*      *       *

煩い蝉の鳴き声に、意識が引き戻された。
「……、……イ、レイってば!」
いつの間にかホームルームが終わっていたらしい。茜のキンとした高い声が耳に響く。
「行こう、レイ。早くしないと部活始まっちゃう」
茜に促され、私は立ち上がった。
「そう言えば、珍しくぼんやりしてたけど、どうしたの?」
不思議そうに首を傾げた茜に、私は体育館へと向かいながら答えた。
「別に、何でもない」
ぼそりと、蝉の鳴き声に紛れて、呟いた声が消えていく。
「──ただ、少し昔のことを、思い出しただけ」

*      *       *

体育館の入り口には、柿本信次と小久保一樹が集合していた。もっとも、小久保一樹には柿本信次の姿は見えていないだろうが。
「ごめん、ちょっと遅くなった」
小久保一樹は私の姿を見て、明らかにほっとしたようだった。
「来ないのかと思ったぞ。でも、まだ部活始まってないから、身体を貸すなら今のうちだ」
「そうだね」
カズ爺、と小久保一樹の身体に向かって呼びかけると、瞬時に隣に学ランの男子(中身は老人)が現れた。
「お願い」
「わかったわかった。じゃあ坊主、準備はいいか?」
「……はい」
真剣な面持ちで答えた柿本信次に、カズ爺は続ける。
「これはそう何度もはできない例外的な力じゃ。じゃから、一度きりだと思うんじゃ。どれだけ〝もう一度〟を願っても、もう二度目はない。──それでも、もう一度バレーがしたいか?」
「俺は……それでも、バレーがしたい。それでももう一度、バレーがしたいんだ。俺にとって全てだったバレーを、もう一度──」
絞り出すような声で紡ぎ出されたその言葉を聞いて、カズ爺はうむ、と頷いた。
「その心意気なら大丈夫じゃ。お前さんはもう悪霊になったりせんじゃろう。後は思いきり、後悔のないようにプレーするんじゃぞ」
元気付けるように笑ってそう言うと、すっとカズ爺は神妙な面持ちになった。
「では、今から一樹の身体を貸す。貸すのは、今日の部活が終わるまでじゃ」
「今からだってさ、身体貸すの」
置いてけぼりになっていた小久保一樹に説明すると、奴はほっと肩を下ろした。
「……いや、いきなり黙り込むから、何事かと思ったわ。で、俺はどうすればいいんだ?」
「一樹は何もせんでええ。ワシが調整してやるから」
「何もしなくていいって」
「え、身体を貸す間、小久保君はどうなるんですか?」
茜が首を傾げる。確かに、身体を柿本信次に貸すのなら、小久保一樹の精神はどこへ行くのだろう。
「一樹の魂は一樹の身体の中のままじゃよ。一樹の身体の中に坊主を入れ、そんで坊主の方をメインとして起動させるんじゃ」
「つまり、二重人格みたいになるってこと?」
「うむ……若干違うが、ま、そんなもんじゃ。一樹の身体を二人で共有して、身体を動かすメイン電力を坊主の方にも切り換える、みたいな……む、言っててワシもわからんくなってきたぞ」
「あーもう、説明はいいから! さっさとしないと部活始まっちゃうでしょーが」
私が突っ込むと、カズ爺は「それもそうじゃな」と茜から柿本信次の方に向き直った。
「じゃあ、いちにのさんで一樹の身体に飛び込め。あとはワシが何とかしてやる」
「本当に、ありがとうございます……」
「いいってことよ。お前さんもワシの孫みたいなもんじゃからの」
「……カズ爺、歳が若けりゃ誰でも孫にすんだね」
「え? じいちゃんが何だって?」
耳敏く反応した小久保一樹を「こっちの話だから」と軽くあしらう。
「それじゃ、いくぞ」
「はい」
茜がゴクリと固唾を呑んで見守る中、それは始められようとしていた。
「今から借りるってさ」
「そうか、わかった」
小久保一樹の了承が取れたのを確認し、カズ爺はカウントを始める。
「いち」
カズ爺の身体が淡い金色に光り出す。
「にの」
柿本信次がゴクリと唾を呑み込む。
「──さんっ」
その言葉と共に金色の光が柿本信次を包み込み、金の光を纏ったまま、彼は小久保一樹の身体に手を伸ばした。その手が、すり抜けるはずの小久保一樹の身体に溶け込むように入っていき、そして──。
小久保一樹が、一つ瞬きをした。その直後、何かに気付いたように目を大きく見開く。
「お、俺──」
「成功、みたいだね」
そこにはもう、カズ爺も柿本信次の姿もない。──彼は、小久保一樹の身体に入ることに成功したのだ。
「……何だか、変な感じだ。俺じゃないのに、俺の意思で動くなんて……」
戸惑った顔をして、小久保一樹──いや、柿本信次は身体の感触を確かめるように指を握ったり開いたりした。
「凄い……本当に、小久保君じゃないんだね」
茜が目を丸くして呟く。
実際には彼の身体の中には小久保一樹の意識もあるが、肉体の主導権を柿本信次に渡した、というのが正しいだろう。
「じゃ、行ってきなよ」
柿本信次と視線が交差する。彼は一瞬だけ目を瞑った後、力強く頷いた。
「──ああ」
そして、小久保一樹の身体(柿本信次)は身を翻し、体育館へと駆けていった。