清水寺を後にした香村たちは、二年坂・三年坂で土産物を買った後昼食をとり、金閣寺と龍安寺へと向かった。どちらもやはり外国人観光客が多く大変な混雑ぶりではあったが、やはり紅葉の季節では無いせいかガイドによればまだ人は少ない方だというからピーク時を想像するだけでげんなりしてしまう。
金閣寺では二年B組の集合写真を撮影し、龍安寺では有名な枯山水の庭園を見学する。香村としては遠くから眺める金閣寺よりも龍安寺の枯山水をより楽しみにしていたのだが、高校二年生で枯山水に興味がある者はあまり多くないようで皆お喋りに夢中になっている。
庭園の入り口を通り抜けると、視界に広がったのは白砂の美しい広がりだった。白い砂はまるで大海原のように静かに広がり、その上に点在する十五の岩が島のように浮かび上がっている。岩と砂の調和が、自然の力と人の技の絶妙な融合を感じさせる。
白砂の上には庭師の手によって引かれた美しい模様があり、それは波のように庭全体を覆っている。
「こういうのって詳しくないんだけどさ、この岩の配置とか、でっかいのと小さいののバランスとかってきっと計算されてんだろーね」
新聞部に任されたというカメラを覗き、シャッターを切りながら廣川がぽつりと言った。確かに無造作に置かれているように見える岩は、少し見る角度を変えるだけで庭全体の表情を一変させるような計算し尽された配置になっているようだ。荒々しい海原にも、静寂に凪いでいる水面のようにも見える自然と庭師という人間の間に生まれた芸術作品だった。
「廣川君ってもっと……なんて言うか、こういうの興味無いタイプかと誤解してた」
香村が素直な感想を口にする。少し離れた場所ではいつも賑やかなグループの面々がスマートフォンを掲げて大騒ぎをしており、担任教師に怒られているのが見える。廣川はどちらかというと彼らの側の人間であると香村は思っていた。
「興味はめちゃくちゃ偏ってるけどな。結構好きだよ、芸術とかデザインとか……別に詳しくないけどね」
「へえ……じゃあ、将来そっち方面に進みたかったり?」
「んー、どうかな……まだそこまで本格的には考えて無いかも。どこから手ェ付ければ良いのかわかんないし。でも面白そうだなとは思ってる」
ファインダーから視線を外して隣の香村へと移す。なんとなく、先ほどの清水寺から二人一緒に行動していた。クラスメイト達はきっと廣川が香村へちょっかいをかけるのはいつものことであると慣れているのだろう、特に何も言わないし彼と仲の良い先ほどの賑やかな友人たちも特に声をかけて来ないのは半年ほど積み重ねてきた廣川の言動が刷り込まれてしまっているのかもしれない。
廣川の言動とはつまり、いつだって香村の傍にいて口説き倒すという熱烈な行為のことだ。
今では香村自身、すっかり彼の隣にいることに慣れてしまっている。そういうところがやはり、策士なのかもしれない。
「香村はどうすんの? 将来とか。スピーチコンテストの原稿だと、わりと不安みたいな事書いてたけど」
さりげなくそう言った廣川に、香村は驚いて隣を見る。眼鏡越しにあまり高さの変わらない視線が交わった。
「覚えてたのか」
「え? 覚えてるでしょそりゃ。香村の事だぞ?」
当たり前みたいな顔をして廣川が笑う。英語のスピーチコンテストの練習に付き合って貰っていたのはもう三か月ほど前の事になる。その原稿内容なんて、しかも全て英語で書かれた原稿なんて、彼が覚えているとは思いもしなかった。
香村の事だぞ、と廣川は言った。彼に面と向かって好きだと言われた夏の暑さを思い出し、香村はじわりと顔が熱くなるのを感じた。
「一応、目標の大学は先生に伝えてある」
「えっ?! 待って待って俺聞いてないんだけど?!」
突然大きな声を出した廣川に、クラスメイトだけでなく観光客の外国人からも振り返られて香村は慌てて廣川の腕を軽く叩いて静かにしろと促した。静寂の美しい庭で大声を出すなと軽く睨むと廣川は片手で自分の口を覆いながら眉尻を下げる。ごめん、と猫みたいに大きな目が言っているのが良くわかって少し笑った。
「いや、別に廣川君に関係無いでしょ」
「え、ええ……酷い……俺がこんなに香村の事大好きなのに」
大好きとか言うな、と再び彼の制服に覆われた二の腕を軽く叩くと今度は廣川も目を細めて笑う。なに、と視線をやれば彼はくつくつと我慢できない様子で笑い声をあげた。
「いやあ、慣れてくれないなーって思って。俺が香村の事何回好きって言ったと思ってんの?」
「知らないよ、数えて無いし」
「俺も、数えて無いけど」
なんだそれ、と内心呆れていれば廣川は尚も楽し気に声を弾ませた。
「数えきれないくらい香村の事好きって言っても、香村はいちいち反応してくれるんだなと思って」
じわり、と香村は耳まで熱くなってきたことに気づく。からかわれているのだろうか、と彼を見やれば色素の薄い綺麗な二重瞼の目はしっかりと香村を捉え、目が合えばそっと細められて慌てて視線を逸らした。ぞわり、と胸の奥にむず痒さのようなものを感じてしまう。
「まあ、俺が何度好きって言っても香村は返してくれないんだけどさ」
廣川はそう言うと、今度こそからかうような仕草でニパッと笑って香村にカメラのレンズを向ける。何、と反応する間もなくパシャリとシャッターが切られた音がした。
「こら、学校のカメラで遊ぶんじゃない」
思わずそう言うと、廣川はくつくつと笑いまるで反省した様子もなく「はーい」と間延びした返事をしてきちんと任されたカメラマンという役目を全うするために他のクラスメイトの方へと歩いて行ってしまった。
――俺が何度好きって言っても香村は返してくれないんだけどさ。
その言葉が香村の中でフラッシュバックして、つきりと細い針で突かれたように先ほどまでむず痒さを感じていたはずの胸の奥に小さな痛みを生じさせた。
確かに、それこそあのスピーチコンテストの練習に付き合って貰っていた頃から廣川に何度も好きだと言われている。だが、香村は彼のその言葉にまともな返事をした事が無かった。
嫌なら嫌だと、止めてくれとはっきりと言うタイプであると香村は自分をそう自己分析している。嫌なものをずっとなあなあにしておくのは好きではないのだ。であるというのに、今自分が彼にしていることこそ全てをなあなあにしているのではないのだろうか。
「わかってるよ、そんなこと」
思わず口をついて言葉が零れ出る。
わかっているのだ。彼が本当に真摯に香村健臣という特に取り柄らしい取り柄も無い男を好いてくれているということも、彼がああやって冗談めかしているけれど本心はきっと香村の返事が欲しいと思っているであろうことも、わかっているのだ。
そして、自分自身廣川七瀬という男を自分の中で特別な位置に置き始めていることも、薄々気づいている。だが、それが恋愛という属性を持つ感情であるのか香村には判断がつかないでいた。
廣川と初めて言葉を交わしたのは二年生に進級して間もなくのことで、その時から彼は何故か香村を特別視していた。香村は結局、何故彼が自分を好きになったのか決定的な理由を聞けないままでいる。彼からはただ、一目惚れかなと曖昧な事を言われたに過ぎない。それでも、香村は彼が自分へ寄せる想いというものをわからない程鈍感ではない。
廣川がなぜそんなにも自分を想ってくれているのかはわからないし、きっかけなどあまり重要では無いのかもしれないという結論には至ったものの、彼が本当に香村を好いている事が分かった以上香村は自分の中のこの特別という感情が彼と同じものであるのか、判断を付けられずにいた。
金閣寺では二年B組の集合写真を撮影し、龍安寺では有名な枯山水の庭園を見学する。香村としては遠くから眺める金閣寺よりも龍安寺の枯山水をより楽しみにしていたのだが、高校二年生で枯山水に興味がある者はあまり多くないようで皆お喋りに夢中になっている。
庭園の入り口を通り抜けると、視界に広がったのは白砂の美しい広がりだった。白い砂はまるで大海原のように静かに広がり、その上に点在する十五の岩が島のように浮かび上がっている。岩と砂の調和が、自然の力と人の技の絶妙な融合を感じさせる。
白砂の上には庭師の手によって引かれた美しい模様があり、それは波のように庭全体を覆っている。
「こういうのって詳しくないんだけどさ、この岩の配置とか、でっかいのと小さいののバランスとかってきっと計算されてんだろーね」
新聞部に任されたというカメラを覗き、シャッターを切りながら廣川がぽつりと言った。確かに無造作に置かれているように見える岩は、少し見る角度を変えるだけで庭全体の表情を一変させるような計算し尽された配置になっているようだ。荒々しい海原にも、静寂に凪いでいる水面のようにも見える自然と庭師という人間の間に生まれた芸術作品だった。
「廣川君ってもっと……なんて言うか、こういうの興味無いタイプかと誤解してた」
香村が素直な感想を口にする。少し離れた場所ではいつも賑やかなグループの面々がスマートフォンを掲げて大騒ぎをしており、担任教師に怒られているのが見える。廣川はどちらかというと彼らの側の人間であると香村は思っていた。
「興味はめちゃくちゃ偏ってるけどな。結構好きだよ、芸術とかデザインとか……別に詳しくないけどね」
「へえ……じゃあ、将来そっち方面に進みたかったり?」
「んー、どうかな……まだそこまで本格的には考えて無いかも。どこから手ェ付ければ良いのかわかんないし。でも面白そうだなとは思ってる」
ファインダーから視線を外して隣の香村へと移す。なんとなく、先ほどの清水寺から二人一緒に行動していた。クラスメイト達はきっと廣川が香村へちょっかいをかけるのはいつものことであると慣れているのだろう、特に何も言わないし彼と仲の良い先ほどの賑やかな友人たちも特に声をかけて来ないのは半年ほど積み重ねてきた廣川の言動が刷り込まれてしまっているのかもしれない。
廣川の言動とはつまり、いつだって香村の傍にいて口説き倒すという熱烈な行為のことだ。
今では香村自身、すっかり彼の隣にいることに慣れてしまっている。そういうところがやはり、策士なのかもしれない。
「香村はどうすんの? 将来とか。スピーチコンテストの原稿だと、わりと不安みたいな事書いてたけど」
さりげなくそう言った廣川に、香村は驚いて隣を見る。眼鏡越しにあまり高さの変わらない視線が交わった。
「覚えてたのか」
「え? 覚えてるでしょそりゃ。香村の事だぞ?」
当たり前みたいな顔をして廣川が笑う。英語のスピーチコンテストの練習に付き合って貰っていたのはもう三か月ほど前の事になる。その原稿内容なんて、しかも全て英語で書かれた原稿なんて、彼が覚えているとは思いもしなかった。
香村の事だぞ、と廣川は言った。彼に面と向かって好きだと言われた夏の暑さを思い出し、香村はじわりと顔が熱くなるのを感じた。
「一応、目標の大学は先生に伝えてある」
「えっ?! 待って待って俺聞いてないんだけど?!」
突然大きな声を出した廣川に、クラスメイトだけでなく観光客の外国人からも振り返られて香村は慌てて廣川の腕を軽く叩いて静かにしろと促した。静寂の美しい庭で大声を出すなと軽く睨むと廣川は片手で自分の口を覆いながら眉尻を下げる。ごめん、と猫みたいに大きな目が言っているのが良くわかって少し笑った。
「いや、別に廣川君に関係無いでしょ」
「え、ええ……酷い……俺がこんなに香村の事大好きなのに」
大好きとか言うな、と再び彼の制服に覆われた二の腕を軽く叩くと今度は廣川も目を細めて笑う。なに、と視線をやれば彼はくつくつと我慢できない様子で笑い声をあげた。
「いやあ、慣れてくれないなーって思って。俺が香村の事何回好きって言ったと思ってんの?」
「知らないよ、数えて無いし」
「俺も、数えて無いけど」
なんだそれ、と内心呆れていれば廣川は尚も楽し気に声を弾ませた。
「数えきれないくらい香村の事好きって言っても、香村はいちいち反応してくれるんだなと思って」
じわり、と香村は耳まで熱くなってきたことに気づく。からかわれているのだろうか、と彼を見やれば色素の薄い綺麗な二重瞼の目はしっかりと香村を捉え、目が合えばそっと細められて慌てて視線を逸らした。ぞわり、と胸の奥にむず痒さのようなものを感じてしまう。
「まあ、俺が何度好きって言っても香村は返してくれないんだけどさ」
廣川はそう言うと、今度こそからかうような仕草でニパッと笑って香村にカメラのレンズを向ける。何、と反応する間もなくパシャリとシャッターが切られた音がした。
「こら、学校のカメラで遊ぶんじゃない」
思わずそう言うと、廣川はくつくつと笑いまるで反省した様子もなく「はーい」と間延びした返事をしてきちんと任されたカメラマンという役目を全うするために他のクラスメイトの方へと歩いて行ってしまった。
――俺が何度好きって言っても香村は返してくれないんだけどさ。
その言葉が香村の中でフラッシュバックして、つきりと細い針で突かれたように先ほどまでむず痒さを感じていたはずの胸の奥に小さな痛みを生じさせた。
確かに、それこそあのスピーチコンテストの練習に付き合って貰っていた頃から廣川に何度も好きだと言われている。だが、香村は彼のその言葉にまともな返事をした事が無かった。
嫌なら嫌だと、止めてくれとはっきりと言うタイプであると香村は自分をそう自己分析している。嫌なものをずっとなあなあにしておくのは好きではないのだ。であるというのに、今自分が彼にしていることこそ全てをなあなあにしているのではないのだろうか。
「わかってるよ、そんなこと」
思わず口をついて言葉が零れ出る。
わかっているのだ。彼が本当に真摯に香村健臣という特に取り柄らしい取り柄も無い男を好いてくれているということも、彼がああやって冗談めかしているけれど本心はきっと香村の返事が欲しいと思っているであろうことも、わかっているのだ。
そして、自分自身廣川七瀬という男を自分の中で特別な位置に置き始めていることも、薄々気づいている。だが、それが恋愛という属性を持つ感情であるのか香村には判断がつかないでいた。
廣川と初めて言葉を交わしたのは二年生に進級して間もなくのことで、その時から彼は何故か香村を特別視していた。香村は結局、何故彼が自分を好きになったのか決定的な理由を聞けないままでいる。彼からはただ、一目惚れかなと曖昧な事を言われたに過ぎない。それでも、香村は彼が自分へ寄せる想いというものをわからない程鈍感ではない。
廣川がなぜそんなにも自分を想ってくれているのかはわからないし、きっかけなどあまり重要では無いのかもしれないという結論には至ったものの、彼が本当に香村を好いている事が分かった以上香村は自分の中のこの特別という感情が彼と同じものであるのか、判断を付けられずにいた。