6時32分、東北本線上り電車の1両目。

4人掛けのボックス席、進行方向反対の窓側が私の特等席だ。

窓越しの日差しを心地よく感じながら、うとうとと通学するのが1日の始まり。

家の近所にも通っている高校の近くにだってコンビニは何軒かあるし、カラオケやゲームセンターといった遊び場もちゃんとある。車を走らせれば大きなショッピングモールだってある。

このあたりは県内では都会といわれているけれど、本物の都会の人からすればここも十分な田舎らしい。

車は一家に一台ではなく一人一台が当たり前。車通勤や自転車通学が多いから、朝から電車に乗る人は比較的少ない。6時台の電車は特にそう。

いつだかテレビで見た通勤ラッシュの都内の電車。駅員さんが乗客を車内へ押し込み、無理矢理扉を閉めていたあの場面は同じ世界線で起きている出来事だと俄かに信じられなかった。

穏やかでゆったりとした時間が流れているこの瞬間にも、あの殺伐としたぎゅうぎゅうの箱の中で頑張っている人たちがいるんだよなあ。と何百キロと離れた都心の人々に思いを馳せながら、窓の外の田んぼを眺める。


「次は――、次は――」

電車に揺られること10分ほど。聞こえてきたアナウンスに朦朧としていた意識がはっとした。

スクールバッグの前ポケットから手鏡を取り出して、無駄に前髪を整えちゃったりして。

背筋をぴんと伸ばしてみちゃったりもして。

気持ちが落ち着かずそわそわしていたところ、完全に電車は停車し、ボタン式の扉がプシューと開いた。

乗り込んでくる数名の足音を聞きながら、表情を変えず窓の外を一点に見つめる。

ふと、視界の端に白のエナメルバッグが映る。

嬉しさと緊張が混ざり合い鼓動が早くなっていくのを感じる。いよいよ平常心を保てなくなってくる。

バッグにつけたお気に入りのうさぎのマスコットを握りしめ、ふう、と一呼吸置く。

首を僅かに右へと回し、ちらり、上目を動かした。

「(はあ…今日もかっこいい…)」

朝から目の保養をありがとうございます。

と、心の中で手を合わせる。

私の蕩けた視線の先には、高校指定の夏用ジャージを着こなす1人の男子高校生の姿。

座席は空いているのに座ることはなく、扉付近に寄りかかって立っているのはいつものこと。大きめのヘッドホンを耳につけ、私の座る位置とは反対側の窓の外へと顔を向ける彼に数秒おきに目をやる。

盗み見していることがバレないように、あくまでも自然に。目を逸らして、目を向けて、を繰り返す。

エナメルバッグを地面に置き、スマホ片手に腕組みしながら窓を眺める横顔は少し眠たげで、アンニュイな雰囲気が溢れ出ている。

どことなく色っぽさを感じるその姿に、きゅうっと心臓は鷲掴みされたように苦しくなる。

ドキドキしたり、苦しくなったり、私の心臓は毎日朝から忙しない。


イヤホンではなくヘッドホンを使っている彼は、音楽が好きな人なのかもしれない。

何を聴いているんだろう。
どんなジャンルが好きなんだろう。

彼の好きな音楽を知りたい。
彼と同じ音楽を聴いてみたい。

そんなの無理だと分かっていても、図々しく願ってしまう。

ただ毎朝同じ電車に乗り合わせているだけの見ず知らずの人間にこんなことを思われているなんて、彼が知ったら間違いなくドン引きだ。

気持ち悪くてごめんなさい…。

心の中で小さく謝罪をして、緑が広がる外の景色へと再び目を向けた。

「次は――、次は――」

彼が乗ってきた駅から2駅先。私が下りる駅が近づいてくる。

ふわふわと膨れ上がっていた気持ちは徐々に萎んでいく。

何もなければ長く感じる通学時間だけど、この上なく幸せなひと時はあっという間に過ぎてしまう。

『また明日も会えますように』

顔をやや俯かせながら目を瞑っている彼へと、そう心の中で呟いて、名残惜しく車内を後にした。



この気持ちは恋じゃない。

俳優やアイドルをかっこいいと崇めるあの気持ちと一緒。

そう、恋なんかじゃない。ただの憧れ。

好きじゃない。
好きじゃない。
好きじゃない。

そう自分に言い聞かせて、ぎゅうっと気持ちを押し込めて、心の奥の奥へと封印する。

だって彼は、
好きになっちゃいけない人だから。