**無職45日目(10月15日)**
心太朗は朝から妙に胸がざわついていた。今日のミッションは年金の切り替え手続き。退職してしばらく経つが、手続きはまだ残っている。これを終わらせない限り、完全に「無職ライフ」には突入できないというわけだ。だが、市役所は苦手だ。なんというか、無機質な空間、無表情な職員、そして「あなた何しに来たの?」と言いたげな空気。どうも責められている気分になる。もちろん、職員が責めているわけじゃない。でも、自分がそう思っちゃうから仕方ない。
「市役所…うん、好きじゃない。」心太朗はそんなことを考えながら、ゆっくり靴を履く。
玄関で見送ってくれる澄麗が心太朗に優しい笑顔を向けた。「無事に終わったら、どこかでご飯食べようね。今日は疲れないようにね。」その笑顔に、心太朗は少しだけ気が楽になった。まあ、どうにかなるだろう。いや、どうにかならなきゃ困るんだが。
自転車にまたがり市役所へ向かう。風が少し冷たく、季節が変わってきたのを感じる。道中、心太朗は退職した現実に直面する。「いや、退職って言い方だとカッコいいけど、要するに無職だよな…」自己ツッコミが止まらない。今の彼は無職。仕事がない、収入がない、そして今日の手続きが終わらない限り、将来の年金すら危うい。これが現実だ。
市役所に到着。自動ドアが開く音に、心太朗は一瞬足を止めた。「ここに入るのか…ここは戦場だ…」と心の中で覚悟を決める。が、実際のところ、戦う相手もいないし、ただの手続きだ。溜息をつきつつ、彼はドアをくぐった。
年金課は意外と人が少なくて、心太朗はすぐに番号札を取り、順番を待った。番号が呼ばれ、席に座ると、60歳くらいの男性職員が対応してくれることになった。優しそうな顔立ちで、一見頼りになりそうだったが、心太朗は油断しない。「どんな罠が仕掛けられてるか分からんからな…手続きの沼ってのは甘く見ちゃいけないんだ。」
「本日はどのようなご用件でしょうか?」職員が静かに尋ねる。
「えーっと、退職しまして、それで、年金の…切り替えですかね?」心太朗は自分でも曖昧な言い回しをしてしまった。何度も言うが「無職です」と言うのが本当に嫌なのだ。でも、職員は動じることなく淡々と対応する。「いや、むしろ動じてほしいよ!少しくらい「お疲れさまでした」とか「大変でしたね」とか言ってくれないかな?」。心太朗は心の中で訴える。
「では、身分証明書だけを見せていただけますか?」と職員。
「え?あれ、身分証だけでいいんですか?」心太朗は驚いた。彼は念入りに調べ、退職証明書やら年金手帳やらマイナンバーカードや印鑑まで持ってきていた。「そりゃあ、全部必要だろう」と思ってたのに、まさかの免許証ひとつで済むとは。あれこれ準備した自分の努力は一体…?
「はい、身分証だけで手続きできます。」職員は笑顔で答える。
「減額や免除とかはされますか?」と職員に問われたが、心太朗は少しでも社会貢献をしておきたかったので、しばらくは貯金で過ごせるので減額や免除はしなかった。
心太朗は何とも言えない表情で免許証を渡した。手続きは15分足らずで終了。あれ?こんなに簡単なの?準備にかけた時間のほうが長いんじゃないか?「これはどっかに隠しルールがあるに違いない…絶対、後で追加書類が必要になるパターンだ…」心太朗は疑心暗鬼に陥りつつも、一応手続きは完了した。
市役所を出た瞬間、大きな溜息が出た。「なんだよ、こんな簡単なのか…でもまあ、これで終わったならよしとするか。」振り返ってみれば、もっと簡単に済ませられたことを大げさに考えすぎた自分が少し恥ずかしい。
外で待っていた澄麗が、少し心配そうな顔をして心太朗に近づいた。「どうだった?」
「え、あっけなく終わったよ。準備した書類とかほぼ無駄だったし、身分証だけで済んだ。俺の準備時間返してほしいくらいだよ。」と心太朗は少し照れ笑いをしながら答えた。
「よかったじゃん。これから赤ちゃんが産まれたら、もっといろんな手続きが増えるよ。心太朗が市役所担当ね!」澄麗は冗談半分で言ったが、その言葉には現実が含まれている。
「マジかよ…市役所のベテランにならなきゃいけないのか…」心太朗はうなだれる。これから先、どんどん増える手続きの数々が彼の脳内にフラッシュバックする。「やっぱり役所は苦手だ…」と心の中でつぶやいた。
「とりあえず今日は頑張ったから、うどん食べに行こう。近くにおいしいうどん屋さんがあるんだって!」澄麗は心太朗の手を取り、笑顔で彼を引っ張った。
うどん屋へ向かう道すがら、心太朗は「これからもっと大変になるのか…」と考えつつも、今日はとりあえず一つのミッションをクリアしたことで少しだけ達成感を感じていた。役所は苦手だし、手続きは面倒だけど、なんだかんだで乗り越えた自分に少しだけ誇りを感じていた。心太朗は澄麗に聞かれないように、こっそり微笑んだ。