――もっと……何かこう、言って欲しかった。

 クラスの代表に選ばれるなんて凄いじゃないか。とか。お前だったらやれるぞ。とか。期待している、楽しみだ。とかとか。伝馬の頭の中で願望がストレートに踊りまくるが、自分の妄想なのはわかっているので無情に肩を落とす。

 ――ちょっとだけでいいんだ。

 でも俺の我が儘なんだろうなあと遠い目になる。

 ――先生は俺のこと、どう思っているんだろう。

 一成に関する話で情緒不安定気味な伝馬である。どうも思っていないから簡単な一言で終わったんだなと自分でアンサーを出して、ますます気持ちが落ち込んだ。

「……やる気が出ない」

 ボソッと呟く。

 圭はカーキ色のリュックに弁当箱を入れると、仕方がないなあと教室の壁時計を見上げる。

「伝馬のやる気スイッチを押してあげるよ。ちょっと待ってて」

 突然席を立つと、教室を出て行った。

 どうしたんだと伝馬は目で追う。俺、何か怒らせたかなと少々考え込んだが、そのうちに勇太がチャーハンを食べ終えて両手を合わせた。

「ごちそうさまでした! うまかった!」

 そこで圭がいないことに気がつく、

「圭ちゃんどうしたの? トイレ?」
「いや、違うと思うけれど」

 伝馬も小首をかしげる。昼休憩の時間はまだ残っている。

「だいじょーぶだよ」

 勇太はランチバックにタッパーを仕舞いながら、美味しいご飯が食べられて幸せモードな笑顔になる。

「伝馬ならやれるよ!」

 ……だからその根拠を教えて欲しいと伝馬は痛切に思ったが、先生からもその言葉を聞きたかったなあとしょんぼりした。



 放課後、あらゆる雑務を終えた一成は、来月に行われる中間考査のテストの作成に取り掛かることにした。職員室では隣の古矢がうるさく、それを注意する理博もうるさく、もうまとめて窓から投げ捨てたい衝動に駆られたので、相談室でやることにした。

 ――今日も色々あったな。

 一成は右肩に手をやって優しく撫でる。学園生活は一日として同じではないが、最近はとみにその傾向が強まっているような気がしてならない。

 ――まあいい。じいさんもいないし、集中だ。

 衝立の奥にある机の前に座る。中間考査の次は体育祭が控えているので、準備の連続で忙しい日々が続く。

 ――体育祭か。

 一成は取り掛かろうとした手をいったん止めて、胸の前で両腕を組む。今朝のホームルームで体育祭のメインイベントである「学園一文武両道会」に出場するクラス代表者が決定したが、一成の見るところ、選ばれた伝馬は明らかに嫌そうだった。

 ――気持ちはわからないでもないが。

 下手に声をかけて伝馬を悩ませたくはなかったので、当たり障りのない言葉をかけたが、伝馬が選ばれて多少は嬉しい気持ちはあった。

 ――桐枝はみんなから信頼されているんだな。

 新入生たちがクラスメイトとなってから早二ヶ月。そろそろお互いに慣れてきた頃合いだ。それぞれ個性もあるし、性格の良い面や苦手な面もわかってくる。その中で選ばれたのは、単に誰でも良かったという消去法ではなく、自分が良いと思うクラスメイト、多分に伝馬に対する信頼感が物を言ったのだろう。一成は教師の経験値からそう感じていた。

 ――桐枝はその凄さがわかっていないからな。仕方がないが。

 椅子の背に寄りかかって、両腕を組んだまま軽く笑う。昼休憩時間に学級委員長がいきなり職員室へやって来て、伝馬を励まして欲しいとお願いされたのには驚いた。

「桐枝君がすごく神経質になっていて、可哀想です。ぜひ先生から話してやって下さい。お願いします」
「――そんなに気が滅入っているのか」
「はい。先生と会話したら元気とやる気が出てくると思います」

 圭は冷静に口にしながらも、どこか押しが強かった。「そうか! 応援するのは教師の務めだね!」と隣で朗らかに口うるさい古矢を無視して、一成は快諾した。どうして俺と会話したら元気とやる気が出るんだ? と圭の言い方に少し引っかかったが、伝馬と仲が良いので自分のことを話したのだろうと肩をすくめた。

 ――それにしても、桐枝はそんなに神経質な生徒だったか?

 一成は椅子の上で、今までの伝馬の態度と行動を思い巡らす。だがどう照らし合わせても、ナーバス系には見えない。

 ――まず俺に堂々と告白してきたしな。

 おそらく自分の感情に率直なのだろう。良く言えば、ウダウダと悩まない。悪く言えば、無鉄砲。

 一成は両腕を組んだ格好で、しばし両目をつぶる。一成以外に誰もいない相談室はとても静かで、廊下から生徒たちの楽しそうなざわめきが聞こえてくる。閉め切った窓の外からも、部活中の大声が耳に入ってくる。放課後は授業を終えた解放感のような空気が漂っている。いつの時代でも変わらない光景。教師である今も、高校生だった昔も。

 ――俺とは大違いだな。

 物思いから身を起こすように両目を開ける。薄汚れた壁の模様はずっとそのままだ。

 ――俺も真正面から正直に自分の気持ちを告げていたら、違っていただろうか。

 桐枝のように。まっすぐに。

 一成は机に肩肘をつくと、いや、違うだろうと額に手を当てた。告げたら、拒否された。

 あの時の榮の冷めきった眼差しを忘れはしない。

 ――それなのに、俺は……

 背後からガガッとドアの開く音がして、一成は反射的に顔を上げた。