* * *
「じゃあ、この身体返すわ」
観覧車前で落ち合った私の身体はあっさりとそう言った。
小久保一樹が少し離れた場所にいて、声が聞こえないからか、猫被りではない素の彼女が出ていた。
「いいけど、結局未練って何だったの。頼みを聞いたら教える約束だったでしょ」
問い詰めると、倉橋由利香は悪戯っぽく笑った。
「初恋の人とデートがしたい、それがあたしの未練」
「…………………は」
「え、えええええええーっ⁉」
思いがけない言葉に固まる私と、思う存分叫ぶ茜。そして「うむうむ、うちの孫は格好いいからのぉ」と祖父バカ丸出しで頷くカズ爺。三者三様の私たちを呆れた目で見た倉橋由利香は、「このことは一樹さんには言わないでよね。言ったら呪ってやるから」と物騒な釘を刺した。
「……本当は、途中でこのままあんたの身体を乗っ取ってやろうかとも思ったわ。でも、止めた。──そんなことしても、あの人は好きになってくれないってわかったから」
小声になった最後の部分が聞き取れずに「何て言ったの」と聞き返すと、倉橋由利香は意地悪そうに笑った。
「あんたの顔で生きるのなんてまっぴらだったからやめたの! あたしの方が数百倍は可愛いしね」
ふふん、と鼻で笑った彼女はやはり生意気だと思う。確かに顔は美人の部類に入るだろうが、そのキツい性格は私と似たり寄ったりなレベルな気がする。
「それじゃあ元に戻すぞ。いいか、嬢ちゃん」
「ええ、いいわ」
「私も、大丈夫」
幽霊体験ができるこの状態は少し名残惜しかったけれど、今日一日は満喫したし、──茜にも、もう一度触れられたから、それで十分だ。
「じゃあ行くぞ」
その途端、私と倉橋由利香が金色に光り出した。そして、カズ爺が両手をクロスさせるのと同時に、ぐいっと引っ張られる感覚がして、そして──。
「……あ、戻った、のか」
次に目を開くと、視界に映ったのはカズ爺と茜、そしてその隣に立つ倉橋由利香の姿だった。
「じゃ、未練も失くなったし、成仏するかな」
元の姿に戻った倉橋由利香は、茜の隣から歩いてきて私の目の前にやって来た。
「……身体貸してくれて、ありがと。一応、お礼言っとくわ」
「別に、私も幽霊体験できたし、ウィンウィンって奴じゃない?」
お互いにぶっきらぼうに言葉を交わして、そっぽを向く。
「二人とも、素直じゃないなぁ」
そんな私たちを見て、茜は苦笑した。
「それじゃあね」
倉橋由利香の身体が、白い光に包まれ出した──その時。
「──君は、あの時のっ」
後方にいた筈の小久保一樹が、そう声を上げた。
* * *
──初恋の人と、デートがしたい。
それも確かに、未練の一つだった。
でもそれは、あたしが彼には小松怜香でしか関われず、倉橋由利香で逢うことができないと知ったからだ。
仕方ない、そう折り合いをつけて、ちゃんと成仏しようと思った。
……だけど、今、あたしは彼の瞳に映っている。最低最悪極悪非道の神様が、最後の最期にようやくあたしの願いを叶えてくれたんだ。
「なんで、君が──」
あたしの目の前に駆け寄ってきた一樹さんは、泣きそうな顔であたしを見つめた。
たった一度言葉を交わしただけの、そんな子のために、悲しそうにしなくたっていいのに。彼の人の良さに思わず笑ってしまう。
……だってあたしは、憶えていてくれただけで満足なのだから。
「あの後、電話する前に死んじゃったから、すっごく心残りだったの。無理言ってデートしてもらってごめんなさい。でも、凄く楽しかった。遊園地で遊ぶ約束、叶えられて良かった」
「そんなの、気にしなくていいよ。俺も、君と遊園地で遊べて楽しかった。約束を守れて、本当に良かった、けど──」
彼の顔が歪む。泣くのを必死に堪えているような、そんな顔。
……あの日、この人と初めて逢った時のあたしも、こんな顔をしていたのかな、なんて。
そんなことを考えて、あたしは笑みを溢す。
「倉橋由利香。〝これで、名前も知らない奴じゃなくなった〟わ」
──だから、あなたとあたしはもう友達、でしょ?
あの日彼がくれた言葉を真似て、そうおどけてみせた。
「……ああ。君と俺は、友達だよ」
友達だと、そうはっきり言われてしまったことには胸が痛んだけど、ようやく笑ってくれた彼に、少し安堵する。
「じゃあ、もうお別れですね」
白く淡い光が、あたしを覆い尽くしていく。この世界との別れも、彼との別れも、きっとすぐそこだ。
「……あっ、そうだ」
最期に一つだけ、彼に伝えたかったことがある。
「あたしね、あなたのお陰で、もう一度生きたいって思えたの」
そう告げると、彼が目を見開いた。その表情を目に焼き付けて、あたしは微笑んだ。
「──あたしの生きる希望になってくれて、ありがとう」
ずっと言いたかった想いを、彼に贈る。
──生きる希望をくれた彼に、お礼が言いたい。
それが、あたしの本当の未練だった。
……死ぬなんて、本当は嫌だった。もっともっとやりたいことがあったし、普通の女の子として生きていたかった。
でも最期に、この人に感謝を伝えられたなら、それだけでもう十分だと、そう思えた。
「……俺っ、君のこと、絶対に忘れない。ずっとずっと、友達だから──」
消えていくあたしに、彼が叫ぶ。
……初恋は実らなかった。だけど、彼の〝友達〟として、あたしは最期の言葉を告げた。
「あなたと友達になれて、本当に良かった」
──バイバイ。
小さく手を振って呟いたその挨拶は、彼に届いただろうか。
そんなことを考えながら、あたしは〝倉橋由利香〟としての人生を終えた。