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俺が花火を好きになったのは、それが祖父との思い出のものだったからだ。花火師だった祖父の花火が、俺は何度も何度も見に行くほど大好きだった。
でも、祖父が死んで、大人になって、働くようになって、家族ができて。忙しなくなった日々の中で、いつからか、俺は花火を見に行かなくなった。
花火師になりたい、それを夢見ていたことも忘れるくらい、俺は現実に押し潰されていた。
──現実。それは、仕事に押し潰される毎日だった。
俺が働いていたのは所謂ブラック企業という奴だった。忙しく、仕事に忙殺されるのもそうだが、どちらかと言えば、その体制の方が真っ黒だった。
仕事が少しでも遅れると怒鳴られ、何はなくとも四六時中人格否定される。「そんなんだからお前は──」とか、しょっちゅう言われていた。
人間、慣れると正常な判断ができなくなるもので、絶えず怒られ続けた俺は、それがパワハラだとか、ほとんど虐めに近いものだったのだとかいうことがわからなくなっていた。
最初は耐えられたことも、精神がすり減るにつれ耐えられなくなってきた。
それでも、「辞めたい」とは言えなかった。まだ高校生の娘がいる。妻はパートだ。まだまだお金がかかることがわかっている今、持っている職を投げ出すなどできなかった。たとえ辞めたとして、こんな中年の、技術も脳もないただの親父が、再就職なんてできまい。そう思うと、どれだけ嫌でも仕事に行かなければならなかった。
妻と娘が仲良さげに話し続ける中、俺は家で喋ることもなくなっていった。趣味を話せる友人も、愚痴を言い合える同僚もいない。休みの日はただぼうっとするだけで一日が過ぎていく。何の感動もない人生に、いつの間にかなってしまっていた。
その日々を、受け入れられなくなったのは、一体いつだったのだろう。自分が壊れてしまっていたのは、一体いつからだったのだろう。
それは、突然だった。本当に、突然だったのだ。
──耐えられなくなった。怒鳴られ、蔑まれる毎日に。
きっと、予兆はもっと早くからあったのだろう。それに気が付かず、もう無理だ、と気付いた時にはもう、どうしようもない所まで行ってしまっていた。
気付いたら、朝の誰もいない会社の屋上から飛び降りていた。会社で飛び降りたのは、半分以上会社への当て付けだった。怖さとか、痛みとか、そういうものもあまり憶えていない。ただ、驚くほど一瞬だったことだけが、印象深かった。
そして、幽霊になったのだと気付いた時、やっと解放されたという気がして、憑き物が落ちたように気分がすっきりしていた。それまでの鬱々としていた、ゾンビのようだった自分とは正反対で、陽気だった幼少期に戻ったかのようだった。
そして、そんな状態になってから、思った。
「ああ、死ななきゃよかったな」、と。
あの切羽詰まった、追い詰められた精神状態では思えなかったが、一度冷静になってみれば、後悔ばかりが募った。遺してしまった妻、娘のことが頭を過る。大切なものは失ってから気付くなんて、よく聞くその言葉が本当だったことがわかった。
それから、どうしようかと考えている時に、俺は〝そいつ〟に出逢った。〝そいつ〟は、後悔しきっている俺に、〝火事場の馬鹿力〟のことを教え、誰にも見られなければ、成仏せずにいられる時間を延ばせることを知った。
ただの自己満足かもしれないが、妻と娘に手紙を書いた。遺して逝って申し訳ないと、でも、気に病まずに元気に生きていってほしいと。お前が言うな、と言われそうだが、もう俺にはこれくらいしか贈る言葉がなかった。
そして、その後どうしよう、と考えた時に、花火大会のチラシが目に入った。日付は今日。最期に見るにはぴったりの催しだ、と行くことを決めた。妻や娘も気がかりではあったが、最期くらい自分本位で過ごしても良いだろう、と会場に足を運ぶ途中で、珍妙な少女たちと出逢ったのだが。
実に数年ぶり、数十年ぶりかもしれないその花火は、無邪気な子供の頃に見たのと同じくらい、いや、それ以上に綺麗だった。そのことに、忘れかけていた後悔が甦った。
俺は、こんなに綺麗なものがあるのに気付きもせず、あんな糞ったれた会社のせいなんかで命を無駄にしたのかと思うと、どうしようもなく悔しかった。あの時、自分の心に正直になって、恥ずかしくても、情けなくても、家族に話して逃げ出せていたら。そんな、今更の後悔が胸を満たした。
「嬢ちゃん、君は、大切なものを手放すな。俺みたいに、なるんじゃねえぞ」
幽霊の見える少女に、そう言った。
大切なもの──命を手放してしまったら、もうそこで終わりなのだ。だから、俺みたいになっちゃいけない。
ドドーン。
次に打ち上がった花火は、今まで見たものの中で、一番大きくて、一番綺麗だった。
自分が、その打ち上がった花火と同じように消えるのを、俺はそっと受け入れた。
──もしも、もう一度生きられるなら、次の人生は花火師になりてえな。
きっと叶わない願い事を、馬鹿みたいに考える。
最期に見た花火は、生まれて初めて見た祖父が上げた花火に、よく似ていた。