*      *       *

六月三十日。
始業前、屋上。
「イェーイ、球技大会だぁっ!」
「何で出場しない奴の方がはしゃいでんのよ……」
球技大会なんてものを考えた奴の気が知れない。
正直、運動神経が悪いわけではないから、つまらない授業を受けてうたた寝するのと、身体を動かしてつまらない授業をパスできるのと、どっちがいいかと聞かれると悩む所がある。
でも、こういう皆でやる大会みたいなものは嫌いだった。こういう大会では、普段の体育の授業で適当に流したりしている人たちも本気を出したりする。すると、真面目にやれとか本気になれとかいう怠いことを、全員に要求するようになるのだ。傍迷惑な上、球技大会は個人戦ではなく団体競技だと相場が決まっている。ただでさえ面倒なのにチームプレーとか皆と協力とか、そんなの私にとっては苦痛でしかない。
「そんなこと言わないでさ、この機会にレイもクラスの皆と仲良くなったら? 気の合う友達ができるかもしれないじゃん」
「そんなの要らん」
何度も言うが、茜と友達になったのは茜が私と同じく見える人間だったからだ。見えない人間に興味はない。
「もー、頑ななんだから」
ぷく~と頬を膨らませた茜は、「そう言えば、男子の競技は何だっけ?」と話題を転換させた。
「男子? 確か今年は女子と同じでバレーだったと思うけど。熱中症対策だってさ」
「バレー⁉ バレーと言えば!」
突如興奮したようにそう叫び、茜は立ち上がった。夏用の白いセーラー服が風にバタバタとはためく。抜けるような青空に白の制服がよく映えていた。
「小久保君大活躍の競技じゃんっ! どうです、バレー部のエースを幼馴染に持つ心境は⁉」
ウキウキと自らの手をマイクに見立てて差し出してくる茜。
「あいつバレー部だったの」
単調にそう返すと、茜は某新喜劇のように華麗にズッコケた。
「いや、そこから⁉ 何で知らないの、一年の頃からエースアタッカーだって学年中の有名人だって言うのに!」
そう詰め寄ってきたが、何でとか言われても、そんなもんは知らん。
「さあ? どーでもよかったからじゃない?」
適当に返すと、何かを思い付いたように茜が顔を輝かせた。……何か、録でもないことを言い出す予感がする。
「そーだレイ! 私たちも男子のバレー応援しようよっ!」
「……はあ?」
思わず低い声が出た。なぜそんなことせねばならんのだ。
「レイも普通の女子高生みたいに、人気の男の子に黄色い声を上げるべきだよ! そしたらきっと、他の女の子とも仲良くなれるよ!」
名案を閃いた、みたいな顔をしているが、脳ミソがおかしくなってやしないだろうか。
「あんたの謎理論はいつも飛び抜けてるよね。本当に意味がわからんわ」
「えへへ、それほどでも~」
「誉めてねーよ」
前言撤回。こいつの脳ミソは元から腐っていたんだ、きっと。
「ま、でもさ、黄色い声は上げなくても、見に行くくらいはいいんじゃない? ……あ、ほら、そう言えば、体育館には幽霊もいるじゃん。その人の未練は聞いたんだっけ?」
「ああ、あいつか……」
茜が口に出したのは、この高校に入学した時からずっと体育館にいる幽霊だ。確か、茜が私と同じく見える人間だと証明する時にもいた奴。そいつは大抵体育館裏や体育館の中、とりあえず体育館周辺にいる。
幽霊を見つけると大抵未練を聞きに行く私だが、そいつにはまだ未練を聞いていなかった。それは、奴がいつものタイプの幽霊ではなかったから、わざと避けていたのだが。
「……まだ聞いていないから、聞きに行くか」
避けていたが、ま、大丈夫だろうと私は重い腰を上げた。
「やったー! これで小久保君応援できるね!」
「いや、そんなことするとは言ってない。体育館に行くのは、幽霊に未練を聞くのに必要だから。それ以外の理由はない」
「そんなぁ……」
茜の情けない声と同時に始業を知らせる予鈴が鳴り響いた。コンクリートをじりじりと照りつける日差しに目を細めながら、私は屋上から立ち去った。

*      *       *

体育館。始まった球技大会は、思いの外熱狂していた。
「何でこんな物に盛り上がれるのかね……」
「そりゃ、球技大会が一大イベントだからだよ!」
茜はウキウキと答えた。その真ん丸な瞳がキラキラと光っている。
私と茜は体育館の二階部分に当たる観覧席に来ていた。
「それにしても、負けちゃって残念だったね、レイ」
「私としては好都合だったけどね」
光の速さで一回戦敗退を喫した私たちのクラス(女子)は、もうやることがない。それにしても、あっさりと負けてよかった。参加すらしていない茜が、一番その敗北を悔しがっていたのは本当に意味がわからなかったが。
本来ならこの時点で私は屋上にサボりに行くのだが、今日は体育館にいる幽霊の未練を聞くために、渋々観覧席に上がってきたのだ。多くの生徒が座る観覧席の中には、私と同じクラスの女子の姿もちらほら見受けられる。
「んーと、奴は……」
辺りを見回してその幽霊を捜す。奴は体育館裏にいる時もあるし、コートの中にいる時もあるし、体育館倉庫にいる時もある。つまり、体育館周辺のどこかに必ずいるのだ。
「……あ、見つけた」
今日は、観覧席の一番端にそいつがいた。あまり人のいない場所だったから、好都合だ。あそこならゆっくりと奴の未練を聞けるだろう。
「──え?」
後ろから、茜の少し戸惑ったような声が聞こえた。
「どうかした?」
振り返ると、茜が困惑した瞳でそいつの後ろ姿を見つめていた。
「あの人って……」
「あ、もしかして茜、気付いてなかったの? あいつが普通の幽霊とは違うこと」
そう。体育館にいるその幽霊は、普通の幽霊とは違う。だから、今まで未練を聞くことを躊躇っていたのだ。
私はそいつのいる方に歩き出した。
「ちょ、レイっ」
「心配しなくてもきっと大丈夫でしょ。いつも通りに未練を聞くだけなんだから」
そそくさと早歩きで幽霊の方まで辿り着くと、彼の背中が見えた。──浮かんでいる数字は、禍々しい深紅。
『1862』
真っ赤な四桁の数字が、彼が死んでから四十九日はとっくに過ぎていることを示していた。
──そう。この幽霊は四十九日のタイムリミットを過ぎても成仏できなかった人間。悪霊化はしていないようだが、自力で成仏することはほとんど不可能になってしまった霊だ。
「ねえ、そこのあんた」
臙脂色のユニフォームを着た背中がゆっくりと振り返る。かち合った虚ろな瞳が、私たちを映し出した。
「……もしかして、俺に言ってるのか?」
随分と時間が経ってから、漸く彼が口を開いた。「そうだ」と頷くと、その虚ろだった瞳がほんの少しだけ見開かれる。
「私は小松怜香。あんたの未練が知りたい」
「……俺の、未練……」
彼は自分の手の平に視線を落とし、呟いた。
「俺の未練──いったい、何だったんだろうな」
彼が、ゆるりと顔を上げる。生気のない瞳が、唖然とした私たちを見つめていた。