「楽しんでいるようだ」

 つと声をかけられて、一成はすぐに読んでいた本から視線を上げる。

「深水先生」

 真面目に集中していた表情が、たちまち嬉しそうに崩れる。

「どうしたんですか」

 放課後、まだ外の日は高いが蛍光灯で明るい図書室で、一人読書をしていた一成である。

「君が真剣に本を読んでいたから、声をかけたんだ」

 榮はテーブル越しに一成を覗く。

「何を読んでいるんだ、一成」
「日本史です」

 一成は榮が自分の名前を口にしてくれたのが嬉しくて、弾むように答える。

「俺は全然知らないんで。簡単な本からと思って」

 そう言って、本の表紙を見せる。タイトルは、ちんぷんかんぷんな君のための日本史という一成のためにあるような本だった。活字オタクの七生に聞いて勧められた本である。一成は熱心に本を読む方ではないので、ページを開いて文章を辿って読むという行為が結構大変だった。しかし読んでいくうちに慣れていき、本の内容も頭に入るようになってきた。

「段々と面白くなってきました」

 日本史にも(うと)かったが、なんとなく大雑把(おおざっぱ)には読めるようになってきた。そうすると興味も普通に湧いてきた。

「悪くはない選択だ」

 榮は微笑ましそうにその本を見る。

 一成は少しだけ得意げな色を表情に浮かべる。榮が日本史担当なので、それ関連の本にした。本を読めば、榮と話すきっかけも生まれる。

「どの時代を読んでいるんだ」

 榮が興味をもったように話しかけてきたので、一成は内心小躍りした。図書室での一件から、榮と廊下などですれ違えば積極的に挨拶をしていた。学年が違うのでそう頻繁(ひんぱん)には会えないが、放課後に図書室にいると高確率で榮に会えた。そのため一成はいまだにどの部にも入部していなかった。

「今は……ええと、戦国時代っていうところ、だと思います」

 本のタイトル通りのちんぷんかんぷんっぷりを発揮しながら、一成は開いているページを説明する。

「ああ、なるほど」

 榮は控えめな苦笑を洩らした。

「小説で一番人気がある時代だ。私は好きではないが」

 手を伸ばし、指でページの縁を押さえる。

 一成は目線を下げて、目の前に置かれた指を見つめる。ピアニストのように整った指の線を描いているが、繊細ではなくひどく男性的だ。

 喉で唾を呑み込んだ。なぜか緊張した。

「一成」

 かろやかな声に一成は慌てて目をあげる。

「私の指を睨む代わりに、少しだけ君に面白い話を聞かせよう」

 指と同様に端整で魅力的な顔がうっすらと秘密めく。睨んでいませんと一成は訴えたかったが、それよりも榮が話をしてくれることに胸がドキドキして姿勢を正した。