* * *
場所は変わって屋上。
教室で叫んで気まずくなったのか、小久保一樹は人のいない場所で話そうと言い出した。結果、屋上に場所を移し、細かい説明をしていた。
「……つまり、その幽霊の女の子がデートしたいって言ったから、俺に頼んだってわけか?」
小久保一樹は頭を抑えながら苦々しげに尋ねた。
「ま、そういうことだよ。カズ爺に聞いたら私の身体を貸せばいいって言ってたから、私の身体に入ったその子とデートしてほしいんだ」
登校時に倉橋由利香にデートの打診をされ、仕方がないので私は休み時間にカズ爺を呼び出した。彼女がデートできる方法はないのかと訊ねると、カズ爺は渋々「ある」と頷いた。どうやらその方法が危険だから、あまり教えたくはなかったらしい。
「なんだ、そういうことか……。いきなりデートしろとか言うから頭でも打ったのかと思ったわ」
「まあ、普通なら絶対言わないな」
素直にそう言うとなぜか小久保一樹は「そうだよな……」と肩を落とした。何か問題でもあったのだろうか。
「……もう関わらないとか言っておいて、早速こんなこと頼んでごめん」
少し罰が悪かったから、形だけでもと謝罪する。
すると小久保一樹は表情を緩めた。
「別にいいよ。俺としてはお前に頼られて嬉しかったから、気にしなくていい」
さらりと流せる辺りは、私よりも大人なのかもしれない。そんなことを思いながら、明日の待ち合わせ場所と時刻を告げる。
「了解。じゃあ、また明日」
「……また明日」
こんな風に待ち合わせをしてこいつとどこかへ行くのは小学生以来だな、と、どうでもいいことを思い出して私は屋上から去っていく背中を見送った。
* * *
そして翌日。七月九日、午前十時。
私は待ち合わせ場所の遊園地に来ていた。
「にしても、この服はないでしょ……」
思わずぼそりと呟いて、自分の格好を見る。
普段なら絶対に履かない淡いピンクのプリーツスカートに、清潔感のある白のブラウス。髪の毛はハーフアップにされ、普段は一ミリもしない化粧も軽く施されている。ファンデーションとか、付け睫とか、リップとか。
私にとって未知、しかも持っていなかったそれらを、倉橋由利香は昨日買い集めた。勿論、買ったのも私であり、出したお金も私持ちである。まあ、昔から貯めていたお年玉を一切使っていなかったから、お金に困ることはないけれど、着るのとか化粧とかは正直勘弁してほしかった。「しないと呪う」と案の定言われたので、仕方なく受け入れたけれど。
「この服はないって、あんた、あたしのコーディネートにケチつけるわけ? 大体、華の女子高生がメイク道具の一つも、スカートの一着すら持っていないって、マジで有り得ないんだけど! あんた、枯れた高校生活送ってんのね」
呆れと憐れみが込められた倉橋由利香の視線にカチンとしながらも、事実なので黙るしかない。
「てか、なんでよりにもよって小久保一樹なんだよ……。まあ、他の人だったらデートなんざできてないと思うけどさ」
ちらり、と倉橋由利香を見ると、彼女はふいとそっぽを向いた。
「……べつに、深い意味なんてないわ。ただ、あの人に一目惚れしたってだけ」
「一目惚れ、ねえ……」
どこまで本当かわからないその言葉に、私は疑いの目を向ける。しかし、それとは裏腹に、キラキラと目を輝かせているバカがいた。
「一目惚れ……! うんうん、わかるよ‼ 小久保君、格好いいもんね! ああ、なんか青春って感じだなあ」
茜が目を輝かせて、眩しいものを見るように倉橋由利香を見つめる。
「……なんで関係ないあなたが興奮してるのよ」
これには倉橋由利香も少し引いたような顔をして茜を見た。
「だってぇ、そんな甘酸っぱいコイバナなんて女の子は皆好きでしょ? ……レイは、例外だけど」
「例外で悪かったな」
生憎恋とかそういうのは興味がない。そんなことで〝女の子〟と括られても迷惑なだけだ。
「いいなあ、私もデートとかしてみたかった!」
「あんたにはまず相手がいないだろーよ」
「えへへ、そうでした!」
まさに恋に恋しているみたいなフワッフワの発言で、具体性がどこにもない奴だ。
「へえ、この女として終わってる人はともかくとして、あなたも恋してないなんて意外ね」
サラッと人のことを貶しながら倉橋由利香は不思議そうに茜に目を向けた。茜は照れ臭そうに答える。
「あはは……。私も、恋には憧れてたんだけどね。理想が高過ぎて、あんまり誰かのことを好きになれなくって……」
「理想?」
その言葉に、私は首を傾げた。私がコイバナに興味がなかったせいか、茜のこの手の話を聞くのは初めてだ。
「そう。優しくて、格好よくて、どんな人のことも受け入れてくれるような、そんな人がタイプなの」
「はあ……。そんな奴、存在すんの?」
「いるよ! 私の初恋の人が、そういう人だったの‼」
顔を赤らめてそう叫ぶ茜に目を白黒させた。茜にそんな初恋の人がいたとは、初耳だ。
「レイは初恋もまだでしょーから、わかんないだろうけどっ!」
ぷいっと拗ねたようにそっぽを向く茜に、「まあ、そーだな」 と軽くあしらう。そして携帯電話を確認した。
「それにしても、小久保一樹、遅いな。もう約束の十時は過ぎてんだけどな……」
スマートフォンが表示した時間は、十時十五分。待ち合わせ時間ぴったりの十時に来た私が言えることでもないだろうが、既に十五分は経過していた。
「確かに遅いね、小久保君。こういう待ち合わせに遅れるような人には見えないけど……」
茜も不思議そうに首を傾げた。茜の言う通り、小久保一樹はこういう待ち合わせに遅れることはほとんどない。……だがしかし、小久保一樹なら有り得ることを、私は知っていた。
「……どーせまた、どこかで人助けなんかしてんだろうな」
呆れたように呟いたその言葉に、倉橋由利香が笑った。
「……それは、凄くあの人らしいわね」
まるで、小久保一樹の人となりを知っているような口調を疑問に思うものの、それを尋ねる前に足音がこちらに駆けてきた。
「悪いっ、遅くなった」
息を切らせて現れたのは、黒いTシャツにカーゴパンツ、シルバーのネックレスをつけた小久保一樹だった。
「道に迷ってたおばあちゃんを案内してたら遅くなった。本当に悪かっ──」
謝罪の言葉を口にしながら顔をあげた小久保一樹は、その途中で言葉を失った。口をぽかんと開けたまま目を見開いたそいつに、「どうしたんだよ」と問いかける。
「……い、や。なんか、怜香が怜香じゃないみたいで、めっちゃビビった」
どうやら奴は、私のこの格好に驚いていたらしい。
「私だってできることならこんな格好したくなかったわ」
ピラピラのスカートを摘まみ、溜め息を吐く。それでもこれが倉橋由利香のご要望だ。
「で、カズ爺、早速入れ替えてくれる?」
そう小久保一樹に向かって呼びかけると、少しだけ不機嫌そうな顔をしたカズ爺が現れた。
「……怜香、本当にやるのか? 今回のは、この前一樹がやったのとはわけが違うんじゃ。守護霊の守護者である一樹はある程度霊体に対して免疫があるが、お前さんには守護霊がいない。一樹よりももっと身体に負担がかかるんじゃぞ?」
「しつこいなあ。いいって言ってんじゃん。柿本信次の時も思ってたんだけど、一回やってみたかったんだよね」
そう告げると、カズ爺はガックリと肩を落とし、諦めたような溜め息を一つ。そして「わかった」と渋々同意した。
「この前は二重人格のような感じじゃったが、今回はそうはいかん。あれができるのは身体に守護霊が取り付いている人間だけじゃからのう。じゃから、今回は怜香の魂を身体から引っ張りだし、その代わりにそこの嬢ちゃんに入ってもらおうと思う」
「それって、俗に言う〝幽体離脱〟って奴ですか?」
茜が興味津々で尋ねると、カズ爺は「ちっと違うが、ま、大体はそんな感じじゃ」と答えた。
「幽体離脱か。面白そうじゃん。実際、人のデート覗き見るとか、気まずいし退屈だしね。じゃあ今回は私と茜とカズ爺は別行動するか」
「なぬ? ワシ、一樹に着いていくんじゃないのか?」
キョトンとしたカズ爺を、倉橋由利香がギロリと睨んだ。
「お爺ちゃん同伴のデートとか、流石に有り得ないから。お引き取りください」
「ひぃん……なんて辛辣なんじゃ。せっかく可愛い孫の初でえとが見られると思ったのに……」
「カズ爺、それはキモい」
「追い討ちをかけるなぁっ!」
「あはは……。カズ爺、そんなに落ち込まないで、元気出してください」
「茜ちゃんだけじゃ、ワシに優しくしてくれるのは……」
泣き真似をする学ラン男子は放っておいて、私は小久保一樹の方に向き直った。
「やっと段取り決まったから、これからその子に代わるわ。あとは自由にデート楽しんで」
「……うん、全く話は見えなかったけどな。このまま放置されるのかと思ったわ。……てか、やっぱ俺も幽霊が見えたらいいのにな。そしたら、こんな置いてけぼりにされずに済むのに」
その言葉に、私は少しだけ眉を顰めた。
「……そんなにいいもんじゃないよ。〝見える〟ってのは」
私の声に含まれた苛立ちに気付いたのか、「……悪い、軽率だった」と奴は謝った。
「べつに。謝られるほど気分を害してないから、気にしなくていい。──ただ、あんたみたいな奴は、見えない方がいいと思っただけ」
付け足した言葉は、小久保一樹に聞かれないように小声で呟いた。
見えていいことなんてそうそうあるもんじゃない。──特に、この小久保一樹は、見えることでより苦しむことになるだろう。死んでしまった人間に心を砕いて、幽霊の未練に、自分まで傷付いて。
──だから、小久保一樹が見える人間じゃなくてよかったと、昔、そう思ったことを思い出した。
「じゃ、お願い」
カズ爺に頼むと、「へいへい」と渋々頷いた。
──途端、私の身体と倉橋由利香の身体が、金色に輝き出した。
「凄い……。レイと由利香ちゃんが光ってる……!」
茜の興奮した声が聴こえた──と、その時、ぐいっと何かに引っ張られるような力を感じた。
引き摺り出されるような、そんな力と、何かが入ってくるような若干の不快感。だけど、それは一瞬で。
「……うわ」
瞬きをした時には、私は茜の隣に立っていた。──そして、目の前には、小松怜香の姿。
「凄い……本当に入れ替わってる」
目を真ん丸にして私──いや、私の姿をした倉橋由利香が呟いた。
「なんか変な感じだな……」
自分の姿をした自分じゃない人間が動いているのを見るのは、どことなく奇妙な感覚だった。
「あの……もしかして、君、怜香じゃないのかな」
おずおずと小久保一樹が話しかけると、私の身体はにっこりと笑った。
「はい。……初めまして。あたしは倉橋由利香です。今日は一日よろしくお願いします」
「うげ……」
「う……」
不覚にも小久保一樹と呻き声が重なった。あんまりにも自分がしない表情だったもんだから、つい「気持ち悪っ」と思ってしまった。
「あ、いや、ごめん。なんか怜香がそんな笑ってるのって、あんまり見たことなかったから、つい驚いちゃって……。──俺は、小久保一樹。こういうの、あんまり慣れてないから申し訳ないけど、精一杯デート相手務めさせてもらうな」
そう言って小久保一樹はお決まりの爽やかな笑顔を見せたが、いつもより硬いその表情に、こいつでも緊張することなんてあるんだな、と他人事のように思った。
「じゃ、ここからは別行動ってことで」
そう言った私に微かに頷き、私の身体は小久保一樹と共に去っていく。
「……あの、レイ」
不意に、それまでずっと押し黙っていた茜が声をかけてきた。
「なに、どうしたの」
「──手、繋いでも、いい?」
そう言った茜は、いつもの強引さとはかけ離れた気弱さで、差し出された手は、微かに震えていた。
──ああ、そうか。
茜が手を出してきた理由が、何となくわかった。
茜は生きている時は、わりとスキンシップが多めだった。私がどれだけ嫌がってもくっついてきたり、抱き着いてきたり、手を握ってきたり。最初はうんざりしていた私も、段々慣れてきたのもあって、最後の方には茜の好きにさせていた。
だけど、茜が死んでから、彼女が私に触れようとしてきたのは、たった一度だけだ。
──だって、生きている人間と死んでいる人間は、もう触れることができなかったから。
それがわかっていたから、触れようとしても虚しくなるだけだと知っていたから、茜は私に触れてこようとしなかった。
でも今、私が魂だけになっているこの時は、もう一度茜に触れるかもしれない、そう思って茜は私に手を差し出したんだ。
……こんなのは、柄じゃない。私らしくない、でも。
「──ほら、行くよ。私たちは私たちで楽しむんでしょ」
ぶっきらぼうにそう言って、茜の手を掴んだ。──温度はない、だけど、確かに茜の手に触れた感触がした。
その瞬間、茜はビクリと身体を震わせた。目を見開いて、それから、泣きそうに笑った。
「……っ、うんっ、行こう、レイ!」
その笑顔にほっとしながら茜に尋ねる。
「じゃあ最初は観覧車にする?」
「えーっ⁉ 観覧車は絶対に最後でしょ⁉ 先にお化け屋敷行こうよ!」
「いや、何でお化けがお化け屋敷行こうとしてんだよ」
「お化けじゃないもん、幽霊だもんっ!」
「ほぼ一緒だろ」
茜といつものようにくだらない言い合いをしていると、
「おう、どこへ行くんじゃ? ワシも混ぜてくれ!」
後ろから声がして振り返ると、満面の笑みのカズ爺。
「あー……、カズ爺のこと完全に忘れてたわ」
「なぬっ⁉ 酷いぞ怜香ぁっ!」
「てか、普通に混じってこようとしないでよ。カズ爺と一緒に行く気はさらさらなかったんだけど」
「冷たいっ! 反抗期か、反抗期なのかぁっ⁉」
「まあまあ、レイもそんなこと言わないの。三人で行こうよ、人数多い方が絶対楽しいって!」
「おおーっ、茜ちゃんは天使じゃ‼」
「……だから、幽霊だってば」
生きている人には聴こえない賑やかな声が、晴れ渡った青空に響く。
こうして、絶好の遊園地日和が始まったのだった。