同窓会の会場は、中学時代のクラスメイトの親が営んでいる居酒屋だった。
彼とは、中学時代に話した記憶は、ほとんど残っていない。彼はとにかく勉強ができる人だった。休憩時間にはよくクラスメイトから質問をされていた。そんな彼が今では居酒屋を経営しているなんて。
「久しぶり、秋月《あきづき》君」
「おう、久しぶりだな。川本《かわもと》。なんだ、亜紀子も一緒か」
「なによー。その言いかた」
亜紀子は、拗ねたような仕草をしたけれど、なんだか嬉しそうだった。
「秋月君、変わったね。なんか、たくましくなった」
「当たり前だよ。働くのって大変だからな」
「そうよね」
「お前、いま何してんだよ」
「……とくに何も」
「そっか……。今回の同窓会は、急だったから、そんなには集まらなかったみたいだけど、まあ、ゆっくりしていけよな」
「うん、ありがとう。……里村君はもう来てる?」
「ああ、あいつなら一番先に来たぞ。奥で待ってるよ」
「わかった」
私はそう言って、奥の座敷の部屋に向かった。
店内は混雑している。色んな声が聞こえてくる。色んな声が重なり合って、みんな何を話しているんだろうか。聞き取れているんだろうか。
座敷の部屋の襖を開けると、部屋の中には、里村君を含めて、六人いた。
心が凪いだ。
里村君がいる。当たり前の事なのに、私の心臓が高鳴る。
亜紀子が目配せをした。
私は相槌を打ってから、里村君の隣に座った。
里村君は少しだけ、私の方に顔を向けた。でも、すぐに、元の位置に顔を戻した。私は里村君に話しかけるのが、すごく怖くなった。心に鍵がかかってしまったみたいだ。無視されたらどうしよう。でも、この町に帰って来て、里村君に会う決心をした。自分から話しかけなくちゃ。
周りを見渡すと、私と里村君以外は会話が弾んでいるようだ。亜紀子はすごく良い顔をしている。やっぱり、亜紀子には、いつも明るい表情でいて欲しい。
亜紀子と目が合った。その瞳からは、大丈夫だよ、と声が聞こえてきそうだ。
私は心の鍵を無理やりこじ開けて、里村君に声をかけた。
「……久しぶり。元気にしてた?」
里村君は俯いていた顔を少し上げて、
「久しぶり」
それだけ言うと、また俯いた。
ここまで来たら、もう引き下がれない。勇気を出して、踏み込まないと。
「歌は、まだ、歌ってるの?」
「……」
「あっ! まだって、別にマイナスの意味じゃないからね……。言い方が悪かった。ごめんなさい……。歌は、今も歌ってる?」
昔みたいに、も言いたかったけれど、それは言葉にならなかった。
数秒間、周りの喧騒が、やけに大きく感じた。里村君が言葉を発するまでの数秒間は、今までに経験した事がないほどの、長い数秒間だった。
その言葉は、強くて深い響きだった。
「歌ってるよ」
ああ、里村君だ。私の知っている里村隼人だ。変わっていなかった。でも、里村君に変わって欲しくない、昔のままでいて欲しいと願うのは、私の勝手な願いだ。私だって、変わってしまった。もう、あの頃の、里村君の歌声に、素直に耳を傾けていた私はいない。
里村君は、一つの事を続けている。立派な事だ。一つの事を続ける難しさは、私にだって、わかってはいるつもりだ。歌を歌い続けている。その事実は、私の心の温度を上げてくれたけれど、少しだけ、自分の事が嫌いにもなった気がした。
「今は、どんな活動をしてるの?」
私は出来るだけ快活な振りをしてから、そう言った。
「今は、色んな施設で歌ってる。老人ホームや、障がいを持った人たちがいる施設で」
「そっか、そっか……。素敵だな」
「僕は、僕の歌を聴いてくれる人が一人でもいてくれれば、その人のために、どんな場所でも歌いたいんだ。あのときみたいに」
「あのときって?」
「君に聴いてもらっていたときだよ」
私の頭の中では、一瞬であの頃の風景が蘇る。気温や匂いまで感じられそうなほど、リアルに鮮明に。
「覚えててくれたんだ」
「うん。誰かのために歌を歌ったのは、あのときが初めてだったから。忘れない。それまでは、自分の気持ちを落ち着かせるためだけに歌を歌ってた。君に歌を聴いてもらえたことは、僕の中で、とても、大きな出来事だった」
「そうなんだね……。私が初めての観客だったんだね……。すごく、うれしい。ありがとう。私、中学を卒業してから、上京したでしょ……。上京してからは、辛いことばかりだったの。自分で決めたことだけど。正直、何度も心が折れそうになった。でも、その度に、里村君の歌と、歌声を思い出してた。そしたら、心が優しくなるの。ギザギザで、ざらざらになってた心も、さらさらになるの。すごく、心強かった」
「うん」
里村君はそう言うと、私の双眸を、じっと見つめてきた。あの時の瞳で。その瞳は全く変わっていなかった。むしろ、その瞳は、より強さを増しているように感じる。
私は思わず目を逸らしてしまった。
その瞬間に、里村君は立ち上がった。
亜紀子が、里村君が立ち上がった事に気付いたらしく、
「里村、どうした?」と言った。
「うん。お手洗い」
「おう」と言って、亜紀子は、他のクラスメイトとの会話に戻った。
里村君が席から離れて、トイレに行く姿を目で追うと、ある違和感を抱いた。里村君の姿が、あの当時の姿と被らない。
「背、伸びたんだね……」と私は呟いた。
里村君が部屋を出てからすぐに、亜紀子が私の隣に飛び込んできた。
「どうだった? ちゃんと、話せた? 大丈夫だよね。紗也なら」
「……うん。話せたけど。里村君は頑張ってて。亜紀子だって、秋月君だって、他のみんなだって、そう。私だけ、何も成長してない気がする。上京までしたのに……」
亜紀子は、私の肩に手を置いて、
「そんなに抱え込まなくてもいいんだよ。辛いなら帰っておいでよ。みんな、喜ぶと思うよ。もちろん、強制はできないけど。それは、紗也が決めることだけどさ……」と言った。
洋服越しでも、その手の温もりが伝わってきた。心の奥まで。
「うん、ありがとう……。でも、まだ……」
その時、襖が開いた。里村君が戻ってきた。
「じゃあ、また後でね。いつでも、話は聞くからね」
亜紀子はそう言うと、里村君の元に行って、何かを話し始めた。里村君は何度か頷いてから、また、私の隣に座った。
「おかえり……。亜紀子と、なにを話してたの?」
「うん、たいしたことじゃないよ」
また、沈黙が訪れる。
その沈黙を破ったのは、里村君の言葉だった。
「ちょっと、外で話せないかな?」
「ん?」
私はちょうどグラスを口に当てていたので、そんな反応しかできなかった。グラスをゆっくりと置いてから聞いた。
「えっ……。私とふたりで?」
「うん」
「大丈夫だけど……」
里村君は自分から人に話しかけるタイプではないし、ましてや、自分から人を誘うタイプでもない。大丈夫とは言ったけれど、何が大丈夫なのか、正直、自分でもよくわからなかった。
「じゃあ、先に出てるから」
里村君はそう言って、部屋の外に出て行ってしまった。
私は亜紀子に声をかけて、ドリンクを一口飲んでから席を立った。
部屋を出る時に、亜紀子に目をやると、大きく一度だけ頷いてくれた。
彼とは、中学時代に話した記憶は、ほとんど残っていない。彼はとにかく勉強ができる人だった。休憩時間にはよくクラスメイトから質問をされていた。そんな彼が今では居酒屋を経営しているなんて。
「久しぶり、秋月《あきづき》君」
「おう、久しぶりだな。川本《かわもと》。なんだ、亜紀子も一緒か」
「なによー。その言いかた」
亜紀子は、拗ねたような仕草をしたけれど、なんだか嬉しそうだった。
「秋月君、変わったね。なんか、たくましくなった」
「当たり前だよ。働くのって大変だからな」
「そうよね」
「お前、いま何してんだよ」
「……とくに何も」
「そっか……。今回の同窓会は、急だったから、そんなには集まらなかったみたいだけど、まあ、ゆっくりしていけよな」
「うん、ありがとう。……里村君はもう来てる?」
「ああ、あいつなら一番先に来たぞ。奥で待ってるよ」
「わかった」
私はそう言って、奥の座敷の部屋に向かった。
店内は混雑している。色んな声が聞こえてくる。色んな声が重なり合って、みんな何を話しているんだろうか。聞き取れているんだろうか。
座敷の部屋の襖を開けると、部屋の中には、里村君を含めて、六人いた。
心が凪いだ。
里村君がいる。当たり前の事なのに、私の心臓が高鳴る。
亜紀子が目配せをした。
私は相槌を打ってから、里村君の隣に座った。
里村君は少しだけ、私の方に顔を向けた。でも、すぐに、元の位置に顔を戻した。私は里村君に話しかけるのが、すごく怖くなった。心に鍵がかかってしまったみたいだ。無視されたらどうしよう。でも、この町に帰って来て、里村君に会う決心をした。自分から話しかけなくちゃ。
周りを見渡すと、私と里村君以外は会話が弾んでいるようだ。亜紀子はすごく良い顔をしている。やっぱり、亜紀子には、いつも明るい表情でいて欲しい。
亜紀子と目が合った。その瞳からは、大丈夫だよ、と声が聞こえてきそうだ。
私は心の鍵を無理やりこじ開けて、里村君に声をかけた。
「……久しぶり。元気にしてた?」
里村君は俯いていた顔を少し上げて、
「久しぶり」
それだけ言うと、また俯いた。
ここまで来たら、もう引き下がれない。勇気を出して、踏み込まないと。
「歌は、まだ、歌ってるの?」
「……」
「あっ! まだって、別にマイナスの意味じゃないからね……。言い方が悪かった。ごめんなさい……。歌は、今も歌ってる?」
昔みたいに、も言いたかったけれど、それは言葉にならなかった。
数秒間、周りの喧騒が、やけに大きく感じた。里村君が言葉を発するまでの数秒間は、今までに経験した事がないほどの、長い数秒間だった。
その言葉は、強くて深い響きだった。
「歌ってるよ」
ああ、里村君だ。私の知っている里村隼人だ。変わっていなかった。でも、里村君に変わって欲しくない、昔のままでいて欲しいと願うのは、私の勝手な願いだ。私だって、変わってしまった。もう、あの頃の、里村君の歌声に、素直に耳を傾けていた私はいない。
里村君は、一つの事を続けている。立派な事だ。一つの事を続ける難しさは、私にだって、わかってはいるつもりだ。歌を歌い続けている。その事実は、私の心の温度を上げてくれたけれど、少しだけ、自分の事が嫌いにもなった気がした。
「今は、どんな活動をしてるの?」
私は出来るだけ快活な振りをしてから、そう言った。
「今は、色んな施設で歌ってる。老人ホームや、障がいを持った人たちがいる施設で」
「そっか、そっか……。素敵だな」
「僕は、僕の歌を聴いてくれる人が一人でもいてくれれば、その人のために、どんな場所でも歌いたいんだ。あのときみたいに」
「あのときって?」
「君に聴いてもらっていたときだよ」
私の頭の中では、一瞬であの頃の風景が蘇る。気温や匂いまで感じられそうなほど、リアルに鮮明に。
「覚えててくれたんだ」
「うん。誰かのために歌を歌ったのは、あのときが初めてだったから。忘れない。それまでは、自分の気持ちを落ち着かせるためだけに歌を歌ってた。君に歌を聴いてもらえたことは、僕の中で、とても、大きな出来事だった」
「そうなんだね……。私が初めての観客だったんだね……。すごく、うれしい。ありがとう。私、中学を卒業してから、上京したでしょ……。上京してからは、辛いことばかりだったの。自分で決めたことだけど。正直、何度も心が折れそうになった。でも、その度に、里村君の歌と、歌声を思い出してた。そしたら、心が優しくなるの。ギザギザで、ざらざらになってた心も、さらさらになるの。すごく、心強かった」
「うん」
里村君はそう言うと、私の双眸を、じっと見つめてきた。あの時の瞳で。その瞳は全く変わっていなかった。むしろ、その瞳は、より強さを増しているように感じる。
私は思わず目を逸らしてしまった。
その瞬間に、里村君は立ち上がった。
亜紀子が、里村君が立ち上がった事に気付いたらしく、
「里村、どうした?」と言った。
「うん。お手洗い」
「おう」と言って、亜紀子は、他のクラスメイトとの会話に戻った。
里村君が席から離れて、トイレに行く姿を目で追うと、ある違和感を抱いた。里村君の姿が、あの当時の姿と被らない。
「背、伸びたんだね……」と私は呟いた。
里村君が部屋を出てからすぐに、亜紀子が私の隣に飛び込んできた。
「どうだった? ちゃんと、話せた? 大丈夫だよね。紗也なら」
「……うん。話せたけど。里村君は頑張ってて。亜紀子だって、秋月君だって、他のみんなだって、そう。私だけ、何も成長してない気がする。上京までしたのに……」
亜紀子は、私の肩に手を置いて、
「そんなに抱え込まなくてもいいんだよ。辛いなら帰っておいでよ。みんな、喜ぶと思うよ。もちろん、強制はできないけど。それは、紗也が決めることだけどさ……」と言った。
洋服越しでも、その手の温もりが伝わってきた。心の奥まで。
「うん、ありがとう……。でも、まだ……」
その時、襖が開いた。里村君が戻ってきた。
「じゃあ、また後でね。いつでも、話は聞くからね」
亜紀子はそう言うと、里村君の元に行って、何かを話し始めた。里村君は何度か頷いてから、また、私の隣に座った。
「おかえり……。亜紀子と、なにを話してたの?」
「うん、たいしたことじゃないよ」
また、沈黙が訪れる。
その沈黙を破ったのは、里村君の言葉だった。
「ちょっと、外で話せないかな?」
「ん?」
私はちょうどグラスを口に当てていたので、そんな反応しかできなかった。グラスをゆっくりと置いてから聞いた。
「えっ……。私とふたりで?」
「うん」
「大丈夫だけど……」
里村君は自分から人に話しかけるタイプではないし、ましてや、自分から人を誘うタイプでもない。大丈夫とは言ったけれど、何が大丈夫なのか、正直、自分でもよくわからなかった。
「じゃあ、先に出てるから」
里村君はそう言って、部屋の外に出て行ってしまった。
私は亜紀子に声をかけて、ドリンクを一口飲んでから席を立った。
部屋を出る時に、亜紀子に目をやると、大きく一度だけ頷いてくれた。