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「その後、西村さんに連れられてこの公園に来たんだ」
柿本信次はちらりと茜を見遣った。
「……で、結局あんたの未練は何だったの」
記憶を思い出したということは、未練も思い出したということだろう。それならば、私はそれを知りたい。そもそも、彼の未練にしか興味はなかったのだから。
「……未練、か。そりゃ、あるよ。死にたくなかっただとか、何で俺らが死ななきゃいけなかったんだとか、最後の大会に出たかっただとか。でも、そうだな。一番は……」
つらつらと話していたはずの彼が口籠る。まるで何かを堪えるように、きつくその右手を握りしめた。
「──もう一度、バレーがしたい」
不意に俯いた柿本信次の、その短い黒髪の隙間から、一筋の涙が流れ落ちていくのが見えた。
──生きていたかったんだと、そう、声のない叫びが聴こえた気がした。
「……まあ、もうどうしたって無理な話だけどな」
顔を上げた彼の目には、もう涙はなかった。その代わり、諦めたような疲れた笑みが浮かんでいた。
肉体を持たない彼は、ボールに触れることはできない。よって、柿本信次はもう一度バレーをすることはできない。だからこそ、タイムリミットを過ぎても成仏できずにいたのだから。
だがしかし。
「──無理じゃない」
「……え?」
私は知っていた。柿本信次がもう一度バレーをすることができる奥の手を。
「そうでしょ、カズ爺」
振り返って誰もいない空間に呼びかけると、空気がぐにゃりと歪んで、そこに一人の男が現れた。古臭い学ランに短い黒髪、小麦色の肌に整った顔立ち。そして、白い歯を見せてにかっと笑う。
「えっ⁉」
茜がその男を見て目を見開く。驚くのも無理もない。
「小久保、君……?」
──現れた男は、病院にいるはずの小久保一樹と瓜二つだったのだから。
「違うよ。その人は小久保一樹じゃなくて、小久保一樹の祖父。ちなみに、あんたたちとはちょっと違うけど、立派な幽霊だよ」
だからその姿は詐欺だからやめろってあれほど言ったのに、と呆れた目で見る私を気にも止めず、小久保一樹にそっくりな男──カズ爺は喋り始めた。
「やあやあ少年少女、ワシは小久保(こくぼ)一正(かずまさ)。小久保一樹のおじいちゃんじゃ。よろしくなぁ!」
「「よ、よろしくお願いします……?」」
二人は困惑しながらそう返した。
「二人とも着いてこれてないから、一端カズ爺は黙ってて」
ピシャリとそう告げると、「そんなぁ……」と拗ねた声が聴こえたが、全力で無視する。てか、その歳で拗ねるな、その歳で。
「カズ爺はね、幽霊だけど、普通の幽霊じゃないんだ」
「普通の幽霊じゃない?」
茜が首を傾げた。ぱっちりとしたその瞳がパチパチと瞬く。
「そ。カズ爺、ちょっと後ろ向いて」
「ほいほい」
いまだに拗ねた顔のままカズ爺が背中を向ける。
「……えっ⁉」
茜の驚いた声が公園に響いた。
──カズ爺の背中に浮かび上がったのは、茜のような半透明の数字でも、柿本信次のような赤の数字でもなかった。浮かんでいたのは、黄金に輝く『∞』のマーク。
「カズ爺は、小久保一樹の守護霊なんだ」
──守護霊。
タイムリミットを過ぎていない霊の背中には半透明の数字、過ぎた霊の背中には赤色の数字が浮かんでいるが、守護霊はそのどちらとも違い、金の∞(無限大)のマークが浮かんでいる。
そもそも、守護霊と普通の霊は似て非なる存在だ。
守護霊は一度成仏した幽霊が、その後何らかの理由で、生前関わりのあった人間を守護するためにこの世に舞い戻った存在だ。
普段は守護する生者の中に宿っていて、姿を現すことは滅多にないが、あの世からの祝福なのか、普通の霊よりも格段に力が強く、尚且つ特別な力を保有している。そして守護する人間が死亡するまでこの世に存在するという、特殊な幽霊なのだ。
「そんで、その守護霊が保有する特別な力ってのに見た目を自由に変える力があって、カズ爺はわざわざ若者ぶって若い時の姿をしてるんだ」
通常の幽霊は死ぬ直前の姿をしている。例えば、下校途中に車に轢かれた茜はセーラー服、試合の大会に向かう時に死んだ柿本信次はユニフォームというように。しかし、それに縛られないのが守護霊だ。守護霊は自分の姿を好き勝手にカスタマイズしていいらしい。その気になれば生前とは似ても似つかないイケメンにもなれるし、カズ爺のように若返ることもできるということだ。だからこそ、カズ爺は歳をとって老人になってから死んだ癖に、私と大して変わらない若者の姿をしている。
「若者ぶってとは何事じゃ。ワシはまだまだ若いわ!」
「自分の享年考えてから言ってよ」
「……何だか、とっても愉快なお祖父さんだね」
私とカズ爺のやり取りに、茜は苦笑いを浮かべた。
「それで、そこの坊主がワシの可愛い孫息子を病院送りにしたんじゃって?」
すっとふざけた表情を潜めて、カズ爺は視線を柿本信次の方にずらした。その眼光を受けて、今まで黙りこくっていた彼がびくりと身体を震わせた。そして勢いよく頭を下げる。
「すっ、すみませんでした! 謝って許してもらえるとは思っていませんが、本当に反省していて──」
「別に、怒っとらんよ」
「……え?」
ポンと、下げられた柿本信次の頭の上に、カズ爺の手が乗せられていた。
「その歳で命を絶たれたんじゃ。そりゃあ、誰かを妬ましくもなるわなぁ。わかっとるよ、お前さんが本当はそんなことするような奴じゃないって。今までずっと一人で、辛かったな、よぉく頑張ったなぁ」
わしゃわしゃとカズ爺の掌が彼のスポーツ刈りの頭を撫でた。そのことに柿本信次は瞠目し、そして俯いた。歯を食い縛り、再び泣いてしまわないように堪えているようだった。
「……小久保君のお祖父ちゃん、とっても優しい人なんだね」
茜がその光景を微笑ましそうに見つめる。
私は肩を竦めた。
「爺孫揃って底無しのお人好しなんだよ。バカにつける薬はないっていうけど、お節介にもつける薬はないみたい。だってカズ爺、死んでも治らなかったからね、お節介」
「……おいそこ、聞こえておるぞ」
こちらの話を盗み聞きしていたようで、カズ爺がジロリと睨んできた。小久保一樹の顔でやられると、違和感が凄い。
「で、この坊主が未練をなくせるように協力すればいいんじゃな?」
「そーゆーこと。カズ爺ならいい方法知ってるんじゃないかと思ってさ」
ワシを便利屋扱いしおって、と少々不機嫌そうな顔になったカズ爺だったが、やれやれといった風に溜め息を吐いた。
「まあ、しゃーないか。可愛い孫娘の頼みじゃしな、手を貸してやろう」
「いや、私はカズ爺の孫じゃないんだけど」
「喩えじゃ喩えっ! お前さんもほとんど孫みたいなもんじゃと言っとるんじゃ! 説明させるな」
全く、とカズ爺はぶつぶつ呟く。
「で、柿本信次がもう一度バレーできる方法ってあるの?」
漸く本題に入ると、カズ爺はにんまりと笑った。
「幽霊が物理的に物に触るには、それを叶える肉体があればいいんじゃ。それがあれば、坊主ももう一度バレーができるじゃろ」
「肉体があればできる、ですか。……でも、肉体なんて、どこにも──」
「いや、できる」
「え?」
諦めかけた表情でそう言いかけた柿本信次の言葉を遮って、私は断言した。
「ちょっとレイ、そんな簡単にはいかないんじゃないの? 肉体ってことは、誰かの身体を借りるってことでしょ? そんな都合よく借りれるものじゃないんじゃない?」
咎めるようにそう言った茜に、私は不敵な笑みを浮かべて見せた。
「いるじゃん、ぴったりな奴がさ」