* * *
確かあれは、私がこの街に引っ越す前のことだ。
祖母が死んで、幽霊が見えるという娘の異常さを知った両親は、私のことを気が触れたとでも思ったらしい。もしくは本気で頭がイカれてると思ったのだろう。
母は私の言うこと為すこと全てにヒステリックになり、父は腫れ物のように、触れてはいけない危険物のように私を扱った。
そして、娘を精神科に通わせるようになったのだ。
今思うとあの反応は普通だったのかもしれないと思うけれど、あの頃の私には受け入れられなかった。急に自分に冷たくなった両親のことも、精神科に通わなければいけなくなったことも、自分の言葉を信じてもらえないことも、あの頃、子供だった私には厳しすぎる現実だった。
そして、精神科で診てもらった後のこと。少し母が目を放した隙に、私は逃げ出したのだ。
誰にも受け入れてもらえないことが辛かった。両親にすら信じてもらえないことが辛かった。何より、誰も見えないものを見てしまう自分が怖かった。
逃げ出した所で、意味なんてなかったけれど。あの時の私は必死だった。必死にどこかへ行こうと、──消えてしまいたいと、そう思いながら足を進めていた、その時だった。
自棄に人が入っていく病室を見つけ、私は立ち止まった。しかもそこに入っていく人々は、皆背中に数字が浮かんでいた。そしてするりとドアを開けることもなくその病室に入っていく。
不思議に思った私は、その病室に入ってみることにしたのだ。
「……お邪魔します」
遠慮がちに声をかけてそっと病室に入ると、そこには和気藹々とした人々の空間が広がっていた。
年老いた老人、作業服を着た男性、OL風の女性、ぬいぐるみを抱いた幼い女の子。
一見バラバラにも思える彼らには、背中に数字が浮かんでいるという共通点があった。
そして、そんな彼らが取り囲んでいたのは、ベッドの上で身を起こしている病院服姿の少年だった。
その時、私は気付く。
──病院服姿の彼にだけ、数字が浮かんでいないことに。
きゅっと床に擦れてスニーカーが音を立てた。その小さな音に反応して少年──私よりもかなり歳上に見える──はこちらに目を向けた。
「……あれ、初めて逢う子だね。最近亡くなったのかな?」
その言葉に首を振る。彼は驚いたように目を見開いた。
「驚いた、君は生きているのか。それに……彼らが、見えるの?」
少年の周りを取り囲む人々を指して言われたその言葉に頷くと、彼は緩やかな眼差しを一層優しくして私を見つめた。
「そっか、君は──僕と、同じなんだね」
温かな声音で紡がれたその言葉に、私は自分と同じ世界を見ている人がいることを知ったのだ。
* * *
その、私とは大分歳の離れた少年は、生まれつき身体が弱く、長い間病院で過ごしているのだと言った。
そして彼には、生まれつき幽霊が見えていたらしい。
そこで初めて私は、数字が浮かんでいる人々が幽霊だということ、もう死んでいること、普通の人には見えていないことを教えられた。
彼を取り囲む幽霊は、彼の友人らしい。病院にいる幽霊と友達になって、話し相手になってもらっているんだと、彼は笑った。
彼に幽霊について色々と教えてもらった後で、彼は私に言った。
「もしも普通の人といるのが辛くなったら、いつでもおいで。僕はいつでも君のことを待っているから」
その言葉通り、私は何度も彼の病室へ通った。普通の人といるよりも気が楽だったのもあるし、何より、幽霊についての話をもっと知りたかった。思い返せば、私に幽霊の基礎知識を教えてくれたのは、名前も知らないその少年だったのだ。
その後、この街に引っ越した私はその少年の居る病院へ行くこともなくなり、彼のことは記憶の片隅へと追いやられていった。今、あの少年がどこで何をしているのか、私は知らない。