食事が始まると、気狐たちが和楽器を用いて演奏を行い、美しい着物で踊り始める。次に落語が始まった。からかさ小僧は最初緊張していた様子だったが、酒が入って和らいできたのか、気狐たちの落語を聞いて大笑いしていた。
 小珠の席にも珍しく酒が用意されている。村にいた頃も酒は嗜む程度で、がっつり飲んだことはない。しかし、空狐はかなり高級な酒と言っていたし、折角置かれているものを飲まないわけにはいかないと思い、ぐいっと飲み干す。すると、すかさず小さな杯にまた酒が注がれる。野狐たちは人の杯を空にしてはいけないと教育されているのだろう。

(確かにこれまで飲んできたものよりおいしいような……)

 小珠も調子に乗ってきて、ぐいぐいと酒を呑む。野狐は小珠がおいしそうにしているのが嬉しいのか、上機嫌でまた注いでくる。
 ――そうこうしているうちに、思考がぼんやりしてきた。何だかやけに楽しく、あはは、あははと何度も笑っている自分に気付く。しかししばらくするとだんだん気分が悪くなってきて、後架に行くと伝えて部屋を出た。
 向こうの席でからかさ小僧がまだ楽しそうに笑っているのを確認してほっとしつつ、今はまず自分の体調を治さなければと外の空気に当たる。
 いつの間にか外は真っ暗だ。丸い月が夜空を照らしている。涼しい夜風に当たりながら縁側で寝転がっていると、人の気配がした。見上げると銀狐が立っている。

「……悪かったな。玉藻前様は酒豪やったから、小珠はんもいける口やと思てた」

 どうやら水を持ってきてくれたらしい。彼は小珠の隣に座り、頭を撫でてきた。

「そうだったんですか。やっぱり生まれ変わりと言っても、私と玉藻前様では違うのですね」

 少し起き上がり、銀狐が用意してくれた水を飲む。銀狐は小珠の言葉に何も言わなかった。
 再び寝転がる小珠の傍にいつまでも銀狐がいるので、戻らないのかと思いちらりと見上げる。

「天狐様の嫁さん置いて宴会に出るわけないやろ。空狐はんに怒られるわ」

 小珠の疑問を察したらしい銀狐が答えた。申し訳なく思いながら、「ありがとうございます」と小さくお礼を言う。
 しばらく休んでいるとだんだん吐き気がなくなってきたため、話題作りとして銀狐に問いかけた。

「銀狐さんから見て、玉藻前様はどういう方だったのですか?」

 銀狐は時折、玉藻前と小珠を重ねているように思う。正確には銀狐だけではなく、この屋敷にいる全ての妖狐たちがだが――特に同一視しているのは、おそらく銀狐だ。

「……あの人は、他者のことを憎んどった」

 少しの間があった後、銀狐が呟く。

「俺のせいなんや。玉藻前様が、酷い人になってもうたん」

 見上げる銀狐の表情が悲しそうだ。小珠がこの話題はいけなかったかもしれないと焦って話を変えようとする前に、銀狐が続ける。

「玉藻前様が生まれたんは、まだ妖怪と人間が共存しとった頃や。きつね町もなかった。人里で暮らしとった俺らは、それなりに人間とも仲良うしとった。でもその頃は、妖怪さらいがようおった」
「妖怪さらい……」
「妖怪は、人間が持たん特別な力を持っとるから。まだ妖力をうまく扱えん子供の妖怪をさらって、人間の都合のええよう育てよう思う奴らがうじゃうじゃおったんよ。玉藻前様も、まだ妖怪としてちゃんと発育してない時に連れ去られた」

 銀狐が悔しそうに歯を噛みしめる。

「俺のせいなんや。玉藻前様が連れ去られたん」

 銀狐は、〝俺のせい〟という言葉を、二度使った。

「妖狐の一族は昔から栄えとった。護衛も相当数おった。普通にしてたらさらわれたりせえへん。それを俺が連れ出した。玉藻前様が、庶民の住む場所へ行ってみたいて言うから。俺はそれを叶えてやりたかった。箱入り娘っちゅうんかな、ずっと妖狐たちとばっか過ごしとったから、玉藻前様は外の世界や他の妖怪、人間に興味津々で、いつも外の世界のことが描かれとる書物を読んでは楽しそうにしとった。窮屈な思いしとる玉藻前様にこっそり抜け出そう言うて、お手て繋いで外に出したん、俺やねん」

 何故か、以前夢に出た美しい女性のことを思い出した。見たことのないはずの彼女が玉藻前だったと感じるのは、ただの妄想だろうか。

「身勝手な独占欲もあった。当時、玉藻前様は空狐はんと仲良かってん。俺はそれを傍から見てて、なんやえらいムカムカしてもうて。あの頃は幼かったし。俺が玉藻前様を連れ出せば、空狐を出し抜いて俺が玉藻前様の特別になれると思ったんや」
「……好きだったんですか? 玉藻前様のこと」

 小珠の問いに、銀狐が苦笑する。

「そん時は気付いてへんかったけどな。俺の初恋や」
「そう……だったんですか」
「玉藻前様を失ってから気付いた。俺も、他の連中も死ぬ気になって探したけど、玉藻前様が見つかるまでその後何十年もかかった。俺が初めて天狐様にぶたれたんも、その時やったかな。今は年取っておとなしゅうなっとるけど、昔の天狐様は躾厳しい鬼みたいな人やったから。何度もぶたれて折檻されたわ。当たり前や。いくら子供のしたことでも、取り返しつかへんことやもん」
「でも、見つかったんですよね?」
「ああ。変わり果てた姿になって見つかった。数々の人間に弄ばれて、利用されて、性格も捻じ曲がって帰ってきた。玉藻前様はそれから、化け物と成り果てて人間の手によって封印されるまで、ずっと残忍なままやった。俺の好きやった花みたいな笑顔、もう見られへんようになって、その時ようやく実感してん。嗚呼、天狐様の言う通りやったって。ほんまに取り返しのつかんことしてもうたって」

 小珠はがばっと起き上がった。小珠がいきなり動いたことで銀狐は驚いたらしく、ぎょっとした顔をする。

「じゃあ、今度大切な人ができたら、絶対に守り抜きましょう」
「……俺に、玉藻前様以上に大事な人ができると思えん」
「銀狐さんは人間よりもずっと寿命が長いんでしょう? これから先、何が起こるか分かりません。助けられなかった時の教訓を活かせる時だってきっと必ず来ます」

 銀狐はきっとこれから気の遠くなるほどの時間を過ごす。生きる時が長い妖怪だからこそ巡ってくる運や縁だってあるはずだ。

「失敗せずに成長することは有り得ません。私だって今こうして倒れてましたけど、おかげで次はお酒は程々にしようって思えています。今の私よりもずっと取り返しのつかないことをしてしまった銀狐さんは、強く後悔して何度も自分を責めた分、きっと私なんかよりもっと変われています」
「…………」
「これからですよ、銀狐さん。人生……いや、妖怪生? は、長いんですから。もう二度と変えられないことを嘆いたって仕方がありません。その時代のその時、その事態に対峙できたのは、その時その瞬間の銀狐さんでしかないんですから。だからこそ、次に同じようなことが起きた時、変えていく力をつけていればいいんです」

 ずっと難しい顔をしていた銀狐がようやく、少し笑った。

「君に言われると、救われるな」

 やっといつもの表情になった銀狐にほっとして緊張が解け、小珠も笑った。

「でも私、てっきり銀狐さんは私のことが嫌いなのかと思ってました」
「……はあ?」
「だって、このお屋敷に来た頃から、私の言うことには反対ばかりだったんですもん。〝女の子はお化粧してかわええ着物着て微笑んどったらええ〟――あれってきっと、玉藻前様にそうしていてほしかったんですよね。玉藻前様には何もせず、ただ幸せにゆったりと過ごしてほしいって思っていたんでしょう。私と玉藻前様を重ねていたんですよね」
「な……いや、そういうわけでは」
「本当に大好きだったんですね? 玉藻前様のこと」

 言い当てると、銀狐の顔が赤くなっていく。その珍しい表情を見て少し驚いた。

「銀狐さんって赤面しても金狐さんそっくりなんですね」

 おかしくて笑ってしまいそうになるのを堪える。しかし、銀狐は意外にも別のところに食いついてきた。

「何で君が金狐の赤面癖知っとんねん。金狐が赤面するようなことしたんか?」
「あの人女性への免疫がないのか、すぐ赤面しますよ。この間なんてちょっと触っただけで――」

 暑さにやられて倒れていた時の金狐を思い出し、その話をしようとした。しかし、銀狐が何故か思いっきり額を指で弾いてきたため、その痛みでそれどころではなくなってしまった。

「痛っっっ……! な、何するんですか!」
「別に。」
「別にって顔じゃないですけど!?」

 額を押さえて苦しむ小珠を無視し、銀狐が立ち上がる。

「体調ようなってきたんなら、さっさと部屋戻っとき。からかさ小僧の接待は空狐はんが引き受けてくれたから。……あと」

 そして、小珠の方を見ずに、最後に訂正してきた。

「嫌いなやつの畑仕事手伝ったりせえへん」




 *―――**―――**―――*


 湯殿にて、空狐とからかさ小僧は共に湯に浸っていた。からかさ小僧の体を洗っていた野狐たちは退散し、外で待っているようだ。

「良い湯でぃ。ありがとな、空狐様」

 酒のおかげかすっかり緊張が解れた様子のからかさ小僧が馴れ馴れしく話しかけてくる。低級妖怪にこのようなくだけた口調で話しかけられたのは初めてであるため、僅かに不快感を覚えた。しかし小珠の要望だと思い不満を呑み込む。

「市での小珠様は楽しそうですか」

 からかさ小僧と共通の話題といえばこれしかない。空狐は日中忙しく、小珠にはついていけないのだ。野狐から逐一報告を受けているとはいえ、自分の知り得ない小珠の様子は前から気にしているところではあった。

「おお。〝青物市の野菜売り小珠と無言の天狗たち〟なんて呼ばれててな。市じゃあ有名だ。あいつの作る野菜はうまい」
「元々、専業農家だったようですからね。毎日キヨさんと楽しそうに畑仕事をしているとは聞いています」
「キヨさんってのは、小珠のばあちゃんかい?」
「ええ。人間の村から連れてきた、小珠様の育ての親です」
「に……人間の村から!? ってことはなんでい……キヨってのは、人間なのかい? この町にいるのは危険じゃねえか?」
「ご高齢なので、人食い妖怪が好む年ではありません。それに、この屋敷に護衛は数多くいます。問題はないでしょう」

 本当の問題は――別のところにある。
 空狐は小珠の悲しむ顔を想像し、少し嫌な気持ちになった。

「……空狐様は、小珠を随分気にしてんだな。なんかほっとしたぜ。今日一日見てただけでも、小珠のこと気遣ってんのが分かったからさ。ほら、小珠って多分、妖狐の一族にしちゃあ変わりもんだろ? おれみてぇな低級妖怪にも声かけて、こっそり市に来てさ。おれちょっと、小珠が一族の中で浮いてんじゃねえかって心配してたんだ」
「小珠様は、時間はかかるでしょうが、妖狐の一族の中でも群を抜いて妖力が強くなる見込みがあります。なんせ、玉藻前様の生まれ変わりですから。大事にするのは当然です」
「……なんでい、それだけか」

 からかさ小僧が何故かつまらなそうな顔をする。

「もし心境が変わったら連絡してくれ。こう見えて色恋沙汰には詳しいんだ。色んな男の相談乗ってきたからな」
「はあ……色恋沙汰ですか」

 何を言っているのだこの低級妖怪は、と訝しげに見つめる。

「それにしても、空狐様の体って引き締まってるよな! いいなあ、羨ましいぜ! おれもそんな感じになりてえ。男なら一度は憧れるよな」
「傘の姿でどこを引き締めるんですか。引き締める部位がないでしょう」
「ちょ、今馬鹿にしただろい!」

 からかさ小僧がぎゃーぎゃーと文句を言ってくるため、少し笑ってしまった。そこで、低級妖怪と喋っているというのに少し楽しく感じてしまっていることに気付く。

(僕は、何をしているんだ……)

 玉藻前の時代、このようなことは有り得なかった。町民を力で押さえ付けることしか考えていなかった。南に住む妖怪と馴れ合うなど、らしくない。
 どうやら空狐自身にも、小珠によって変化がもたらされているようだ。



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