「……ひどいです、先生」

 ちょっとでも真面目になった一成は照れたように俯く。恥ずかしい。榮に自分の気持ちを見られたのではないかと思った。

「むくれるんじゃない」

 榮はページからそっと指を離す。

「君が一生懸命だったから、からかいたくなっただけだ」
「……先生って、性格悪かったんですね」

 一成は両手でポンと本を閉じる。()ねた口調にはわずかに()びる響きがある。

「今さらですけれど」

 最初に会った第一声が「君、下品だな」だったので、まさしく何を今更なのだが、一成は顔では頬っぺたを膨らませながらも、榮が自分をからかうくらいにお互いの距離が縮まったことが、どうしようもなく嬉しかった。

「機嫌を直しなさい、一成」

 榮はそんな一成を見て、まるで子猫が可愛く威嚇(いかく)してきたかのように苦笑いする。

「君がからかわれる純粋な姿を見たかった。私の知的な好奇心だ」
「なんか、ひどいです」

 さらに一成は子供っぽくふくれっ面になる。

「先生ってヒマなんですか」

 気安い会話ができることに胸の(たかぶ)りが止まらない。このままずっと話を続けていたい。

「一成、仕方のない子だ」

 榮はふっと笑うと、身をひるがえして徐々に日が翳ってきた静かな室内を見回す。

「日が落ちる前に帰りなさい。孤独という友達に別れを告げてね」

 榮らしい言い回しで一成に注意を促すと、わかったねというように小首をかしげてみせて、図書室を出て行こうとした。

「あ、先生」

 一成は勢いよく椅子から立ち上がる。

「何だ」

 榮は図書室のドアの前で振り返る。一成は小走りで近寄りながら、どうしようかと頭の中でのたうち回る。先生を引き留めてどうする。でももっと話したい。まだ別れたくない――

「あ、あの」

 榮が怪訝そうな表情をしているので、ドッと汗が噴き出そうになる。落ち着けと唾を呑み込むが、声が震える。

「あの、さっきの先生の言葉……」

 落ち着け、俺と、一成は勇気を奮い立たせる。

「さっき、先生は知的好奇心って言っていましたけれど」
「そうだな」

 榮はゆったりと肯定する。それを見上げながら、なぜか一成はほっとした。

「先生の好奇心は……満足しましたか」

 後から思えば、一成はただ榮と会話をしたかっただけだった。だから榮が話した言葉に喰らい付いたのだ。

「いや」

 榮は一成へ向き、開けようとしたドアを後ろ手で押さえた。

「満足させてくれるのか、君が」

 落ち着いた声が、二人だけの空間に沈む。

 やがて、日の落ちる影が滲んできた。