伝馬はひたすら真面目に否定した。水瀬やクラスメイトたちを誤解させたくはなかった。かといって、実は副島先生から励ましのお言葉がなくて落ち込んでいるなんて、口が裂けなくても言えなかった。

 なんだかなあと、スタンドミラーに映る自分を覗き込む。道着を着ている姿は、勇太が以前に「ちょーカッコいい! おいしいタンメンみたい!」と謎に褒めてくれたが、何かすごく馬鹿面(ばかづら)に見えてくる。

「俺って……どうしようもなくないか」

 無意識に鏡の中の自分へ問いかける、誰もいない更衣室で、鏡に映る自分を見つめていること自体が情けなく思う――すました顔をしているよな、お前。気分はどん底なのに。

「……しなきゃよかったかな」

 先生に告白しなければ――

 伝馬はそっと腕を伸ばして、指の先で鏡の中の自分の顔に触れる。

「でも、伝えたかったよな……」

 自分の気持ちを。

 伝馬は諦めたように手を引っ込めて、両腕を二・三回動かした。落ち込んでいる時は、何を考えてもネガティブシンキングになる。身体を動かして、少しでも思考回路が悪い方へ向かわないようにと、気合いを入れて腕をぐるぐると回す。すると、ドアが足蹴されたようにバーンと開いた。

「誰かいるのか!!」

 ドンッという効果音をバックに現れたのは、空手着姿の宇佐美である。

 伝馬は持ち前の反射神経でスッとドアを避けて、唖然と見返した。いきなりの空手部の先輩の登場に、吃驚仰天である。

「おお!! 一年生だな!!」

 宇佐美は部屋の片隅にいる伝馬の姿に破顔する。

「名前は何だ!! 俺は蘭堂宇佐美だ!!」
「……桐枝です」

 伝馬は顔を覚えられてしまっていることに、やや不安な面持(おもも)ちで答える。

「うむ!! 桐枝!! 名は!!」
「……伝馬です」
「うむ!! 桐枝伝馬!!」

 宇佐美はドアの入り口で仁王立ちすると、でっかく頷いた。

「お前に会いに来た!!!」

 えっ、と伝馬は目を白黒させる。俺、何かしたか? と果たし状を叩きつけられるかもしれない口上に少々焦る。上戸先輩は? と無二の親友である主将を探そうとして、そういえば今日は会っていないと思い返した。

「理由を今から述べる!!」

 伝馬はその場で硬直しているが、宇佐美は空気などぶち破って、更衣室へ騒々しく足を踏み入れた。

「文武両道会について教えるために来た!! なぜなら俺は毎年出場しているからだ!!」

 大きく胸を張って表明する。

 しかし伝馬は、文字通りの三点リーダーを表情にする。全く意味不明である。

「質問はあるか!!」

 伝馬は謙虚に右手を挙げた。

「よし!! 何だ!!」
「あの、どうして俺に……」

 宇佐美の登場に一から百までわけがわからないが、まずはなぜ自分に会いに来たのか知りたかった。体育祭の学園一文武両道会に出場する生徒は自分だけではない。

 すると、宇佐美は誇らしげに顎を上げた。

「それは上戸に頼まれたからだ!! 上戸は後輩想いな先輩だ!! そして俺は上戸の無二の親友だ!!!」

 あ、そうですかと、伝馬は耳を塞ぎたくなる衝動を抑えながら脱力した。これで疑問はあっさりと立ち消えた。

「次の質問はあるか!!」
「あ、いえ」
「よし!! それでは今から教えるぞ!!」

 と、宇佐美は近くにある丸椅子に張り切ってでかい図体(ずうたい)を下ろす。

「桐枝も俺の隣に座れ!!」
「――え? 今からですか」

 宇佐美が指をデンッと伸ばして横にある丸椅子を示すが、伝馬は驚いて二の足を踏む。これから部活があるのだ。

「俺、これから部活で」
「むろん、百も承知だ!! 俺は阿呆ではない!! 俺の話を聞いてから部活に行け!! 俺も話し終えたら部活へ行く!! それで万事解決だ!!」

 宇佐美は堂々と胸を張る。

 いや、あの……と伝馬はちょっとだけ頭の中か真っ白になりかけた。宇佐美は台風が擬人化したようにうるさくて、さらには何を言っているのかわからない。しかしわからないのが普通なんだろうと脳が自動的に判断して、伝馬は台風に遭遇したような気持ちで丸椅子に大人しく腰かける。部活前なのに、もう疲れた。

「……あ、じゃあ、一応上戸先輩に連絡しきてもいいですか」

 ここの丸椅子に座って、麻樹と二人で話し合っていたのが遠い昔に思えてくる。その麻樹に部活に遅れる旨を伝えなければと腰を上げかけて、「不要だ!!」と言われた。

「上戸は早退した! 体調が思わしくない!」

 宇佐美は盛り上がった胸の前で両腕を組んでいる。声量がいくぶん和らいでる。あくまでいくぶん程度だが、伝馬は丸椅子に座り直して、麻樹の容態を心配する。

「風邪でも引いたのだろう! 身体を休めるのが一番だ!」

 そうですか……と伝馬は顎を下げる。もしかして、この間自分が強引に聞いてしまったから、余計な負担をかけてしまったのだろうか。そうだとしたら、申し訳ない。

「……なんか、すみません」

 ぽろりと口からこぼれる。優しい部活の先輩は自分の心配もしてくれていた。ナンカ、オレッテホントサイテイ……伝馬は迷惑をかけたという思いでいっぱいになる。

「なぜ、すみませんなんだ?」

 普通に聞きやすい声が耳に入って、伝馬は一瞬「誰?」となる。状況からして隣からだと、無言で顎を上げて見る

 宇佐美が伝馬を一瞥していた。

 うるさいくらいに元気で白い歯を見せて笑っていたのが、まるで別人格に入れ替わったかのように、とても冷ややかな視線を浴びせていた。