屯所を出立して、すぐの頃。澄桜は忽然と姿を消していた。
「澄桜、お前どこ行ってたんだよ。」
「すまん。迷子のお嬢さんを助けてた。」
「簪はどうしたよ?」
「その子にあげた。」
「軽すぎやしないか?」
「きっと分かってないから大丈夫だろう。」
 北へ向かう途中、その話で隊は持ち切りだった。

 道中、花街を通る。それが一番の近道らしい。華やかな景観と美しい美女に惚れた野郎どもで群がっていた。
「なぁ、そこのお兄さんよ。少しうちに寄ってかないかい?」
「結構。」
 澄桜は妓女を冷たくあしらい、触れる手を払った。
「冷たいなぁ……もっとあるだろう?」
「興味ない。」
「本当に朧姫様に惚れてんだな、澄桜は。」
 澄桜が朧姫の知人なのは有名な話だ。それでいて澄桜は朧姫に惚れているのも周知の事実である。
「叶わないのは分かってる。俺は一兵士だ。彼女の隣に立つにふさわしくない。彼女はきっとあの屋敷で生涯独り身か、どこぞの貴族様に嫁ぐのだろう。」
「澄桜……」
「もし独り身ならば友人として傍にいたいと思ってる。彼女が寂しくないように。けれど、彼女は帝の寵姫だ。兄さんと結婚するのが妥当だろう。」
 雪平氏は帝に代々仕える由緒ある名家だ。その嫡男、澄桜の兄・萩玄(しゅうげん)は次期当主であり、現在東宮に仕えている。萩玄が東宮に仕えるのは、帝からの信頼故。その信頼は時に大切なものを譲る時にも関わってくる。一端の兵士の澄桜に置く信頼とは訳が違うのだ。
「澄桜はそれでいいのか?」
「良い、と言ったら嘘になる……でも、俺の力では何も出来ないのは事実だ。そういう世なのだろう。」
 澄桜は全てを受け入れていた。だからこそ姫への手紙で必ずあの言葉で結ぶのだ。自分なりのけじめで、同時に気休めでもあった。

 その夜、澄桜は彼女へ手紙を書いた。満月を見上げ彼女に想いを馳せる。
 朧姫、触れると消えてしまいそうな儚い美しさと朧月の光のような柔らかく微笑む愛らしさを持つ寵姫。澄桜が一生をかけて守ると決めた姫に向けて。