「それで、一成」

 榮はカップを持ちながら、少しだけ小首をかしげてみせる。

「これで納得したか」

 一成は膝に両手をつき、硬く微動だにしない。まるで自分を煽るかのような態度にも、真正面からまじろぎもしないで見る。

「あとはないのか」

 榮はゆったりと椅子に背中を預けて(くつろ)ぐ。

「……そうですね」

 膝上にある手のひらに熱がこもる。三白眼が挑むように鋭くなり、やや間を置いて――自分は冷静であると判断してから、一成はいつもと変わりない口調で言った。

「なぜ、突然俺の前に現れたんですか」

 絶対に偶然なんかではない。確信している。

「卒業式の日に俺に背を向けたのに。貴方の目的は何ですか」 
 
 紅茶ではなくコーヒーまで飲みながら。

「俺と向き合って、俺を納得させて下さい、深水先生」

 緊張で神経がおかしくなりそうになる。高校生の時だったら、とてもじゃないが聞けないだろう。実際にそうだったと一成は苦い味を噛み締める。だから委縮(いしゅく)しては駄目だと、ともすれば湧き上がってくる吐き気のようなものを呑み込んだ。

 榮は一成をちらりと一瞥した。その目にはどこか謎めいた感情が見え隠れしている。

「君を納得させればいいのだな」

 空になったカップを音も立てずにソーサーに置くと、一成へ向かって目をやわらげてたっぷりと微笑んだ。

「若者から男性となった君を見て、抱きたくなった」

 相手を(から)め捕るような心地よい声が、静かな室内に流れる。

「とても魅力的な男性になった、君は」

 眼差しが華麗な理不尽さを含ませて誘う。

「だから抱きたい。一成、君を」
「……」

 一成は激しく喉を鳴らす。わずかに指先が震えて、神経が眩暈を起こす。――何を言っているんだ。心の中で罵倒が溢れ出る。俺を振ったのは貴方だ。俺がどれほど傷ついたかわかっているのか。貴方は俺を騙したんだ。踏みにじったんだ。

 ――俺は本当に貴方のことが好きだったのに――

「一成」

 榮は優しく呼び寄せる。

 一成は柔らかい鞭で打たれたように感情の泥沼から目を覚まして、目の前にいる榮を見た。

 榮は表情を崩すことなく穏やかに言った。

「イエスと言いなさい」

 それは逆らうことを許さない命令だった。

 一成は壊れた人形のようにじっと榮だけを見つめ続ける。白くなった顔は過去に取り憑かれたように血色がなく――貴方は俺をまた惑わそうとしている――身体が身震いする。

「返事をしなさい」

 一成は黙ってうなだれた。

 (あらが)えないと感じた。

「わかりました」

 ――再会した瞬間から、俺はもうどうしようもなくなっていたんだろうな……

 榮の眩しいほどの残酷な魅力に。




「どうですか……俺の身体は」

 ストーン色のドレープカーテンで閉め切られた寝室で、シングルベッドの上で榮に抱かれた一成は、大人になった自分の身体を抱いてどう感じているのだろうかと聞いてみたくなった。

「素晴らしい」

 暗闇の中でも、榮が満足そうな微笑を浮かべているのがわかった。

「高校生だった君は愛すべき肉体の持ち主だった……今の君は抱かれるべき肉体になった」

 一成の耳に口づけをする。

「荒々しく抱いて、甘く奪う。肉食獣のように交わり、濡れて汚れあう。魂を満たして、陶酔(とうすい)の沼で果てる――」

 ()めるように囁く。

 一成の頬が炎で(あぶ)られたように赤くなった。自分を煽っているのがわかって、下半身が(うず)く。くそっ。だが、もう後戻りはできなかった。