじゃない。本当に、言いたかったのは。
「──ずっとずっと、逢いたかった」
 振り返って、その人の胸元に飛び込んだ。
 真っ白だった世界が、鮮やかに色付いていく。
 そうして私は、西村茜の人生(エンドロール)を終えた。