「おい、琉人(りゅうと)、起きろ!! 遅刻するぞ!?」
 「んー……」
 「だから起きろっつーの!!」
 「眠い……」
 「それは俺もだ!! 毎日お前を起こしに来る俺の身にもなれ!! 早く起きろって!!」
 「蒼汰(そうた)、起こして……」

 自分で起きようとしないことにイラッとしながらも、ベッドから無理矢理引っ張り起こし、二階の部屋から一階へと促す。フラフラと階段を降りて行くこの男は俺の幼馴染、神崎琉人(かんざきりゅうと)

 今の寝惚けた顔からは想像つかないが、普通にしていれば精悍な顔の超イケメン。俺の茶色い色素の薄い髪色とは違い、真っ黒な綺麗な髪。いつも気だるそうで無表情のため、怒っているように見えるからか、仲の良い友達以外の同級生からは怖がられている。本人はただ単にいつも眠そうにボーッとしているだけなのだが。
 しかし、やはり顔が良いためか、女子からはやたらとモテる……。

 俺もまあイケメンてほどではないにしろ、それなりには整った顔だとは思う。思うのだがこの幼馴染の男がイケメン過ぎて俺自身は霞む……くそぅ。

 俺、春野蒼汰(はるのそうた)と琉人の家は戸建ての隣同士。幼稚園の頃にお互い引っ越してきてからは、幼、小、中、そして現在高校とずっと一緒だ。母親同士も仲が良いため、兄弟のように過ごした。
 思春期になるにつれ、次第にベッタリ常に一緒ということはなくなってきたが、しかし、それでも何かにつけて、ボーッとしているこいつの面倒を見てきたせいか、いつもニコイチに思われているのが不本意でもあった。

 中学生になるとやたらとモテ始め、俺の知る限りでも同い年だけでなく、年上年下関係なく声を掛けられたり告白されたりしていた。
 そして琉人と一緒にいることが多いせいなのか、俺が好きになる子はいつも琉人を好きになっていた。
 それは琉人のせいではない、ということは頭では分かっているのだが、しかし、やはり何度も繰り返されると嫌にもなってくるもので……。

 だからこそ高校はようやく離れられる! と思っていたもんだ。それなのにこいつは頭が良いくせに、高校受験のときに同じ学校だということが判明した。

 なぜお前がこんなレベルを下げた学校を受験するんだ? と聞いたら、家から近いからだって返事が返って来た。一人暮らしが面倒なんだと。俺なら一人暮らし出来るなら喜んで出て行くけどな、と思ったが、琉人の母親から「蒼汰くんが一緒なら安心だわぁ」とか言われたら、結局面倒を見るしかないじゃないか……はぁ、俺はこいつの母親かよ。
 まあでも面倒だと思いつつ、琉人を突き放さないのは、やはりこいつは良い奴だと知っているから。

 俺の好きな子が琉人を好きなったとしても、琉人は今まで誰とも付き合ったことがない。多分。俺の知る限りでは。モテるからと手当り次第に食い散らかす奴でもないし、自発的でないにしろ男友達の誘いを断ったりもしない。予定がなければ必ず遊びに参加するし、話せば普通に盛り上がる奴なので、仲の良い男友達からは好かれているはずだ。

 俺の好きだった女子から告白されても、「好きな子がいるから」とずっと断っている。
 そんな子がいるのか! と、興味津々で聞いたら「そうやって断るのが一番平和だろ。好きでもないのに付き合うほうが良くないだろうし。今は蒼汰と遊んでるほうが楽しいし」とかなんとか、嬉しいこと言ってくれちゃってよ。俺のために断った、とか言わない。俺が気にしないようにそう言ってくれる。

 なんだかむず痒くなったが、こんなモテモテの男が俺と遊ぶほうが良いとか言われたら、なんだか優越感を覚えちゃったわけですよ。
 だからなんだかんだと琉人の世話は俺にとっても幼馴染と過ごす大事な時間となっていた。


 無理矢理起こした琉人はボーッとしたまま洗面所で顔を洗い歯を磨く。そして髪を整え出てきた姿は超がつくほどのイケメンとして登場。おい、さっきまでのヨレヨレとえらい違いだな! 顔面偏差値が高いってズルい!

 遅刻間際だというのに、のんびりと食パンを齧っている琉人にイラッとし、テーブルの向かいに座った俺は琉人をじとっと睨む。

 「おい、早くしろよ。いい加減にしないと先に行くぞ?」
 「んー、蒼汰、今日の弁当は?」
 「は? あー、今日はみっちゃん当直の日か」
 「ん」

 琉人の母親は看護師で当直の日は一日家にいない。父親は俺たちが小学生のときに事故で亡くなった。だから琉人は女手一つで育てられ、余裕のない琉人の母親を見兼ねて、琉人は幼い頃からよくうちで面倒を見ていた。一緒に食事をし、風呂に入り、一緒の布団で寝る。さすがに今のこのデカさになってまでそんなことを一緒にしたりはしないが、しかし、みっちゃんこと琉人の母親の神崎蜜花(かんざきみつか)がいないときは、いまだにうちで食事をしたり、弁当を作ってやったりとしている。

 「ごめん、忘れてたわ。俺の弁当分けてやるから、お前のパンも半分よこせ」
 「ん。今日は蒼汰の弁当?」
 「ん? あ、うん。俺が作ったやつ」

 俺は意外だと思われがちだが、料理はそれなりにするのだ。うちの母親も俺が中学の頃くらいから本格的に仕事へ復帰し出したため、たまに家事を手伝うようになってきた。そのため一通りの家事全般は出来る。高校生のくせに所帯染みていると思われたくなくて、同級生には言ったことはないのだが。

 だから母親が忙しいときは弁当も自分で作ったりしている。それを知っているのは琉人だけだ。そんな琉人は家事全般どころか生活能力皆無なため、結局は俺が面倒を見るはめになっている。

 「俺、お前の弁当好き」

 普段、友達の前では絶対にしないようなふにゃりとした笑顔。

 「お、おう、そうか……」
 「ん」

 なんだかその笑顔にドキリとし……い、いやいや、なんでドキリなんだよ。普段俺の前だけでしか見せない笑顔ってのがレアだから……そう! 不意打ちのレア感にドキリとするだけだ! あれだな、お化け屋敷で飛び出して驚かすやつみたいな! うん、それに近いだろ!

 「と、とりあえず早く行くぞ! お前のせいで毎日遅刻ギリギリなんだからな!」



 結局ダッシュでギリギリ間に合い、教室に滑り込む。俺と琉人は現在一年生の同じクラスだ。そのせいで教室でまでずっと一緒にいるため、入学してからまだ半年しか経っていないのに、周りからは完全に琉人の母親認定されている。

 昼休みに琉人は購買へとパンを買いに行き、帰って来ると俺の席へとやって来た。

 「蒼汰、弁当」
 「俺は弁当じゃねえっつうの」

 そう言いながら苦笑しつつ、琉人は俺の前の奴の席を借り、後ろを向きながらパンを齧り出した。

 「ん」

 齧りながら琉人が差し出して来たパン。うちの学校で人気のある数量限定のチキンバーガーだ。

 「おぉ、これ買えたのか!」
 「うん」
 「え、食べて良いのか? お前が買ったんだからお前が食べたら? 俺、そっちの焼きそばパンでも良いぞ?」
 「いい。蒼汰が好きだと思ったから買って来た」
 「んぐっ……お、おう、ありがと」
 「ん」

 相変わらず無表情のままだが、俺のために買って来たとか、なんかむず痒い……。

 琉人は俺が半分食べた後の弁当を嬉しそうに食べていた。他のやつにはきっと分からないだろうが、無表情のなかにも感情が現れる。俺にしか分からない琉人の表情。それはなんだか少しばかり優越感を覚える。

 しかしそれにしても俺の食べ残し……いや、まあ食べ残しとは言わないか? 食べ掛けの弁当を喜んで食べているのもどうかとは思うのだが……。今度は忘れないように作ってやろう……。

 「便所に行って来る」
 「おー」

 食べ終わり弁当箱を片付けていると琉人はそう言い、教室を出て行った。俺はというと弁当後には昼寝をするのが習慣となっていた。机の上を片付けると突っ伏し、少しだけでも昼寝をする。琉人はなにをしているのか知らんが、俺が目覚めたときにはいつも前の席に座ったままだった。

 しかし、今日は目を開くとそこに琉人はいなかった。そのことに疑問となり、キョロッと周りを見回すが、教室内に琉人の姿はなかった。

 「おーい、春野、息子が女子に呼び出されてんぞ? 良いのかー?」

 廊下から教室に入って来たクラスメイトに「アハハ」と笑いながらそう言われ、イラッとした。息子ってなんだよ。俺に息子なんていねーわ。

 「ん? 女子に呼び出し?」

 息子呼ばわりされてムカついていたが、それよりも内容が気になった。

 「あぁ、さっき神崎が女子に連れられてどっか行ってたぞ? 告白とかされてんじゃね?」

 ニヤッとした顔で言われ、その場にいた男子全員が「おぉ」と驚きの声を上げた。そして、まあ盛り上がるよな。誰だ誰だとやいやい盛り上がり、どこ行った!? と、捜索が始まり……そして、俺も引っ張られ、琉人を見付けたところは体育館の裏手だった。

 琉人と女子を見付け、駆け付けた男たち全員は体育館の影に隠れながら、息を殺し覗き見ていた。

 相手の女子は美人で、ふわふわと長い髪が揺れている。隣のクラスの女子か? なんか見覚えがあるような気がする。背の高い琉人を見上げながら顔を赤らめ何かを必死に伝えているようだ。

 告白……すぐにそれは分かった。ズキリとなにやら胸が軋む。

 な、なんだ?
 胸を押さえ、訳の分からない胸の痛みの意味を考える。チラリと琉人とその女子を見るが、なにを話しているのかは聞こえない。

 群がるやつらが「聞こえないか!?」とやいやい言っているが、俺は琉人の姿は見ていたくなかった。いや、そもそも告白シーンなんて他人が覗き見るなんて趣味悪いだろ。琉人にもその女子にも失礼じゃないか。

 「おい、覗き見なんてやめようぜ。失礼にもほどがある」
 「えぇ、春野、真面目だな。気にならないのかよ」
 「ならない。俺はもう帰る。覗き見してたことが琉人にバレたときのほうが怖いぞ?」
 「げっ」

 群がっていた男子たちは「琉人にバレたら」と言った途端に、顔を青くさせそそくさと逃げ出した。ハハ、やっぱり怖がられてんだな。
 チラリと背後の琉人に目をやったが、俺もすぐさまその場から離れた。

 琉人はなんと返事をするのだろうか。相手の子……美人だったな。そら、あのイケメン琉人だしな。美人な女子からも好かれるよな。羨ましい奴だ。
 琉人に彼女が出来たら、もうあいつの世話係もお役御免かな。うん。有難い! そうだよな、いつまでも一緒な訳じゃない。いつかは俺も琉人も彼女が出来て別々の人生を送るようになるんだもんな。――――モヤッ

 なんでモヤッ? 有難い話じゃないか。世話をする必要がなくなるんだ。別に友達でなくなる訳でもない。幼馴染であることには変わりはないんだし、隣の家だ。大人になろうが、おそらく実家へ戻ったり、とか会う機会はいつまでもある。うんうん、良い距離感になるんじゃないか? そうだよ。ただ……ただ少し一緒にいる時間が減るだけだ……。

 そんなことを考えながら教室へと戻り、しかし、なにやらソワソワとしながら次の授業の準備をした。
 琉人はなかなか帰って来ず、次の授業の鐘が鳴る直前に帰って来た。先程のことを知っているクラスメイトは皆がソワソワとし、琉人を目で追っていた。俺もチラリと目で追ってしまう。琉人の表情はいつもと変わりがなかった。相変わらずの無表情のまま席へと着いていた。

 授業が終わり休憩時間へと入ると、皆が一斉に琉人の席へと群がった。矢継ぎ早に先程のことを聞いている。しかし普段琉人を怖がって近寄って来ないやつらまでもが集まって来たことに不快に思ったのか、琉人はガタッと立ち上がる。皆はビクッとし、顔を引き攣らせていた。

 琉人はスタスタと俺の傍までやって来ると、俺の前の席へとドカッと座った。前の席だった奴はその様子を見ながら「お、俺の席……」と呟いているのが聞こえたが、琉人の黒いオーラにビビり、目が泳いでいた。

 「だ、大丈夫か?」
 「…………」

 完全にムッとしてしまった琉人は不機嫌そのものだった。

 「そ、その……ごめん、俺もお前が告白されてるって聞いて、ちょっとだけ姿を見た……」

 相変わらず不機嫌なままの琉人は俺をチラリと見た。琉人のその視線は睨むような、しかし困っているかのような複雑な表情だった。

 「どうすんの? あの子と付き合うのか?」
 「……断った、んだけど……」
 「だけど?」
 「お試しで良いから付き合ってって食い下がられて……」
 「お、お試し……?」

 俯きぼそぼそと話していた琉人は、チラリと上目遣いに俺を見た。

 「うん……一ヶ月で良いからお試しで付き合ってから判断してって……自分のことを知ってもらってから、それでも駄目なら諦めるからって」

 お、おぉ……かなり強気な子なんだな……。

 「で、でもいつもみたいに「好きな子がいる」って断ったんだろ?」
 「うん……それでも良いからって。その好きな子とまだ付き合う予定ないんでしょ?って」

 深い溜め息を吐きながら項垂れた琉人は俺の机に突っ伏しながら、横目でチラリと俺を見上げる。そのなんとも言えないアンニュイな姿に女子たちがキャイキャイ言っているのが聞こえる。周りでは明らかに皆が聞き耳を立てているのが分かるし、このままここで話して良い内容なのか心配になってくるが……でも、俺も気になるんだよな……。

 「で? そのお試しとやらで付き合うのか?」
 「んー…………」

 肯定なのか否定なのかよく分からない返事のまま、琉人は再び机に突っ伏したままくぐもった声で言った。

 「蒼汰はどう思う?」
 「えっ……どう思うと言われても……」

 俺がどうこう言える問題ではないような……。そう考えあぐねていると授業の鐘が鳴ってしまった。俯いたままむくりと立ち上がった琉人は、俺の顔を見るでもなく自分の席へと戻って行った。顔を背けられその表情は見えず、なんだか怒っているようにも思えて……俺はどう返事をするのが正解だったのかと、去って行く琉人の背中を見詰めるだけだった。

 今日最後の授業が終わり、慌てて琉人の元へと駆け寄ろうとすると、ひとりの女子に呼び止められる。

 「あ、春野くん、今日実行委員会あるからね! 帰っちゃ駄目だよ」
 「えっ、あっ! 忘れてた!」
 「ちょっとー、忘れないでよ。連帯責任になるんだからね!」

 本気で怒っている訳でもないだろうことはすぐに分かる。言葉は怒っているような台詞だが、表情は呆れたように笑っているだけだ。佐々木加奈(ささきかな)。秋に行われる学祭、体育祭と文化祭の実行委員。半ば無理矢理に決定された俺と佐々木さんは、学祭の実行委員として会議やらに参加するはめになっている。

 うちの学校は一日目に体育祭、二日目三日目に文化祭、という特殊な日程で行われる。そのせいでかなり忙しい実行委員のため、クラブに所属している奴は無理だろうということで帰宅部の奴が無理矢理させられるというのが通例らしい。なんともはた迷惑な。

 佐々木さんに「行くよ」と腕を掴まれ促される。俺は慌てて琉人の姿を探した。さっきの話の続きをしたかったんだよ!

 しかし、琉人はもうすでに鞄を持ち、教室を出ようとしていた。

 「りゅ、琉人!! 後で家に行くから!!」

 琉人の背中にそう叫ぶと、琉人はチラリと俺を見たが、しかし、すぐさま顔を逸らし帰って行ってしまった。な、なんなんだよ……なんか怒ってる? いや、怒られる意味は分からんし……。

 「ほら、春野くん!!」
 「あ、あぁ、ごめん」

 腕を引かれ、佐々木さんに引き摺られるように廊下を歩いた。

 「ちょ、いい加減離してくれよ。自分で歩けるから」

 いつまでも腕を引っ張られ続けて、なんだか連行されている気分になるっつーの。

 「あ、あぁ! ご、ごめん!」

 佐々木さんはなにやら顔を赤くし、慌てて手を離した。あわあわとしている姿にクスッと笑い、他愛もない話をしながら会議室へと向かう。

 会議が終わった頃には、もうすっかりと辺りの陽は沈みかけていて、腹が鳴りそうだ、とか考えながら佐々木さんと最寄りのバス停まで共に歩く。佐々木さんは自転車通学のため、隣で自転車を押しながらだ。俺に合わせて歩かせるのも申し訳ないから、先に帰ってくれ、と言っても、大した距離じゃないから、とバス停までの道中、佐々木さんはずっと俺の隣を歩いた。

 佐々木さんとは実行委員で一緒になってからよく喋るようになった。元々気さくな性格なのか、お互い他愛のない話でもつまらないということは一切なく、佐々木さんとは気楽で心地好い時間を過ごすことが出来た。

 バス停ではバスがやって来るまでの間もずっと俺に合わせて待ってくれている。なんだか申し訳ないな、と思いつつ、大した時間じゃないし、と言われると断る理由もない訳で。

 「あ、バス、来たね。じゃあ私も帰るね。また明日! バイバイ」
 「おー、付き合ってくれてありがとな。気を付けて帰れよー」

 佐々木さんはニッと笑い、大きく手を振り帰って行った。

 俺はというとバスで五つほど先のバス停なのだが、どうにもバスのこの揺れに揺られていると眠くなってくる。寝落ちしないよう必死に耐えながらの帰宅となった。まあそれもいつものことだが。いつも琉人と一緒だから、基本的にあいつはなにも気にせず寝落ちしやがるから、いつも俺は乗り過ごさないよう緊張して乗ってんだよな。今日は琉人がいない分、気が抜けているためかなんせ眠かった。

 危うく寝落ちる寸前で最寄りのバス停へと到着した。家では母親が晩ご飯の用意をしてくれていた。

 「ただいま、今日は早い日なんだ」
 「おかえりー、うん、今日は残業なしで帰れた。今日ってみっちゃんが当直の日でしょ? 琉人くんに晩ご飯持って行ってあげて。ついでに蒼汰も琉人くんと食べて来たら?」
 「うん、分かった」

 家に行く正当な理由が出来てラッキー。いや、だってなぁ、あの子とお試しだろうが付き合うのかが気になる訳で……。
 部屋に戻り制服を着替えてから、母親が用意してくれた琉人用の晩ご飯を持ち、隣の家へと向かう。

 琉人の家はみっちゃんに琉人の面倒を頼まれた時点で、母親同士の了承も得た上で、家の鍵を預かっている。なにかあったときのために、我が家でも鍵を持っていて欲しい、と頼まれたのだ。
 そのため俺は毎朝琉人を起こしに家へと上がり込んでいる、という訳だ。

 「おーい、琉人、めしー」

 玄関を上がりながら二階へ向かい声を掛けた。勝手知ったる我が家のように、リビングへと向かうと、母親が持たせてくれた晩ご飯を皿に盛り付けていく。

 ある程度用意が終わった頃に琉人が不機嫌そうな顔でリビングまでやって来た。

 「おせーよ。俺に全部用意させやがって。ちょっとは手伝えっての」
 「……ごめん。いつもありがとう。しおちゃんにお礼言っといて」
 「おー。とりあえず食おうぜ。腹減った」

 しおちゃんとはうちの母親だ。春野詩織(はるのしおり)。母親たちが「みっちゃん」「しおちゃん」と出逢った頃から呼んでいたため、俺たちも幼い頃から「みっちゃん」「しおちゃん」呼びなのだ。

 向かいの席に座り、食事をしながら、例のあの話を聞いて良いものかと、考えあぐねていると、逆に琉人から話を振られる。

 「蒼汰、あの子と仲良いのか?」
 「ん? あの子って?」
 「実行委員の……」
 「あー、佐々木さん?」
 「ん」
 「えー? なんで急にそんな話? 佐々木さんとは別に普通?」

 いきなりなんでそんな話なのか分からず首を傾げていると、なにやらまた不機嫌そうな顔になり、ブスッとした声音で琉人が言う。

 「普通って割には他の女子より距離が近くないか?」
 「そうかぁ? ただ引っ張られてただけだぞ?」

 そりゃ、他の女子に比べると同じ実行委員をやっているというだけあって、喋る機会は多いと思う。しかし、それだけだ。男友達のノリと左程変わらない。

 「好きなんじゃないのか?」
 「はぁ!?」

 突然なにを言い出すんだ、こいつは! 今までそんな風に思ったことない相手をいきなり「好きなのか」なんて聞かれたら、逆に変に意識しちゃうだろうが! 顔が熱くなるのが分かった。

 「ただ実行委員で喋る機会が多いだけで、そんなこと意識したことねーわ! お前のほうが……そうだよ! 結局あの子とお試しで付き合うのかよ!?」

 なんだか無性に恥ずかしくなり、早口でまくし立てる。俺の話をされすっかりと忘れていたが、そうだよ、俺はこいつが付き合うのかどうなのかを聞きに来たんだよ!

 「俺は……好きな子が……」

 ぼそぼそと小さな声で言った琉人は、脱力するように項垂れた。

 「好きな子ねぇ。好きな子がいても良いとか言われたんだろ?」
 「…………」

 完全にブスッとしてしまった。拗ねるように顔を横に逸らし、明らかに口がへの字に……子供か。

 「本当に好きな子がいるなら、その好きな子に告白とかしねーの? お前なら一発オッケーだろ」

 こいつに彼女が出来て遊ぶ機会が減るのは寂しくもあるが、まあそのときは俺も彼女を……って俺だとそんな簡単にはいかないか? ちっ、イケメンめ。

 「そう思うか?」

 ブスッとしたままの琉人はジトッとした目を向け聞いた。

 「あぁ、お前みたいなイケメン、オッケーしない奴いないだろ。ハハ。それかそのお試しとやらも付き合ってみたらなんか見えてくるかもしれないけどなー」
 「好きでもないのに付き合いたくない……」
 「なら、その好きな子に告白するしかないんじゃね?」

 モテモテのイケメンのくせになにをウジウジしてんだか。若干イライラとしてきてしまい、つい雑な返しになってしまったような……。そう思ったが、ウジウジしているのは事実だしな。

 軽いノリで言ってしまったことにムッとしたのか、琉人は顔を上げ、なんだか不機嫌そうな顔で俺を真っ直ぐに見詰めた。

 「蒼汰なんだけど」
 「ん? なにが?」
 「好きな子」
 「うん?」

 好きな子? 俺? んん? あー、あれだ、幼馴染で距離が近いからな。

 「あー、はいはい。俺もお前のこと好きだよ」

 家族や親友と呼べるくらいの友だという認識は俺にもあるしな。そう思って「俺も好きだ」と答えたつもりが……。
 琉人はさらに一層不機嫌な……というより怒ってる? 俺を睨みながらガタッと椅子の音を立てながら立ち上がった。そしてツカツカと俺の横まで歩いて来ると、睨むように俺を見下ろす。

 「りゅ、琉人?」

 琉人は俺の肩を掴み、顔を近付けた。

 「!?」

 琉人の端正な顔が目の前に近付き、そして琉人の唇が俺の唇に触れそうになる。熱い吐息が唇に……。
 俺はビクッと身体が震え、後ろに仰け反った。ガターンッ!! と、椅子ごと倒れ込み、床へと尻もちをつく。

 「痛っ」
 「蒼汰」

 頭上から影が落ち、見上げると琉人は今まで見たことがないような目……熱を帯びた目で俺を見詰め、そして両手首を掴まれ押し倒された。

 「りゅ……りゅう……」

 琉人の顔が再び近付いて来る。俺は咄嗟に横へと顔を逸らしたが、琉人はなにを思ったか、そのまま俺の首筋へと顔を埋め、そして首筋になにか熱く湿ったものが這う。

 「ひっ、や、やめろ!!」

 ジタバタと逃れようと暴れるが、両手を抑え付けられ、腹に跨られ身動きが取れない。

 「い、嫌だ!! 琉人!!」

 なにをされているのか分からずパニック同然に叫んだ。すると琉人はギシッと固まり、そして首筋に這わせていたものから「チュッ」と音をさせ、そして上半身を起こした。

 俺の腹に跨ったまま、膝立ちで俺を見下ろすその顔は……なんだか泣きそうな顔に見えた。

 「俺の好きはこういう好きだよ……」

 琉人は俺の上から降りると、俺の手を取り起こした。そして、顔を逸らしながら呟いた。

 「今日はもう帰って……」

 俺はなにも言うことが出来ず、逃げるように琉人の家を飛び出した。

 家へと急いで戻ると、自身の部屋がある二階へと駆け上がった。キッチンからは母親の声が聞こえたが、立ち止まることも出来ず、俺はそのまま部屋へ入り、慌てて扉を閉めた。

 窓からは隣の琉人の部屋が見える。ギクリと身体が強張り、慌ててカーテンを閉めた。真っ暗な部屋のなか、ベッドに勢い良く飛び込み、枕に顔を埋めた。

 な、なんなんだよ、さっきの!! 琉人が俺を好き!?

 『俺の好きはこういう好きだよ……』

 先程の琉人の言葉が耳に残り、カァァアッと顔が熱くなる。
 こういうのって……あ、あれって……キ、キスしようとしてたよな……し、しかも、抑えつけられて首筋に……ひぃぃ。

 両手を抑え付けられ身動きが取れなくなったことが怖かった。キスをされそうになってパニックになった。そして……首筋をな、舐められ……恐怖なんだかなんなんだか訳が分からなくなって……琉人が知らない奴みたいで怖くなって……でも、その琉人の顔が……あまりに苦しそうで……。

 琉人は俺のことが好き? 恋愛感情として? 勘違いじゃなくて? 男とキスなんてしたいと思うものか? 琉人は男が好きなのか? でも、今までそんな素振り見たことないしな……。それとも……性別が関係なくなるくらい俺が好きってこと?

 そこまで考えて再び顔に熱が集まって来るのが分かった。マジで? 俺、どうすべきなんだ? 琉人のことは純粋に幼馴染として好きだ。それは他の男友達とも違うと思う。やっぱり特別に思ってる。でも、それは恋愛感情とかじゃなく……。でも、もしここで俺があいつの告白を断ったとして、今まで通りの関係に戻れるのか? 今まで通り幼馴染として、今までのような距離感で……いや、無理な気がする。

 今までなにも思っていなかったから、あいつと常に一緒にいるのも、距離が近いのも、俺にだけ見せる笑顔も平気だったんだ……。でもそれが「俺のことを好きな奴」と認識してしまうと……今までと同じ態度でいられる自信がない。

 じゃあ琉人のことを受け入れるのか? 俺は琉人を恋愛的に好きだとは思えていないのに? それこそお試しで付き合うとか? い、いやいやいや、男同士でお試し? 意味分からんわ。いやでも、断ったらもう琉人とは幼馴染ですらいられなくなるかもしれないなんて……嫌だ。

 「うあぁぁぁあ!! どうしろっつーんだよ!!」

 ジタバタと悶え叫んでいると、下階から母親に怒鳴られた。く、くそぅ。



 悶々としてしまい、結局ほとんど眠ることが出来ず……それでもいつもの朝がやって来る訳で……。
 もそもそと着替え、顔を洗いキッチンへと向かうと、母親はもうすでに出かけるところだった。

 「琉人くんを起こしに行きなさいよー、じゃあ、お先に行ってきます」
 「おー、いってらー」

 琉人を起こしに……行かないと駄目かなぁ……昨日の今日で気まず過ぎる……琉人も気まずいんじゃ……。
 そんなことを考えながら、どうしようどうしようと悶々としながら、朝食を食べ用意を済ませ、玄関の扉から出たとき、隣の家が視線に入りギシッと固まった。

 琉人の部屋のカーテンは閉じられたまま。相変わらずまだ寝てんのかな。うぅ、今日ほど琉人を起こしに行くことを躊躇ったことはない。

 「はぁぁあ……」

 深い溜め息を吐きながらも、仕方なく重い足取りで琉人の家へと向かい、玄関の扉を開けた。そして玄関から意を決して声を掛ける。

 「お、おーい! 琉人!! あ、朝だぞ……」

 次第に尻すぼみになる言葉。な、情けな……。ビビり過ぎだろ、俺。

 聞こえていないのか琉人が起きて来る気配はない。仕方がないので、いつものように琉人の部屋へと向かう。扉をノックし、そっと扉を開ける。部屋のなかは真っ暗で一瞬目が慣れず様子を伺えないが、次第に慣れて来ると部屋の様子が分かる。

 ベッドに琉人はいなかった。

 カーテンを開け放ち、もう一度改めて部屋を見回しても、そこに琉人の姿はない。

 「え、なんでいない訳?」

 慌てて下階へと降りるがキッチンにも洗面にも琉人の姿はなかった。誰一人としていない家。

 「は? な、なんだよ。自分で起きて学校に行ったのか? そ、それか昨夜あれからなんかあった……?」

 昨夜の思い詰めたような琉人の顔を思い出し、一気に不安になった。ど、どうしよ、まさか昨夜家を飛び出して? い、いや、家に一人なんだし、そんなことする必要ないか……?

 琉人がいないことに不安になり、とにかく急いで学校へと向かった。学校に来ていないなら探しに行かないと、とそんなことだけが頭を占め、教室へと走る。

 息を切らし飛び込んだ教室には琉人の姿があった……。机に突っ伏し眠っている。

 「な、なんだよ……」

 はぁぁ、と深い溜め息を吐いて項垂れた。心配して損した! なんなんだよ! 一人で起きられるのかよ! ならいつも起きとけっつーの!!

 「はよー、蒼汰、どうした?」
 「え、あ、おはよ。いや、なにも……」

 仲の良いクラスメイトに声を掛けられ、ビクリとしたが相変わらず琉人がこちらを向くことはなかった。なんかイラッとする。俺は昨夜あんなに悩んだのに、お前はなにもなかったみたいな態度なのかよ!

 「春野くん、おはよ」
 「お、おう、佐々木さん、おはよ」

 モヤモヤとしていると佐々木さんから声を掛けられ振り向く。そのおかげでというかなんというか、意識は琉人から離れた。

 「今日は昼休みに会議室だってー」
 「え、昼にあるのか? うわぁ、めんどい」
 「ハハ、だよね。お弁当持って来て良いって」
 「弁当食いながら会議すんの? 弁当くらいゆっくり食わせろっつーの」
 「まあねー」

 佐々木さんとそんな会話をしながら、チラリと琉人へと目をやると、相変わらず机に突っ伏したままだ。昼はいつも琉人と一緒に食べていたが、今日は無理か……。ほんの少しホッとしてしまった自分がいる。そのことに自分自身が嫌になり、げんなりした。

 幼馴染のままでいたい、親友のままでいたいと思っておきながら、琉人の気持ちを受け入れることも出来ないまま、どう話したら良いのか分からなくなるなんて。
 横目で琉人を見ながら小さく溜め息を吐く。

 「どうかした?」

 佐々木さんが俺の顔を覗き込んでいた。

 「あ、いや、別になんもない」

 チャイムが鳴り、佐々木さんは手を振り自分の席へと戻って行った。俺も席に着き、少し離れた場所に座る琉人は相変わらず突っ伏したままだった。教師がやって来ると、後ろの席の奴から小突かれようやく身体を起こしていた。

 休憩時間になると、琉人を呼ぶ声が聞こえた。廊下のほうへと視線をやると、ふわふわ髪の可愛い女子……あ、昨日琉人に告白してた子……。
 琉人の腕に手を添え、なにやら楽しそうに話している。な、なんか距離が近くないか? 琉人は相変わらずの無表情ではあるが、なにを話しているのか、ちゃんと会話をしているようだ。

 いつも女子とは必要以上には話さないのに……。そんなになにを話してんだよ……告白は断ったはずだ、よな?
 それともお試しで付き合うってやつ、返事をしたのか? あいつ、俺のことが好きだったんじゃないのか? 俺とは一切目を合わそうとしないくせに、なんでお前はその女子と楽しそうなんだよ!

 くそっ、イライラする。

 昼も佐々木さんに引っ張られていき、結局この日は一度も琉人と話すことはなかった。放課後も琉人は早々に帰ってしまった。

 それからというもの、琉人はあの子とよく一緒にいる姿を目撃する。朝もその子と登校しているらしく、俺が起こしに行くことはなくなった。二日ほどはそれでも気にして家まで迎えに行ってはみたが、琉人は俺になにを言うこともなく、さっさと登校していた。そのことに腹が立ち、三日目以降はもう迎えにも行かなかった。

 結局俺のことなんてもうどうでもよくなった訳か。俺が受け入れられないなら幼馴染としてももう付き合うつもりはない、ということか。なんだよそれ。自分勝手に告白してきて、俺を散々悩ませた挙句、なにも言わずにあの子と付き合うことにした訳か。
 ハッ、やってらんねー。あんな奴だと思わなかった。ムカつく。俺はお前のことが大事だからこそあんなに悩んだのに……。もういい。

 琉人は休憩時間、昼食、行き帰りと常にその子と一緒にいるようになったため、さすがにクラスメイトにも噂が広がった。そしてどうやら女子の間では、琉人とその子はお試しだが付き合っている、と広まり、本格的に付き合うのも時間の問題だろう、と言われていた。

 「なあ、お前ら喧嘩でもしたの?」

 仲の良い友人が俺に琉人のことを聞いて来た。

 「今まであんなベッタリだったのに、彼女が出来たくらいで会話すらなくなるって、どんだけデカい喧嘩したんだよ、お前ら」
 「別に今までもベッタリじゃねーし」

 そもそも、順番が逆なんだよ! 琉人に彼女が出来たから喧嘩したんじゃなくて、喧嘩した後にあいつが勝手に付き合い出したんだよ!
 そう口に出そうになったが、じゃあ喧嘩の理由はなんなんだ、と聞かれても困るために、グッと言葉を飲み込んだ。

 「いやいやいや、あれがベッタリじゃないならなにをベッタリと言うんだ、って感じだったぞ?」

 そう言いながら苦笑する友人。

 「まあ、なにが原因か知らんが、早く仲直りしろよ? お前らが雰囲気悪いとなんか怖いんだよ」

 バシバシと背中を叩かれながら言われ、苦笑する。そんな雰囲気悪く見えるのか、俺ら。まあ今までずっと一緒だったのに、今は全くだもんな……。
 友人は笑いながら去って行った。チラリと琉人の姿を探すと、やはり廊下であの女子と話している。毎日そんなベッタリでよく飽きないものだ……って、俺と琉人も常に一緒だったのか……。そう思うと彼氏彼女なら常に一緒にいるのは当たり前……だよな……。なにやら胸がギシリと軋んだ。

 あれは喧嘩だったのか? 一方的に告白されてキレられて、挙句にその後は目すら合わせず、話そうともしない。さらには女と付き合い出した!? ふざけんな!! なんか腹立って来た!! なんで俺だけこんな振り回されなきゃならんのだ!!

 俺は……琉人に彼女が出来ようが、ずっと親友でいたかったのに……。告白されて悩んだのだって、ずっと一緒にいたかったからなのに……。



 「お前いい加減にしろよ!!」

 琉人と口を利かなくなって一ヶ月程が過ぎた頃、学祭の準備も大詰めを迎え忙しくなり出し、俺のイライラはピークに達した。
 夜、琉人の家に押しかけ、二階の琉人の部屋へと突撃した。万が一彼女がいたらどうしよう、と一瞬躊躇はしたが、しかし、それよりも怒りに任せ、扉をバーンッと勢い良く開けた。琉人は目を見開き驚いた顔をしていた。ざまあみろ。

 「お前、一体どういうつもりだよ!! 俺にあんなこと言っておいて、あっさり女子に乗り換えやがって!! しかも、その後からずっと無視しやがって!!」

 ズカズカとベッドに腰かけていた琉人の元まで歩み寄り、胸倉を掴み怒鳴った。琉人は驚いた顔をしていたが、すぐさま顔を逸らし目を伏せたかと思うと、静かな声で言った。

 「どういうつもりもなにもない……俺は告白して振られただけだ……」

 その言葉にカチンときた。胸倉を掴む手にさらに力が入る。

 「なにを勝手に決め付けてんだ!! 俺は確かにすぐに返事は出来なかったけど、でもなにも答えてもないのに、なんでお前が決め付けてんだよ!! 俺はお前とずっと……一生……幼馴染で、親友でいられると思ってたのに……口すら利かなくなりやがって」

 若干涙目になってしまった。恥ずっ。グスッと鼻が鳴る。琉人は再び驚いた顔で俺を見たかと思うと、琉人までもが泣きそうな顔になった。

 「でも俺は蒼汰のこと、恋愛的に好きなんだよ」
 「今のままじゃ駄目なのかよ!? いつか受け入れられるかもしれないのに離れることしか考えないのかよ!? お前は俺と離れても平気なのかよ!?」

 涙目のまま訴えた。もう恥ずかしいとかどうでも良いよ。琉人と離れ離れになるのは寂しいんだよ。辛いんだよ。苦しいんだよ。

 「でも俺は……もうお前の傍でただの友達としてはいられない……。お前に誰か好きなひとでも出来ようものなら耐えられない……」

 涙で瞳を潤ませ琉人は苦しそうに言葉にした。

 「そうかよ……お前が俺と一緒にいたいって気持ちはそんなもんなんだな。もういい。分かった。もう知らねーよ。お前が俺と友達でいられないってんなら、俺にとってもお前はもう友達じゃない。お前の告白ももう忘れるよ。じゃあな」

 胸倉を掴んでいた手をグイッと押し離した。俺はそのまま踵を返し、琉人の部屋を飛び出した。

 「蒼汰!!」

 琉人の俺を呼ぶ声、それに俺を追って来る足音が聞こえたが、俺は琉人に追いつかれることなく家の扉を閉じた。
 玄関の外では琉人の叫ぶ声が聞こえたが、無視して自身の部屋へと駆け上がり、布団にくるまった。

 くそっ、くそっ、琉人なんかもう知るか。もうあんな奴忘れてやる。俺のこと、あんなに簡単に切り捨てられるくらいにしか思ってなかったってことだろ。

 悔しさで泣いた。俺にとって琉人は……いや、もう考えるのはやめだ……もういい。

 その日は母親に心配されながらも、ベッドから出て来ることは出来ず、ひたすら声を殺して泣いた……。


 翌日、琉人は俺を玄関先で待ち構えていた。泣きそうな顔で俺に縋るように近付いて来る。しかし、俺はそれを無視して一人学校へ向かった。学校最寄りのバス停に到着すると例の彼女が待ち構えていた。
 それを見ないように顔を逸らし、俺は急いで学校へと向かう。背後では俺を呼ぶ声が聞こえたが、もう友達じゃないんだ。待つ必要なんてない。今さらもう遅いんだよ。馬鹿が。あぁ、胃がキリキリする。

 何度も琉人から声を掛けられるが、俺は休憩時間になるたびに教室から逃げ出した。そうやって逃げているうちに佐々木さんがそれを気にして声を掛けてくれるようになった。
 二人で中庭のベンチで弁当を食べたり、休憩時間には学祭の作業が大詰めになってきたから、と教室から連れ出してくれるようになった。気を遣わせて申し訳ないと思いつつ、佐々木さんの優しさに感謝した。


 体育祭と文化祭が行われている間はあまりの忙しさに琉人のことなど考える余裕もなく有難かった。佐々木さんと共に世話しなく動き回り、ただただ仕事をこなしていた。
 本当なら文化祭の出し物も琉人と一緒に回っていたんだろうか。そんなことを考えてしまう自分が嫌で、必死に別のことを考えるようにした。

 文化祭二日目、学祭の最終日。我が校では校庭でキャンプファイヤーを囲みフォークダンスが行なわれる。今どきどうなのよ、とは思うが、なぜかそれが我が校伝統行事だ。
 フォークダンスが終了と同時に教師が打ち上げ花火を上げてくれるのだ。
 それがまたフォークダンスからの良い雰囲気で告白大会が起こったり、となるため、おそらく長年なくならないのだろう。

 ようやく学祭の終わりが見えてきた。太陽も沈み出し、学祭に使われた木材やらが校庭へと運ばれ炎が焚かれる。その周りを囲むように円陣が組まれフォークダンスが始まるのだ。
 このときばかりは実行委員の面々も各々自由行動となり、フォークダンスを楽しむ者、キャンプファイヤーを眺めながらのんびり過ごす者。教師の手伝いに向かう者。と、様々だった。

 「ねぇ、春野くん。ちょっと付き合ってくれない?」
 「ん? 良いけど?」

 ようやく学祭も終わりか、となにやら気の抜けた状態でキャンプファイヤーを眺めていると、佐々木さんに声を掛けられる。佐々木さんは「こっちこっち」と俺の腕を引っ張り、ひと気のない校舎裏らしきところへ連れて行かれた。

 「ん? 非常階段?」
 「そうそう!」

 皆、ほとんどがキャンプファイヤーの周りにいるため、この時間校舎側にひと気はない。校舎の横に四階まで続く非常階段。その階段を佐々木さんは上って行く。一番上まで上りきると、そこには少し広さのある踊り場が広がっていた。

 「おぉ、こんなところがあるんだな。知らなかった」
 「でしょ? キャンプファイヤーも花火も見える穴場らしいの! 卒業した先輩から聞いたんだけど、私みたいに代々先輩に教えてもらった人しか知らないらしくて、かなりレアなスポットなんだから」

 佐々木さんは自慢げな顔で嬉しそうに言った。その姿がおかしくてクスッと笑う。

 「ハハ、めちゃ自慢げだな」
 「そりゃそうでしょ! こんなの自慢以外のなにものでもないよ!」
 「ブッ、どんだけだよ」

 アハハ、と声を上げて笑った。

 「久しぶりに笑ったね!」
 「え?」

 手すりに掴まりながら佐々木さんは嬉しそうに笑った。

 「久しぶりに笑った? 俺が?」
 「うん。最近の春野くん、ずっとなんだか辛そうな顔してた」
 「そ、そうか?」
 「そうだよ」

 佐々木さんはなんだか複雑そうな顔で俺を見た。そして、手すりから手を離し、身体ごと俺に振り向くと、真面目な顔をした。
 すっかり夜となり、校舎のなかも電気は灯っていない。キャンプファイヤーの灯りだけが辺りを照らし、俺たちのいる踊り場は僅かな灯りが届くだけだ。
 しかし、それでも佐々木さんの俺を見る目は真剣だった。

 「佐々木さん? どうした?」

 今までにない佐々木さんの雰囲気に戸惑い、問いかけた。

 「あの……あのね、春野くん……私……」

 佐々木さんは一歩近付き、俺の顔を見上げた。

 「蒼汰!!」

 そのとき俺の名を呼ぶ叫び声が聞こえたかと思うと、いきなり背後から腕が伸び引き寄せられ、そして抱き締められた。

 驚いて背後を振り向くと、そこには琉人がいた。荒い息で汗だくになり、焦った顔。こんな琉人は見たことがない。必死な姿で俺の腕を力いっぱい掴み、そして、反対の腕は腰を思い切り引き寄せ、がっしりとホールドされている。

 「琉人!? な、なんだよお前!」

 俺の肩越しにぜいぜいと荒い息の琉人はなぜか佐々木さんを睨んでる?

 「神崎くん」

 佐々木さんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐさまその表情も戻り、真っ直ぐに琉人を見詰めていた。

 「蒼汰は駄目……俺のだから」

 琉人が訳の分からないことを言い出した。

 「はぁ!? 誰がお前のだ!!」

 いきなり現れて何を言ってやがる! イラッとしてしまい、掴まれていた腕をブンッと振りほどき、腰に回されていた腕も、強引に引き剥がす。そして、琉人から逃れるように佐々木さんの元へと歩み寄った。

 「佐々木さん、行こう」

 佐々木さんはなにやら複雑そうな顔をしていたが、今はなにも考えられない。とにかくこの場から離れたかった。琉人から逃げ出したかった。
 佐々木さんを促し、非常階段へと向かおうとしたとき、再び琉人が叫んだ。

 「待って、蒼汰!! 俺、お前に好きになってもらいたかった……幼馴染じゃなく恋人として……」
 「な、な、何言ってんだ! 佐々木さん! 冗談だから!」

 佐々木さんの前でなに言ってやがる!! 慌てて佐々木さんに取り繕い、とにかくこの場から逃げ出したくて必死だった。佐々木さんの背をグイグイと押す。

 「冗談じゃない!! 俺は……俺は蒼汰が好きなんだよ!!」
 「だぁ!! だからぁ!! そういうこと今ここで言うな!! お前が逃げ出したんだろうが!! 俺とはもう友達ですらいられないって言ったんだろうが!! なに勝手なこと言ってやがる!!」
 「そ、それは……蒼汰に嫌われたと思ったから……」
 「うるせー!! ちゃんと話をしようと思ったのに、話すらしなくなったのはお前だろうが!!」

 ヤイヤイ言い合っていると、背後から盛大な溜め息を吐かれた。あ、やべっ、佐々木さんのこと忘れてた……。おそるおそる振り向くと、溜め息を吐きながらジトッとした目でこちらを睨んでいた。

 「あー、もう! 私が春野くんに告白するはずだったのに!! 神崎くん、邪魔するなんてズルい!! 神崎くんが相手なんて勝てる訳ないじゃん」
 「は? え、いや、待って」

 佐々木さんの「俺に告白するはずだった」という俺にとってみたら重要であろう事実が、そのあとの意味不明発言によって打ち消されてしまった……。

 意味が分からんと混乱している俺をよそに、佐々木さんは俺を見上げながら苦笑した。

 「フフ、春野くん気付いてないでしょ? いつも神崎くんの姿を目で追ってたよ?」
 「えっ」

 な、なにそれ、俺っていつも琉人のこと目で追ってたの!?

 嫌な予感がし、そろりと琉人へ目をやると、驚いた顔で目を見開いていた琉人は、ふにゃりと嬉しそうな顔となった。

 「い、いや、ち、違う!! そ、そんなことは……」

 焦っていると、佐々木さんにさらに追い打ちをかけられる。

 「私もいつも春野くんを見てたから気付くよ。……だから、春野くんが傷付いてるのにも気付いてた……」

 佐々木さんは俺に向かい眉を下げながら微笑んだ。そして今度は琉人のほうへ向き、少し睨むように見た。

 「神崎くん、あの子とは?」

 佐々木さんに問われ、琉人は真面目な顔となった。そして、佐々木さんの隣に立つ俺にも視線を送り、そしてゆっくりと言葉にした。

 「断った。やっぱり好きな子がいるからって。どうしてもその子を諦められないからって」

 琉人から熱い眼差しを向けられドキリとする。

 佐々木さんに問われたはずなのだが、その言葉は俺に向けられて言われた言葉なのだと、琉人のその目が物語っていた。

 「そっか」

 佐々木さんはそんな琉人の姿を見て、少し寂しそうに笑い呟いた。そして俺を真っ直ぐに見詰める。

 「私も春野くんが好きだよ。でも仕方がないから神崎くんに譲ってあげる。きっと今の春野くんの傷は神崎くんにしか治せないから」
 「えっ」

 涙を浮かべながら佐々木さんは笑った。キャンプファイヤーから届く僅かな灯りが、佐々木さんの顔を照らしていた。涙の浮かぶ目はキラキラと輝いている。

 「神崎くん、次に春野くんを傷付けたら今度こそ私が春野くんをもらうからね!」

 佐々木さんはビシッと琉人を指差し、睨むように言い、そしてぐりんと俺のほうへと向き直ると笑った。

 「春野くん、神崎くんに泣かされたときは私が相談に乗ってあげるからね」
 「えっ」
 「な、泣かさない!!」
 「アハハ」

 焦った顔の琉人と訳が分からない俺、そして、佐々木さんは楽しそうに笑い手をヒラヒラとさせた。

 「じゃあね、バイバイ」
 「え、いや、佐々木さん!」

 佐々木さんは俺が呼び止めるのも聞かずに、駆け出し去って行った。去り際に俺だけに聞こえる声で「良かったね」と囁かれ、なんだかそわそわと落ち着かない気分となった。なぜ「良かったね」なのか……佐々木さんの表情は分からないままだった……。

 その場に残された俺と琉人。なんとなく気まずくて、沈黙の時間が流れた。非常階段の下からはいまだにキャンプファイヤーを楽しむ声が聞こえる。
 そろそろそれも終わりの時間が近付いているはずだ。もうすぐ教師たちが段取りしてくれている打ち上げ花火が始まるはず。

 「蒼汰……ごめん。ちゃんと話したい」

 琉人は俺に歩み寄り、そして、目の前に立ち尽くすと俺の手を取った。ビクッと身体が震え、強張る。しかし、俺の手を握る琉人の手も酷く冷たいわりには汗ばみ、そして、少し震えていた。

 俺よりも背の高い琉人の顔を見上げる。俯き、泣きそうな顔の琉人は、普段の無表情や精悍な顔とは程遠く、なんだか捨てられた仔犬のように見えて、思わず笑ってしまう。

 「プッ、お、お前、どんだけ情けない顔なんだよ」

 そう声を掛けると、琉人はバッと顔を上げ、目が合った。そして、潤んだ瞳で俺を見詰めたかと思うと、ガバッと俺を抱き締めた。ぎゅうぅぅっと思い切り抱き締められる。

 「蒼汰、蒼汰、ごめん!! あんな無理矢理キスしようとしてごめん!! 勝手にお前の気持ちを決め付けて逃げ出してごめん!! 友達でいられないなんて、あんなの嘘だ!! 蒼汰と離れるなんて絶対無理なのに……本当にごめん……」
 「うぐっ、く、苦しい……お、落ち着け。わ、分かったから、とりあえず離せ」
 「嫌だ」
 「逃げないから離せってば。これ以上絞められたら嫌いになるからな」
 「うっ」

 渋々ながらといった様子で、琉人は身体を離した。呆れながらも、そんな琉人がなんだか可愛く思い……って、ん? か、可愛い!? いやいやいや、俺よりもデカい男を可愛いとか可笑しいだろ。

 「と、とにかくちょっと座るか」

 手すりに凭れながら座り込むと、琉人は俺の横に並んで座った。肩が触れる。いや、近い! そろりと少し離れようとすると、それに気付いたのか琉人は俺の手を掴み、じいっと見詰めた。その圧に負け、溜め息を吐きながらもその位置から動くことなく、話を続けた。

 「あのさ、なんで幼馴染ってだけじゃ駄目なんだ? 幼馴染のままでもずっと一緒にはいられるじゃん」

 ただ単に一緒にいるだけなら、今まで通り幼馴染のままでも良いはずだ。

 「俺は……蒼汰を誰にも取られたくない」
 「うん? 取られたくないって、別に取られないだろ。現に今もお前が一番近いんだし」

 そう言うと琉人は嬉しそうにはにかみ、しかし、眉を下げた。

 「でも、蒼汰に彼女が出来たら、その子が一番になるじゃないか」
 「彼女が出来たら……」

 うーん、と考える。今まで彼女なんて出来たことがないのでよく分からない、というのが正直なところだが、でも、確かに彼女がいたら彼女優先になるのかなぁ。

 「そうだな……喧嘩してたとはいえ、お前もこの一ヶ月俺のことほったらかしだったしな」
 「うっ」
 「いや、あれは喧嘩というより、お前が一方的に俺を避けてただけだが」
 「ううっ」

 縋るような目で見る琉人の頭にへにょっとなったワンコの耳が見えそうだ。

 「ブフッ。い、いや、まあ、それはもう良いけどさ」
 「お前の一番が俺じゃなくなるのが嫌だった。佐々木さんと仲が良さそうなところを見るのも嫌だった。それなのに蒼汰は俺に彼女が出来ようが気にしてなさそうで……ずっと我慢してきたのに……お前が好きだって口に出てしまった……でも、蒼汰は俺のこと幼馴染としてしか思ってなくて……思わずカッとして……ごめん、あんなことして……」

 段々と尻すぼみになり、最後には俯いてぼそぼそと言葉にする琉人。あの日のことを思い出してしまい、顔が火照る。あんな熱っぽい目を向けられたことなんてない。首筋を這った熱い舌の感触を思い出してしまいゾクリとする。

 「俺は……蒼汰が好きだよ。蒼汰が俺のことを幼馴染としてしか見られなくても……俺は蒼汰が好きだ。ずっと……これからも……」

 項垂れた姿勢のまま、横に座る俺の顔を見上げ言った。その顔は寂しそうに微笑む。その笑顔になぜだか胸が締め付けられた。
 こいつはなぜそこまで俺のことが好きなんだ? 友達としてじゃなく、恋愛対象として好きなんだよな……。俺の一番になりたくて……。

 「なんでそんなに俺のこと好きなの?」

 純粋に理由が分からなかった。俺も琉人のことは好きだ。だが、それは幼馴染として、友達として好きな訳で、恋愛対象になるのかと言われると……。

 琉人は俺の手を取りぎゅっと握り、熱を帯びた目を向ける。そのことにドキリとし、先程までのワンコのような姿とも、普段の無表情とも違い、なんだか緊張してしまう。
 そんな俺の緊張が伝わったのか、琉人はフッと嬉しそうに笑った。

 「俺の父親が死んだ時のこと覚えてる?」
 「ん? ああ」

 琉人の父親は俺たちが六歳の頃に亡くなった。確か、夜に帰宅途中で車の事故に遭って……。

 「俺はあのとき……父さんが死んだとき……母さんが泣き崩れてるのを見て泣けなかった。母さんがあんなに泣いている姿を見たことがなかったから……子供心に「あぁ、これからは俺がしっかりしないと」って思った」

 握り締める俺の手を見詰めながら、琉人は当時を思い出しているのか、少し眉を下げながら悲しそうに笑う。その姿に俺も当時の記憶が蘇り、胸が苦しくなる。あのときのみっちゃんの取り乱しようは子供の俺にも堪えた。琉人はなおさらだろう。

 「だけど、あのときお前が俺の手を握って、涙をいっぱい目に溜めて言ってくれたんだよ。「涙は俺が我慢してやるから、お前は泣け」って。「俺しか見てないから今だけ泣いてろ」って」

 な、なんだそれ、俺そんなこっぱずかしいこと言ったっけ!? ガキのくせになに言ってんだか!

 カァァッと顔が熱くなるのを感じたが、琉人はそれを気にするでもなく、俺の手を握り締めたまま、愛おしいものを見るような眼差しを向け微笑んだ。

 「それを聞いて俺は我慢していたものが一気に崩れ落ちた。涙が止まらなかった。でもお前は何も言わずにぎゅうっと俺を抱きしめてくれてた。その身体が温かくて、幸せで、もっと涙が溢れて……あぁ、俺は蒼汰が好きだ、って思った」
 「えっと、ちょっと待て。そ、それでいくと……十年? 十年も前から俺のこと好きなのか!?」
 「引いた?」

 琉人は驚く俺に向かい眉を下げながら苦笑した。

 「えっ、いや、そういう訳じゃないけど……」

 十年もの長い間、こいつは俺の隣にいながら俺を好きだと思って……それなのにただの友達のフリをして傍にいてたって訳?
 な、なんかそれって……。
 ずっと俺への想いを隠しながら、俺に嫌われないように健気に友達のフリをしてたなんて……キュンと胸が締め付けられた。い、いやいやいや、キュンて!! ち、違う!!

 自分のこの胸の高鳴りがそわそわと落ち着かなく、目が泳いでいると、琉人は握っていた俺の手を自身の口元へと持って行き、チュッと口付けた。

 「お、おい!」

 焦る俺をよそに、琉人は熱い眼差しを向けたまま言葉を続けた。

 「あの日以来、俺はずっと蒼汰だけが好きだ。蒼汰が傍にいてくれるだけで、俺は強くなれた。でも……蒼汰がいないと俺は……駄目なんだ……」
 「お、お、お前……」

 なんつーこっぱずかしい台詞を!! 熱い眼差しのまま熱い想いを言葉にされ、俺の心臓はどうにかなってしまったのかというほど早鐘を打つ。思わず後ろに逃げそうにもなるが、俺の手を握る琉人の手は俺を逃がさないという強い意志を感じる。

 「お前が佐々木さんに呼び出されてたって、聞いて……告白されるんじゃないか、って皆が噂していて……めちゃくちゃ焦った……」
 「えっ、そんな噂されてたのか!?」

 佐々木さんに連れられて移動した後に、そんなことを言われていたなんて……。驚いて目を見開いていると、琉人は拗ねたような顔となる。

 「蒼汰は鈍いから……」
 「鈍いってなんだよ」
 「佐々木さんもだけど、他にも色々女子に好かれてるの知らないでしょ」
 「はぁ? 俺がそんな女子に好かれてるなんてことある訳ないだろ。お前じゃあるまいし」

 俺なんかモテたことないのに嫌味か。イラッとしながら琉人の顔を見ると、呆れたように溜め息を吐かれた。

 「はぁぁ、だから蒼汰は鈍いんだよ。蒼汰は誰にでも優しいから……男女共にモテるから油断出来ないんだよ」

 ブスッとした顔でブツブツと文句を言うように言われ、意味が分からん。俺が男女共にモテてる? そんな素振り見たこともないわ。モテモテの琉人に言われても説得力ないっつーの!
 モテたことなんかないと反論しても、痛い奴を見るような目で見られイラッとする。

 口を尖らせ拗ねたように「蒼汰は自分を分かってない」とか言われて、イラッともしたが、しかし、その拗ねた姿がなんだか可愛く……い、いや、違う!

 「佐々木さんに呼び出されたことを聞いてから、必死に走り回って……どこにいるのか分からなくて……焦って……やっと見つけたんだよ」
 「だからそんな汗だくだったのかよ」

 プッと笑いが漏れると、琉人は再びブスッとした顔となった。その顔がなんだか幼く見えて可愛い……い、いや、だから!! なんで可愛く……う、うーん……うん、いや、可愛いんだよ。うん。素直になれ、俺! 今の琉人はなんだか可愛い! 認めろ!

 琉人の顔にそっと手を伸ばした。ビクリと小さく身体を震わせた琉人は、しかし、俺の手を拒むことはなく、そのまま受け入れた。
 汗ばむ額に貼り付いた前髪をそっと撫で掻き上げると、嬉しそうにはにかみ、俺の手にすりっと擦り寄るように琉人は目を閉じた。

 なんだか仔犬を撫でているような気分にもなるが、こんな甘えたような顔を見せるのは俺にだけ……そう思うとなにやら独占欲が……琉人のこんな姿を他の誰かに見せたくない、とそう思ってしまった。

 すりすりと俺の手に甘えるように頬を摺り寄せる琉人。あぁ、なんだか妙な気分に……。気付けば、俺は吸い寄せられるように無意識に琉人の唇と自身の唇を重ねていた……。

 目を見開いた琉人の姿が目の前に……そのとき我に返り慌てて身体を離した。

 「ご、ご、ごめん!! いや、ち、違うんだ!! な、なんか……その……」

 な、なにが違うんだよ!! 馬鹿か、俺!! 無意識にキスするとかありえねー!! 自分が信じらんねー!! なにやってんだよ!!

 言い訳を繰り広げている俺をよそに、琉人は驚いた顔から一気に鋭い目となり、俺の腕を掴み引き寄せた。そして、俺の後頭部と腰をがっしりとホールドすると、勢い良く唇を合わせた。

 「んぐっ」

 ぐぐぐっと前のめりに、圧し掛かられるように唇を合わされ、苦しさのあまり琉人の背を叩く。
 琉人はそれに応えるように唇を離すと、荒い息で俺を見下ろし、そのまま俺を抱き締めた。

 「蒼汰、蒼汰、好きだ。蒼汰も俺のことを好きだと思ってくれてるって認識で合ってる?」

 少し震えているような、そんな不安そうな声で問い掛けてくる琉人。琉人の背に俺も腕を回し、ぎゅっと抱き締め返す。ピクリと反応した琉人は俺の言葉を待った。

 「そ、その……ごめん、正直、まだはっきりとは分からない……でも……」

 無意識にでも唇を自分から重ねたんだ。もし琉人のことを本当に友達としてしか思っていないなら、そんなこと絶対しないはず。

 「俺はお前が俺だけに見せる姿を他の誰にも見せたくないって思った……。お前に甘えられるのを嬉しいと思った……だから、その……お前の気持ちに追い付くのもすぐだと思うから……その……」

 だ、駄目だ! な、情けねー!! なんで言葉に出来ないんだよ!! 琉人は正直に全て伝えてくれたのに!!

 しどろもどろになっている俺を尻目に、身体を離した琉人はクスッと笑った。そして、言葉に出来ない俺なのに、なぜか嬉しそうにはにかんだかと思うと、琉人の目からはホロリと大粒の涙が落ちた。

 「うん。待ってる。蒼汰が俺のこと恋人として好きになってくれるのを待ってるから。ありがとう、嫌わないでいてくれて……」

 そう言って、優しく細めた目からはボロボロと涙が次々に零れ落ち、そして、琉人は嬉しそうにふんわりと優しく唇を重ねた。

 「!? お、お、お前!!」
 「これからは遠慮しないから。早く俺のこと好きになってね?」

 涙を落としながらもにこりと微笑んだ琉人。その表情とは裏腹に言葉の圧が……。


 背後では学祭の終わりを告げる花火が打ち上がり、校庭からは歓声が聞こえて来る。
 俺と琉人は花火を見詰めつつ、琉人から伸ばされた手になんだかそわそわとしながらも、繋ぐその手は初めての感情になんだかドキドキとした。しかし、それはお互い「幼馴染」という関係性が変わってきたのだということを物語っていた。

 その後、仲直りしたのか、とクラスメイトから笑われるほど、以前にも増して琉人が俺にベッタリとなり、さらには琉人が彼女と別れたなどの噂も広がったため、俺たちの話題はしばらく収まることがなかった。佐々木さんを始め、皆からなにかしら揶揄われる日常となったのは言うまでもない。

 あまりの琉人のベッタリ具合に、俺たちの関係を冗談半分に揶揄われることも多かったが、元々いつも一緒にいた俺たちの仲を本気で疑う奴はいなかった。唯一、佐々木さんだけは生暖かい目を向けていたが……ハハハ……。

 そして、今まで以上に一緒に過ごすことが増えた俺と琉人。
 俺のなかで少しずつ咲いて来たこの感情を、琉人に伝える日も遠くはないだろう……。



 完