無職のススメ、元社畜の挑戦日記


**無職57日目(10月27日)**

今日は選挙の日。この心太朗、恥ずかしながらこれが人生初の選挙だった。年齢的にはもう何度も行けるタイミングはあったのに、なぜか今まで行ったことがない。

思い返せば、選挙権を得た頃、心太朗はバンド活動に明け暮れていた。あの頃のバンドマンたちの間では「選挙に行こう!」ムーブメントが盛り上がっていて、SNSなんかで「俺たちの声を届けようぜ!」とか呼びかける投稿が飛び交っていたものだ。しかし、心太朗はというと、なぜかこの「選挙に行こう」ブームに反発心を抱いていた。何故か「そういう活動する暇があるなら、曲を一曲でも多く作れよ」と思い込んでいたのだ。いや、今思えばそんな変な尖り方は必要なかったし、普通に選挙行っておけばよかっただけの話だ。それがどれだけ無意味だったかは、今の自分を見れば分かる。バンドも解散、無職生活だ。

そんな心太朗だが、実は政治には興味があった。バンド時代、ロックと政治は一心同体みたいなものだと思っていた。ボブ・ディランとか、セックス・ピストルズとか、音楽で社会にモノ申してた先人たちに憧れていたのだ。「俺もいつか、そういう熱いメッセージを…」と夢見ていたものの、実際には何も言わないどころか、選挙にすら行っていないというヘタレっぷり。

その後、バンド活動もひと段落し、心太朗は社会人として新しい生活をスタートさせた。だが、今度は仕事が忙しすぎて選挙どころではなかった。連日、朝から晩まで働いて、帰る頃にはクタクタ。休みがあっても疲れを取るだけで精一杯で、「選挙に行く元気なんてない」と思ってしまっていた。結局、「選挙に行かなかった理由」にバンドと激務の二つが追加されて、年を重ねてきたわけだ。

今回、ようやくその殻を破ることに。生まれてくる子どものためにも、ちゃんと一票を投じようと決意した。

朝からドキドキしながら、入場整理券を握りしめ、地元の小学校へ向かう。妻の澄麗は、「子どもが通うかもしれない学校を見れるなんて!」と妙にテンションが上がっている。「さすが母親…俺も見習わなきゃな」とぼんやり思う心太朗。

母校ではないが、久しぶりに小学校に足を踏み入れると、すべてが小さく見えた。27年ぶりに見る小学校は、まるで自分が巨大化したかのような錯覚を覚えるほどだ。「俺、こんなちっちゃい机で勉強してたのか…」なんて妙にしみじみしていると、気づけば投票場に到着していた。

受付に行き、自分の町の名前を告げると、無表情で投票用紙を渡される。受付の人たちは、まるで犯人を監視するかのような厳しい目つきでこちらを見ている。もちろん、不正なんて考えてもいないが、そういう目線を感じると、なぜか体が勝手に緊張してしまうのだ。「あぁ、何もしてないのにドキドキする…なんか悪いことしてたかな?」と考える心太朗。いや、してない。してないけど、変な汗が出る。

一通りの投票を終え、校門の前で澄麗と合流。選挙が終わってスッキリしたのか澄麗は上機嫌だが、「確か誰に投票したかは言っちゃダメだったはず」と思い、選挙の話題には触れずにそのまま別行動。心太朗はチョコザップ、澄麗はケーキ屋へ向かうことになった。どうやら、お互いにご褒美タイムが必要だったらしい。

家に帰ると、選挙特番が流れていた。これまでは正直スルーしていたが、自分で投票したあとに見ると、妙に面白い。「この地区ではこの候補が強いのか…」と地元の選挙情勢にも興味が湧いてきた。まるで「俺も選挙の一部」みたいな気分になっている自分が、少し笑えてくる。

今は無職の心太朗だが、産まれてくる我が子のために、一国民としてしっかり一票を投じた。少しは大人になれたかなと思いながら、心太朗は新たな一歩を踏み出した気分になっていた。

**無職58日目(10月28日)**

心太朗は、久しぶりに姉の家族が帰ってくるという知らせを聞いて、内心で小さな喜びを抱いていた。姉は15年以上前に遠くへ嫁いで以来、年に一度か二度しか会わない。お盆や年末年始の慌ただしい時期に合わせて帰ってくるが、仕事に追われていた時代には、帰宅後の夜遅くにほんの数分しか会えなかった。だが、今は無職。日々の時間は無限に広がっていて、姉の帰省を心待ちにする気持ちは、少し懐かしいものでもあった。

澄麗と一緒に実家に向かうと、久しぶりに見た姉は相変わらずの元気な笑顔で、澄麗のお腹を見て「うふふ」と嬉しそうにしている。心太朗はその様子を見て、思わず微笑んだ。「こりゃまた色々と聞かれるな…」と、少々覚悟を決めたのは言うまでもない。

中学三年生の甥は、昼間に都心で食べ歩きを満喫していたらしく、今はぐっすり眠っているという。心太朗が甥を幼いころ、遊園地や動物園に連れて行ったことを思い出すと、ちょっとした懐かしさがこみ上げてくる。しかし、甥の身長は185センチに達しており、心太朗の180センチを軽く越えてしまった。甥が登場した瞬間、心太朗は「こいつ、マジでデカくなったな」と驚きの声を上げそうになったが、結局言葉にはしなかった。

甥は声変わりしていて、挨拶も軽く済ませると、スマホを手に持ってソファに直行。昔は「コタローおじちゃん!」と懐いていたあどけない少年は、今やただの「無口の青年」と化している。心太朗は、「ああ、俺も15歳の時はこんな感じだったな」と少し寂しい気持ちになる一方で、甥が成長するのを見守るのは嬉しいことでもある。ちょっとした寂しさを抱きながら、甥を無言で見守る心太朗だった。

夕食の席では、案の定、姉が「子供の名前はもう決めてるの?」と質問攻めを開始。実は心太朗と澄麗はすでに名前を決めていたが、その名はここでは秘密にすることにしていた。なぜなら、父が「産まれるまで楽しみにしておきたい」と言っていたからだ。「ロマンチストな親父だな」と心太朗は思いながらも、「後で言うからさ」と流しておくことにした。

が、母と姉は勝手に憶測を飛ばし始め、「キラキラネームは嫌だ」「読みやすい名前がいいよ」「やっぱり『ケンジ』とか『ケイイチ』みたいな素朴な名前がいいね」と口々に言う。心太朗と澄麗は、目を合わせて吹き出しそうになり、思わず笑ってしまった。「こうして名前の話題が続くと、なんだかオーディションみたいだな」と心太朗は思う。

食事が終わり、実家に帰りつくと、父がキッチンでひとり酒を傾けていた。姉が静かに「で、名前は?」と再び問いかけると、心太朗はついに口を開いた。「健一…だよ」と。

驚く姉と母。「今どきそんな古風な名前?」「今時あんまりいないんじゃない?」と意外そうな表情を浮かべるが、心太朗と澄麗にとっては、他にないぴったりの名前なのだ。この名前は澄麗が提案したもので、「健康第一」という、これ以上ないくらいシンプルな理由がある。いくつか候補はあったが、彼女がこの理由で自信満々に笑っていたのを見て、心太朗は自然と「これだな」と思った。

秘密の名前を知った姉は、「次に会う時は健一くんもいるのね」と微笑む。甥には受験頑張れよと軽く励まし、家族の別れを告げる心太朗。「次は健一と一緒に遊んでくれよな」と甥と約束し、実家を後にした。

その帰り道、心太朗はふと、愛おしい未来の一コマを思い描いていた。心太朗の心の中には、次の出会いへの期待と、少しの緊張感が渦巻いていた。次回会う時、甥は健一をどう思うのだろうか。それを考えると、心太朗の心はちょっと温かくなった。

こうして、心太朗の家族との夕食は、懐かしさと新たな期待が交錯する、心温まる一夜となったのだった。次は健一も一緒に、きっと楽しい時間を過ごすことができるだろう。心太朗は、「いい名前を付けたな」とニヤリと笑い、明るい未来を思い描きながら帰路についた。

**無職59日目(10月29日)**

心太朗は、仕事を辞めてもうすぐ2か月が経とうとしていた。振り返ってみれば、辞めた当初は何だか人間らしい心を取り戻した気分になっていた。あの時は、「ああ、仕事ってやっぱり無理してやるもんじゃないな」と自分に言い聞かせていた。澄麗に優しくなれたのも、日々の忙しさから解放されたからだ。食事も美味しく感じられ、久しぶりに草木や動物、虫たちに目を向ける余裕ができた。空を見上げるなんて、数年振りに感じる瞬間もあった。

しかし、次第に慣れが生じてくると、人間とは贅沢な生き物であることを心太朗は実感する。何もない日々が続くと、退屈を感じるようになり、社会から外れることにも慣れてしまうのだ。気がつけば、日記小説を書いている自分も、ネタが尽きてきてしまった。「これではいけない、何か面白い出来事を書かなきゃ」と焦る心太朗。しかし、彼の日常には特別な出来事などなかった。

「暇かと言われればそうでもない」と心太朗は思う。朝はゆっくり起き、コーヒーを飲みながらボーッと過ごす。そして、神社へ散歩し、チョコザップで運動をし、帰宅して日記小説を書く。書き終わると、X(旧Twitter)でフォロワーたちとやりとりを楽しむ。澄麗と買い物や図書館に出かければ、気づけばもう夕方。「あれ、まだ昼だと思っていたのに、なんでこんなに日が暮れてるの?」と地球にツッコミを入れる。

夕食を準備して、食べて、本を読んだり、ギターを弾く。その後、寝る支度をすれば、あっという間に一日は過ぎて行く。心太朗は思った。「忙しくはないが、暇でもないって、なんか矛盾してないか?」と、頭をかしげる。仕事を辞めたらもっと時間があると思っていたのに、意外と1日は短い。どこかで聞いた「自由ができると、逆に面倒くさくなる」という言葉を思い出す。

日記を書くネタが尽きるのは恐ろしい。心太朗は、書くネタがないことに嘆いていた。「これでは、読者もつまらないだろうな。『心太朗の毎日は退屈だな、こいつ何やってんの?』と思われるのが目に見えている」と、内心焦っていた。とはいえ、これから子供が生まれる予定だし、大きな転機が待っている。そんな未来を楽しみにしている自分もいた。

「何か大きな変化を起こさなければいけないのかもしれない」と心太朗は思った。「でも、どうしたらいいんだろう?何か行動を起こさなければ」と。しかし、今は日記小説を書くくらいしか社会とは繋がりがない自分がいた。

結局、心太朗は考え込んだ。「どうしたものか?」と。現状には「何をしてもいい自由」があるのに、実際に行動に移すとなると躊躇してしまう。もしかしたら、自分が求めているのは「何かをすること」ではなく「しないこと」なのかもしれない。そんな自分を笑い飛ばしながら、心太朗は自分の日常を見つめ直すことにした。これからの彼の行動がどうなるのか。彼の冒険は、まだ始まったばかりだ。

**無職60日目(10月30日)**

心太朗は、今日は澄麗と一緒にお宮参りの準備をすることにした。赤ちゃんが産まれてからは、心太朗はバタバタする日々が続くことを察していたので、ある程度は決めておかないといけない。いや、正直言うと、どれだけ準備しても、赤ちゃんのペースには勝てないだろうなと思いつつも。

まずはお宮参りの日の食事をどこでするかという話になった。チェーン店での食事という案もあったが、澄麗の両親がわざわざ隣の県から来てくれるのだから、どうせならその土地の美味しいものを味わってもらいたい。心太朗は、ご当地を選ぶことで、「おもてなし」を強調する作戦に出た。「おもてなし」という言葉に内心ニヤニヤしている心太朗だが、実際は「いいとこ連れて行ったら、良い父親と思われるかな」とも思っていた。

そこで近くにある有名な神社を思い出す。澄麗と共に、実際にそのお店で食事をすることにする。お店に着いてメニューを見ていると、よもぎそば、おでん、ちらし寿司がセットになったサービスセットが登場した。心太朗は「うまっ!」と声を上げてしまったが、「庶民的」な味だと感じた。お店は堅苦しい印象もなく、何より生後1か月の赤ちゃんを連れて行くことを考えると、座敷があるのは大変ありがたい。心太朗は、赤ちゃんが泣き出したり、授乳したりとバタバタする姿を想像しながらも、「ここで家族みんなで楽しく食べる姿を思い浮かべるだけで幸せだ」と心の中でニヤニヤしていた。
食事が終わった後、賑わった参道を歩きながら、心太朗は澄麗の両親が楽しんでくれる姿を思い描いていた。もうここに決めた、と心太朗は胸を張った。

次は、お宮参りの写真撮影の下見のため、神社の近くにある写真館へ向かうことにした。心太朗は赤ちゃんの衣装を見て、思わず声を上げた。「これはかっこいいな!」と目を輝かせ、澄麗も「これも可愛いね!」と同調する。二人は、色とりどりの祝着や小物を見ながら、まるで子供のようにはしゃいでいた。

カッコよく可愛らしいデザインが並ぶ中で、心太朗は特に一着の衣装に目を奪われた。それは、鮮やかな朱色の着物で、金色の刺繍が施されていた。澄麗もその姿を見て、「この色は健一に似合いそう!」と嬉しそうに言った。健一の姿はまだわからないが、彼女の中ではイメージができているらしい。
二人は、写真館での撮影の日を想像しながら、楽しいひとときを過ごした。お店のお姉さんも、その楽しそうな姿に微笑んでいた。

その後、恒例の別行動となり、心太朗は「チョコザップ」に行くことに決めた。一方、澄麗はショッピングに行くことに。お互いの趣味や好みを楽しみつつ、約束の時間にまた集合することにした。

「じゃあ、後でね!」と元気に手を振りながら、心太朗はチョコザップへ向かう。一方、澄麗は買い物の楽しさに心を躍らせながら、街の中へと消えていった。

お互いの時間を潰した後、家に帰って澄麗と話す時間がやってきた。赤ちゃんとの対面が楽しみで仕方がない心太朗は、「お宮参りだけでなく、100日祝い、ハーフバースデー、初節句、お七夜なんてのもあるらしいぞ!」と、さも自分が知識人かのように語った。しかし、澄麗はもう既に調べ済みで、恥をかいた。

さらに、七五三や運動会のことを考え、心太朗は「これからが楽しみだ」と笑顔を見せた。働いている時には、こういった行事に参加できなかったであろう激務の日々を振り返りながら、家族を優先して良かったと心底思った。「夢が広がって、いや、広がりすぎて目が回るな!」と思いつつも、心太朗は心の中で「この幸せな日々がずっと続くといいな」と願っていた。

その瞬間、心太朗は赤ちゃんのために奮闘する父親の未来像を描き、笑いながらも心温まる思いで一杯になったのだった。

**無職61日目(10月31日)**

心太朗の最近のルーティンを紹介しよう。理由は二つある。第一に、ネタがないからだ。無職生活が安定してしまったために、特に書くことがなくなったのだ。フォロワーから「日々のルーティンを書いてみては?」とアドバイスをもらったこともあり、それに従うことにしたのだ。第二に、無職生活が安定したおかげで、ルーティンが決まってきたからだ。精神的、肉体的にひどく疲労している日もあるが、最近はそうした日が減ってきた気がする。もしかしたら、これも生活リズムが整ってきたおかげかもしれない。

無職生活の初めは、「早起きしよう!」と頑張っていたが、無理があった。だって、そもそも早い時間に寝られないのだ。心太朗は、早起きよりも自分に甘くなることを選び、最近は早起きはできていないものの、日々が落ち着いてきている気がする。もともと夜型だったから、社会生活を送るには厳しい生活リズムだが、徐々に合わせていこうと思う。本当は、時間や場所に縛られない生活を望んでいるのだが、果たして叶うのかはわからない。スキルや経験もないから、何をしたらいいのかもよくわからないが、今は小説を書くくらいが自分の仕事だ。アマチュアの小説家ということにしておこう。

さて、心太朗のルーティンは24時間を3つに分けている。8時間は睡眠時間、8時間は自由時間、8時間は仕事時間だ。自由時間は、運動や食事はもちろん、ギターを弾いたり、本を読んだり、妻の澄麗と過ごす時間にしている。とにかく自由に過ごすのが大事だ。

仕事時間は無職だが、自分にとっての仕事として、小説を書いたり、ジャーナルをしたり、X(旧Twitter)をしたりする。主に自分と向き合う時間と、発信する時間にしている。将来に何か見出せたらいいと思っている。

最近の一日の主なルーティン(できすぎの日)は以下の通りだ。

• 10時:起床、ボーッとする
• 11時:歯磨き、ジャーナル、掃除など
• 12時:昼食、シャワー
• 13時:外出、主に澄麗と過ごす
• 17時:ジョギング
• 18時:日記小説を書く
• 19時:夕食
• 20時:イラスト作り、X投稿や返信
• 22時:ジャーナル
• 0時:澄麗と過ごす
• 1時:ジャーナルなど
• 2時:就寝

「10時に起床」と聞いて、遅いと思うかもしれないが、ここから18時までの8時間は自由時間なのだ。なぜ昼を自由時間にするのかというと、この時間は眠くなりやすいからだ。無職生活が長くなると、昼に眠くなる傾向がわかってきた。だから、10時と遅めに起きて、昼は自由に過ごすと、昼寝をしなくても大丈夫になったのだ。

まず、ココア味のプロテインを飲んでボーッと過ごす。目が覚めるのを待つなんて、まるで人生の理想を追い求める無職の姿だ。目が覚めてくると、歯を磨いてジャーナル。これが心太朗の日課の一部だ。ジャーナルは、朝の思考を整理して、一日を良くするためのもの。15分から30分くらいで終わるが、気が向いたらトイレを中心に掃除をする。まるでトイレを清めることで自分の心も清めるかのようだ。澄麗は朝昼が強いので、心太朗とは正反対だ。朝起きてパソコンで内職している彼女を見ると、心太朗は自己嫌悪に陥る。なんで自分はこの人の足元にも及ばないのか。

12時になると、ご飯の時間だ。心太朗は毎日、納豆と生卵を白ごはんにぶっかけて食べる。澄麗は食パン派。ご飯派とパン派に分かれた二人は、まるで国を分けるように一日のスケジュールを考える。「今日も無職だね」と心太朗がつぶやくと、「あなたが無職だからこそ、私が働いているのよ」と澄麗が笑いながら返す。このやりとりが毎日のルーティンだ。

ご飯を食べ終わったら、シャワーを浴びて神社に行く。お参りをした後は、その日によるが主に澄麗と過ごす。買い物に行ったり、チョコザップに行ったり、図書館に行ったり、用事を済ませたり。澄麗と一緒にいると、心太朗は「彼女に恥をかかせないようにしなきゃ」と、無職という肩書きが重くのしかかる。彼女は忙しいのに、心太朗はのんびりしているのだから。

家にいる時は、ギターを弾いたり、本を読んだりしている。心太朗の演奏は「上手くなった」と言いたいところだが、実際にはお世辞にも「上手」とは言えない。YouTubeを見たりしている間に、澄麗は内職をしたり、レシピを考えたり、ネットサーフィンをしている。そんな二人の対比を見ていると、心太朗はただただ自分の無力さを感じるのだ。

17時頃までには散歩がてらの買い物を済ませて、最近はジョギングに行くようになった。健康的な生活を目指しているわけだが、実際は「あまりにも身体が鈍っている」という無職特有の理由から来ている。澄麗は夕食の準備をしながら「あなたが走りたいなら、走ってらっしゃい」と言ってくれるが、心太朗はその優しさに甘えてばかりだ。

18時になると、心太朗は仕事時間だ。無職ではあるが、「仕事」と意識するようにしている。まずは日記小説を書く。前日やその日思ったことを無心で書き殴る。特に何もない日でも、感じたことだけは書く。そうすることで、ある種の達成感を得ようとしているのだ。それを基にして、台本のようなものを作って、ChatGPTに文章にしてもらう。完成した文章は、ある程度はできている。しかし、ChatGPTは不完全で、勝手にアレンジしたり、事実とは違うことや余計なことを書いたりするので、自分で修正するのが日課だ。

文章が完成すると、リード文とタイトルを考える。これがまた一苦労だ。おそらくここまでで1時間くらいかかるだろう。だいたいこの辺りで休憩がてら夕食の時間。澄麗と翌日のスケジュールや、もうすぐ生まれる赤ちゃんの話をする。この瞬間が心太朗にとって一番の幸せなのだ。

食事が終わると、次は小説に見合ったイラストを作る。イメージFXというAI画像生成サイトで最近は慣れてきたが、それでも30分から1時間かかる。全てが完成したら、日記小説をnoteに公開し、その後Xに投稿する。投稿が終わったら、Xのリポストの返信やフォロワーの近況を確認する。調子によっては「いいね」だけの日もあるが、コメントすることで相手に見ていると伝わると思っているので、気になった投稿にはコメントするように心掛けている。

フォロワーの投稿には励まされ、勇気をもらったり、共感することで孤独が和らいだりすることが多い。そのため、できるだけ投稿主であるフォロワーには感謝の気持ちを伝えたいと思っていて、コメントをするようにしている。もしウザかったらごめんね。

そうこうしているうちに、気づけば21時を過ぎている。休憩がてらシャワーを浴びて、さっぱりしたらパックをしながらパソコンに向かう。ここからは夜のジャーナルタイムだ。夜の方が頭が働き、集中できるので、夜は比較的長めに時間を取る。

もしかしたら、今まで頭が回ってネガティブになっていたのは、夜のこの時間に十分な表現をしていなかったからかもしれない。ネガティブな気持ちになっても、ジャーナルを続けることで、そこまで深く落ち込むことはない。書き出すことで思考が可視化され、スッキリしたり、運が良ければ問題が解決したりもする。

また、将来についても書くことが多い。本当にやりたいことや理想の生活を毎日確認し、できるだけ微調整をしている。翌日のイメージも頭の中に描きつつ、大まかなスケジュールを作っておく。あまり細かくは書かないが、流れを意識して整えている。

そうこうしているうちに、だいたい0時前になっている。心太朗は休憩がてら、澄麗と話をしたり、お腹をさすりながら健一に話しかけたりもする。「はじめての妊娠・出産安心マタニティブック」という本を2人で読むことが日課になっている。この本には、「お腹の赤ちゃんの成長が毎日わかる!」という売り文句通り、ママと赤ちゃんの変化が日ごとに細かく解説されている。毎晩そのページをめくりながら、赤ちゃんの成長を確認するのが楽しみだ。

本には出産までの日数もきっちり記されていて、残りがあと何日かを目にするたびに、少しずつ実感が湧いてくる。澄麗と共に成長を見守りながら、「本当にもうすぐなんだな」と心に刻み込む。

0時を過ぎると、澄麗はお風呂に入って、眠りにつく。心太朗は続けてジャーナルをしたり、翌日の小説の台本を軽く書いたり、画像を作ったりしている。別の小説である「カイケツAI」の構想をイメージしながら、2時くらいに眠くなり始めるので、そろそろ寝る準備をする。

だいたいこういう一日を過ごしているが、これは随分できた一日と言える。実際には、寝て過ごすだけの日もあるけれど、最近は少しずつ良くなってきている実感がある。日々のルーティンが整う中で、心のゆとりも感じられるようになってきた。


**無職62日目(11月1日)**


心太朗は、今日も妻・澄麗の妊婦健診のために病院へと向かう。ここからは週一ペース、つまり、この不安なドライブを三回続ければ、親になるのだ。心太朗は予定日を見越して、そろそろ緊張感を感じ始めている。特に、病院の前日はドキドキが止まらない。今日もご多分に漏れず、緊張で寝不足のまま、仕方なく3時間しか寝ていない。

「大丈夫だ、ナチュラルハイだから」と心太朗は自分に言い聞かせながら、車の運転を始めた。さすがに寝不足だから注意しないといけないが、運転中は意外にも眠気は感じない。退職してから何度もこの道を通ったおかげで、ようやく道を覚えた。これでいざという時にアタフタせずに行ける…はずだ。

車を走らせる中、ふと隣を見ると、澄麗は相変わらず少し元気がない。いつもそうだ。病院へ向かう道は、彼女にとってちょっとした試練のようだ。後から聞いた話だが、やはり病院に行くまでは不安があるらしい。


心太朗が退職後、図書館に通うようになった澄麗は、すっかり読書家になった。心太朗が借りた本まで読むほどだ。毎回、出産に向けた本を借りている彼女を見て、心太朗は「マジで母親になっていってる!」と内心で感心していた。彼女の知識量は心太朗の倍以上。もはや、心太朗の存在意義を脅かす勢いだ。

その甲斐あって、澄麗は出産への知識を得て、漠然とした不安がなくなったと明るく言っていた。「誰かが言っていた不安の正体は無知」という言葉が心太朗の頭をよぎる。しかし、澄麗はまだ少しの不安を抱えている。「ああ、やっぱり彼女はもう母親なんだな」と心太朗は思った。男としては、「妊婦の気持ちがわかるわけないよな」と情けない気持ちが沸き起こる。


2人は、車を運転してから2時間かけて病院に到着。澄麗は毎度お馴染みの流れで、検尿と血液検査を終え、診察を待つ時間に突入した。その間、心太朗は自分の時間を持つために日記を書いたり、イラストを描いたり、X(旧Twitter)を楽しんだりするのが習慣だ。今日は心太朗が日記に向かっている途中、澄麗が戻ってきた。彼女は診察だけのため、いつもより早く終わった様子。結局、日記は書き終えずにしまい込むことになった。

約1時間の検診が終わると、改めて思った。病院での診察よりも、往復の移動の方が圧倒的に時間を要する。しかし、この道中が実は澄麗との貴重なドライブタイムになっているのだ。心太朗はそのことをつくづく感じながら、運転に専念していた。

さて、彼らの赤ちゃん・健一の成長ぶりは順調そのもの。なんと、体重は2700g!エコーで見る度に、健一は顔を隠しているらしい。まるで「恥ずかしがり屋」のサインを送っているかのようだ。心太朗はそんな健一を指して「おい、顔を隠してじらしていると、ハードル上がるぞ!さぞ男前なんだろうな!」と澄麗と一緒にからかって笑った。

診察を終え、元気に育っていると聞いた澄麗は、不安が一掃され、すっかり元気を取り戻す。その瞬間、心太朗は安心感から一気に眠気がマックスに。


「運転するよ」と澄麗が言ってくれたとき、心太朗は少し心配になった。「大丈夫か?」と聞くと、澄麗は「逆に運転したい!」と嬉しそうに返す。「助手席は退屈だから、ちょっと運動したい気分」と。運動になるかは疑問だが、心太朗の眠気は最高潮。ここは素直に彼女に甘えることにした。

帰りの車の中で、二人は健一の話題で盛り上がった。「いよいよ人の親になるんだな」と心太朗はしみじみ思った。しっかりしなきゃ、と思いながらも、意外にも「本当に大丈夫なのか、自分」と不安も浮かんでくる。しかし、家に着く頃には、心太朗の頭はすっかり眠気に覆われてしまった。


心太朗は「申し訳ない、運転させちゃって」と心の中で謝りながら、ついに夢の世界に突入した。家に着いたときには、彼の脳内は完全にお休みモード。夢の中では既に赤ちゃんを育てる壮大な冒険が始まっているのかもしれない。

**無職63日目(11月2日)**

心太朗は、朝から雨音を聞きながらぼんやりと天井を見つめていた。空は暗く、どこまでもどんよりとしている。テレビをつければ、全国各地で警報が発令されては解除され、また発令される、そんなニュースが流れている。不安定な気圧が頭を押さえつけるような重さを感じさせ、加えて昨日の寝不足もあって、体調は絶好調とは程遠い。「まったく、どうして雨の日ってだけで、こんなにやる気が失せるんだろうな」と心太朗は心の中で毒づいた。

この数日前、心太朗は日記小説で自分の一日のルーティンについて綴った。それは、ちょっとだけ意識高めに見える一日で、いわゆる「できる自分」を描写したものだ。そのおかげでフォロワーからは「充実してますね」「見習いたいです」といったありがたい反応をもらったのだが、心太朗は内心こう思っていた。

「いやいや、これは出来過ぎの俺です」

実際には、彼の生活はルーティン通りにはいかない日がほとんどだ。特に、今日のように雨が降る日など、心太朗のやる気は霧散する。ルーティンなんて気分に左右される幻想に過ぎないのだ。今日はその気分が最高に悪い日で、布団から出るのさえ面倒くさい。

そんな心太朗に、ふと一つの疑問が湧いた。彼もまた、他人のSNSを見て「俺、遅れてないか?」と思うことがある。そして同時に、彼の日記を見て同じように焦る人がいるのだと気づく。

結局のところ、SNSに上がるのは日常の一部分でしかない。皆、カメラを向ける瞬間だけ、自分の一部を切り取っているようなものだ。本当は、心太朗のように「今日は何もしなかったな」と反省する一日を送っている人も少なくないのだろう。彼は思う、「逆もあるだろうな、何もしてなさそうな人が実は裏でめちゃくちゃ努力してたりして」。

「他人の本当の姿なんて見えないんだよな」と心太朗はしみじみとした。自分のことは全て見えるから、「自分はなんて怠け者なんだろう」と感じてしまう。でも、他人の良いところだけを知っていると、無意識にその人と自分を比べてしまい、自分が遅れていると錯覚してしまうのかもしれない。

「もしかして、俺たちは自分の怠けてる姿ばっかりにフォーカスしてるんじゃないか?」と、心太朗は一人ごちた。隣の芝は青く見えるとはよく言ったもので、ちょっとした瞬間の努力だけで満足する人もいるかもしれないのに、彼らの成功だけを見て自分の失敗と比べるのは滑稽かもしれない。どこにフォーカスするかで、日々の気分も変わるというのに。

考えてみれば、昔働いていた職場では、心太朗は「自分が一番頑張ってた」と思っていた。周りは堂々とサボっている奴らばかりで、心太朗がコソッとサボるのすら、正直気まずいぐらいだった。とはいえ、誰がどう見ても、心太朗が一番働いていたと自負している。「でも、それって、ただ一日中一緒にいたからかもしれない」と思い直した。13時間も同じ空間にいれば、サボる姿も頑張る姿も見える。だからこそ、「俺が一番頑張ってる」っていう自信にもなっていたのだろう。

心太朗は、ソファでごろごろしながら、ふと世の中の人々を見渡して思うのだった。「久しぶりに会った友人たちとか、テレビに出てるキラキラした人たち、YouTubeの『効率アップの達人』みたいな人たち、SNSで充実した毎日をシェアしてる人たち…みんなすごく見えるけど、実際あの人たちも家じゃ怠けてるよな?」そう自分に言い聞かせた。

問題は、自分の怠けぶりが自分には丸見えだってことだ。「ああ、怠けてる…今日も何もしてない…」と自覚していると、まるで自分だけが世界一の怠け者なんじゃないかって気分になる。しかし、心太朗はある仮説にたどり着いた。「いや、違う。人間みんな怠け者だ。見えないところでしっかり怠けてるはずだ!」と。

もし自分が怠けていると思うなら、「よし、みんなも見えないところでサボってる」と思えばいいのではないか?そんな風に心太朗は自分を励ますことにした。

「ほら、自分だけじゃない、みんな怠け者なんだ!」と心の中で喝を入れてみるが、どこかでまだ納得しきれない自分がいる。「怠けてる自分を許せない?理想が高すぎるんじゃないか?」とまた自問する。心太朗は理想を持つことの大切さもわかっているが、自分に無理難題を押し付けるのは別問題だ。

彼はふと、もし自分の中に「親」と「子ども」の二人がいると考えたらどうなるかと妄想を広げた。親である自分が子どもの自分に「もっと頑張れ!」「他の子はしっかりやってる!」と理想を押しつけ、期待を裏切られるたびにガッカリしていたら、子どもはどう感じるのだろう?他所の子どもと比べられてばかりいたら、そりゃ嫌にもなるだろう。もしかして自分は自分にとっての毒親なんじゃないか?

心太朗はふと苦笑した。「いやいや、俺が自分に毒親かよ…って、まぁ、ちょっと当たってるかもな」。怠けている自分を許せず、他人と比べて落ち込む心太朗は、どうやら「親の自分」が強すぎるようだ。たまには「子ども」の自分に甘やかされる喜びを与えてやるべきなのかもしれない。そう思うと、心が少し軽くなった。

そして、今日もまたそんなやる気のない日だった。朝から「ルーティン崩壊の音がする」と思いながら、目は覚めたものの頭は完全に夢の中。どれだけ時間が経っても脳がシャキッとしない。「ああ、やる気が出ない…でも、ソファが俺を離してくれない…」と言い訳しながらゴロゴロしていると、眠気が再び襲ってきた。

何もしていないのに眠いなんて、どれだけ甘やかされた体なんだよと心太朗は内心突っ込みつつ、結局昼過ぎに仮眠を取ることにした。その間に、妊娠中の妻、澄麗は一人で買い物に出かけてくれていた。「相当ぐうたらしてるな…」と反省しつつ。

夜になってようやく少し元気が出てきた心太朗は、「今だ!」と日記小説を書き始め、なんとかSNSで軽い交流もこなした。今日一日を振り返って、昼間をダラダラと過ごしたことを責める代わりに、「夜になってでも少しできたことを褒めてやるか」と思った。まるで、親が子どもを優しく見守るような気持ちだ。「今日は少しでもやった。えらい、心太朗!」と自分に拍手を送り、気分は少しだけ上向いた。

もしかしたら、人は皆、本来は子どもで怠け者なのかもしれない。だからこそ、時には自分の怠けを認めてあげることも必要なのだ。これは自分自身のためでもあるが、これから産まれてくる健一に、理想を押し付けないために必要な考え方だと思った。心太朗はそんなことを考えながら、眠気を抑えきれず、またソファに身を沈めていった。

**無職64日目(11月3日)**

心太朗は、いつも毎月初めにやってくる「家計反省会」を少し憂鬱に感じながらも、澄麗と共にファミレスに足を運んだ。この会議は家計管理をする日であり、いわば家計の「決算発表」ともいえる大イベントだ。ファミレスに着くなり、ドリンクバーでお得にカフェ気分を味わいながら、ピザも頼んで小腹を満たす。まるで少しの楽しみを挟まないと、辛すぎてやってられないような日なのだ。

「よし、やるか…」と、心太朗はパソコンを開いた。今月の支出がどれだけ嵩んだかを見なければならない瞬間に、なんだか心臓がドキドキしてきた。「怖いもの見たさ」とはまさにこのことだ。

先々月はまだ有給消化中で、先月ようやく最後の給料が振り込まれた。来月からはいよいよ「無収入」のリアルがやってくる。「ま、まだ大丈夫…きっと節約すればやっていけるさ…」と自分に言い聞かせるも、そんな自信は実はほとんどない。家計簿を開くたびに、自分がどれだけお金に無防備だったかを再確認するだけだ。

家賃や光熱費などの固定費が約8万円。それはまあ予想通りだ。通信費が約1万円か…まぁ予想通りだ。そして食費が4万円。ここで心太朗は一瞬「我が家の食費って高いのか?まぁ一般的か。」と楽観的になろうとしたが、澄麗の「外食多すぎかもね?」の一言で現実に引き戻される。

そう、外食費が約1.5万円。少しのご褒美の気持ちが、この数字に至っているのだ。日用品1万円はまだ許せる。だが交通費とガソリンが0.6万円…どこにも行ってない割には妙に高い。まぁ病院に行くから仕方ないか。

次に医療費が約2.5万円。これは澄麗と産まれてくる健一の検診のため、当然の支出だ。

両親の誕生日に約1.7万円を使っている。「これは愛の出費だから…」と一瞬ポジティブに捉える。そして、趣味や嗜好品に約1.7万円。これが使いすぎのような気がする。約半分は心太朗の煙草であるからいよいよ辞めるべきか、、、。

合計、約23万円。心太朗は深いため息をついた。「うーん、どこを削ればいいんだ?」と、澄麗に相談してみると、即座に「外食と趣味を減らした方がいいかも?」と冷静に指摘された。やはりそこか…分かってはいるけれど、外食のちょっとした贅沢や趣味への投資が、心太朗の数少ない「癒しの時は」なのだが、まぁ削るならここだわな?

「他の家庭は一体どうやって生活してるんだろうな…」と、ファミレスの隣のテーブルの家族連れに目をやりながら、心太朗は考えた。隣の家族は幸せそうにハンバーグをほおばっている。彼らは一体どこで節約しているのか、アドバイスをいただきたい。そんなことを考えつつ、またピザの一切れを口に運ぶ。

「まあ、なんとかなるさ」と心太朗は自分に言い聞かせた。しかし、その内心は、まだまだ節約に踏み切れない自分への小さな苛立ちと、少しの諦めが混ざった、複雑な感情でいっぱいだった。

心太朗は、目の前に広がる「父になる」という現実に対して、妙にのんびりした自分を責めつつも、いよいよ焦り始めていた。「悠長なことを言ってる場合じゃないんだぞ、心太朗」と自分に言い聞かせるものの、どうにも頭の中はまだお花畑状態。「ああ、フリーで働けたら最高なんだけどなあ…好きな時に、好きな場所で、好きなだけ…」なんて、夢物語ばかりがふわふわと頭をよぎる。だが現実はそんなに甘くない。心太朗には、「好きなだけ」どころか「何かできること」すら思い浮かばないのだ。

思い切って澄麗に「フリーで働くのってどう思う?」と相談してみたところ、彼女は意外にも「いいんじゃない?」とあっさり背中を押してくれた。

「もちろん、安定した収入はあるに越したことないけど、あなたがやりたいことをしてほしいの。今まで本当に無理してきたんだから、それくらいしてもバチは当たらないよ」と、澄麗はにっこりと微笑む。彼女の明るさにはいつも驚かされる。「それに、好きな時間と場所でできるなら、健一のお世話も手伝ってもらえるし、あなたの夢だった子供の運動会にも行けるじゃない!前の仕事だと、そんな余裕なかったでしょ?」

「たしかに…」と心太朗は思い返す。忙殺される日々の中、澄麗が「無理しないでね」と送り出してくれるたびに、彼は「じゃあ、誰が無理してくれるんだよ」と、ぶっきらぼうに返していた。本当にひどい男だった。だが彼女は、そんな心太朗の横で、いつも笑顔で支えてくれたのだ。そして今も、甲斐性なしの自分に一度も不満を口にすることなく、彼を励ましてくれる。

そんな澄麗の姿に改めて胸が熱くなった心太朗は、思わず「俺、なんかやれることあるかな?」と聞いてみた。すると、澄麗が「小説を出版してみたら?」と、なんともあっけらかんとした答えを返してくる。彼女はいつも前向きだ。「そんな簡単にできるもんじゃないよ」と苦笑する心太朗に、「でも、やってみるだけタダでしょ?」と、まるで当たり前のように澄麗は言う。

実は、彼女は心太朗が日記小説を書いている時や、X(旧Twitter)のフォロワーたちが反応してくれた話をしている時が楽しそうだと以前から気づいていたらしい。「きっと、あの頃の辛そうな俺には戻ってほしくないんだろうな」と、心太朗は彼女の優しさに気づき、少しだけ無謀な挑戦をしてみようかなと思い始めた。

「小説家を目指すって、正気じゃないよな、俺…」と頭をかきながらも、彼の心にはほんの少しの勇気が芽生えていた。

夕陽が沈みかける帰り道、心太朗は澄麗とお腹の中の健一を見つめながら、自分の心に問いかけていた。柔らかな橙色の光が二人を包み込み、まるで未来を照らす希望のようだった。

「こんなに漠然とした夢を追いかけてもいいんだろうか…」

彼女と子供を守るためには、安定した収入も必要だ。それはわかっている。しかし、自分が本当にやりたいことを諦めるべきなのか、心は揺れていた。

ふと、隣で澄麗が優しくお腹をさすりながら、にっこりと微笑んだ。その表情には、不安なんて微塵も感じられない。まるで、どんな道を選んでも大丈夫だと伝えてくれているようだった。

心太朗は深呼吸をして、少しだけ気持ちを固める。「まだ覚悟は決まらないけれど…でも、一歩ずつ進んでみようか。」

澄麗と健一のために、そして自分のために。

**無職65日目(11月4日)**

心太朗は毎日10時に起きる。彼曰く「10時起きが一番体に合っている」とのことだ。どうやら「早起きは三文の得」なんて言葉は彼の辞書には存在しないらしい。そう、8時間ぐっすり眠って、昼寝も不要という絶妙なバランスを保っている。朝型人間には「怠け者」なんて思われるかもしれないが、心太朗にとってはこれが「健康法」なのだと、彼は至って真面目に信じている。

さて、目覚めた後はボケーっとテレビを見つつ、ようやく「そろそろ動こうかな」と意識が芽生える。そんな彼の計画に割り込むかのように、妻の澄麗が「私も一緒に行きたい」と言い出した。どうやら出産に備えて運動量を増やす必要があるらしい。出産の本を読んでモチベーションも高まっている澄麗に、「まあ、付き合ってやるか」と心太朗はふわっと答え、二人で神社へ向かうことになった。

神社に到着すると、そこは想像以上に賑やかだった。境内では七五三で盛り上がっており、綺麗に着飾った子供たちと親たちでいっぱいだ。そんな光景に、心太朗はつい心の中で呟く。「女の子は着物を着て、おしとやかに見えるのに、男の子はどんなに正装しても結局はしゃぎ回ってるのは何でだろうな…」精神的な成長の違いを感じつつも、心太朗は将来生まれてくる健一が同じようにわんぱくに跳ね回る姿を想像して、思わず澄麗と顔を見合わせて笑った。

その後、図書館へ足を運ぶ。心太朗は読みたかった本を予約していたのだが、残念ながらまだ入荷していなかった。期待していた分、少しがっかりしながらも澄麗だけが本を2冊借りる。彼女はまたしても出産や育児の本だ。どうやら彼女の勉強熱心さは心太朗の睡眠重視と同じくらいの「信念」らしい。

澄麗を家に送り届けた後、心太朗はひとりでチョコザップへ向かう。怠け者の極みのような彼だが、意外にもジムでは真剣に汗を流している。チェストプレス、ラットプルダウン、レッグプレスをそれぞれ15回3セットこなし、ランニングマシンで20分走るのが彼の「最近の定番メニュー」だという。「これだけやれば十分だろう」と自分に言い聞かせながら、心太朗は満足げにジムを後にした。

家に帰り、X(旧Twitter)を確認すると、フォロワーが「昼から家事しながらお酒を呑んでいる」投稿をしているのを見かける。これに触発されて、心太朗もつい「ハイボール一杯だけ」と言い訳しながら手を伸ばす。ところが、一杯飲むだけで気分が少し沈んできて、改めて自分が「呑まない派」だと実感する。結局、普段飲み慣れないせいか、ほんの一杯で妙に眠くなってしまった。

その後、心太朗は、先日もらったマグロの柵を目の前に、しばし手を止めた。妊娠中の澄麗がナマモノを控えているため、刺身は自分だけのお楽しみだ。元料理人として、ここは腕を見せるところ――だったはずなのだが。

彼は久々に包丁を取り出してマグロを捌き始めた。以前なら軽々とできたはずの作業が、今日はどうにもぎこちない。握りも感覚も鈍っていて、包丁さばきがぎこちない。「おかしいな…毎日魚を捌いていたのに」と嘆きつつ、心太朗は苦笑する。そもそも「そんなに技術あったっけ?」というツッコミが自分の中で湧いてくるが、今更それを認めるわけにもいかない。しかし、かつて仕事では感じなかった「楽しい」という気持ちがあることに気づき、ふと頬が緩む。

「技術の衰え」よりも深刻なのは、退職してから、心太朗はふとした時に「体の衰え」というものを実感するようになった。散歩やチョコザップで多少の運動はしているものの、13時間も働きづめだった頃に比べればその運動量は微々たるもの。Apple Watchを見ると、ここ数ヶ月で心肺機能が徐々に衰えてきたことがはっきりと数字で示されていた。「これじゃあ、過労死の心配はなくなっても衰え死しそうだな」と、彼は苦笑しつつも焦りを感じ始めた。

そんな中、心太朗は「一日中立ちっぱなし大作戦」を思いついた。元々、長時間立ち仕事には慣れていたし、「13時間立ちっぱなしなんて余裕だろう」と軽く考えていたのだが、現実は厳しかった。4、5時間経つと足が痛い、腰が痛い。以前なら痛みを感じなかった箇所が悲鳴を上げ、心太朗は「もう、座りたい…」と何度も思った。それでも意地で立ち続け、ついに12時間以上立つことに成功した。

その日の夜、心太朗は充実感と心地よい疲労に包まれていた。「立ちっぱなしって退屈だし辛いけど、だからこそやる気が湧いてくるのかもな」と独り言をもらし、しみじみと立ち作業の効果を実感する。普段ならソファに座ってスマホやテレビを長時間見てしまい、自己嫌悪に陥るのが常だ。しかし立っていると、座るのが許されないからこそ「何かやらないと!」と掃除や外出のモチベーションが湧くのだ。そうして、今日はまるで一日が濃厚なストーリーのように充実して過ぎていった。

そして待ちに待った、座っても良い時間。心太朗はようやく椅子に腰を落ち着け、久しぶりに自分で捌いたマグロの刺身を口に運ぶ。澄麗が作ってくれた温かい料理とともに、彼はじっくり味わった。「やっぱり座って食べるとおいしいな」と、小さな幸福に包まれながら、心太朗の夜は静かに更けていった。