不幸というものは人間がどれだけ備えていても、突拍子もなく襲いくるものだ。

 だから、全人類が等しく不幸な状態になってしまえばいいのに。そう思う。そうすれば、俺は周りと俺自身を見比べて「ああ、まだマシだな」と思い込んで、やり過ごせる。

 ――なんて、実現するはずのない妄想を抱きつつ、俺は上野の不忍池を眺めている。左手に握っているスマホには、まだ〝家族〟が存在していた頃の思い出の一部があった。まあ、この家族とやらも一年も満たずに崩壊してしまったわけだけれど。

 今日は二〇一八年三月三十一日の土曜日。近隣に動物園や博物館、美術館などがあるからか、家族連れは多い。三月の九日にこの場所で起こった〝例の事故〟のことなど忘れてしまったかのようだ。その時は面白全部で集まった野次馬だらけだったな。

 在りし日の俺の〝家族〟と似たような構成の四人組に視線を向ける。五十代ぐらいの父親と、二十代後半ぐらいの服装の母親と、背の高い少年と、その少年と手をつないでいる小さな女の子。ひょっとしたら祖父の可能性もあるし、母親ではなくてお姉さんかもしれないけれど、本当のところは俺の知ったことではない。こちらの視線には気付いていないようだけれど、俺の妄想が漏れ伝わったら、きっとすんごい顔をして逃げ出すのだろうな。別にそういう表情を向けられんのは構わないけれど。普段から「でっか」って言われているし。声に出されていなくとも気付いてしまう。好きこのんで一九〇センチメートルになったわけではないのに。

 事故のことは、担任からの連絡で知った。帰宅途中に学校の電話番号で電話がかかってきたので、学校に忘れ物でもしたかと思って電話に出る。高校三年間でそうそう、というか俺はこれでも優秀だったから、電話がかかってくることはなかったのに。卒業してしまえばまあ、部活で後輩に教えにくるだとか、教育実習の実習先として母校を選ぶだとか、それぐらいしか行く用事ないだろうし、なんてあれこれ考えながら受話器のマークをタップしたら「参宮くんのご家族が事故に遭ったって、警察から学校に電話がかかってきて、」と慌てた様子で伝えられた。

 あまりの現実味のなさに、自分の家族が巻き込まれているのに他人事ひとごとにしか思えなかった。三月九日を迎えるまでは、俺と、父親と、父親の再婚相手の真尋さんと、真尋さんの連れ子の一二三ちゃんことひいちゃん、の四人で暮らしていて、四月からは俺は大学生になり、ひいちゃんは年長さんになるはずだった。

 あの日、俺は一人で高校の卒業式に出席していたから、最後に家族と会話したのは家を出る直前。いつもと変わらずにひいちゃんが見送ってくれた。これが最後になるのだと事前に言っておいてくれたら、登校しなかったろうに。ひいちゃんの命と高校生活最後のイベント、どちらが重要かなんて比べるまでもない義理の妹のひいちゃんは、血の繋がらない妹、という客観的事実のみではなく、俺には地獄から救い出してくれた救世主でもあったから。

 脳みそをフル回転させて虚構の出来事として処理しようと試みたところで、無情にも流れ行く時間が否応なしに現実を突きつけてくる。俺を慕ってくれていた義理の妹は、もうこの世にはいない。わかっているのに、街中で同じ年頃の女の子を見かけると目で追ってしまう。

 事故が起こる前からやり直したい。
 事故が起こるとわかっていたら、ひいちゃんを連れて二人で別のところへ出かけるだろう。

 真尋さんの元旦那である八束了が運転するバイクが、父親の運転していた乗用車に真正面から突っ込んできた。父親はこのバイクを避けようとして歩道に乗り上げて制御不能となり、そのまま不忍池に飛び込んだ。バイクはガードレールに突っ込んで止まったものの、運転手は宙に放り投げられたのちにアスファルトに叩きつけられ、首の骨を折って即死した。乗用車自体は事故発生から数時間後に不忍池から引き揚げられたけれど、父親とひいちゃんの遺体しか見つかっていない。おそらく真尋さんも乗っていただろうに、真尋さんは行方不明となっている。

 俺は三人が出かける前に家を出ていたから、本当に三人が乗っていたかどうかなんてわからない。父親とひいちゃんの二人だけが乗っていた可能性もといえばあるけれど、ひいちゃんの母親である真尋さんを家に置いていくか? 
 もし、仮に父と娘の二人だけで出かけていたのだとしても、自分の娘が事故で亡くなっているってのに葬式にも姿を見せないのはどうなのだろう。俺視点での真尋さん、そんな人ではなかったと思う。娘のことを愛していた。俺なんかよりずっとね。

 葬式の最中は、涙ひとつ流せなかった。

 泣かない俺の姿を見て、周りはひそひそと「頭がおかしくなってしまった」と噂した。聞こえている。逆にここで泣き喚こうものなら、人は「気が狂ってしまった」とでも言うだろう。どうとでも言えばいい。悲しみは次の日からどっと押し寄せてきた。人間的な感情は家族の死とともに亡くなってはいなかったけれども、悲しんでばかりもいられない。生きている俺には、まだ人生がある。明日もこの足で立っていないといけない。

 自身もつらいだろうに、血のつながりのない俺を迎え入れてくれた母方の――真尋さんのご両親で、俺から見た書類上の祖父母には感謝してもしきれない。だから、不忍池の近くの、四方谷(よもや)家が今の住所だ。父親の借りていたマンションの家賃を一介の大学生の俺が払えるわけもないし。他に俺を引き取ってくれる親戚はいない。父親に兄弟はいなくて、父方の祖父母は俺が生まれる前に死んでしまった。名前も顔も、どこに住んでいたのかすらも知らない。

 真尋さんとは、父親とより俺とのほうが歳が近かっただけに新しい母親という感覚は薄かった。かといって姉のような距離感で接するのは難しくて。姉ではないし。どれほど年齢が近いのだとしても書類上の母親であることには相違ないしさ。俺には〝母親〟という概念が希薄だから、どういった存在が正しく〝母親〟なのかがぼやけてしまっていた。そのせいで真尋さんのことは真尋さんと呼んでしまう。母親ならばこうあってほしい、という希望だけが膿のように膨らんでいる。というか、俺から「おかあさん」と呼ぼうとしたら拒絶されたし。

 俺とひいちゃんを引き合わせてくれて、現在俺が住んでいる場所を提供してくれたのは真尋さんの存在あってのこと。真尋さんが俺の父親と再婚していなかったら、今頃俺はどうなってしまっていただろう。ただでさえも男手ひとつで、父親の期待を背負って育てられてきたのにな。その父親が急死するとは思わないじゃん。

 俺の実の母親に関しては、写真すら残っていない。何の証拠もない。どこにいるかもわからない。生きていてほしい。会いたくないといえば嘘になる。実の母親なら俺を受け入れてくれるはず。俺の瞳の色はオレンジ色だけれど、これは母親から遺伝したものらしいから。これだけがヒント。

 あれだけ周囲から賢いだの神童だのと言われて育ち、その言葉を証明するかのように成績優秀で、ずっと「いい子」であり続けた俺なのに、事故っていう不測の事態では非力であった。どんなに勉強を頑張っても、結局はなにもできない。

 水面を見つめながら考える。

 考えてみれば、俺の人生はとっくのとうに存在していなかったのかもしれない。全部、他人の期待に応えるための人生だった。他人が「こうしたほうがいい」と推奨した事柄を、完璧にこなしてしまっていただけだ。俺はただ、従っていた。責任の所在は他人にある。他人の言葉に従って、結果を出せてしまう能力を持ってしまっていた。俺は悪くない。進学先を神佑大学の情報工学部にしたのは、担任から「参宮くんなら神佑大学に行けるんじゃない?」と勧められたから。父親は「大学を卒業していい会社に就職しろ」としか言わないし。特に明確にこの学問を修めたいというものがあるわけではない。神佑大学っていう大学名から、自分で調べて、情報工学部で好みのタイプの女性が教授をやっていたから、そこにした。弐瓶(にへい)柚二(ゆに)さんというらしい。やりたいことがあるっていいよな。人生充実していそう。

 俺のやりたいことって、なんだろう。

 「タクミ!」

 不意に聞き覚えのある声がして、振り向いた。真尋さんが、白いワンピース姿で立っている。スマホで開いている集合写真と同じ服装だけれど、時期的には少し肌寒いのではないかな。

 ただし、真尋さんは俺を『タクミ』と呼び捨てにはしない。呼びかける時はだいたい『拓三くん』もしくはひいちゃんに合わせて『おにいちゃん』だったのに。ひいちゃんを連れていながらも常に若々しく美人で、どこかお嬢様らしい雰囲気のある真尋さんから『おにいちゃん』と呼ばれると、わかってはいるけれどこそばゆい気分にさせられていた。

 「真尋さん……?」

 今更どうしてここに現れたのだろう。俺に向けたことのないような、柔らかな笑みを浮かべている。真尋さんがひいちゃんと二人して遊んでいる時にはこの顔をしていて、俺は盗み見ることしかできなかったけれど。

 「邪魔者はいなくなったのだから、存分に愛し合おうではないか」

 厚底のサンダルを履いていても、小柄な真尋さんの頭は俺の肩ぐらいの高さにしかならない。両腕を広げて、俺に近付いてくる。一体今日この日まで、どこに身を潜めていたのだろう。一言でいいから、連絡してほしかったな。

 祖母はずっと真尋さんの身を案じている。
 気の毒になるぐらいに。

 「これまで通り、これからも」

 ――。

 ああ、コイツは、

 「案ずるな、タクミ。祖母、いや、ママにはナイショにするぞ!」