* * *
小久保一樹と出逢ったのは、小学一年生の夏だった。
祖母の死をきっかけに、住み慣れた街から引っ越した。幽霊が見える、なんて言い始めた子供がいることに向けられる、冷ややかな目から逃れたかったのだろう。そして、母親にも父親にも畏怖の目を向けられていた私は、未だに自分と周りとの違いを上手く認識できずにいた。あの少年に自分が見えているものが人とは異なっていることを教えてもらって尚、自分の見えるものを正直に言うことが、自分と人との違いを曝すことが、どれだけ酔狂で嫌悪される行為なのか、私にはまだ理解できなかったのだ。
あそこに女の子がいる。
先生の隣におじいさんがいる。
男の子が、喋りかけてくる。
そんなことばかりをバカ正直に周りに言っていた私は、案の定〝嘘吐き〟だと言われ、周りの子たちから弾かれていた。
──そして、その日も、嘘吐きだとクラスメートに囲まれて罵られていた。
「何で嘘ばっかり吐くんだよ。誰もいねーのに、気持ち悪い」
クラスの男子が私にそう言った。
「……嘘なんて、吐いてないもん」
受け流すことも知らずに、私はただ彼を睨み付けた。嘘なんて吐いていない。それが私の真実だったから。
「嘘じゃない? そんなことあるもんか。実際、お前の他には誰も見てねーじゃんかよ。いつもいつも、誰かいるだの喋りかけてくるだの嘘ばっかり言いやがって。嘘じゃないって言うんなら証拠出してみろよ!」
「そこに、いるじゃんっ!」
彼の後ろを指差す。しかし、それは証拠にはなり得ない。だって彼の後ろに立つ少女の姿は、私にしか見えていなかったんだから。
「どこにいるってんだよ。お前、ただ皆の気を引きたいだけだろ? そーゆーの、イタイ奴って言うんだぜ」
ギャハハ、と耳障りな笑い声が私に降りかかった。歯を食い縛る。何も言い返せない自分が悔しかった。
「大体、嘘吐きのお前の言うことなんか、誰も信じるわけねーじゃん」
──お前の言うことなんか、誰も信じるわけねーじゃん。
その言葉が、胸に深く突き刺さった。
……そうだ。嘘を吐いてはダメだと言われた。だから、正直に自分の見えているものを話した。だけど、だけど。──私の言うことを、誰も信じてくれなかった。父も、母も、友達も。誰一人、私を信じてくれなかった。
胸が痛い。この先ずっと、誰にも信じてもらえないのかと思うと、絶望感が込み上げてくる。全て、投げ出したくなってしまう。もう嫌だ、何で私だけがこんな目に遭うんだ。そう、泣いてしまいそうになった時。
「──お前ら、何してんだっ!」
どこからともなく、声が聴こえた。
「一人に大勢なんて、卑怯だろ!」
うわーっと叫びながら、男の子が駆けてきた。そのあまりの剣幕に、私を囲んでいたクラスの子たちは、蜘蛛の子を散らすように散り散りになっていく。その男の子が私の傍に来た時には、もう誰もいなくなっていた。
「おい、お前、最近隣の部屋に引っ越してきた奴だろ? 大丈夫か?」
その言葉に彼の顔を確認すると、確かに引っ越した直後、挨拶をした隣の部屋の子供に朧気ながら重なった。
「何であいつらに囲まれてたんだ?」
首を傾げた彼に、喉に詰まりかけた言葉が零れ落ちる。
「『幽霊が見える』って、嘘吐いてるからって。でも私、嘘なんて吐いてない。本当に、見えるんだもん。あそこに、女の子がいるんだもん……」
無駄だと知りながら、前方を指差した。私にしか見えていない、幽霊の少女を。すると、彼は私の指差した方をじっと見つめて、それからこちらを向いた。
「見えないな」
彼の言葉に、やっぱり、という何度目かの落胆の気持ちが胸を過った。嘘吐きだって、また言われるんだと覚悟した、その時。
「──でも、信じるよ」
「……え?」
彼の唇から零れたその言葉が信じられなくて、私は目を見開いた。
「信じる。俺には見えないけど、お前がそう言うんならきっとあそこに女の子が居るんだな」
見えない癖に、当たり前のように私の言葉を信じた。何の疑いもない真っ直ぐな目で、彼は私に笑ってくれた。
「信じて、くれるの……?」
「ああ。お前、嘘吐いてないんだろ? じゃあ、信じるよ」
ずっとずっと私が欲しかった言葉をあっさりと口にした彼は、その右手を差し出した。
「俺、小久保一樹。友達からはカズって呼ばれてる。お前の名前は?」
「私は……怜香。小松、怜香」
「そっか。これからよろしく、怜香!」
私の戸惑いを余所に、彼は、強引に私の手を握ってぶんぶんと振り回した。
「……よ、よろしく──カズ」
ぎこちなく名前を呼ぶと、彼はニカッと笑った。
憶えているのは、その時自棄に煩かった蝉の鳴き声と、──太陽みたいに眩しかった、あいつの笑顔だけだ。
* * *
それから、あいつと仲良くなって、おじいちゃんっ子だったあいつに連れられてカズ爺の家に遊びに行くこともしばしばあった。そこでカズ爺と仲良くなって、本当の孫みたいに可愛がってもらって、私もカズ爺のことを本当のおじいちゃんのように思ってたっけ。
思い返せば、まだその頃は、今みたいに生きている人間に無関心というわけではなかった。小久保一樹とはそれなりに仲が良かったし、見えない(普通の)クラスメイトとも話しかけられればそれなりに話す仲だった。今みたいに、幽霊の未練にばかり執着しているわけでもなかった。
だけど。
私はその後思い知る。自分がどれだけ普通の人と相容れない存在なのかを。……そして。
──初めて〝死神〟と呼ばれたあの時、私は二度と普通の人間と関わらないと決めたのだ。