「いらっしゃーい!」
 咲良(さくら)はワンルームのドアを開けた。
「おじゃまするねー」
「おじゃまします」
 顔を覗かせたのは、咲良の大学で同じ文芸サークルに所属しているあかりに、この春入部したばかりの一年生の有美(ゆみ)だ。
 咲良は二人を中に手招きした。
 ここは、群馬の県庁所在地前橋市。間違っても県庁所在地は高崎市ではないので注意するように。
 咲良の大学は、ほぼ地元群馬の学生で占められている。有美は他県(と言ってもお隣だが)の埼玉から入学してきたので、少し珍しい。咲良は少し浮かれていた。
 今日は、そんな有美の歓迎会なのだ。
「今日は楽しんでってね。そして群馬のことを好きになってくれると嬉しいんさー!」
「はい、楽しみです!」
 有美はにこにこと微笑んだ。しかし少しぜいぜいしている。
「なんか疲れてね? 今日はなんで来たん?」
「歩いてきたよー。疲れてないよー」
「あかりんには聞いてないし。てか、同じマンションだし。ゆみちゃんに聞いてるん」
 有美は「わたしも疲れてないです」と言ったあと、驚愕の事実を口にした。
「自転車で来ました。三十分くらいかかってしまって」
「チャリで来たん!?」
 咲良は驚くと同時に、これは彼女に教えてあげなければと使命感に駆られた。
「今頃はいいけどね、群馬は風がきついんさー。特に冬は赤城おろしって言ってね、乾燥した風が殺人的(物理)に吹きすさぶから無理しちゃダメだよ」
 とうとうと説明すると、有美はにこにこと笑った。
「はい。でも慣れてるから大丈夫です」
 咲良はまぶしいものを見るように目を細めた。
「若いっていいやねー。車持ってないん? あ、そっかー。誕生日3月なんか。まだ免許持ってないんか」
「はい、免許取りたいなとは思ってるんです。ラパンとかかわいいなって」
 有美がうっとりとした表情で言った。
「ラパン! ゆみちゃんにぴったり。うん、それがいいよ!」
 咲良は窓辺に歩いて行った。
「あたしの愛車はあれ! 見える? あのワゴンR」
 咲良は無意味に愛車の自慢をしたくなったので、欲望の赴くままに自慢をした。
 あかりと有美も窓の外を覗き込む。
「あの青いのですか?」
「んーん。あっちの青いの。フロントガラスのとこにゆらゆらソーラーダンシングぐんまちゃんがゆらゆらしてるやつ」
「さくらちゃん、どっちの車にもゆらゆらしてるよー」
 群馬の車のフロントガラスでは、ぐんまちゃんがゆらゆら踊っている確率が高い。現に今駐車場に留まっている車の一割の車ではぐんまちゃんがゆらゆらしていた。
「ほんまや」
「さくらちゃんどこの人やねん」
「私も車買ったら、ぐんまちゃんゆらゆらさせたいです」
「えっ、ゆみちゃんかわいいこと言ってくれる。ぜひともぐんまちゃんゆらゆらいわして。ゆみちゃん名誉グンマー認定」
 咲良が目を見開くと、有美は照れくさそうに笑った。
 きゅん。
「おなかすいたよー」
「あかりん、幼児かい」
 咲良はやれやれといったポーズを取りながらも、足取り軽くシンクに向かっていった。そこには、有美に食べさせてあげようと思ったとっておきの食べ物があるのだ。
「じゃーん!」
 咲良はレジ袋から中身を取り出した。
「焼きまんじゅうー」
 ドラえもんの声で取り出した串に刺さったパンのようなそれは、言わずとしれた群馬名物焼きまんじゅうだった。
「わあ! 私食べてみたかったんです」
 有美がぱちぱちと手を叩く。咲良はどや顔をした。
「お嬢ちゃんがそう言うと思って、おばちゃんそこのスーパーで買ってきたんさ。ほら、食べり、食べりー」
「わあい、おいしー」
「あかりんが先に食べるなよ」
「ごめんねー、あたしってば、いつものことだけど。ゆみちゃん、食べて食べてー。美味しいから! 微妙だけど」
「どっちだよ」
 有美は甘いみそだれのついたまんじゅうをほふりと口に入れた。
「どうかなどうかな」
「おいしーでしょー? 微妙だけど」
「あかりんは黙ってようか」
 有美は幸せそうに頬を緩めた。
「美味しいです。なんかほっこりしました」
 咲良は内心ガッツポーズをした。
「ほっこり! 喜んでもらえて嬉しいよ! 群馬は他にも美味しいものがいっぱいだからね。やたらと量が馬鹿みたいに多いパスタとかね、あとはね、すき焼き応援県として名を馳せようともしてるんだよ。これから色々食べていってね」
「あたしはあいすまんじゅうが好きー。丸永製菓のじゃないよ。シロフジのだよ。ガッリガリに固まったあんこがアイスの上に乗っててすごく食べづらいん。東毛方面だとセブンにも売ってるんさー」
「あかりんは桐生出身だったね、てか桐生なら下宿しなくても通えるだろ」
「朝は寝てたいタイプなん」
「あー、わかります。私も……」
「まあ、かくいうあたしもそうだけどね」
 咲良は「もひとつほら」と焼きまんじゅうを有美に勧めた。その時、突然大きな音がした。
「さくらちゃん、ゆみちゃん、これ面白そうだよ-」
「なんであかりんがヒトんちのテレビ勝手につけてんだよ」
 突っ込んでもどこ吹く風のあかりは、チャンネルを変えた。
「いやさー。群馬のことを知ってもらう為には、やっぱり群テレかなって思って-」
「さっき違うの付けてただろ」
「群馬のテレビ、見たいです!」
 有美が顔を輝かせた。咲良は有美の頭をいい子いい子と撫でた。
「一緒に見ようねー。群テレって言えば、あたしはニューイヤー駅伝だと思うんー」
「あかりん唐突だな。今、春だよ」
「ニューイヤーって、箱根のですか?」
 咲良はちっちっと指を振った。
「世間では正月の駅伝っつったら箱根だけどね、群馬では実業団のニューイヤー駅伝なんさ。こいつはテストに出る」
「そうなんですね、私スポーツに疎くって。来年は見てみますね。お正月が楽しみです!」
「そうだよー、ゆみちゃーん。ニューイヤー駅伝は発着が群馬県庁なんさー。正月明けに学校行ったら『おい、知ってるか。群馬県庁って竪穴式住居じゃないんだぜ!』『え、まじ!?』『ゆみちゃんすげー』って、人気者になれるからねー」
「学校は今群馬だろうが」
「そっかー、失敬失敬」
「そんな、群馬県庁が県庁舎では高さ日本一のステキな場所だってことくらい知ってますよう」
「えっ。ゆみちゃん詳しいね。今すぐ名誉グンマー認定証を授けないとだね」
 有美はきゃらきゃらと笑った。
「そんなこと当然知ってますよ。だって……」
「じゃあさー、ゆみちゃーん、これは知ってるー?」
 あかりがバッグの中から車の鍵を取り出した。そこについているのは、黄色い何かの動物のようなマスコット。
「わあ! ぐんまちゃん!」
「よくわかったねー」
「あかりん、さっきゆらゆらソーラーダンシングぐんまちゃんの話してたんだけど」
「そっかー。最近物忘れがひどくてー」
「ぐんまちゃん、かわいいですよね」
 咲良は何故か我がことのように照れて頭をかいた。
「まあ、ぐんまちゃんっつったら、ゆるキャラグランプリで優勝してるしね。かわいさは折り紙つきなんさー」
 咲良が自分のぐんまちゃんコレクションを自慢しようかと室内を見回していると、有美は自分のバッグを引き寄せた。
「あの! あのっ! 私のも見てください! 私の町のゆるキャラなんです!」
 有美が突然勢いよくバッグのファスナーを開けた。若干引きつつも、咲良は尋ねた。
「わあ、見せて見せて」
「あたしもー。見たーい」
 有美はポーチを引っ張り出した。
「そういや、有美ちゃんて、どこ出身なん? 大宮とかかな。もしかして川越とか?」
 咲良は有美の手元を覗き込んだ。そして、息が止まりそうになった。
「……もしかして、これ。ふっかちゃんじゃね?」
 その手の中にいるのは、ネギの耳をした目がくるりとしてかわいいウサギ。
 有美は立ち上がった。
「そう! ゆるキャラforチルドレン、初代グランプリ、ふっかちゃん!」
 咲良は両手を前に押し出した。
「待って待って、ふっかちゃんって深谷だよね?」
「いかにも」
 おもむろに有美は頷いた。
「深谷って、渋沢栄一のあの深谷だよね?」
「当然」
 有美は自慢げに胸を張った。
 咲良は天を仰いだ。
「深谷って、ほぼ群馬だんべー!!」
 
   ***

「ほぼ群馬なのは否定しませんが、深谷は埼玉です」
「ほぼ群馬なのは否定しないんだねえー」
「いや、すんませんて」
 咲良は頭を下げた。なぜなら先程「群馬県人に群馬のレクチャーしてしまった!」と失言をしてしまい、有美に「深谷は埼玉です。ガリガリ君食べて出直して来い、してください」と叱られてしまったからだ。そう、深谷は全国区のアイドル「ガリガリ君」を製造している赤城乳業があるのだ。
「そっか、だから群馬に詳しかったんだね。焼きまんじゅう食べたことないっていうから、てっきり遠方の人かとばっかり」
「てかー、言ってるほど群馬県人もそんなに焼きまんじゅう頻繁に食べるもんでもないからねえー」
「それな」
「高校時代は赤城おろしに向かってチャリ通してました」
「そっかー。ゆみちゃんはー、赤城おろしを知らないんじゃなくて、知り尽くした女だったんだねえー」
「深谷から自転車で通おうかとも思ったのですが、さすがに無理だと思って」
「ゆみちゃん、通学だけで一日終わる」
 有美は背筋を伸ばした。
「でも、大学時代に前橋を第二のふるさとにしたいなって思ってるんです。これからもっと群馬に詳しくなりたいなって思ってます!」
「おお! 素晴らしい!」
 三人は腕を上げ、「我ら三人、生まれし場所は違えどもズッ友なり」と桃園の誓いをしたのだった。