静かだ。マヒロさんが戻ってくる前は、祖母が真尋さんとの思い出話をしてくれていたのに、それがない。俺から話したいこともないし。用意された食事を淡々と食べる。
「タクミくん」
祖母が箸を置いて、俺に「真尋を呼んできてくれない?」と命じてきた。
食事も半分以上進んだところなのに、来る気配すらない。部屋から物音ひとつしないところを考えると、眠ってしまったのかもしれない。
祖母の隣の席にマヒロさんの分の食事が用意されているところを見ると、祖母としても先ほどの話し合いに関しては一旦置いておいて、共に食卓を囲みたいのだろうな。
ここで「俺が?」と反論しようものなら、反感を買ってしまう。……まあ、俺が行くのが筋だ。その通りだと思う。ここはおとなしく従おう。俺は茶碗と箸を置いて、席を立つ。
「おい」
マヒロさんの部屋の扉をノックする。返事がない。よっぽど熟睡しているのか、それとも、俺の声が聞こえて引っ込んでしまったのか、どちらだろ。どっちにしろめんどくさい。メンヘラ彼女かな。
「夕飯、食べなくていいのか?」
今のマヒロさんには一つの身体に二つの魂が入っているようなもんだし、通常の人間よりもエネルギーの消費量は多い。いずれ片方は死ぬのだとしても、せっかく用意されているのだから食べたほうがいい。祖母も心配そうにこちらに視線を向けている。催促されているようで居心地が悪い。俺は懸命にやっているんだけど。そこから見えないかな。
「この時間に寝たら、夜眠れなくなるってこの前話してたじゃん」
はあ。
叩き起こすか。
俺はドアノブに手をかけ「あのさ」と話しかけながら開ける。
開けて、開けてしまったことを後悔した。
こんなことになっているのなら、先に言ってほしい。いつもそうだよ。心の準備ができていりゃあ、どうにでもなるのにさ。
マヒロさんは眠っていた。
しかし、それは――
「あ」
もう二度と、目を覚まさないものだった。
先ほどの「バタン」という床に倒れる音は、椅子が倒れる音で間違いなかった。でも台所からではない。この部屋からだった。マヒロさんは椅子に乗って、梁に縄を、テレビか何かで学んだのか、強固な結び方でしっかりと結びつけてから、その縄で首を吊って、
「なんで!?」
おかしいおかしいおかしい!
どうして、なんで、なんでこんなことを?
誰がこいつを追い詰めたの?
俺?
俺が悪いの? ねえ。俺が悪いことになんの?
メンヘラ彼女だと思っていたら本当に……本当に……。
「そんな、どうして、」
聞いても答えは戻ってこない。
理由はわからなくとも、この身体を床に降ろしてあげないと。
呼吸は止まっていて、脈もなくて、その瞳は何も映していない。
俺は転がっている椅子を、おそらく、苦しくて足をバタつかせて倒してしまった椅子を起こして、上に乗ってからその縄をほど、……ハサミだ。ハサミを使おう。ハサミはどこ。ハサミハサミハサミ。この部屋にあるアイテムの位置、ぜんっぜんわかんねぇ。もしかしなくても自分の部屋戻って取ってきた方が早いんじゃあないの。
「……なんだこれ」
椅子から降りて、ハサミを探し始め、最初に目についたのは。
ハサミではなくて走り書きのメモ。
『これまで通り、これからも』
遺言ってやつ?
具体性に欠けていないか。
「真尋!?!?!?!?」
待っていられなかった祖母が、開け放った扉の外で絶叫した。
俺はそのメモをポケットにねじ込む。
「あ、」
「どきなさい!」
俺の弁明をさえぎると、祖母は椅子に乗っかって縄を解く。慣れてんな。主婦ならできるもんなんだろか。
マヒロさんの身体を抱きかかえてゆっくりと床に下ろした。されるがままになっている様子を見て、その死が確定的であると理解する。いや、まあ、ピクリとも動かないし息をしていないから、普通の人間なら明らかに死んでいるんだけどさ。
なんで死んだの。
おかしくない?
だってさ、マヒロさんは俺との子どもを産んで育てたいんじゃあなかったの。ここで死んじゃったらどうにもならないじゃん。ふざけんなよ。
「あのさ」
「あなたは何なの」
俺は。
「父親が父親なら、子も子ね?」
は?
は???????????
「どうしてわたしから、娘を奪っていくの!?」
あー。そう来ますか。そう。ふーん。そう言ってくるんだ。
「あいつと一緒にすんじゃねェよ」
この俺に対して『生まれてこなければよかったのに』なァんて本気で言ってくれたあの父親とおんなじ扱いされんのはムカつく。子どもに言っていい言葉じゃあないよ。本当に。めでたく俺はこう育ったわけで。
俺は、とっても可哀想。
「あいつはさ、あの父親は、どっかからあんたのその大事な娘を引っ掛けてきたわけ。俺は、たまたまばったり向こうからさ、事故のあとに何やってたのか知らねぇけど行方不明になってたのによ、フラフラ戻ってきて、ついてきたら実家まで帰ってきたわけだろ」
祖母はポカーンと口を開けている。マヒロさんの持っているタイムマシンのこと、この人は知ってんのかな。知っていたら今すぐにそのタイムマシンを使って死ぬ前に戻りそう。死んでいる今となってはどこにしまってあるかもわかんねぇけど。
「だからさ、俺は悪くないんだ。考えてもみてよ。再婚相手の息子に手を出すなんてどうかしてるだろ。避妊しないでセックスしまくって、案の定妊娠して、こっちが産まないでほしいって言ったら死んじゃうの? 死ぬのは別に、好きにしろって感じだけど、どうせ死ぬなら見つからないところで知らないうちに死んでくれよな」
一番楽な自殺方法が首吊りなんだっけ。成功率が高くて、コストもかからない。俺みたいに失敗することもあるけれど。一色京壱は飛び降りてたっけか、あれは無関係な人を巻き込んだりケガぐらいで済んで生還したりしてしまうらしいよ。
「真尋が無事に帰ってきてくれて、わたしは本当に嬉しかった。本当に、嬉しかったの」
ん?
聞こえなかった。
「出て行きなさい」
なんて?
「この家から出て行きなさい! 荷物をまとめて、もう二度と、この家に来ないで!」
なんでさ。俺は悪くない。何も悪くないじゃあないか。追い出されるようなことは何もしていない。
「え、……え?」
わけがわからない。俺は悪くないのに。もっと理論的に説明してほしい。俺にもわかるように、どうしたら俺を追い出すっていう話になるのかを教えてほしいよな。
それでも荷物をまとめる時間はくれるんだな。ひいちゃんのウサギのぬいぐるみは持っていっていいよね。元は俺が買ったものだから。棺に入れなかったのも俺の判断だから、灰にならずに今も手元にある。持っていこう。ぬいぐるみが持っていた髪の毛から、宇宙人が人間を復活させてくれるオチの映画があったような。俺はひいちゃんを蘇らせるのだから、持っていたほうがいい。きっとそういうこともできるはず。そのうち。今はできなくとも。
「あなたは人間じゃない」
それはおかしい。理論が飛躍している。名誉毀損じゃあないか。
人間じゃないわけないじゃん。
俺はあの父親に育てられて、周りからも頭がいいとか賢いだとか褒め称えられるような、一人の大学生。人間じゃないなんてことはない。どんな根拠があるってんだよ。なあ。証拠はどこにあんの。おかしいじゃん。勝手に言ってろよ。知らない知らない。
「ごめんね……」
祖母はマヒロさんの遺体を抱きしめて、泣き出してしまった。理由は教えてくれないか。あっ、そう。そうか。みんな俺のせいにするんだ。マヒロさんが死んだのは、俺のせい。そういうことにしたいんだろ。なら、そうしておけよ。おまえの気が済むんならな。
「ははは」
笑いたいわけじゃあないのに。
笑っていい場面ではないと、頭ではわかっている。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
それなのに、歯止めがきかなくなって。
この右手で口元を隠しながら、俺は哄笑していた。
「タクミくん」
祖母が箸を置いて、俺に「真尋を呼んできてくれない?」と命じてきた。
食事も半分以上進んだところなのに、来る気配すらない。部屋から物音ひとつしないところを考えると、眠ってしまったのかもしれない。
祖母の隣の席にマヒロさんの分の食事が用意されているところを見ると、祖母としても先ほどの話し合いに関しては一旦置いておいて、共に食卓を囲みたいのだろうな。
ここで「俺が?」と反論しようものなら、反感を買ってしまう。……まあ、俺が行くのが筋だ。その通りだと思う。ここはおとなしく従おう。俺は茶碗と箸を置いて、席を立つ。
「おい」
マヒロさんの部屋の扉をノックする。返事がない。よっぽど熟睡しているのか、それとも、俺の声が聞こえて引っ込んでしまったのか、どちらだろ。どっちにしろめんどくさい。メンヘラ彼女かな。
「夕飯、食べなくていいのか?」
今のマヒロさんには一つの身体に二つの魂が入っているようなもんだし、通常の人間よりもエネルギーの消費量は多い。いずれ片方は死ぬのだとしても、せっかく用意されているのだから食べたほうがいい。祖母も心配そうにこちらに視線を向けている。催促されているようで居心地が悪い。俺は懸命にやっているんだけど。そこから見えないかな。
「この時間に寝たら、夜眠れなくなるってこの前話してたじゃん」
はあ。
叩き起こすか。
俺はドアノブに手をかけ「あのさ」と話しかけながら開ける。
開けて、開けてしまったことを後悔した。
こんなことになっているのなら、先に言ってほしい。いつもそうだよ。心の準備ができていりゃあ、どうにでもなるのにさ。
マヒロさんは眠っていた。
しかし、それは――
「あ」
もう二度と、目を覚まさないものだった。
先ほどの「バタン」という床に倒れる音は、椅子が倒れる音で間違いなかった。でも台所からではない。この部屋からだった。マヒロさんは椅子に乗って、梁に縄を、テレビか何かで学んだのか、強固な結び方でしっかりと結びつけてから、その縄で首を吊って、
「なんで!?」
おかしいおかしいおかしい!
どうして、なんで、なんでこんなことを?
誰がこいつを追い詰めたの?
俺?
俺が悪いの? ねえ。俺が悪いことになんの?
メンヘラ彼女だと思っていたら本当に……本当に……。
「そんな、どうして、」
聞いても答えは戻ってこない。
理由はわからなくとも、この身体を床に降ろしてあげないと。
呼吸は止まっていて、脈もなくて、その瞳は何も映していない。
俺は転がっている椅子を、おそらく、苦しくて足をバタつかせて倒してしまった椅子を起こして、上に乗ってからその縄をほど、……ハサミだ。ハサミを使おう。ハサミはどこ。ハサミハサミハサミ。この部屋にあるアイテムの位置、ぜんっぜんわかんねぇ。もしかしなくても自分の部屋戻って取ってきた方が早いんじゃあないの。
「……なんだこれ」
椅子から降りて、ハサミを探し始め、最初に目についたのは。
ハサミではなくて走り書きのメモ。
『これまで通り、これからも』
遺言ってやつ?
具体性に欠けていないか。
「真尋!?!?!?!?」
待っていられなかった祖母が、開け放った扉の外で絶叫した。
俺はそのメモをポケットにねじ込む。
「あ、」
「どきなさい!」
俺の弁明をさえぎると、祖母は椅子に乗っかって縄を解く。慣れてんな。主婦ならできるもんなんだろか。
マヒロさんの身体を抱きかかえてゆっくりと床に下ろした。されるがままになっている様子を見て、その死が確定的であると理解する。いや、まあ、ピクリとも動かないし息をしていないから、普通の人間なら明らかに死んでいるんだけどさ。
なんで死んだの。
おかしくない?
だってさ、マヒロさんは俺との子どもを産んで育てたいんじゃあなかったの。ここで死んじゃったらどうにもならないじゃん。ふざけんなよ。
「あのさ」
「あなたは何なの」
俺は。
「父親が父親なら、子も子ね?」
は?
は???????????
「どうしてわたしから、娘を奪っていくの!?」
あー。そう来ますか。そう。ふーん。そう言ってくるんだ。
「あいつと一緒にすんじゃねェよ」
この俺に対して『生まれてこなければよかったのに』なァんて本気で言ってくれたあの父親とおんなじ扱いされんのはムカつく。子どもに言っていい言葉じゃあないよ。本当に。めでたく俺はこう育ったわけで。
俺は、とっても可哀想。
「あいつはさ、あの父親は、どっかからあんたのその大事な娘を引っ掛けてきたわけ。俺は、たまたまばったり向こうからさ、事故のあとに何やってたのか知らねぇけど行方不明になってたのによ、フラフラ戻ってきて、ついてきたら実家まで帰ってきたわけだろ」
祖母はポカーンと口を開けている。マヒロさんの持っているタイムマシンのこと、この人は知ってんのかな。知っていたら今すぐにそのタイムマシンを使って死ぬ前に戻りそう。死んでいる今となってはどこにしまってあるかもわかんねぇけど。
「だからさ、俺は悪くないんだ。考えてもみてよ。再婚相手の息子に手を出すなんてどうかしてるだろ。避妊しないでセックスしまくって、案の定妊娠して、こっちが産まないでほしいって言ったら死んじゃうの? 死ぬのは別に、好きにしろって感じだけど、どうせ死ぬなら見つからないところで知らないうちに死んでくれよな」
一番楽な自殺方法が首吊りなんだっけ。成功率が高くて、コストもかからない。俺みたいに失敗することもあるけれど。一色京壱は飛び降りてたっけか、あれは無関係な人を巻き込んだりケガぐらいで済んで生還したりしてしまうらしいよ。
「真尋が無事に帰ってきてくれて、わたしは本当に嬉しかった。本当に、嬉しかったの」
ん?
聞こえなかった。
「出て行きなさい」
なんて?
「この家から出て行きなさい! 荷物をまとめて、もう二度と、この家に来ないで!」
なんでさ。俺は悪くない。何も悪くないじゃあないか。追い出されるようなことは何もしていない。
「え、……え?」
わけがわからない。俺は悪くないのに。もっと理論的に説明してほしい。俺にもわかるように、どうしたら俺を追い出すっていう話になるのかを教えてほしいよな。
それでも荷物をまとめる時間はくれるんだな。ひいちゃんのウサギのぬいぐるみは持っていっていいよね。元は俺が買ったものだから。棺に入れなかったのも俺の判断だから、灰にならずに今も手元にある。持っていこう。ぬいぐるみが持っていた髪の毛から、宇宙人が人間を復活させてくれるオチの映画があったような。俺はひいちゃんを蘇らせるのだから、持っていたほうがいい。きっとそういうこともできるはず。そのうち。今はできなくとも。
「あなたは人間じゃない」
それはおかしい。理論が飛躍している。名誉毀損じゃあないか。
人間じゃないわけないじゃん。
俺はあの父親に育てられて、周りからも頭がいいとか賢いだとか褒め称えられるような、一人の大学生。人間じゃないなんてことはない。どんな根拠があるってんだよ。なあ。証拠はどこにあんの。おかしいじゃん。勝手に言ってろよ。知らない知らない。
「ごめんね……」
祖母はマヒロさんの遺体を抱きしめて、泣き出してしまった。理由は教えてくれないか。あっ、そう。そうか。みんな俺のせいにするんだ。マヒロさんが死んだのは、俺のせい。そういうことにしたいんだろ。なら、そうしておけよ。おまえの気が済むんならな。
「ははは」
笑いたいわけじゃあないのに。
笑っていい場面ではないと、頭ではわかっている。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
それなのに、歯止めがきかなくなって。
この右手で口元を隠しながら、俺は哄笑していた。