「ヤベー先輩だったな」
自転車置き場からこの春購入したというブラックとカーキでカラーリングされた自転車を引きながら、颯天の口から毎度の口癖が出る。
「空手部の先輩かな」
伝馬も自転車を引き出す。入学式の日にパンクした自転車だが、修理して乗っている馴染みのものだ。
颯天はうんうんと頷いた。
「だよな、俺はカラテだって顔をしていたもんな」
二人は校門で別れると、伝馬は自転車に乗り軽快に走り出す。部活動があったといえ、空がまだ明るい夕焼け色だ。
――何だろう。
ちょうど仕事終わりの時間帯なので、二車線の道路は帰宅する車で混みあっている。吾妻学園とは違う制服姿の高校生たちも自転車を走らせ、歩道を行き交う人々も家路を急いでいる。
伝馬も部活の疲れを感じさせずに自転車を漕ぎながら、帰宅する光景の一部になっていた。だがずっと、先程の二人の先輩の会話が耳から離れなかった。
――彼女ができたっていう話をしていたんだよな。
声のデカさのインパクトに肝心の話の内容が薄れているが、伝馬はペダルを踏みながら、自分の記憶に間違いはないか慎重に思い返す。
――うん、聞き間違いじゃない。あの先輩、副島先生にも喋ったって言っていた。それに対して上戸先輩が……
先生はそんな話が好きじゃないって――
前方の十字路で信号が赤になる。伝馬は前の自転車に近づき過ぎないように距離を取って止まった。
――何でだろう。
伝馬の胸内でモヤモヤがグルグルしている。そんな話好きじゃない? 彼女ができたっていう話が?
――確かに興味はなさそうだけど。
それが一番しっくりくる正解のような気はする。しかし伝馬のイメージでは、担任教師はどんな話の内容であれ一応は聞いてくれそうな感じなのだ。たとえ彼女ができたという自慢話であろうとも。
――でも上戸先輩、結構キツめに言っていたよなあ。
あの言い方の雰囲気は、明らかにある種の真剣さが交じっていた。もっとも相手の先輩には通じていないようだったが。
――何で、好きじゃないんだろう。
信号が青になって、一斉に進み始める。伝馬も流れに乗って自転車を走らせる。
――気になる。
悶々とした気持ちになるのは自分でもわかっている。
――俺、もう一度先生に言おうと思っているんだけど……
実は今日の昼時間にその決意を勇太と圭に話した。勇太はウンウン言いながらら五目御飯に夢中で、圭は丸くスライスしたゆで卵の一つを口に入れて、眼鏡の奥からシビアに自分を見つめた。
「で、ちゃんと計画は立てたわけ?」
「計画って?」
「先生にもう一度ストレートパンチされないための計画」
言われて、え? と目を丸くする伝馬に圭は少々呆れたようだった。
「伝馬の良い所は、気持ちが良いくらいにまっすぐな性格をしていることだよね。けれど、それって少し無謀過ぎるんだ。相手は先生だよ。まっとうな先生だったら、生徒からの告白は受け流して終わるよ」
「そうかな」
伝馬は少しだけ納得がいかないような顔つきになる。圭は理解してもらうように続けざまに言う。
「そうだよ。先生は乱暴なやり方だったけれど、間違ってはいない。一歩間違えたら先生が責められる。僕たちは未成年だから。先生にも立場がある。軽い話じゃないよ」
伝馬の様子を見守りながら、残りのゆで卵を食べ切る。
「……」
伝馬は無言で母親が握ってくれた塩味が効いた白いおにぎりを口に含む。かなりショッキングな言葉を目の前に並べられて言葉もでなかった。
――でも、圭の言う通りだよな……
この間、一成が一人で廊下を歩いているのが見えて、急いで部活を抜け出して一成に告白したことを謝った。ストレートパンチされた時は痛みと怒りとどうしての三重苦で感情が台風のように大暴れしていたが、勇太と圭に事の次第を話して、ようやく先生に迷惑をかけたんだと思い立った。
――俺、自分のことしか考えてなかった……
先生に自分を見て欲しくて。
自分をどう思ってくれているのかって。
――それだけしか頭になかった。
だから謝った。一成は笑って、謝ることじゃないと言ってくれた。優しい表情だった。
伝馬はホッとした。
それで決意した。
――もう一度副、島先生に告白しよう。
だが面と向かって圭に世間一般の現実というものを指摘されて、せっかくの決意がぺちゃんこになりそうである。
――俺って馬鹿なのかなあ……
伝馬はうなだれてため息をつく。一口、二口と小鳥が啄むようにおにぎりを食べるが、おにぎりは塩が多すぎるのか塩辛く感じる。もしかして噛んでいるのはご飯ではなく、塩なのかもしれない。
「でも、伝馬は先生が好きなんだろう?」
傍目にも落ち込んだ伝馬を元気づけるように圭は言葉をかける。
「そうだけれど……どうすればいいんだろう」
「だから、考えるんだ」
伝馬はむくりと顔をあげる。圭は眼鏡の奥で意味ありげに目を光らせている。
「この前も言っただろう? パンチされてお終いにする? って」
「……あ、ああ」
そういえば聞いた覚えがあるようなないような。伝馬は妙に圧を感じて、ちょっとだけ身を引く。
「高校教師が教え子と恋仲になったと世間から犯罪者扱いされない形で、伝馬の想いが伝わるようにするんだ」
圭は容赦のない言い方をすると、唐草模様の風呂敷で空になったお弁当箱を手早く包む。
伝馬は軽く胸元を叩いた。食べたおにぎりがつかえた。
自転車置き場からこの春購入したというブラックとカーキでカラーリングされた自転車を引きながら、颯天の口から毎度の口癖が出る。
「空手部の先輩かな」
伝馬も自転車を引き出す。入学式の日にパンクした自転車だが、修理して乗っている馴染みのものだ。
颯天はうんうんと頷いた。
「だよな、俺はカラテだって顔をしていたもんな」
二人は校門で別れると、伝馬は自転車に乗り軽快に走り出す。部活動があったといえ、空がまだ明るい夕焼け色だ。
――何だろう。
ちょうど仕事終わりの時間帯なので、二車線の道路は帰宅する車で混みあっている。吾妻学園とは違う制服姿の高校生たちも自転車を走らせ、歩道を行き交う人々も家路を急いでいる。
伝馬も部活の疲れを感じさせずに自転車を漕ぎながら、帰宅する光景の一部になっていた。だがずっと、先程の二人の先輩の会話が耳から離れなかった。
――彼女ができたっていう話をしていたんだよな。
声のデカさのインパクトに肝心の話の内容が薄れているが、伝馬はペダルを踏みながら、自分の記憶に間違いはないか慎重に思い返す。
――うん、聞き間違いじゃない。あの先輩、副島先生にも喋ったって言っていた。それに対して上戸先輩が……
先生はそんな話が好きじゃないって――
前方の十字路で信号が赤になる。伝馬は前の自転車に近づき過ぎないように距離を取って止まった。
――何でだろう。
伝馬の胸内でモヤモヤがグルグルしている。そんな話好きじゃない? 彼女ができたっていう話が?
――確かに興味はなさそうだけど。
それが一番しっくりくる正解のような気はする。しかし伝馬のイメージでは、担任教師はどんな話の内容であれ一応は聞いてくれそうな感じなのだ。たとえ彼女ができたという自慢話であろうとも。
――でも上戸先輩、結構キツめに言っていたよなあ。
あの言い方の雰囲気は、明らかにある種の真剣さが交じっていた。もっとも相手の先輩には通じていないようだったが。
――何で、好きじゃないんだろう。
信号が青になって、一斉に進み始める。伝馬も流れに乗って自転車を走らせる。
――気になる。
悶々とした気持ちになるのは自分でもわかっている。
――俺、もう一度先生に言おうと思っているんだけど……
実は今日の昼時間にその決意を勇太と圭に話した。勇太はウンウン言いながらら五目御飯に夢中で、圭は丸くスライスしたゆで卵の一つを口に入れて、眼鏡の奥からシビアに自分を見つめた。
「で、ちゃんと計画は立てたわけ?」
「計画って?」
「先生にもう一度ストレートパンチされないための計画」
言われて、え? と目を丸くする伝馬に圭は少々呆れたようだった。
「伝馬の良い所は、気持ちが良いくらいにまっすぐな性格をしていることだよね。けれど、それって少し無謀過ぎるんだ。相手は先生だよ。まっとうな先生だったら、生徒からの告白は受け流して終わるよ」
「そうかな」
伝馬は少しだけ納得がいかないような顔つきになる。圭は理解してもらうように続けざまに言う。
「そうだよ。先生は乱暴なやり方だったけれど、間違ってはいない。一歩間違えたら先生が責められる。僕たちは未成年だから。先生にも立場がある。軽い話じゃないよ」
伝馬の様子を見守りながら、残りのゆで卵を食べ切る。
「……」
伝馬は無言で母親が握ってくれた塩味が効いた白いおにぎりを口に含む。かなりショッキングな言葉を目の前に並べられて言葉もでなかった。
――でも、圭の言う通りだよな……
この間、一成が一人で廊下を歩いているのが見えて、急いで部活を抜け出して一成に告白したことを謝った。ストレートパンチされた時は痛みと怒りとどうしての三重苦で感情が台風のように大暴れしていたが、勇太と圭に事の次第を話して、ようやく先生に迷惑をかけたんだと思い立った。
――俺、自分のことしか考えてなかった……
先生に自分を見て欲しくて。
自分をどう思ってくれているのかって。
――それだけしか頭になかった。
だから謝った。一成は笑って、謝ることじゃないと言ってくれた。優しい表情だった。
伝馬はホッとした。
それで決意した。
――もう一度副、島先生に告白しよう。
だが面と向かって圭に世間一般の現実というものを指摘されて、せっかくの決意がぺちゃんこになりそうである。
――俺って馬鹿なのかなあ……
伝馬はうなだれてため息をつく。一口、二口と小鳥が啄むようにおにぎりを食べるが、おにぎりは塩が多すぎるのか塩辛く感じる。もしかして噛んでいるのはご飯ではなく、塩なのかもしれない。
「でも、伝馬は先生が好きなんだろう?」
傍目にも落ち込んだ伝馬を元気づけるように圭は言葉をかける。
「そうだけれど……どうすればいいんだろう」
「だから、考えるんだ」
伝馬はむくりと顔をあげる。圭は眼鏡の奥で意味ありげに目を光らせている。
「この前も言っただろう? パンチされてお終いにする? って」
「……あ、ああ」
そういえば聞いた覚えがあるようなないような。伝馬は妙に圧を感じて、ちょっとだけ身を引く。
「高校教師が教え子と恋仲になったと世間から犯罪者扱いされない形で、伝馬の想いが伝わるようにするんだ」
圭は容赦のない言い方をすると、唐草模様の風呂敷で空になったお弁当箱を手早く包む。
伝馬は軽く胸元を叩いた。食べたおにぎりがつかえた。