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七月六日。午前七時半。
屋上の扉の前で、私は佇んでいた。
昨日、牧野弘昌に勇気付けられたことを思い出す。
「たまには正解を選んでみろ、か……」
その言葉を口にして、少しだけ顔を歪めた。私は今、酷い顔をしているのだろう。でも、こんなんじゃ駄目だ。私は、茜に謝るのだから。
決意を固めて、扉を開ける。案の定その先には、真っ白なセーラー服の背中があった。そこに浮かぶ数字は、『15』。昨日よりも一つ減ったそれに動揺しないように、深く深呼吸をした。
「茜」
名前を呼ぶと、彼女はすぐに振り返った。
「おはよう、レイ」
昨日の泣き出しそうな笑顔なんてちらつかせもしない、いつも通りの笑顔だった。
「茜──昨日は、ごめん」
そう頭を下げると、息を呑む気配がした。私は顔を上げ、真っ直ぐ茜を見つめた。
「私、将来どうしたいかわからなくて、焦って茜のこと傷付けるようなこと言った。謝っても許されることじゃないけど、ちゃんと言いたかったんだ」
すう、と息を吸い込む。
「茜。──本当に、ごめんなさい」
頭をもう一度下げる。
それから、無言の時間が続いた。一秒、二秒、三秒……永遠にも思えたその時間は、実際のところは三十秒もなかったのだろう。
「……いいよ、許す」
茜の柔らかな声が聴こえて、ゆっくりと顔を上げる。いつも通りの顔で笑っているのだろう、そう思っていたけれど、茜は笑っていなかった。いつになく真剣な顔で、私のことをじっと見つめていた。
「許すけど、でもその代わり、一つだけお願いを聞いてほしいの」
「……お願い?」
その突拍子もない言葉を、わけもわからず繰り返した。
「そう、お願い。いつかこの先、私がレイにお願いしたら、そのお願いを聞いてくれるって、約束してくれない?」
どうにもはっきりとしない約束だ。でも、それで許してくれるならと、私は戸惑いながらも頷いた。
「別に、いいけど……」
「本当⁉ ありがとう!」
途端、真顔だった茜がパッと笑顔になる。よくわからないお願いだったけど、茜が笑ってくれるならそれでいいか、と思うことにした。
「そう言えば、進路希望調査票はどうしたの? あれ、今週までに出さなきゃいけないんじゃなかったっけ?」
──来た、と私は一瞬息を止めた。すぐに吐き出して、私は昨日言おうと決めたことを口に出した。
「あのね、茜。私、とりあえず大学に進学することにした」
「え⁉ 本当⁉」
茜は驚いたように目を丸くした。
「うん。茜が言った通り、この先幽霊とだけ話して生きていけるわけじゃないんだし。大学行ったら、心機一転普通の人と関わってみるのもいいかなー……って」
「それ、すっごくいいよ! レイ、何か前向きだね!」
茜が物凄く嬉しそうな顔をするから、私は顔を逸らしたくなった。でも、堪える。平気な顔をして、私は茜に笑う。
──ごめん、茜。私、嘘を吐いた。
『──間違いばっか選ばずに、たまには正解を選んでみろ。きっとお前ならできる』
牧野弘昌が昨日言ってくれた言葉がリフレインする。そして彼にも、私は心の中で謝った。
──ごめん。せっかく〝お前ならできる〟って言ってくれたのに、私はやっぱり間違いしか選べなかった。ううん、間違いを選ぶことを、私は選んでしまったんだ。
無意識にスカートのポケットの中に突っ込んだ左手が、まだ空白のままの進路希望調査票をくしゃりと握り潰した。
刹那、予鈴が鳴った。
「じゃあ私、教室行くから」
そう言って茜に背を向け、扉へと歩き出す。
扉に手をかけた時、「……ねえ、レイ」と呼び止められた。振り返ると、青空を背に、茜がどこかいつもよりも大人びたように見える笑顔で私を見つめていた。
「──約束、守ってね」