「蘭堂先輩も負けたくないんですか?」

 伝馬はあまり勝敗に興味がわかない。だが宇佐美は「うむ」と重々しく頷いた。

「当然だ。勝負には勝ちたいと思うのが、俺だ」

 自信過剰とも取れる言いようだが、不思議としっくりきて、伝馬はすごいなあと宇佐美を見上げる。

「俺は一学年からクラス代表に選ばれている。選ばれたからには、優勝する。実際に優勝した。真剣であろうが、お遊びであろうが、全力でやる。俺は人の背中なんぞ見たくない」

 堂々と胸を張って宣言する宇佐美に、謙遜や謙虚という言葉は存在しないようだが、伝馬は特に傲慢とも感じなかった。

「先輩らしいです」

 すると、宇佐美はパワフルな口元をニヤリとさせた。

「桐枝も優勝を目指せ。そうすれば、驚くべきことが起こるかもしれん」

 え? と伝馬が困惑げに聞き返そうとした時、廊下の向こうから声がした。

「あ、宇佐美! 桐枝!」

 呼ばれた二人がそろって振り向くと、麻樹が小走りで寄ってきた。

「もう部活の時間だろう? 二人で何してるんだ?」

 学生服姿の麻樹は黒いリュックを片方がけにし、道着を小脇に抱えている。

 宇佐美は大柄な目を細めて吠えた。

「上戸に頼まれたことをしていた!!」
「え? 俺、何か頼んだっけ?」
「俺たちは無二の親友だ!! 三分待つ!! 思い出せ!!」

 宇佐美はいつもの調子に戻っているが、声が楽しそうに弾んでいる。麻樹はあーっと閃いたように、伝馬を振り返った。

「そうだ、体育祭のこと、宇佐美から聞いた?」
「はい、色々教えてもらいました。ありがとうございます」

 伝馬は麻樹と宇佐美に向かって、気持ち頭をさげる。慌てて麻樹は空いている手をぶんぶんと横に振った。

「そんなクソ真面目に言うなって。軽いノリでいいんだから」

 なあと、横にいる宇佐美に話を振る。宇佐美は呵々(かか)と笑う。

「桐枝はそういう男だ!! 全くもっていい後輩だな!!」
「まあな。てか、お前もうちょっと静かに喋れ、な」

 麻樹は毎度のごとく同じことを口にして、伝馬に向き直る。

「宇佐美から俺の心配してくれたって聞いたぞ。心配してくれたのは嬉しいけれど、桐枝は本当に気を使い過ぎ。それが悪いっていうんじゃなくて、もっと気を抜いてさ。お気楽な感じで、全然いいから。入学してまだ半年も経っていない一年生なのに、なんか頑張り過ぎだって」

 先輩風を吹かせた説教調ではなく、伝馬を思いやって口添えしているのは、麻樹の心配そうに曇った表情からも伝わってきた。いい先輩だなあと、つくづく思う。

「面倒見が良いな!!」

 宇佐美はそんな麻樹をどこか誇らしそうに見る。

「相変わらず人が()い!! 好すぎて人生を心配するレベルだ!!」
「うっせーよ。俺の心配より、自分のこと考えてろよ。彼女に振られたのは、その声のデカさだからな。まじで騒音レベルだぞ。なんとかしねーと、新しい彼女ができても、また振られるぞ」

 麻樹はひとさし指を振りながら、宇佐美にまくしたてる。その内容は文句の(たぐい)だが、言葉の端々(はしばし)から滲み出るのは無二の親友なりのお節介ぶりだ。

「うむ!! 上戸の言うとおりだ!! (かぶと)の緒を締めんとな!!!」

 と、宇佐美はゴジラのように吠えると、両腕をがっちりと組んで白い歯を見せる。

「……お前、また振られるからな、絶対」

 人の話を聞かねーしと、麻樹は片手で耳元を塞ぎ、宇佐美のデカ声を喰らいながらも健気に二人の先輩のやりとりに付き合っている伝馬を、ちょっと可哀想な目でチラ見する。

「俺は部活に行くけど、桐枝も一緒に行くか?」

 伝馬は言葉に釣られるように麻樹へ視線を向ける。麻樹はなぜか真顔になっていて、話が長引きそうな気配を察して伝馬を誘ってくれたのは空気でわかったが、少し考えて、伝えた。

「蘭堂先輩との話が終わったら、部活に行きます。すみません」
「わかった。全然気にしなくていいから」

 麻樹は何でもないことのように道着を抱え直し、くるっと制服姿の宇佐美を向く。

「お前は部活行かねーの?」
「今日は帰らねばならん!! なぜなら!!」
「あ、わかった。もうわかった。じゃあ、早く帰れよ。桐枝は部活があるからな」

 早口で返し、じゃあなと片手を振って急ぎ足で立ち去る。伝馬は今何時だろうと、そっと首を伸ばして、すぐそばの教室の空いたドアから時計を見る。窓の外は明るいが、思ったより時間が過ぎている。

 早く上戸先輩の後を追った方がいいかなと、宇佐美を振り返って――固まった。

 宇佐美は両腕を組んだ姿勢のまま、微動だにしないで麻樹が消えた廊下の先を抑揚(よくよう)なく見つめていた。

 男らしい顔つきは硬く、精悍な口元は真一文字に結ばれ、何か遠いものを見るような暗い眼差しだった。

 伝馬は無言で口を閉じて、首が折れ曲がるほどに俯く――蘭堂先輩がこんな表情をするなんて――自分が目にしていいものなのか。宇佐美に失礼な気がした。

「桐枝」

 そんな伝馬の胸の内を読んだかのように、ぴしゃりと声が上がる。

「顔をあげろ。お前が気にすることではない」

 その言葉に背中を押されるように、伝馬は姿勢を真っ直ぐにして見上げる。宇佐美は苦い薬を味わったかのような小さな笑みを浮かべていた。

「仕方がないことだ。俺には、上戸の気持ちが一番大切なんだ」

 前にも聞いたと、伝馬はしゅんとなった。