――そして数日後のバレンタインデー当日。
「会長、学年末テストは今日まででしたよね。お疲れさまでした。――で、その紙袋は何ですか?」
この日も午前十一時半ごろに学校まで迎えに来てくれた貢が、スクールバッグだけでなく大きめの紙袋を抱えて助手席に乗り込んだわたしに目を丸くした。
「ああ、これ? 後輩の女の子たちからチョコいっぱいもらっちゃったの。もちろん里歩からのもあるよ。で、一人じゃとても食べきれないから会社の給湯室で保管しといてもらおうかなーと思って」
「へぇー…………、そうなんですか。本当にあるんですね、女子校バレンタインって」
今の時代、バレンタインチョコは男性だけのものじゃないのだ。自分用にお高いチョコを買う女性もいる。わたしみたく、本命チョコを頑張って手作りする女性だっていないこともないけど。
「まぁね。でも、こんなの里歩がもらった分とは比べものにならないから。『女の子にモテまくるってのも困りもんだねー』って、里歩笑ってた。あの子、彼氏もちゃんといるんだけどね」
「う~ん、何となく分かるような、分からないような……」
女子校ではしばしば、カッコいい先輩が人気を集める傾向にある。某歌劇団みたいなものだ。わたしがたくさんチョコをもらえた理由は、多分世間的に有名人になったことだろうと思う。いわゆる〝有名税〟というやつだろうか。
「でも安心して。もらうばっかりじゃなくて、わたしもちゃんとチョコ用意してあるからね」
「えっ? もしかして僕の分は……」
「それはナイショ♪ じゃあクルマ出して下さ~い」
「はい!」
彼はいつもの五割増しで張り切ってアクセルペダルを踏んだ。
彼へのチョコは、ネットで検索したレシピを元に母や里歩にも手伝ってもらって作った。初心者向きの簡単なものではなく、プロのショコラティエが作るような手の込んだものだ。ラッピング用品まで自分で選ぶくらい気合の入った本命チョコだった。
でも、他の人にあげる分はそこまで手をかけていられないので(本当に申し訳ないと思っているのだけれど)、スーパーで買ってきた大袋の個包装チョコレートを小さなギフトパックに小分けしたものを用意していた。そうすることで、一応の差別化をはかったのだ。
「――じゃあこれ、冷蔵庫で保管お願いします」
会長室に着くとすぐ、わたしはチョコがたんまり入った紙袋を貢に託した。ちなみに、ここに入っていたのは市販品のみで、手作りだった分は別にしてあった。
「かしこまりました。これでまた、当分おやつに困りませんね」
「うん……。でも何日も続けてチョコばっかり食べてられないから、秘書室のみなさんで分けてもらってもいいよ」
「えっ、いいんですか!? ありがとうございます!」
「うん。くれた子たちには悪いけど、もらったものをわたしがどうしようと自由だもんね」
「そうですよね」
食べ物をもらっていちばんよくないのは、食品ロスを出してしまうことだ。大勢で分けることでそうならなくて済むなら、それに越したことはないと思う。
「あと、これは桐島さん、貴方に」
わたしはスクールバッグに忍ばせていた、ポップなデザインの小さなギフトボックスを彼に差し出した。
「約束どおり、頑張って作ってみたの。口に合うかどうか分かんないけど」
「……えっ? ありがとうございます。お忙しいのにわざわざ本当に手作りして下さったんですか?」
「うん、里歩とかママにも手伝ってもらったけどね。食べたら感想聞かせて?」
「はい!」
彼は天にも昇るような様子で(他にどう表現していいか分からないけど、多分あっていると思う)、包みを自分のビジネスバッグにしまっていた。
彼の他に手作りチョコが当たったのは里歩と寺田さんだけ(彼には数個試食してもらっただけだ)なので、実はかなりレアなのだ。貢は気づいていなかっただろうけれど……。
「では、僕はちょっと給湯室へ行って参ります」
「あ、じゃあわたしもちょっと出てくる。村上さんたちにチョコ渡してくるから」
彼はわたしがスクールバッグから取り出した数袋のギフトパックに「あれ?」という顔をした。
「他の人の分は手作りじゃなかったんですね。会長はそういうところ、こだわられる人だと思ったんですが」
「まぁね。細かいことはいちいち気にしないの。じゃ、行ってきま~す♪」
わたしはとっさに笑ってごまかしたけれど、それには特別な理由があるんだと果たして彼が気づいていたかどうか――。
その後わたしは社長室、秘書室、人事部を回って日ごろお世話になっている四人にチョコを渡していった。
広田常務と小川さんは「私たち女性なのに、よろしいんですか?」と遠慮がちだったけれど、「糖分の補給はお仕事の効率アップのためにもいいから」と言って受け取ってもらった。わたしからの差し入れだと思ってくれたらそれでいい。
「ただいま。――わっ、桐島さん! それどうしたの!?」
チョコを配り終えて会長室へ戻ると、デスクの上にこんもりと積まれたチョコレートの包みを前にして彼が困惑顔をしていた。
「ああ、おかえりなさい。どうしたもこうしたも、これ全部僕が女性社員たちから頂いたチョコです。多分、義理ばかりだと思うんですが」
「へー……。桐島さん、人気あるんだね」
義理ばかり、と聞いてもわたしは正直ショックを隠せなかった。もしこの日、真っ先にチョコを渡していなかったら、彼にチョコをあげる勇気がしおれてしまっていたかもしれない。
「それだけもらえるなら、わたしからのチョコはいらなかったかもなぁ。……ごめん、何でもない」
すねたようにこぼした言葉に、彼は素早く反応した。
「……会長? 会長が下さったチョコって、もしかして……」
「貴方は、どっちだと思う?」
彼は気づいたかもしれない。わたしからのチョコが本命だということに。わたしの、自分に対しての気持ちに。
そして彼の気持ちにわたしもまだ気づいてはいなかった――。
* * * *
――その日の帰りにも、彼はいつもどおりにわたしをクルマで家まで送ってくれたのだけれど……。
「……あ、久保さんの分のチョコ、用意するの忘れてた」
「アイツの分は別に用意されなくていいです」
クルマを降りる前、わたしがポツリとこぼした一言に、彼は過敏に反応してブスッと吐き捨てた。というか、今思えば久保さんの名前に反応していたような……。
「えっ、どうしたの? 桐島さん、今日はなんか変だよ?」
普段の彼なら、こんなふうに突っかかってこずに聞き流すはずなのに。
「……絢乃さんって、まだお気づきになっていないんですか? だとしたらかなり鈍感ですよね」
「…………えっ?」
彼が何を言っているのか理解が追いつかないままわたしがパニックになっていると、次の瞬間彼はとんでもない行動に出た。なんと、わたしの唇を強引に奪ったのだ!
「……これでも、まだお分かりになりませんか? 僕の気持ちが」
「…………えっと」
わたしはファーストキスを奪われたという事実と、いつもの誠実で紳士的な彼からは想像もつかなかった強引さとで頭の中がこんがらがってしまい、冷静さを失っていた。
「…………あの、これがわたしの初めてのキスだってことは、貴方も分かってるよね?」
彼だって知らなかったはずはない。だって、つい数日前にわたしの口から聞いていたはずだから。
「はい、知っています。それから、絢乃さん。あなたが僕のことをどう思われているのかも」
「……………………ええっ!?」
わたしだってそりゃ、彼との距離が縮まらなくて悩んでいた。でも、これじゃあまりにも展開が早すぎる!
「…………あああの、ゴメン! わたし今、頭混乱しちゃっててどう言っていいか分かんない。……えっと、ちょうど週末だし、明日と明後日で頭冷やすから、今日はこれでっ! また来週ね! おっ、お疲れさま!」
「…………はぁ、お疲れさまでした」
わたしは彼とまともに顔を合わせられないまま、この日は彼と別れたのだった――。
「――ただいま……」
「絢乃、おかえりなさい。――あら、なんか顔赤いけど大丈夫? 熱でもあるの?」
玄関でわたしを出迎えてくれた母は、わたしの顔が真っ赤になっていたことに目ざとく気づいた。
「あ、ううん。そういうんじゃないから大丈夫。ただ……」
「ただ?」
わたしは貢にキスされたことを母に打ち明けようとして思いとどまった。母もわたしが彼に恋をしていることは知っていたけれど、果たして彼の方の気持ちまで知っていたかどうかは分からなかった。もし万が一、打ち明けたことで彼に不都合なことが起きてしまったら……?
「…………うん、まぁ。その……何でもない。桐島さんとみんなにはちゃんとチョコあげられたから。あ、これね、学校の後輩の子たちからもらったチョコ」
ごまかすように、小さめの紙袋を母に差し出した。
「あら、いいの? ……これだけ?」
「ううん。もっとたくさんもらったけど、ここにあるのは手作りの分だけ。市販品は会社の給湯室に保管してもらうことにしたの」
「そうなのね。じゃあ、夕食後のデザートに史子さんと寺田と四人で頂きましょうか。絢乃、お腹空いてるでしょう? もう夕食にしてもらう? 今日はクリームシチューですって」
「うん……、そうしようかな。部屋で着替えてくるね」
わたしは家に帰ってからずっと、母とも目を合わせられなかった。
「そういえば、昭和のロックバンドの曲によく似た状況の歌詞があったな……」
里歩が好きな曲で、わたしもストリーミングで聴かせてもらったことがある。この時のわたしの状態は、あの歌詞と見事にシンクロしていた。
* * * *
「――で? なんでアンタ、そこで告らなかったかな……。っと、おっしゃ、ストライク!」
翌日の土曜日。わたしは午後から里歩に誘われて新宿のボウリング場にいた。彼女はここでも運動神経のよさを発揮して、ストライクやスペアを量産していた。
「だって、気が動転しちゃったんだもん、それどころじゃ……、あー……」
対いてわたしのヘタクソな投球は見事に溝へ吸い込まれていった。ピンが倒れたとしても、せいぜい端っこの二~三本くらい。そのせいでわたしのスコア表には、数字よりも「G」の文字の方が多かった。
「アンタってボウリングもダメダメなんだね」
「はいはい、どうせわたしは運動オンチですよー。ホント、里歩が羨ましい」
スキニーデニムにパーカー姿の里歩は、脚が太めなことを気にしているらしい。でも、スポーツのセンスがまるでないわたしは彼女の筋肉質な脚がカッコいいと思う。
「だいたいさぁ、ボウリングにロングスカートで来るってどうよ」
「それは別にいいじゃない」
里歩の指摘に、わたしは口を尖らせた。
――二ゲームほど遊んだら、体力に自信のある里歩はともかくわたしはもうすっかりヘトヘトになってしまった。
「…………疲れたね。もう終わろっか」
「うん。里歩、ありがとね」
わたしから「もう終わろう」と言う前に、里歩の方から言ってくれた。
「――ところでさ、どうして桐島さんが昨日のタイミングでキスしたか、なんだけど」
「うん……。彼、ああいうことしそうな人じゃないと思ってたのになぁ」
休憩しに入った駅ビルのカフェで、アイスラテを飲みながらわたしは頬杖をついてそうこぼした。店内は暖房が効いていたので、冷たい飲み物でちょうどよかった。
「あたしが思うに、それって彼がアンタの気持ちを知ったからなんじゃないかな?」
「あー……。そういえば昨日、そんなこと言ってたような気が……。パニクってて頭に入ってこなかったけど」
彼は気づいていたのだ。わたしからのチョコが本命=わたしが自分を好きなんだということに。
「だってさ、こないだCM出演のオファー断った時にアンタ言ったんでしょ? 『ファーストキスは絶対、好きな人としたい』って。彼もそれ憶えてたんだよ」
わたしと同じものを、ガムシロップ少なめで飲む彼女はわたしと同い年なのに少しだけ大人に見えた。
「…………うん、確かに言ったけど。あれじゃあんまりにも急展開すぎるよ。理解が追いつかないってば」
「でも、キスだけで済んだと思えばさ。桐島さんはまだ紳士的な方だと思うよ。ヘタすりゃ押し倒されてたかもしれないんだから」
「おし……、えっ!?」
あまりにも生々しい言葉が出てきて、わたしはギョッとなった。
「っていうかさ、アンタもしあのCMの話受けてたら、小坂リョウジにお持ち帰りされてたかもよ?」
「お持ち帰り? ……っていうかなんで急に小坂さんの名前が出てくるの?」
「アンタ知らなかったの? これこれ。今ネットで騒がれてるんだよ」
里歩は自分のスマホでニュースサイトを開き、テーブルの上に置いた。わたしが覗き込んだその画面に表示されていたのは――。
「『小坂リョウジ、共演女性モデルと熱愛発覚! CM撮影現場から自宅お持ち帰り!』!?」
「そ。もしオファー断ってなかったら、アンタがこうなってたかも、ってこと」
「ええー……」
里歩の言葉にゲンナリしたわたしだったけれど、同時にあの時お断りしたのは間違いじゃなかったなぁとも思えた。
だって、貢はまかり間違ってもこんなことをするような人じゃないもの。
「あーあ、ショックだなぁ。あたし小坂リョウジのファンだったのに。幻滅……」
里歩がボヤき始めたのを、本人には申し訳ないけれどわたしは笑いながら見ていた。
「――でも、今日は誘ってくれた里歩に感謝しなきゃ。ひとりで家にいて悶々としてたって埒あかなかったから」
「だしょ? こういう時は、恋愛上級者の里歩サマを頼ればいいんだって」
わたしは本当に幸せものだ。だって、こんなに頼もしい親友に恵まれたんだから。
* * * *
――お店を出たところで、里歩が立ち止まって「あ、ライン来てる」とスマホを見た。
「ライン? 彼氏さんから?」
「ううん、お父さんからだ。これからお母さんと三人で買い物に行かないか、って。あたし、そろそろスマホの機種変したいと思ってたから、お父さんにお願いしてみようかな」
……お父さんと三人でお出かけなんて羨ましい。わたしにはもう、二度とできないことだったから。
「里歩、行ってきなよ。お父さんには甘えられる時に甘えさせてもらわなきゃ、いなくなってから後悔するよ」
「絢乃……。ありがと、じゃあ今日はここでバイバイだね。また連絡するから」
「うん。今日は付き合ってくれてありがと」
里歩と別れた後、ひとりで駅ビルの中をブラブラ歩いていると――。
「あのさ、間違ってたらゴメン。――篠沢、絢乃ちゃん?」
「……はい? そう……ですけど」
後ろから唐突に男性に声をかけられ、わたしは戸惑いながら振り返り、その男性の顔をまじまじと見つめた。この人、誰かに似ているような……。
「あ、ゴメン! オレは決して怪しいモンしゃないから。……っていうか、オレの顔に何かついてる?」
「あー……、いえ。ちょっと知り合いに似てるなぁと思って。でも誰だったか思い出せなくて」
「ああ、そういうことか。――オレの名前は、桐島悠。弟がいつもお世話になってます、絢乃ちゃん」
「桐島? ……って、ああ! もしかして、桐島さんのお兄さまですか? 調理のお仕事をなさってるっていう」
そうか、貢に似ているんだ。ちょっと猫っ毛な髪質や、優しそうな目もとや、シャープな顎のラインが。
貢には四歳上のお兄さまがいると、わたしもその四ヶ月前に聞いていた。この男性はちょうど三十歳前後、年齢的にも彼の四歳くらい上に見えた。
「大正解♪」
貢のお兄さま――悠さんは、嬉しそうにニンマリ笑った。
「……って言っても、言葉だけじゃ信じてもらえねぇだろうから」
彼はそう言って身分証明書をわたしに見せてくれた。
「これで納得?」
「はい、大丈夫です。――ところで悠さん、よくわたしだってお分かりになりましたね」
悠さんも多分、わたしの姿はTVやネットでご覧になっていたと思う。でもそれは全部制服姿で映っていたはずだ。ちなみにこの日のわたしは、ピンク色のアーガイル柄が入ったベージュのハイネックニットに茶色いコーデュロイのロングスカート、焦げ茶のロングブーツにライトブラウンのダッフルコートという私服姿だった。
「そりゃまぁ、私服来てても醸し出すオーラっつうか、気品みたいなのは変わんねぇもん。――今日はひとり?」
「いえ、さっきまで親友と一緒でした。ふたりでボウリングに行ってて。……悠さん、は? 飲食系って、土日は書き入れ時なんじゃ?」
土曜日の夕方四時ごろは、飲食店ならディナータイムの仕込みやら何やらで忙しい時間帯だ。ウチのグループの傘下にも飲食チェーンがあるので、わたしも一応そのあたりの事情には詳しいわけである。
「うん。でもオレ店長やってて、今日は早番だったから今が帰りなんだ。副店長がいりゃ店は回るし。んで、絢乃ちゃんにここで会ったのはマジで偶然だから」
「はぁ、なるほど」
悠さんはご自身の事情を簡潔に話してくれたけれど、最後に偶然を強調したのはどうしてなんだろう? というか誰に対しての弁解?
「――あ、そうだ。絢乃ちゃん、これからちょっと時間もらえるかな? アイツのことで、君に話があんのよ」
「ええ、大丈夫ですけど。『アイツ』って弟さん……貢さんのことですか?」
「うん。じゃあ、ちょっと付き合ってもらおうかな」
貢のことで、と言われるとわたしも断れなかった。やっぱり、彼の考えていることが気になって仕方がなかったから。……でも、この時の光景って傍から見たらナンパの現場と捉えられても不思議じゃなかったと思う。
――悠さんに連れられて入ったのは、駅ビル近くにある分煙式のセルフカフェだった。
「絢乃ちゃん、喫煙席でも平気?」
「はい、大丈夫です」
店員さんに「喫煙席に、二人」と告げた悠さん。どうやら喫煙者、それもかなりの愛煙家らしいと分かったけれど、わたしは特別不快にも感じなかった。同じ兄弟でも、貢はまったくタバコを吸わない人なのだけれど。
「絢乃ちゃんって、タバコ平気な子なんだな」
彼がブラックコーヒーのカップを前にして向かいの席に座り、手慣れた仕草でタバコに火を点けるのをわたしが平然と眺めていると、感心したようにそう言われた。
「はい。三年前に亡くなった祖父もタバコを吸う人でしたから。両親はまったく吸わないんですけど……あ、父はもう過去形か」
父を亡くしてまだ一ヶ月半くらいで、もう過去形になっていることにわたしの心はチクリと痛んだ。まだ〝父の死〟というものを現実として受け入れられていなかったからかもしれない。
「――ところで、貢さんのことでわたしにお話っていうのは? 昨日、何か連絡があったんですか?」
わたしはケーキセットについていたホットのカフェラテを一口すすってから、本題を切り出した。ちなみにケーキはバレンタイン期間限定のガトーショコラだった。
「連絡があったっつうか、アイツ毎週末には実家に帰ってくんのよ。で、昨日もそうだったんだけど、なんか様子がヘンでさぁ」
「ヘン、って……どんなふうに?」
困惑ぎみに語りだした悠さんに、わたしは眉をひそめた。それには多分、前日の出来事が――わたしが関係していると思ったから。
「昨日、バレンタインだったじゃん? んで、チョコいっぱいもらってきたからって、オレに分けてくれたまではよかったんだけど。やたら機嫌いいかと思ったら急に黙り込んだり、ソワソワしたり。ちょっと情緒不安定っぽい感じ?」
「う~ん……」
わたしはどうコメントしていいか分からずに唸り、ガトーショコラにフォークを入れた。甘いけれどちょっとほろ苦いチョコレートの味は、何となく恋をしている時の感情に似ているかもしれない。
「……あ、そういやアイツ、絢乃ちゃんからもチョコもらったって言ってたな。手作りだって嬉しそうにして、オレも『一個くれ』って言ったんだけど、一個もくれなかったんだよ。――っと、んなことはどうでもいいや。絢乃ちゃん、アイツからチョコの感想もらった?」
「はい、ラインでもらいましたけど……。これ見てもらえますか? ちょっと、一人で読むの恥ずかしくて」
わたしは前夜に彼から受信したメッセージの画面をスマホに表示させてテーブルの上に置いた。
〈手作りチョコ、ありがとうございました。すごく美味しかったです。〉
「――なんだ、普通の感想じゃん。これがどうかした?」
「問題はその後なんです。そのまま画面、スクロールさせてみて下さい」
「……うん、分かった。――うーわー……」
彼がげんなりした声を上げたその理由は――。
〈でも、僕には絢乃さんの唇の方が甘かったですけどね。〉
「…………何だこれ!? アイツ、めっちゃキザじゃんー。しかも見事に既読スルーされてやんの!」
あまりにもキザすぎて彼らしくない一文に、悠さんはお腹を抱えて大爆笑し始めた。
「でしょう? わたしも、これを読んだら返信に困っちゃって」
「あー、おもしれー! でもそっか、これで納得いった。アイツ、今朝めっちゃ落ち込んでたんだわ。なるほどなぁ、これが原因だったんだな」
「そりゃあ、せっかく手作りチョコの感想を送ったのに既読スルーされたんじゃ、落ち込んでも仕方ないですよね」
わたしは貢に対して申し訳ない気持ちになった。せめて感想をくれたお礼だけでも返すべきだったのに。既読スルーはやっちゃいけなかったかな。
「うんまぁ、それもあるけど。多分、アイツ自身がこの一文を送信した後、めちゃめちゃ悶絶してたはずだからさぁ。『なんで俺はこんなこと書いちまったんだぁ!』って。だってこれ、絶対アイツのキャラじゃねぇもん」
「……えっ?」
「多分、昨日君のファーストキスを強引に奪ったことも後悔してると思う。君があれで機嫌を損ねちまったんじゃないか、ってな。んで、この既読スルーで君を完全に怒らせちまったって思い込んだんじゃねぇかな」
「わたしは別に怒ってなんか……。ホントに気が動転してただけなんです。でも、貢さんはどうしてそんなにネガティブな方に解釈しちゃったんでしょう? 男性ってみんな、そんなに自分に自信がないものなんですか?」
貢が初恋だったわたしには、男性の心理を理解しようとするのはそれこそ司法試験並みに難しかった。
「いや、みんながみんなアイツみたいってわけじゃねぇよ。少なくともオレは違う。……それはともかく、アイツがあんななのはちょっと恋愛恐怖症だからかもなぁ。過去の失恋とか、他にも色々引きずってああなってるだけだから」
さすがはご兄弟だけあって、悠さんは貢のそのあたりの事情についてよくご存じらしい。恋愛恐怖症になってしまうほどの失恋(とその他諸々)って一体……? わたしはものすごく気になった。
「あの……、それってどんなことがあったんですか? お兄さまはご存じなんですよね?」
「それはオレに訊くより、アイツが話したくなった時に聞かせてもらった方がいいと思うよ。……でもさ、オレが思うに、アイツは絢乃ちゃんに嫌われるのが怖いだけだと思うんだよなぁ。絢乃ちゃんも気づいてるんだろ? アイツが君のことをどう思ってるのか」
わたしはコクン、と頷いた。里歩がずっと前に言っていたとおりだったのだ。わたしが勝手に「そんなわけないじゃない」と否定していただけで。