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一方その頃、きつね町では。
町の南を発生源とし、大規模な火災が起こっていた。燃え盛る炎と真っ黒な煙。町並みは火の海と化し、長屋や蔵が次々と燃え上がっていく。
風が炎を煽るたびに火は猛烈な勢いで広がり、周囲の建物や木々、町民達を脅かした。火の勢いは人々を圧倒し、避難することもままならず、多くの妖怪たちが逃げ惑っている。
「空狐様ぁ、この火、消えませんよぉ!? どうしましょうどうしましょう!」
急遽町の火を消すため外に駆り出された気狐が叫ぶ。空狐は黒煙に染まる町の有様に呆然とした。
妖力を用いても消せぬ炎。犯人は超常的な力を持つ存在――陰陽師だろう。
(やられた)
空狐の手の中には古びた藁人形がある。
今朝屋敷で見た小珠は小珠ではなかった。陰陽師の用意した、小珠を模倣した藁人形だ。
おそらく陰陽師達は、狐の一族がすぐに玉藻前の捜索を始めることができぬよう、時間稼ぎのために町を火の海にしたのだろう。確かにこのような状態にされてしまっては、妖狐の一族もきつね町のことで手一杯になる。
(小珠様はどこにいる?)
焦って頭の回転が鈍っているのを感じる。
このままではきつね町が全焼するかもしれないというのに、目の前の事態よりも小珠の顔が何度も頭にちらつき、明確な指示が口から出てこない。
「空狐様、どうします!?」
気狐と野狐が空狐の指示を待っている。天狐は高齢のため屋敷から動けない。この事態を収束するためには空狐の命令が必要だ。
しかしどうにも冷静になりきれない。小珠のことはキヨに託されている。今すぐにでも捜しに行きたい。けれどその前に目の前の火事をどうにかしなければならない。同時には無理だ。それに、捜すと言ってもどうやって――。
その時、屋敷の方から二口女が息を荒げながら走ってきた。着物を着ていると走りづらかったのか、ほぼ裸同然の格好だ。
二口女は空狐を視界に入れるなり勢いよくその体に突っ込む。
「これを手がかりに小珠を捜して」
二口女の手の中には、乾いた血が付着した短刀がある。
「……これは?」
「小珠の血よ。あんた達なら血から捜せるでしょう」
昨夜のことをいくら聞いても口を割らなかった二口女が、険しい表情で呟く。
「小珠様が血を流す状態にあったと?」
「急所を避けてわたしが切った。何度も」
二口女の堂々とした回答に場の空気がぴりついた。気狐と野狐も眉を寄せて二口女を凝視する。
「狐の一族の花嫁に危害を加えたということは、それ相応の覚悟がおありで?」
空狐が怒りを押し殺しながら低い声で問いかけると、二口女はかたかたと手を震わせた。顔は怯えていないように見えるが、このことを打ち明けるのには内心物凄く勇気が必要だっただろう。
「どんな罰でも受けるわ」
覚悟を決めたように見据えてくる二口女。
殺そうと思った。低級な妖怪など、空狐であれば一瞬で殺せる。息をするよりも容易い。一度小珠に危害を加えた危険因子をきつね町に置いておくわけにはいかない。
しかし――空狐は、殺そうと伸ばした手を途中で止めた。代わりに二口女の手から短刀を引き抜く。
「貴女への処罰は全てを終わらせた後、小珠様もいる中で行います」
今はこんなことをしている場合ではない。
二口女は呆気にとられたように口をぽかんと開け、「どうして……」と細い声を出す。
「小珠様の祖母が昨夜から危篤なのですよ。彼女はそのことで酷く心を痛めています」
「……それがわたしを殺さないことと何の関係があるのよ」
「貴女を殺してもきっと小珠様は悲しむと思いました。これ以上彼女の心に追い打ちをかけたくはない」
それに、事情を聞かずに罰するなど、まるでかつての玉藻前だ。
小珠に変えると約束した。もう一度、妖狐の一族を町の妖怪達から信頼を置かれる一族にしてみせる。そのためにはむやみに妖怪を殺害するべきではない。
「野狐、その女を捕らえてください」
空狐が命じると、即座に野狐が二口女を拘束する。二口女は抵抗を見せず、ただ泣きそうな顔をした。
「気狐は町の妖怪の川への避難誘導をお願いします。野狐は火の発生源を探ってください。これだけの火災を起こせる呪術……何かしら元となる媒体があるはずです。それを消してしまえば火も消せるようになるはず」
「小珠ちゃんのことはどうするのですか?」
「金狐と銀狐が今朝からきつね町の外へ出かけています。彼らに頼みましょう」
空狐は気狐にそう言って、連絡用の紙人形を用意して飛ばした。
小珠を見つけるための手がかりができたことでいくらか冷静になれた。今はただ、目の前のことに集中する。
金狐と銀狐のことは信頼している。銀狐も普段はへらへらしているがやる時はやる男だ。必ず小珠を連れ帰ってくるだろう――そう期待し、火の元が他にもないかと確認するため飛び立った。
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毎日通っていた市が燃えている。火に囲まれて逃げ場がない。妖怪たちが走り回っている。河童など服の先に火が移り、「あちっあちっ」と飛び跳ねている。
からかさ小僧はどうすることもできず、その様子を呆然と眺めた。
(もう終わりでい……)
この勢いではきっと、住んでいる長屋も燃えている。これまでは火災が起これど妖怪の間で強力してすぐに消していた。火を押さえきれなくなったのは初めてだ。
思い出の詰まった故郷が消えていく――そんな絶望感に苛まれた。
「すみませぇん! 風で通り道を作るのでぇ、そこから抜けてください!」
その時、どこからかやってきた気狐が空中から妖怪たちに叫んだ。
市にいた妖怪達は驚いたように気狐を見上げた。気狐が妖力で風を起こし、火を退かすが、誰もその道を通ろうとはしない。
「ちょ、ちょっとぉ! 通ってくださいよ! 風を起こし続けるのも大変なんですからね!?」
「……いや……だめだお前ら! 騙されんな!」
「そ、そうだそうだ! 狐の一族のことなんて信じちゃなんねえ!」
「そもそも、この火事を起こしたのもお狐様たちなんじゃないか!? だっておかしいだろ、この勢い! 全然消えねぇし! こんなことできるのお狐様くらいだろ!」
妖怪たちの叫びに、気狐がぎょっとしたような顔をする。
「言いがかりはやめてくださぁい! こっちは貴方たちを助けようと……」
「妖狐の一族が俺等のために動くわけねーだろ! もうずっと悪政を敷いてきたくせに、今更好感度稼ぎか!? この火事だって自作自演だろ! さっさと火を止めろよ!」
「そうだそうだ!」
妖怪たちの反論は止まらない。
つい最近まで妖狐の一族が作った餅を模倣したものを食べてきつね餅だと言ってはしゃいでいたというのに、非常事態となるとやはり妖狐に対する不信感が湧いてくるらしい。
からかさ小僧は悲しい気持ちになった。
からかさ小僧も、最初は妖狐の一族に良い印象は抱いていなかった。しかし実際に話してみて、現在の狐の一族への印象はただの先入観に過ぎないことに気付いた。
確かに妖狐の一族は過去に悪政を敷いていた。しかし今は変わろうとしている。そしてそれを知る者は数少ない。
(おれがちゃんと言わなきゃ)
からかさ小僧は自身の体を勢いよく開いた。
「聞いてくれ皆! 小珠も妖狐だ!」
からかさ小僧が傘の身を開くことは滅多にないので、注目が集まる。
「は……はあ? 小珠ちゃんが?」
「小珠って、あの野菜売りの?」
ひそひそと妖怪たちが話し始める。
「俺、小珠ちゃんの野菜食ってたぞ」
「でもそう言われてみれば世間知らず過ぎて変だなって思うことが何度か……」
「私、小珠さんに落とし物を探してもらったことがあるわ! 妖狐の一族なのに、そんなことする? あんな立派なお屋敷に住んでおいて、私みたいな低級妖怪と話してくれるはずない」
「でも、そういえば持ってた小物が妙に上等だったような……」
「小珠の隣にいた天狗たち、以前から何者だって噂されてたわよね。天狗の一族も知らないって言ってたの。……もしかして、変化したお狐様だったの?」
「そんなまさか。お狐様が何のために毎日市に?」
まだ半信半疑らしい。だがもう一押しだ。
からかさ小僧は続けて言う。
「小珠は、妖狐の一族は、町を変えるためにおれ達のことを知ろうとしたんでい」
「…………」
「妖狐の一族は、おれ達を恐怖で押さえつけたことを反省してる」
「…………」
「でも、おれ達はどうだよ? お狐様たちのこと、知ろうともしてねえ」
場に沈黙が流れる。
妖怪たちの表情が変わり始めた。
そして、誰よりも早く気狐の作った道を走っていったのは河童だった。
「僕は先に行くよ! 小珠嬢ちゃんのことは信じてるからねっ」
あっという間に見えなくなった河童の背中を追うように、他の妖怪たちも走り始める。
「お……俺も行く!」
「あたしも行くわ!」
「このままここにいたって焼かれ死ぬだけだしな!」
妖怪たちは意地を張っていただけの部分もあるようで、次々と気狐の作った道を通っていく。空中の気狐がほっとしたように溜め息を吐いた。
全員が逃げた後、最後にからかさ小僧もその道を通る。その時、気狐がふふっと蠱惑的に笑った。
「貴方、なかなかいい男じゃないですかぁ。今度お茶でもしませーん?」
「な、な、な、なんでい! からかうのはやめろい!」
「あらあら、照れ屋さんなところも可愛いわぁ~お顔が真っ赤ですよぉ~?」
うふふ~と色目を使ってくるので、からかさ小僧は慌てて走る速度を上げた。
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