改札を出ると、懐かしい匂いがした。
この町は、乾いた感じがする。乾いた匂い。私は、この匂いが嫌いだった。
周りを見渡すと、傘を持っているのは、私だけだった。
天気予報は外れたようだ。
改札を出てから見える風景は、ほとんど変わってはいない。
都会では、驚くほど、時間が流れるのが速い。
ここは、変わらないんだな。東京から、そんなに離れているわけでもないのに。
改札を出て、目の前にある広場まで行った。
そこで、彼女は待ってくれていた。女性にしては長身で、かつ痩身。黒髪のショートカットで、黒髪が重いと感じない。愛くるしい瞳の持ち主。
亜紀子だ。
「ごめんね……。同窓会の前に、呼び出しちゃって」
「呼び出しなんて、言わないでよー。学校で、悪さしたわけじゃないんだから。友達でしょ?」
「うん……。ありがとう。どうしても、ひとりじゃ、お店には行きづらくて……」
「そうよね……。私こそ、気が利かなかったね」
「ううん、早めに来てくれただけで、じゅうぶんだよ」
「どこで話す?」
「うーん、すぐ近くに、久しぶりに行きたい喫茶店があるの……。昔、里村君と行ったことがあるお店」
「へー、あんたたち、仲良かったもんね。じゃあ、そこで話そうか」
「うん」
その喫茶店は、改札を出てから、五分ほど歩いたところに店を構えている。
その店に里村君と一緒に行ったのは、里村君の歌を聴いた最後の日だった。
私はブラックコーヒーが今でも飲めない。その時はカフェラテを注文した記憶がある。
里村君はクリームソーダだったはず。私は、そんな彼を、とても可愛いと思った。愛おしいとも思った。
彼はクリームソーダが席に届いても手をつけなかった。
私が、「飲まないの?」と聞いたら、「泡の数を数えてるんだ」と彼は言った。
私は、「ふーん」と言って、カフェラテに、砂糖をスプーンで掬って、二杯入れた。
その後、特に会話も無かった。店内は暖房が効いていなかったのか、すごく寒かった気がする。
私は早く帰りたくて、少しイライラしていた。
彼は私がカフェラテを呑み終えても、まだ、グラスの半分以上、クリームソーダを残していた。
その時には、アイスはべとべとに溶けて、グラスの中は混沌とした世界のように様変わりしていた。
「もう、里村君って、飲むの遅いんだね。先に帰るよ」と私が言うと、彼は、ひどく寂しそうな瞳で私を見つめ返してきた。
私はその瞳に耐え切れなくなって、カフェラテとクリームソーダの代金をテーブルに置いて先に帰ってしまった。
それ以来、彼とはあまり話さなくなってしまった。
その店に着くと、そこには、学生服を着た男の子と女の子がいた気がした。
立ち止まって、もう一度見直すと、そこにいたのは、何の特徴もない二十代前半ぐらいの男女だった。
亜紀子が、「じゃあ、入ろっか」と私を手招いたので、私は、「うん」と行って、店の中に入った。
店内は、その男女以外に客はいなかった。
マスターは、あの時から変わっていない。五年の歳月が流れたけれど、このお店もマスターも、時が止まっているようだ。
私はカフェラテを頼んで、亜紀子はブレンドコーヒーを注文した。
「会うのって、何年振りだっけ?」
「うーん、三年振りぐらいかな。亜紀子は変わらないね。あいかわらず」
「そーお? 紗也だって、全然変わってないよ」
「私は……」
言葉が続かない。
「あんた達、ほんと、いつも一緒にいたよね。学校の帰り道にある河川敷を、一緒に歩いてるとこを何度か見たことあるよ」
「え? そうなんだ……」
私は、里村君と一緒にいるところを、亜紀子に見られていた事を初めて知った。
「里村ってさー、あんまり友達いなかったみたいだけど、紗也とは、仲良くしてたよね」
「仲が良かったかはわからないけど……。私も、亜紀子以外に、そんなに仲がいい友達っていなかったよ。亜紀子は、たくさんいたよね。みんなから慕われてたよ」
「そうかな……。今でも付き合いがある人なんて、あんまりいないよ」
「私は、中学を卒業してからも連絡を取ってるのは亜紀子だけだよ」
「そっかー。なんかうれしいな」
マスターが、カフェラテとブレンドコーヒーを席に運んできた。テーブルに、カップを置く時、全く音がしなかった。
「それで、なんで来てくれる気になったの?」
「それは……。亜紀子に会いたかったし……、里村君のことも気になってて」
「そっか、そっかー。素直でいいじゃん。ほんとは、私よりも、里村に会いたかったんでしょー?」
「そんなことないよ。もう、意地悪な質問しないでよー」
「ごめん、ごめん。ちょっと、からかっただけだよ」
「里村君には、最近、会った?」
「いや、会ってないよ。私は、もともと、そんなに仲が良かったわけでもないしね」
「そっか……」
「気になってるねー。もう少しで、会えるんだからさ」
「うん、そうだね。なんか、緊張するな」
「大丈夫だよ。って、なんの保証もできないけどね」
「ううん。亜紀子が、そう言ってくれると、ほんとに大丈夫な気がするよ。ありがとう」
その後、他愛もない話をした。
亜紀子は、私が話した事に、抜群の笑顔で何度も頷いてくれた。
「そろそろ、行こうか」
と亜紀子が言った。
私は、「うん」と言って、伝票に手を伸ばした。すると、亜紀子が、颯爽と伝票を奪い去る。
「ここはいいから」
「えー、でも……」
「いいよ。でも、同窓会は、きちんと割り勘だからね」
「うん、ありがとう」
店を出ると、生温い風が髪の毛を踊らせた。
バス停で待っていると、私の隣に、私が通っていた中学校の生徒が並んだ。
彼女は物静かそうな子で、手には参考書を持っている。とても小柄でぶかぶかの制服を着ている。
まだ、中学一年生ぐらいだろうか。彼女は私の視線に気づいたのか、気まずそうに参考書に目を落とした。
それから二分ぐらいたってバスがやってきた。
この町は、乾いた感じがする。乾いた匂い。私は、この匂いが嫌いだった。
周りを見渡すと、傘を持っているのは、私だけだった。
天気予報は外れたようだ。
改札を出てから見える風景は、ほとんど変わってはいない。
都会では、驚くほど、時間が流れるのが速い。
ここは、変わらないんだな。東京から、そんなに離れているわけでもないのに。
改札を出て、目の前にある広場まで行った。
そこで、彼女は待ってくれていた。女性にしては長身で、かつ痩身。黒髪のショートカットで、黒髪が重いと感じない。愛くるしい瞳の持ち主。
亜紀子だ。
「ごめんね……。同窓会の前に、呼び出しちゃって」
「呼び出しなんて、言わないでよー。学校で、悪さしたわけじゃないんだから。友達でしょ?」
「うん……。ありがとう。どうしても、ひとりじゃ、お店には行きづらくて……」
「そうよね……。私こそ、気が利かなかったね」
「ううん、早めに来てくれただけで、じゅうぶんだよ」
「どこで話す?」
「うーん、すぐ近くに、久しぶりに行きたい喫茶店があるの……。昔、里村君と行ったことがあるお店」
「へー、あんたたち、仲良かったもんね。じゃあ、そこで話そうか」
「うん」
その喫茶店は、改札を出てから、五分ほど歩いたところに店を構えている。
その店に里村君と一緒に行ったのは、里村君の歌を聴いた最後の日だった。
私はブラックコーヒーが今でも飲めない。その時はカフェラテを注文した記憶がある。
里村君はクリームソーダだったはず。私は、そんな彼を、とても可愛いと思った。愛おしいとも思った。
彼はクリームソーダが席に届いても手をつけなかった。
私が、「飲まないの?」と聞いたら、「泡の数を数えてるんだ」と彼は言った。
私は、「ふーん」と言って、カフェラテに、砂糖をスプーンで掬って、二杯入れた。
その後、特に会話も無かった。店内は暖房が効いていなかったのか、すごく寒かった気がする。
私は早く帰りたくて、少しイライラしていた。
彼は私がカフェラテを呑み終えても、まだ、グラスの半分以上、クリームソーダを残していた。
その時には、アイスはべとべとに溶けて、グラスの中は混沌とした世界のように様変わりしていた。
「もう、里村君って、飲むの遅いんだね。先に帰るよ」と私が言うと、彼は、ひどく寂しそうな瞳で私を見つめ返してきた。
私はその瞳に耐え切れなくなって、カフェラテとクリームソーダの代金をテーブルに置いて先に帰ってしまった。
それ以来、彼とはあまり話さなくなってしまった。
その店に着くと、そこには、学生服を着た男の子と女の子がいた気がした。
立ち止まって、もう一度見直すと、そこにいたのは、何の特徴もない二十代前半ぐらいの男女だった。
亜紀子が、「じゃあ、入ろっか」と私を手招いたので、私は、「うん」と行って、店の中に入った。
店内は、その男女以外に客はいなかった。
マスターは、あの時から変わっていない。五年の歳月が流れたけれど、このお店もマスターも、時が止まっているようだ。
私はカフェラテを頼んで、亜紀子はブレンドコーヒーを注文した。
「会うのって、何年振りだっけ?」
「うーん、三年振りぐらいかな。亜紀子は変わらないね。あいかわらず」
「そーお? 紗也だって、全然変わってないよ」
「私は……」
言葉が続かない。
「あんた達、ほんと、いつも一緒にいたよね。学校の帰り道にある河川敷を、一緒に歩いてるとこを何度か見たことあるよ」
「え? そうなんだ……」
私は、里村君と一緒にいるところを、亜紀子に見られていた事を初めて知った。
「里村ってさー、あんまり友達いなかったみたいだけど、紗也とは、仲良くしてたよね」
「仲が良かったかはわからないけど……。私も、亜紀子以外に、そんなに仲がいい友達っていなかったよ。亜紀子は、たくさんいたよね。みんなから慕われてたよ」
「そうかな……。今でも付き合いがある人なんて、あんまりいないよ」
「私は、中学を卒業してからも連絡を取ってるのは亜紀子だけだよ」
「そっかー。なんかうれしいな」
マスターが、カフェラテとブレンドコーヒーを席に運んできた。テーブルに、カップを置く時、全く音がしなかった。
「それで、なんで来てくれる気になったの?」
「それは……。亜紀子に会いたかったし……、里村君のことも気になってて」
「そっか、そっかー。素直でいいじゃん。ほんとは、私よりも、里村に会いたかったんでしょー?」
「そんなことないよ。もう、意地悪な質問しないでよー」
「ごめん、ごめん。ちょっと、からかっただけだよ」
「里村君には、最近、会った?」
「いや、会ってないよ。私は、もともと、そんなに仲が良かったわけでもないしね」
「そっか……」
「気になってるねー。もう少しで、会えるんだからさ」
「うん、そうだね。なんか、緊張するな」
「大丈夫だよ。って、なんの保証もできないけどね」
「ううん。亜紀子が、そう言ってくれると、ほんとに大丈夫な気がするよ。ありがとう」
その後、他愛もない話をした。
亜紀子は、私が話した事に、抜群の笑顔で何度も頷いてくれた。
「そろそろ、行こうか」
と亜紀子が言った。
私は、「うん」と言って、伝票に手を伸ばした。すると、亜紀子が、颯爽と伝票を奪い去る。
「ここはいいから」
「えー、でも……」
「いいよ。でも、同窓会は、きちんと割り勘だからね」
「うん、ありがとう」
店を出ると、生温い風が髪の毛を踊らせた。
バス停で待っていると、私の隣に、私が通っていた中学校の生徒が並んだ。
彼女は物静かそうな子で、手には参考書を持っている。とても小柄でぶかぶかの制服を着ている。
まだ、中学一年生ぐらいだろうか。彼女は私の視線に気づいたのか、気まずそうに参考書に目を落とした。
それから二分ぐらいたってバスがやってきた。