「今度の体育祭に深水君が来る。お前が接待するように」
忙しい最中、無理やり呼びつけられてーーしかも理事長のお呼び出しを伝えたのが古矢で「あとは僕に任せて! さあ行くんだ一成! 応援しているよ! グッドラーック!!」とエアメガホンでちょーちょーうるさいくらいに叫ばれたせいで――怒りも疲れもなぎ倒された一成は、もはやどうでもいいわという境地に達していたので、冴人に言われてもすぐにはピンとこなかった。
「ーー接待?」
やや待って、咀嚼するように呟く。
「そうだ」
冴人はマホガニーの椅子の上で優雅に足を組み、顎を上げる。
「深水君をもてなすように。失礼のないようにな」
一成は言葉の意味を理解しようとするように黙って、両目を伏せる。
「深水先生、ですか」
「それは誰かという問いかけか、一成」
冴人は冷ややかに続ける。
「私が知っている深水君は、この学園で教師をしていた彼だけだ」
回りくどい言い方をしながらも、口調は鋭い。
「この学園の体育祭をモデルにして、小説を書きたいそうだ。わかったな、一成」
「ーーわかりました」
一成は内心くそっと悪態をついた。どうしてこういうことになるんだ――しかし理事長の前ではおくびにも出さずに、粛々と退室した。
――叔父貴の嫌がらせだな。
風を吸って肺に流し込み、精神を落ち着かせる。
――だが、俺と先生の関係を知っているとは思えない。
冴人が「深水君」と口にしたのが気になった。別におかしな呼び方ではないが、いやに神経がざわついた。
――個人的な付き合いでもあったのか……
いや。一成は頭を振る。そんなわけがない。あの叔父貴と深水先生が、学園での関係性を越えた交流をしていたとは到底思えない。
――深水先生を日本史教師として採用したのは叔父貴だが……
吾妻学園は私立高校である。公立高校とは異なり、教師採用に関しては学園側の裁量に委ねられる。その権限を持つのは理事長だ。
今さらだが、一成はなぜ冴人が榮を教師として採用したのか気になった。高校生の頃は考えたこともなかったが、今回榮の要望を受け入れた理由が知りたくなった。冴人の性格からして、学園の宣伝などの類とは考えにくい。
――どうせ教えてはくれないだろうが。
一成は風に向かって大きく新呼吸をした。頭がスッキリする。
――考え過ぎだ。
自分が接待役を命じられたから気になったのだ。一成は勢いよく窓を閉めた。
机に戻ろうと振り返った時、相談室のドアがいきなり開いた。
「先生!」
伝馬だった。
「失礼します!」
まるで大変なことでも起きたかのようにドアを閉めて、息を弾ませて一成の前までやってきた。
「どうした」
伝馬のただならぬ様子に、一成は表情を険しくする。今日の授業はすでに終了し、放課後である。部活動があるはずだが、伝馬は制服姿のままだ。何かあったのかと、嫌な予感が頭をよぎる。誰かが怪我をしたのか、それとも――
伝馬は少し息を吸い込み、心配げな一成を数秒間食い入るように見つめた。そして意を決したように、きっちりと結ばれた口元を開けた。
「先生、お願いがあります」
その強い言い方に、一成は若干身を引く。自分に向けられた眼差しの激しさと相まって、別方向の嫌な予感がむくむくと立ち上ってきた。
「何だ」
無意識に胸元のネクタイを軽く締め直す。
伝馬は一瞬迷うように視線が揺れたが、あくまで一瞬だった。
「今度の体育祭の文武両道会に、クラス代表で出る俺に、激励の言葉を下さい!」
一気に叫んだ。
あっと、一成は顔色を変える。途端に思い出した。
ーー藤島に言われていた。
しまったと、口の中で唸る。随分前に、伝馬を励まして欲しいと頼まれて快諾した。何かの折にでも話そうと思いながら、色々あって記憶の底に埋没してしまった。
ーー深水先生のことで、頭がいっぱいだったからな……
一成は申し訳ない思いで伝馬に向き合う。伝馬はいつも以上に目力が強力で、頬も強張っている。緊張しているのが、手に取るようにわかる。
ーー藤島から聞いていたんだな、きっと。
聞いていたどころか、今か今かと待っていたのだが、一成はそこまで想像が及ばない。しかし伝馬から溢れ出る熱量が凄くて、思わず後ずさりしそうになるくらいである。相談室までやって来て自分に申し出たということは、つまり、それだけ期待していたということだ。
「悪かったな、桐枝」
一成はまず詫びた。
「藤島に頼まれていたんだ。桐枝が緊張しているから、励ましてやって欲しいと」
伝馬は肩から力が抜けたように、少しだけ頬が和らぐ。ああやっぱり聞いていたのかと視界におさめて、一成は考えながら言葉を続ける。
「遅くなったが、桐枝、クラス代表になっても、まずは自分のために頑張れ」
伝馬の顔を見つめながら、温かく声掛けをする。
「自分のために頑張れば、それは結果的にクラスのためになる。自分に集中しろ。そうすれば、成果はどうであろうと、自分の中で大きな自信になる。それが成長の糧になる」
すっと腕を伸ばして、伝馬の肩に手を置く。
「自分が後悔しないくらいに頑張れ。桐枝ならやれる」
勇気づけるように、指先でポンポンと肩を叩く。
「頑張れ。まずは中間テストからだな」
そう結んで、口元をほころばせた。
忙しい最中、無理やり呼びつけられてーーしかも理事長のお呼び出しを伝えたのが古矢で「あとは僕に任せて! さあ行くんだ一成! 応援しているよ! グッドラーック!!」とエアメガホンでちょーちょーうるさいくらいに叫ばれたせいで――怒りも疲れもなぎ倒された一成は、もはやどうでもいいわという境地に達していたので、冴人に言われてもすぐにはピンとこなかった。
「ーー接待?」
やや待って、咀嚼するように呟く。
「そうだ」
冴人はマホガニーの椅子の上で優雅に足を組み、顎を上げる。
「深水君をもてなすように。失礼のないようにな」
一成は言葉の意味を理解しようとするように黙って、両目を伏せる。
「深水先生、ですか」
「それは誰かという問いかけか、一成」
冴人は冷ややかに続ける。
「私が知っている深水君は、この学園で教師をしていた彼だけだ」
回りくどい言い方をしながらも、口調は鋭い。
「この学園の体育祭をモデルにして、小説を書きたいそうだ。わかったな、一成」
「ーーわかりました」
一成は内心くそっと悪態をついた。どうしてこういうことになるんだ――しかし理事長の前ではおくびにも出さずに、粛々と退室した。
――叔父貴の嫌がらせだな。
風を吸って肺に流し込み、精神を落ち着かせる。
――だが、俺と先生の関係を知っているとは思えない。
冴人が「深水君」と口にしたのが気になった。別におかしな呼び方ではないが、いやに神経がざわついた。
――個人的な付き合いでもあったのか……
いや。一成は頭を振る。そんなわけがない。あの叔父貴と深水先生が、学園での関係性を越えた交流をしていたとは到底思えない。
――深水先生を日本史教師として採用したのは叔父貴だが……
吾妻学園は私立高校である。公立高校とは異なり、教師採用に関しては学園側の裁量に委ねられる。その権限を持つのは理事長だ。
今さらだが、一成はなぜ冴人が榮を教師として採用したのか気になった。高校生の頃は考えたこともなかったが、今回榮の要望を受け入れた理由が知りたくなった。冴人の性格からして、学園の宣伝などの類とは考えにくい。
――どうせ教えてはくれないだろうが。
一成は風に向かって大きく新呼吸をした。頭がスッキリする。
――考え過ぎだ。
自分が接待役を命じられたから気になったのだ。一成は勢いよく窓を閉めた。
机に戻ろうと振り返った時、相談室のドアがいきなり開いた。
「先生!」
伝馬だった。
「失礼します!」
まるで大変なことでも起きたかのようにドアを閉めて、息を弾ませて一成の前までやってきた。
「どうした」
伝馬のただならぬ様子に、一成は表情を険しくする。今日の授業はすでに終了し、放課後である。部活動があるはずだが、伝馬は制服姿のままだ。何かあったのかと、嫌な予感が頭をよぎる。誰かが怪我をしたのか、それとも――
伝馬は少し息を吸い込み、心配げな一成を数秒間食い入るように見つめた。そして意を決したように、きっちりと結ばれた口元を開けた。
「先生、お願いがあります」
その強い言い方に、一成は若干身を引く。自分に向けられた眼差しの激しさと相まって、別方向の嫌な予感がむくむくと立ち上ってきた。
「何だ」
無意識に胸元のネクタイを軽く締め直す。
伝馬は一瞬迷うように視線が揺れたが、あくまで一瞬だった。
「今度の体育祭の文武両道会に、クラス代表で出る俺に、激励の言葉を下さい!」
一気に叫んだ。
あっと、一成は顔色を変える。途端に思い出した。
ーー藤島に言われていた。
しまったと、口の中で唸る。随分前に、伝馬を励まして欲しいと頼まれて快諾した。何かの折にでも話そうと思いながら、色々あって記憶の底に埋没してしまった。
ーー深水先生のことで、頭がいっぱいだったからな……
一成は申し訳ない思いで伝馬に向き合う。伝馬はいつも以上に目力が強力で、頬も強張っている。緊張しているのが、手に取るようにわかる。
ーー藤島から聞いていたんだな、きっと。
聞いていたどころか、今か今かと待っていたのだが、一成はそこまで想像が及ばない。しかし伝馬から溢れ出る熱量が凄くて、思わず後ずさりしそうになるくらいである。相談室までやって来て自分に申し出たということは、つまり、それだけ期待していたということだ。
「悪かったな、桐枝」
一成はまず詫びた。
「藤島に頼まれていたんだ。桐枝が緊張しているから、励ましてやって欲しいと」
伝馬は肩から力が抜けたように、少しだけ頬が和らぐ。ああやっぱり聞いていたのかと視界におさめて、一成は考えながら言葉を続ける。
「遅くなったが、桐枝、クラス代表になっても、まずは自分のために頑張れ」
伝馬の顔を見つめながら、温かく声掛けをする。
「自分のために頑張れば、それは結果的にクラスのためになる。自分に集中しろ。そうすれば、成果はどうであろうと、自分の中で大きな自信になる。それが成長の糧になる」
すっと腕を伸ばして、伝馬の肩に手を置く。
「自分が後悔しないくらいに頑張れ。桐枝ならやれる」
勇気づけるように、指先でポンポンと肩を叩く。
「頑張れ。まずは中間テストからだな」
そう結んで、口元をほころばせた。



