毎週、全ての部活動が休みになる月曜日のとある帰り道、珍しく理絵ちゃんの機嫌が悪かった。
最初は、私が何かしたかな?と思い、気を遣って話をしていた。
自分が原因じゃないなと気がついたのは、スマホの着信音が鳴っているのに、彼女がそれを無視している理由に思い至ったときだった。
着信画面がチラッと目に入ったのだ。
「山本さんからの電話、出なくていいの?」
「……」
理絵ちゃんが問いかけに答えず黙っているなんて、相当珍しいことだった。
ははぁ、なるほどね。
鈍感な私でも察知できる。
今の彼女の行動には理屈が伴っていないのだ。
「ケンカしたんでしょ」
「まあね」
あいまいな返事をする彼女はまったくもって彼女らしくない。
「何が原因?」
「山本さんの寝坊。
デートに二時間遅刻してきた」
「それはひどい」
「でしょ?
何度電話してもメッセージ送っても返事が全然返ってこないから、体調が悪くなったか事故にでも遭ったかと思って、ものすごく心配しながら急いで山本さんの家まで行ったの。
そしたら寝起きで玄関に出てきたわけ。
怒鳴り散らして帰ってやった」
そのときのことを思い出してまた怒りがこみ上げてきたのか、彼女の口調が荒くなっている。
感情的な理絵ちゃんを見るのは、初めてに近かった。
「それでさっきから電話が鳴ってるわけね」
「メッセージも電話もくるけど、全部無視してる」
彼女の発する言葉がトゲトゲしている。
何だかいたたまれない気持ちになる。
普段見慣れないものを見ているせいかもしれない。
「今日、理絵ちゃんの家にこのまま行って話をしよう。
胸にたまってる気持ち、吐き出しなよ。
楽になるよ」
「香世ちゃん、ありがと」
彼女の涙目は、私の母性本能に火をつけた。
理絵ちゃんを抱きしめて、あやすように背中をゆっくりトントンと叩いてあげる。
山本さん本人にありったけの気持ちをぶつけて、それでも収まらない気持ちは、相手以外に吐き出すしかない。
吐き出す対象は、人でも紙でも何でもいいのだけど、私が怒りで苦しんでいる理絵ちゃんのために何かしたかった。
理絵ちゃんの家の近くまで来たとき、家の前に見慣れた人物が立っているのに気がついた。
「山本さん……」
理絵ちゃんが絶句する。
「理絵、本当にごめん」
突然、山本さんはその場に土下座した。
気まずい。
部外者の私、ここにいるの、とても気まずい。
「理絵ちゃん、私帰るね」と、小声で彼女に耳打ちするも、「一緒にいて」と止められる。
かくして私は、恋人同士の修羅場に立ち会うことになった。
理絵ちゃんが微笑みながら彼に促す。
「山本さん、謝るより他にすることあるでしょ?」
「理絵……」
笑顔の理絵ちゃんより、無表情の理絵ちゃんの方がずっとマシだと思った。
「再発防止策は考えてきた?」
「前日夜はゲームをせず、アラームをかけて寝る……」
「お酒も飲まない、でしょ?」
「は、はい」
「他は?
もし、もう一回同じことが起きた場合の対応は?」
「それは……もう今後は絶対寝坊しないから、考えなくてもいいかなって」
理絵ちゃんが更に優しく微笑んで周辺の空気がひんやり冷気を帯びる。
「山本さん、『絶対』なんて言葉を簡単に使わない方がいいと思う。
そうね、次に寝坊したら別れましょう」
「ちょっと理絵ちゃん、寝坊くらいで別れるなんてやりすぎなんじゃない?」
山本さんをフォローしようとしたが失敗した。
「『寝坊くらいで』?
私はそうは思わない。
そこはもう価値観が違うから、やっぱり別れた方がお互いのためになると思う」
「分かった。
理絵の言うとおりにするよ」
地面に正座したままだった山本さんがようやく立ち上がった。
ジーパンの膝部分が白く汚れている。
「じゃあ今度の日曜日、こないだと同じ時間に同じ場所で待ち合わせね」
そう言うと、理絵ちゃんはさっさと家に入っていった。
バタン、と荒々しくドアを閉める音が響き、再び静かになる。
私は、彼女のために何かするつもりが逆のことをしてしまったのではないかと怖くなった。
山本さんと私はお互い気まずい空気のまま、どちらともなく理絵ちゃんの家をそっと後にする。
曲がり角まで来たとき、背後で物音がしたので振り返ると、彼女の家に吸い込まれていく信洋の後ろ姿が見えた。
彼から、まだジャムパン代を返してもらっていないことを思い出した。
「何かあった?」
半歩先の角を曲がったところを歩いていた山本さんに問われた私は「何でもないです」と答え、先にいた彼に追いつくために足を速めた。
次の週明け、理絵ちゃんにやり直しデートの顛末を聞く。
山本さんは約束の時間の三十分前には待ち合わせ場所に到着していたらしい。
「周りを見渡しつつ私を待ってる山本さんがかっこよかった」
甘いため息をつきながら彼女がつぶやく。
なんだかんだ言って、理絵ちゃん、山本さんのこと好きだよな。
「ところで、理絵ちゃんは何分前に行ったの?」
「一時間前。
どのくらいの心構えで彼が来るのか試したの。
待ち合わせの時間になるまで隠れながら、彼を観察している時間が楽しかったな。
三十分前なら、まぁ合格でしょ」
彼女との約束はちゃんと守ろう、と決意したのは秘密だ。
「そうそう、あの日信洋が理絵ちゃんの家に入って行くのを帰りに見たけど」
「ああ、用事があったから呼び出したの」
「そうなんだ」
ご近所さんでもあるし、きっと私の知らない用事も色々あるのだろう。
最初は、私が何かしたかな?と思い、気を遣って話をしていた。
自分が原因じゃないなと気がついたのは、スマホの着信音が鳴っているのに、彼女がそれを無視している理由に思い至ったときだった。
着信画面がチラッと目に入ったのだ。
「山本さんからの電話、出なくていいの?」
「……」
理絵ちゃんが問いかけに答えず黙っているなんて、相当珍しいことだった。
ははぁ、なるほどね。
鈍感な私でも察知できる。
今の彼女の行動には理屈が伴っていないのだ。
「ケンカしたんでしょ」
「まあね」
あいまいな返事をする彼女はまったくもって彼女らしくない。
「何が原因?」
「山本さんの寝坊。
デートに二時間遅刻してきた」
「それはひどい」
「でしょ?
何度電話してもメッセージ送っても返事が全然返ってこないから、体調が悪くなったか事故にでも遭ったかと思って、ものすごく心配しながら急いで山本さんの家まで行ったの。
そしたら寝起きで玄関に出てきたわけ。
怒鳴り散らして帰ってやった」
そのときのことを思い出してまた怒りがこみ上げてきたのか、彼女の口調が荒くなっている。
感情的な理絵ちゃんを見るのは、初めてに近かった。
「それでさっきから電話が鳴ってるわけね」
「メッセージも電話もくるけど、全部無視してる」
彼女の発する言葉がトゲトゲしている。
何だかいたたまれない気持ちになる。
普段見慣れないものを見ているせいかもしれない。
「今日、理絵ちゃんの家にこのまま行って話をしよう。
胸にたまってる気持ち、吐き出しなよ。
楽になるよ」
「香世ちゃん、ありがと」
彼女の涙目は、私の母性本能に火をつけた。
理絵ちゃんを抱きしめて、あやすように背中をゆっくりトントンと叩いてあげる。
山本さん本人にありったけの気持ちをぶつけて、それでも収まらない気持ちは、相手以外に吐き出すしかない。
吐き出す対象は、人でも紙でも何でもいいのだけど、私が怒りで苦しんでいる理絵ちゃんのために何かしたかった。
理絵ちゃんの家の近くまで来たとき、家の前に見慣れた人物が立っているのに気がついた。
「山本さん……」
理絵ちゃんが絶句する。
「理絵、本当にごめん」
突然、山本さんはその場に土下座した。
気まずい。
部外者の私、ここにいるの、とても気まずい。
「理絵ちゃん、私帰るね」と、小声で彼女に耳打ちするも、「一緒にいて」と止められる。
かくして私は、恋人同士の修羅場に立ち会うことになった。
理絵ちゃんが微笑みながら彼に促す。
「山本さん、謝るより他にすることあるでしょ?」
「理絵……」
笑顔の理絵ちゃんより、無表情の理絵ちゃんの方がずっとマシだと思った。
「再発防止策は考えてきた?」
「前日夜はゲームをせず、アラームをかけて寝る……」
「お酒も飲まない、でしょ?」
「は、はい」
「他は?
もし、もう一回同じことが起きた場合の対応は?」
「それは……もう今後は絶対寝坊しないから、考えなくてもいいかなって」
理絵ちゃんが更に優しく微笑んで周辺の空気がひんやり冷気を帯びる。
「山本さん、『絶対』なんて言葉を簡単に使わない方がいいと思う。
そうね、次に寝坊したら別れましょう」
「ちょっと理絵ちゃん、寝坊くらいで別れるなんてやりすぎなんじゃない?」
山本さんをフォローしようとしたが失敗した。
「『寝坊くらいで』?
私はそうは思わない。
そこはもう価値観が違うから、やっぱり別れた方がお互いのためになると思う」
「分かった。
理絵の言うとおりにするよ」
地面に正座したままだった山本さんがようやく立ち上がった。
ジーパンの膝部分が白く汚れている。
「じゃあ今度の日曜日、こないだと同じ時間に同じ場所で待ち合わせね」
そう言うと、理絵ちゃんはさっさと家に入っていった。
バタン、と荒々しくドアを閉める音が響き、再び静かになる。
私は、彼女のために何かするつもりが逆のことをしてしまったのではないかと怖くなった。
山本さんと私はお互い気まずい空気のまま、どちらともなく理絵ちゃんの家をそっと後にする。
曲がり角まで来たとき、背後で物音がしたので振り返ると、彼女の家に吸い込まれていく信洋の後ろ姿が見えた。
彼から、まだジャムパン代を返してもらっていないことを思い出した。
「何かあった?」
半歩先の角を曲がったところを歩いていた山本さんに問われた私は「何でもないです」と答え、先にいた彼に追いつくために足を速めた。
次の週明け、理絵ちゃんにやり直しデートの顛末を聞く。
山本さんは約束の時間の三十分前には待ち合わせ場所に到着していたらしい。
「周りを見渡しつつ私を待ってる山本さんがかっこよかった」
甘いため息をつきながら彼女がつぶやく。
なんだかんだ言って、理絵ちゃん、山本さんのこと好きだよな。
「ところで、理絵ちゃんは何分前に行ったの?」
「一時間前。
どのくらいの心構えで彼が来るのか試したの。
待ち合わせの時間になるまで隠れながら、彼を観察している時間が楽しかったな。
三十分前なら、まぁ合格でしょ」
彼女との約束はちゃんと守ろう、と決意したのは秘密だ。
「そうそう、あの日信洋が理絵ちゃんの家に入って行くのを帰りに見たけど」
「ああ、用事があったから呼び出したの」
「そうなんだ」
ご近所さんでもあるし、きっと私の知らない用事も色々あるのだろう。