「じゃんけんで勝ったら、本当にもらえるの?」
青空が広がる夏の午後。じーわじーわと、蟬の声がけたたましく響いている小さな駄菓子屋・にわとり。色とりどりの駄菓子よりも存在感のある同級生は、なんの前触れもなくうちにやってきた。
「俺の声、聞こえてる?」
一年三組の三嶋琉生。
顔面偏差値がバカ高くて、女子からきゃーきゃー言われているやつ。モテているくせに愛想の欠片もなく、俺からすればちょっといけ好かないと感じていた男でもあった。
「え、あ、ああ、聞こえてる、聞こえてる」
「それで、本当にじゃんけんで勝ったらなんでも持っていっていいの?」
「もちろん。ただし一発勝負で、あいこも負けなんで」
運試しのラッキーじゃんけん
勝てば店のものひとつプレゼント!
ばあちゃんが手書きしたチラシは、店の前だけじゃなく、俺がいるレジカウンターにも貼られている。
片田舎にぽつんと佇む【にわとり】は、元々はじいちゃんが子どもたちのために開いた店だ。じいちゃんが死んでからも、ばあちゃんがその意思を引き継ぎ、今でもこのサービスを続けている。
「じゃあ、いきますよ。じゃんけんぽんっ」
パーを出した三嶋に対して、俺はチョキを出した。優しいばあちゃんはわざと負けてあげることもあるみたいだけど、俺はそんなに甘くない。
「はい、残念。またどうぞ~」
正直、昔からじゃんけんだけはめっぽう強くて、今まで負けたことがない。運がいいというより心理戦が得意で、相手の性格や雰囲気でなんとなく出す手がわかるのだ。
三嶋は、パーを出したまま固まっていた。顔も勉強も負け知らずの三嶋琉生。どうだ、悔しいだろ、優等生。
「……また、来る」
ぶっきらぼうに言い残して、三嶋は店から出ていった。
ガシャンと自転車のストッパーを蹴る音がして、レジカウンターから様子を見に出ると、陽炎の中を猛スピードで帰っていく後ろ姿が見えた。
「なんだ、あれ」
じーわ、じーわと、蟬の声がさらに激しく鳴り響く。
学校一のモテ男は、どうやらじゃんけんだけをしに来たらしい。
「丹羽さんちの清太くーん!」
翌朝。学校に向かうために自転車を漕いでいると、どこからか声がした。
それは田んぼと田んぼの間にある細い用水路。こっちに向かって手を振っていたのは、昔から知っているば栗原のばあちゃんだった。
キキィーッと、ブレーキ音がうるさい自転車を停めると、ちょうど近所のおじさんが運転するトラックが横を通った。
「丹羽さんちの清太くん、おはようさん」
「はよーございまーす」
色んな人から呼ばれる丹羽さんちの清太くん。
丹羽清太。説明するまでもなく、それが俺の名前だ。
「清太くん、おはよう。文子さんの腰の具合はどう?」
わざわざ俺のところまで歩いてきてくれた栗原のばあちゃんと、うちのばあちゃん(文子)は古い友人だ。
「あーもう大丈夫らしいっすよ。今日からまた店に出るみたいです」
「あらあら、それなら良かったわ。じゃあ、清太くんの店番はこれっきり?」
「や、さすがにまだ無理はさせられないんで、今日も学校帰りに手伝いにいく予定です」
「まあ、偉いわね」
ばあちゃんが腰を痛めたのは、一週間ほど前のこと。そんな時くらい店を閉めればいいのに、子どもたちがガッカリするからとばあちゃんは頑固に言い張るもんだから、俺が代わりに店番をしていたのだ。
「あ、そうそう。うちのみいちゃんと仲良くしてくれてありがとうね」
みいちゃんとは、栗原のばあちゃんの娘の子ども、つまり孫のことだ。
俺が栗原さんちのみいちゃんと会ったのは、今から七年前の小学三年生の時。ちょうど夏休み中のお盆時期で、俺は家族みんなで先祖を迎えにいった帰り道だった。
彼女は仏壇に飾るためのホオズキを抱えながら、栗原のばあちゃんと手を繋いで歩いていた。東京から遊びにきたというみいちゃんは、驚くほどに色が白く、少し大きめの麦わら帽子を被っていた。
『清太くんと同い年だから仲良くしてあげてね』
その時は栗原のばあちゃんに紹介されるだけで直接会話はしなかったが、田舎には似つかわしくない都会的な雰囲気を持った彼女に、俺は一瞬で心を奪われてしまった。
それから毎年、八月十三日から十六日の四日間だけみいちゃんに会える夏が始まった。
用もないのに栗原さんちに行ったり、クワガタが入っている虫かごをぶら下げて見せに行ったこともあった。
そうしているうちに自然と心を開いてくれるようになり、夕方には帰るからという約束でふたりで遊んだ日もあった。
どこか特別な場所に行くわけではなく、平たい石を探したり、セミの抜け殻を見つけたり。通りがかりの人から冷えたきゅうりをもらって、それを半分ずつかじり、まだじいちゃんが元気でやっていた店【にわとり】に行っては、風鈴が揺れる店先のベンチでラムネ瓶を飲んだりする、そんな平凡な夏の日々を三回ほど一緒に過ごした。
だけど、彼女は中学生になると栗原のばあちゃんのところへは帰ってこなくなった。
部活が忙しいというみいちゃんと会えない代わりに、俺たちはスマホでやり取りを始めた。
毎日他愛ないメッセージを交わし、時には食べたものや綺麗な風景の写真を送り合うこともあったが、電話をすることは一度もなかった。
頻繁にしていたやり取りは少しずつ減り、たしか最後に送ったのは中学卒業おめでとうというお祝いメッセージだった。
どこの高校に進んだのか、今年のお盆も帰ってくる予定はないのか。それすらも聞けないほど彼女と俺の心の距離は離れているけれど、栗原のばあちゃんは今でも仲良くしていると思っているらしい。
まあ、田舎っていうのは少々時間軸がバグっている部分があるから、栗原のばあちゃんからすれば、俺たちは無邪気に遊んでいた子どもの頃のままなのかもしれない。
地元に一校しかないうちの高校は、全校生徒の数も少なく、学年のクラスも三組までしかない。
小学校からの旧友もいれば、隣町から通っている人もいる。わりとアットホームな雰囲気で、男女ともに仲がいいクラスメイトたちがどっと騒がしくなったのは、眠たい国語の授業が終わった二時間目の休み時間だった。
「なあ、また三嶋琉生が上級生に呼び出されたってよ!」
「え、どこどこっ!?」
「体育館裏が濃厚とみた!」
「見に行くべ!」
色恋話が大好物なみんなが、ぞろぞろと廊下に飛び出していく。十五人ほどの生徒が一気に消えた教室は、がらんとしていた。
「あー……あちぃ」
人の告白現場に興味がない俺は、気休めにYシャツの襟を動かして風を作った。
天井に取り付けられた扇風機が懸命に首を振っているが、教室の温度は蒸し風呂に近い。きっと、他の学校ではエアコンが当たり前についていて、快適に授業を受けたりしてるんだろう。
東京は、どうだろうか。また、彼女のことを思い出す。
みいちゃんは、俺の中で小六の夏の面影で止まっている。
色素が薄い髪と、ラムネ瓶のビー玉よりもまん丸だった瞳。おそらく、いや、確実に男子が放っておかない美少女になっているに違いない。
……彼氏いんのかな。いるだろうな。でも、いないかも。
暑さで回らない頭を必死で働かせながら、スマホを開いた。久しぶりに連絡しようと思ったところで、ガタッとドアのほうから物音がした。
「ハア……ハア……」
息を切らせて立っていたのは、みんながこぞって様子を見に行ったはずの三嶋琉生だった。
「お前、今告白され――」
「ちょっと、かくまって」
「え、は?」
こっちの返事も待たずに、三嶋は一組の教室に入ってきた。そのまま俺の机の後ろに回り込んだ瞬間、バタバタと廊下から足音がした。
「三嶋くーん、どこぉー?」
三嶋の名前を呼びながら辺りを見渡しているのは、一学年上の女子生徒。男子の間では美人と評判の先輩でもあった。
「お前のこと捜してるっぽいけど?」
「しっ、本当に見つかりたくないから」
でかい体を必死に丸めて、三嶋は身を隠している。状況からして、あの女子に呼び出されていたけれど、逃げてきたっていう感じで大体合っていると思う。
女子生徒の足音が遠ざかると、三嶋はほっと息をついて胸を撫で下ろしていた。
「なんで隠れるんだよ?」
「付き合ってくれって、しつこいんだよ」
「あんな美人に告白されて嬉しくねーの?」
「嬉しくない」
きっと告白なんて、こいつにとってはされ慣れすぎているんだろう。贅沢なやつめ。
「なんで昨日、うちの店に来たんだよ?」
三嶋は、地元の人間じゃない。誰とも仲良くしてないから個人情報は謎に包まれているが、他県出身だという噂がある。
わざわざこんな田舎まで通っているとは考えにくいけれど、ある意味この町から浮いている存在であることは確かだ。
「行ったらダメなの?」
「や、ダメってわけじゃないけど、まあ、意外っていうか、なんていうか」
近くで見ると、よりいっそう実感する顔の良さ。三嶋がどこにいても目立つのは、カッコいいを通り越して綺麗すぎるからだと思う。そりゃ、女子たちが目をつけるわけだし、狙うなと言うほうが難しい。
「駄菓子が欲しいなら今度金持ってこいよ。普通はなにか買った人がじゃんけんできるんだからな」
「え、そうなの。ごめん……。今日はなにか買う」
「今日も来んの?」
「今日も清太くんは店にいる?」
「ちょっ、清太くんってなんだよ。普通に清太でいいわ」
「丹羽じゃなくて?」
「みんな清太って呼ぶから」
「わかった。じゃあ、そう呼ぶ」
そのうちにクラスメイトたちが教室に戻ってきて、三嶋も自分のクラスに帰っていった。
放課後、ばあちゃんと交代する形で俺は【にわとり】のレジカウンターに立った。
店の名前の由来は説明するまでもなく名字が丹羽だからだ。地元には娯楽施設はおろかショッピングモールすらないため、小学生くらいの子どもの半数は学校帰りにここに立ち寄ってくれる。
「はいはい、順番にレジに並べよ。俺にじゃんけんで勝ったら好きなものひとつ持ってっていーからな」
店には駄菓子だけじゃなく、ガラス瓶いっぱいに詰められたビー玉や、カラフルなスーパーボール。色んな形の消しゴムやアイドルのカードの他にも、レジカウンターの上には、ヒヨコの水笛がぶら下がっている。
「ちぇ、じゃんけん負けたー」
「もう、レジの兄ちゃん強すぎだろ!」
俺は小学生相手にも容赦はしない。ぶーぶーと文句を言いながら帰っていく子どもたちは、きっと明日もここに来る。
横の繋がりが根強く、狭いコミュニティで成り立っている町だけど、なんだかんだ言いながら俺は【にわとり】も含めて、この場所が好きなんだと思う。
「清太兄ちゃん、またなー!」
「おう、気をつけて帰れよ」
店の前にあるレトロゲームで遊んでいた中学生を見送る頃には、すっかり日が沈んでいた。店の閉店時間は毎日異なるが、遅くても十九時にはシャッターを下ろすことにしている。
「結局、来ないじゃん、あいつ」
蟬の声が止んだ代わりに、田んぼや小川からグワッグワッというカエルの鳴き声が響いている。ばあちゃんから預かった鍵でシャッターを閉めようとしたら、後ろで自転車のブレーキ音が鳴った。
「ハア……ッ、遅くなった!」
勢いよく現れた三嶋の息は、昼間と同じように乱れている。どうやら今までオンライン塾を家で受けていたらしい。
「今日は全国模試の確認授業だったら一時間くらいで終わる予定だったんだけど、ちょっと長引いて……。もう店って終わり?」
「あー、まあ、なにか買うもんがあれば入っていいよ」
半分まで閉まっているシャッターから手を離した。
三嶋が選んだのは、炭酸が閉じ込められている冷えたラムネ瓶。「ご贔屓にどうも」とレジを通すと、三嶋はなにかを言いたげな顔をしていた。
「ああ、忘れてた。じゃんけんね」
運試しのラッキーじゃんけん。昨日とは逆にチョキを出した三嶋に対して、俺はグーを出した。まるでデジャヴのように、三嶋はチョキの手をしたまま固まっていた。
「お前は本当にわかりやすくてよえーな」
そんなんじゃ一生俺に勝てないかもなーなんて、わざと挑発するように言いながら、俺たちは再び外に出た。意気消沈して帰ろうとする三嶋を呼び止め、店先のベンチを指さす。
「ちょっと付き合えよ」
俺の手には、青みがかった自分のぶんのラムネ瓶が一本。瓶の蓋を下に押し込むと、ポンと音を立てて白い炭酸が溢れ出てきた。こぼさないよう一気にラムネを胃の中へと流し込む。
「ぷはーっ! 生き返るぅー!」
「え、おじさん?」
「ラムネっていうのは、こうやって飲むんだよ」
「ふっ、ははは。清太は変わんないなー」
三嶋が、くしゃりと笑った。『変わらない』の意味を問う間もなく、俺と同じようにラムネを一気に飲んでいる。
瓶を傾けるたびに涼やかな音を奏でるビー玉。その音は自然と懐かしい記憶を呼び覚ました。
『このビー玉って、取れないのかな?』
それは、彼女と過ごした三回目の夏。【にわとり】のベンチに並んで腰掛け、意気揚々とラムネの飲み方を教えてあげた後、みいちゃんは不思議そうに透明な瓶を太陽にかざしていた。
『じゃあ、ビー玉取ってみる?』
『どうやって?』
『簡単だよ、ほら』
俺は迷わず、ラムネの瓶をコンクリートに叩きつけた。ガラスの破片と一緒に出てきたビー玉。瓶の中に入っていた時は青色だったのに、手に取ってみると輝きはなく、気泡が浮いているただのガラス玉だった。
『こらっ、清太っ……!』
『うわ、やべっ』
店の中から見ていたじいちゃんが飛び出してきて、こっぴどく叱られた。彼女の前で怒られた恥ずかしさも重なり、その日はなんだか気まずい雰囲気のまま解散した。
みいちゃんにあげようと思っていたビー玉も、家に帰るとポケットの中にそのままだった。来年の夏に渡そう。そう心に誓ったビー玉も、気づけばどこかになくしてしまった。
「きっとこういうのって、取れないからいいんだよな。思い出だってそう。遠い昔のことみたいに思い出すくらいがちょうど綺麗なままでいられると思わん?」
俺は、ラムネ瓶のビー玉をカランッと鳴らした。
――元気?
学校終わりの放課後。勇気を出して彼女にメッセージを送ったけれど、今も返事は来ていない。
最後の夏だけ、また来年会おうという約束をしなかった。
まだ幼かった俺は、無理やり瓶を割ったからカッコ悪いと思われたのではないか。ガキっぽいって呆れられたんじゃないかと不安になった。だから、栗原のばあちゃん経由で連絡先を知ってスマホでやり取りを始めてすぐにビデオ電話をしようと誘った。
『ごめん、ちょっと部屋が散らかってて……』
『じゃあ、普通の電話は?』
『電話も、ごめん』
なんとなく、それで色んなことを悟った。
この町に帰って来ないのは、俺と電話をしたがらないのは、会いたいと思ってくれていないのだと。俺たちの思いは同じではなかったんだと感じるたびに胸が痛んだ。
「たしかに遠くから見てるほうが綺麗なままでいられることもあるけど、確認しなきゃわからないこともあるよ。俺は、そのためにここに来たんだ」
三嶋は強い決意を示すかのようにラムネを飲み干し、勢いそのままにベンチから立ち上がった。
「次こそ、絶対にじゃんけん勝つからな」
「え、あ、お、おう」
「蚊に刺される前に帰る。おやすみ!」
空になったラムネ瓶を自転車のかごに放り投げ、ペダルに脚を掛けた三嶋は颯爽と走り出した。
「三嶋! お前、なんでうちの学校を選んだんだよ……!?」
その後ろ姿に向かって、俺はなぜか叫んでいた。こいつの頭なら、高校なんて選びたい放題だろうに。すると、一瞬だけ自転車が停まった。
「忘れられない夏があったからだよ」
三嶋はそんな言葉を残して、暗闇の畦道に消えていく。
なんだよ、それ。なにその、歌詞みたいなセリフ。
――俺にとって、忘れられない夏は?
自分自身に問いかける。
脳裏に浮かんだのはやっぱり……どこかで幸せに暮らしているであろう十二歳で停止したままの彼女との夏だった。
一学期が終わって、明日からは夏休み。終業式が終わった後、お疲れ会と称した集まりが【にわとり】で開かれていた。
「清太んちのばあちゃん、もう腰は大丈夫なんすか?」
「そう言うなら座ってないで手伝え、男子!」
わいわい、がやがや。店の奥にある四畳半ほどの小上がりの座敷には、鉄板付きのテーブルが置かれている。
じいちゃんが生きていた頃は、毎週火曜日だけもんじゃ焼きが食えるイベントをやっていたが、ここ最近はただの休憩所のスペースになっていた。
一学期の労いも込めて、今日は久しぶりにばあちゃんがもんじゃ焼きを作ってくれることもあり、こうしてクラスの半分もの生徒たちが集まったというわけだ。
「みんな、自分の好きな駄菓子を入れて楽しんでね」
ばあちゃんが微笑みながら、小麦粉とだし汁で作ったもんじゃ焼きのベースを運んできた。テーブルには各々が買ったベビースターやうまい棒などが並び、それぞれが自由にアレンジしている。
「ねえねえ、三嶋くんって東京出身なんでしょー? 元々どこに住んでたの?」
香ばしい匂いが立ち込める中、三嶋は数人の女子に囲まれていた。
他のクラスの三嶋に声をかけたのは俺だ。でも、気づけば三嶋の両隣には女子がひしめき合っていて、なかなか近づくことができない。
「……住んでたのは、練馬だよ」
「えー! 練馬ってすごーい!」
なにがすごいのかイマイチよくわからないが、ここぞとばかりに三嶋は質問責めにあっていた。
「なあ、清太って彼女いないよな? 俺の彼女の友達と繋がってみる?」
三嶋の様子をちらちらと伺っていたら、隣に座っている友達からそんなことを言われた。
「え、なんで俺?」
「だって、なかなか出会いないだろ。清太に彼女ができたら一緒にダブルデートできるじゃん」
「えー……」
「つか、もう話は通してあるから」
「は? なんで勝手に……」
「まあ、可愛い子だから大丈夫だって」
どうやら拒否権はないらしい。人並みには恋愛に興味があるし、周りにも彼女や彼氏がいる人は多くいる。
「まあ、繋がるくらいならいいけど」
そんなに乗り気ではなかったが、友達の顔を立てるつもりで返事をした。
ガシャンッ……!!
大きな音がしたと思えば、三嶋のコップが倒れていた。氷は散らばっているが、中身が空だったため服は無事だった。
「俺、用事を思い出したから帰るよ」
そう言うやいなや、三嶋は足早に店を出て行った。様子が気になり後を追うと、自転車の鍵を開けようとしているところだった。
「どうしたんだよ、急に」
「…………」
「なんかあるならちゃんと言えよ。後でみんなにも説明しておくし、いきなり帰ったら周りもびっくりする――」
「清太は、やっぱり女の子のほうがいいの?」
「え?」
射るような瞳で問われて、心臓がドキッとした。
なんだよ、その目。なんで、そんな目で俺のことを見るんだよ。
なにも答えられないでいると、三嶋は静かに自転車に跨がった。
「ごめん。なんでもないよ」
こんな時くらい蟬がうるさく鳴いていればいいのに、遠ざかっていく三嶋の自転車の音だけが、ひどく耳に残った。
四十日間の夏休み。七月はひたすら学校から出された課題に追われ、気づけばお盆になった。
午前中に家族で墓の掃除をしに行って、色んな親戚たちが一同に集まり、それぞれからたんまり小遣いをもらった午後。俺はナスとキュウリで作られた精霊馬が飾られた縁側で、溶けていた。
親とばあちゃんは親戚たちと毎年恒例のうどんを食いに行ったが、俺は留守番を選んだ。
どうせ親父たちは瓶ビールを開け始めると陽気になってうるさいし、母さんとばあちゃん+親戚の女性たちの話にもついていけないからだ。
――清太は、やっぱり女の子のほうがいいの?
あれから、三嶋には会ってない。
夏休み中何回か店番に立った【にわとり】にも来ないし、連絡先を知らないので、なにをしているのかもわからない。
夏休みが明ければ、どうせ学校で会える。なのに、なんでこんなにも俺は、あいつのことばっか考えているんだろうか。
「文子さーん!」
その時、庭のほうから声がした。大の字で寝転んでいた体を起こすと、栗原のばあちゃんがいた。
「ばあちゃんなら、うどん食いに行ってますよ」
「あらあら、清太くん」
「なんか用事でした?」
「冷や汁を作りすぎちゃったから、もらってもらおうと思って持ってきたのよ」
「あーじゃあ、預かります。冷蔵庫入れたほうがいいっすか?」
「ええ、お願いね」
栗原のばあちゃんから冷や汁が入った容器を受け取った。
「冷たい麦茶でも飲んでいきます?」
「ううん。この後、もう一軒ほかのお宅に行く予定があるから結構よ」
「栗原のばあちゃんちに、親戚は来ないの?」
「うちは明日来るみたい」
「……今年もみいちゃんは来ない感じですか?」
「え?」
「みいちゃんって、俺のことなんか言ってたりします?」
そんなことを今さら聞いたって、どうにもならないことはわかっている。だけど、なぜか『なんでもない』と言って悲しそうに帰っていった三嶋とみいちゃんの顔が重なって見えた。
だから、俺はまたなにかを間違えたのではいかと。彼女がここに帰ってこない理由が万が一俺にあったのだとしたら、謝りたいと思ったのだ。
「みいちゃんは、いつも清太くんの話ばかりしてるわよ」
「そ、そうなんですか?」
「あの子には言うなって言われてるんだけど、こっちの高校に通うことを周りからひどく反対されたらしいの。それでも勉強だけは続けるからお願いしますって親にも頭を下げたって言ってた。それだけ、清太くんに会いたかったのね」
「こっちの高校? え、誰の話っすか?」
「うちのみいちゃんの話でしょう?」
どういうわけか話が繋がらない。頭の中でハテナマークがいくつも浮かんでいた。
「え、みいちゃんって、俺と同じ高校!?」
「ええ、そうよ」
「みいちゃんの名前って――」
栗原のばあちゃんから名前を聞いた瞬間、俺は縁側に置いてあったサンダルを履いて、そのまま自転車に飛び乗った。