「俺、先生のことが好きなんです」

 突然の告白でも、非常に真面目だった。

 副島一成(そえじまいっせい)は目の前で座る生徒を、無言で見つめ返した。お昼時の休み時間、相談室でだらだらと過ごしていた一成のもとを訪れたのは、先月、吾妻(あづま)学園に入学した一年生である。黒い学生服がまだ初々しいその生徒は、一成もよく知っている相手だった。

「どうした、いきなり」

 その生徒の担任である一成は、慎重に教え子の様子を探った。この相談室は生徒をサポートするために設置されていて、今年一成は筒井順慶(つついじゅんけい)と共に担当になった。困ったり悩んだりしていたら、迷ってないでぜひいらっしゃいと、いつでも気軽にドアを開けられる雰囲気をつくるようにしているのだが、二人が担当となってからは、開店休業状態が続いている。生徒は基本的にシャイだからと、二人の担当は早々に諦めているが、生徒たちの間では、睨みつける三白眼が怖いと評判の一成と、心の辞書にデリカシーという言葉が欠けていると評判の順慶のペアでは、好きな食べ物でも相談する気が起きないということで一致している。そんな名誉を捧げられていることなどまだ知らない当事者たちの前に現れたのが、入学してから一ヶ月しか経っていない新入生だった。

「何か、あったのか?」

 相談がありますと言ったので、そこのソファーに座らせた。恒例の五月病の季節である。きっと学校に慣れない云々の話だと思って、意気込んで話を聞こうとした一成に、好きな人がいるんですと、教え子は堂々と言った。

「誰だ?」
「先生です」

 桐枝伝馬(きりえだでんま)はまっすぐに担任を見つめていた。

「俺、先生のことが好きなんです」

 伝馬が相談室のドアを叩いてからこの会話になるまで、五分もかかっていない。

「……」

 一成の三白眼が胡乱な目つきになる。聞いた瞬間、正直、もう来たかとうんざりした。男子校に教師とて着任してから、早数年。この手の話は、もうお腹いっぱいなほど見聞きしていた。

「先生を好きになった理由ですか?」

 伝馬はにこりともしなかった。

「それは……格好いいから」
「それだけか?」
「それだけじゃ、駄目なんですか?」

 少々気分を悪くしたように、声が低くなる。

「感動しない」

 一成は馬鹿な映画でも見たように、ばっさりと切る。

「俺を好きになったのなら、感動させろ」
「……」

 伝馬の強情そうな眉がびくりと反応する。
 怒ったな。一成は胸の中で苦笑いした。いい兆候だ。

「――先生は好きな人がいるんですか?」
「いや」

 再び直球を投げてきた伝馬に、仕方なくバントを打つ。

「そんな暇はない」

 教師は忙しいんだと、一成はぼやきそうになった。生徒の告白にも付き合わなければならないのだから。

「だったら、俺と交際してくれませんか?お願いします」

 伝馬はどこまでもまっすぐだった。

 一成はそんな教え子を、面倒そうにちらっと見返した。実際に面倒だった。一年生のクラスの担任を任され、やるべきことがてんこ盛りである。今朝だって、職員室で机が隣にある体育教師松本古矢(まつもとふるや)から、体力測定のことで色々と言われた。曰く、三組の生徒たちはひ弱ならしい。だから何だと、目が据わった。毎朝ラジオ体操でもさせればいいのかと言ってやった。すると、来月の結婚を前に、幸せムードをはた迷惑にまき散らしている二十代最後の教師は、大真面目に頷いた。一成! お前が先頭に立って生徒たちを引っ張るんだ! 教育に必要なのは、情熱と体力だ!――一成は隣の机ごと、窓から蹴り出そうかと思った。この学校に在学していた時から、うざい先輩だったが、同じ教師として机を並べるようになってからは、さらにパワーアップしてきた。こういう奴が教え子から告白されたらどういう反応を示すだろうと考えたら、少し気分がすっきりした。

「――先生」

 硬い声が、現実に引き戻す。

 伝馬は声以上に強張った顔をしていた。担任が自分の話を真剣に聞いていないと感じ取ったらしい。

「俺、本気なんですけれど」
「――俺も、ちゃんと聞いているぞ」

 少々物騒な空気が匂ってきたので、安心させるように言った。だがその言葉の裏では、どうやってこの面倒極まりない相談に答えを出そうかと考える。大体、入学して一月が経ったばかりなのに、自分の担任へ面と向かって好きだと言える気持ちがわからない。しかも男の自分へ向かって、堂々と。

 ――若いんだな。

 今年で二十七歳になる一成は、まるで中年親父のような感想をもった。若さには叶わないと、十代の頃は目上から何かにつけ言われたが、ようやくその意味がわかる年頃になった。

「俺、本当に先生のことが好きなんです」

 伝馬は自分の気持ちをわかってもらうように、もう一度口にする。

「本当に、好きなんです」
「……」

 一成は腕を組むと、眉間に皺を寄せて鋭く睨んだ。その雑り気のない真摯な眼差しに、ようやく解決法が決まった。

「……桐枝」

 仕方がないなとため息をつくのも我慢した。一番性に敏感な年頃なのに、周囲に男しかいないのであれば、同じ男に関心が向かうのは当然の帰結だろう。だが、それが本物なのかは当人もわからないに違いない。

「いったい、どうしてそう思うんだ?」

 去年も大体今頃、誰かへ同じ質問をした覚えがある。その誰かは、その後確か彼女ができたとか騒いでいたような気がする。

「俺のどこを好きになったんだ?」

 それにしてもストレートに告白してきた伝馬に、少しだけ驚いた。一年三組の担当クラスでは、そろそろ新入生たちが自分の個性を出し始めている。その中でも、伝馬は特別に目立つというわけでもなく、かといって地味というわけでもなく、それなら普通かと言われれば、何か首を傾げたくなるような、そんな生徒である。担任の自分がきちんと把握していないからだと一成は憮然となったが、今目の前にいる伝馬はひどく落ち着いていて凛々しく感じた。背は低くはなく、体つきも悪くはない。黒い学生服がとてもよく似合っている。顔立ちも精悍で、頑固で意思が固そうだ。その証拠に、一度も自分から目を逸らしていない。十五歳にしては、根性もありそうだ。