「矢野、顔……」
「もー、頼むからちょっと静かにしてて!」
日誌を掴むと、鳥羽の口に押しつけてそれ以上しゃべらないようにする。
「……痛いんだけど」
「わざとしてるからね」
「ひどいな」
「ひどいのは鳥羽の方!」
日誌を押しのける鳥羽は、あからさまに俺を見て笑っているから。
「鳥羽のバカ、アホ……!」
子どもじみたくだらない文句をつぶやきながら俺は、日誌を書き進める。その間も鳥羽だけはクスクスと笑っていた。
「あ、矢野くん」
しばらくして聞き覚えのある声が聞こえてきて、顔を上げると廊下に夏樹先輩がいた。
「あれ、先輩どうしたんですか?」
「ちょっと先生に用があって。その帰りに寄ってみたんだけど、今日日直だったの?」
「あ、はい。今、日誌書いてて……でも、あともう少しで終わります」
「そっか。じゃあそれまでここで休憩しようかな」
そう言って先輩は教室の中に入ってくる。
「あ、俺用事思い出した」
鳥羽が突然そんなことを言うものだから、変な気を回したんだとすぐに思った。
「いつも矢野くんと一緒にいる子だよね」
「あ、はい。はじめまして。俺、矢野の友達の鳥羽です」
「鳥羽くんね。俺は夏樹孝明。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
先輩と鳥羽が会話している姿が少しだけ新鮮に見えた。
「じゃあ、矢野。また明日な!」
かっこつけて手を振って彼は教室を出た。
まるで、俺気が効くだろ、と言わんばかりの表情だった。
明日、絶対何か聞かれるんだろうなあ。
「ここ席借りるね」
鳥羽が座っていた前の席に先輩は腰掛ける。
「戻らなくて大丈夫なんですか?」
「うん、少しくらいなら平気だよ」
先輩といるとドキドキして落ち着かなくなる。
俺、ちゃんといつも通りにできてるかなと、少しだけ不安になる。
「矢野くん、クリスマスのことだけどさ」
「またクリスマスの話ですか?」
「そうそう。また」
と、先輩は笑う。
「矢野くんが俺のこと考えてくれてるって分かってるからあんまり困らせたくないんだけど、やっぱクリスマスは一緒に遊びたいなって思ってさ」
──〝好きな子と過ごしたいって思うかなぁ〟
先輩はそう言った。つまりそれは、〝告白をした俺と過ごしたい〟って意味になるわけで。
だけど俺はまだ告白の返事をできていない。
先輩はいつだって優しくて、俺なんかよりも大人で、待たせてしまっているのに怒らないでいてくれる。
「……どうしてですか」
「何が?」
「だって俺、男なのに……どうして先輩は俺のことを……」
俺のことを好きになってくれたんだろう。
「矢野くんを好きになる前は女子が恋愛対象だったし、まさか自分が男を好きになるなんて思ってなかった」
そう言いながら微笑んで、「でも」と言葉を続ける。
「矢野くんと生徒会で知り合って話すようになって矢野くんのこと知ってくうちに好きになっていってる自分がいて。好きになることに性別なんて関係ないのかなって思ったんだよね」
先輩はいつだって真っ直ぐ俺に言葉を伝えてくれる。
「矢野くんが前、顔のことで嫌な思いをしたって話してくれたけど、俺は一度も矢野くんのことを女子だと思ったことはないよ。だって矢野くん、意外と男らしいところあるし」
かっこよくて、優しくて、頼り甲斐もあって、それでいて俺の全てを肯定してくれて。
「……俺、男らしいとこありますか?」
自分では気づかなくて先輩に尋ねると、「うん、あるよ」と俺の瞳を真っ直ぐ見据えて答えた。
「たとえば、体育祭でタケに言い返したところとか。ああ意外と負けず嫌いなんだなって思ったし、ちゃんと言いたいことは言葉で伝えてくれるし」
先輩は、楽しそうに顔を緩ませながら話していく。
「矢野くんは、すごく先輩思いだし俺が冗談言っても突き放さないで笑ってくれるし、引き受けたことは最後までやり切るし、それにいつも優しいよね。あと、俺の告白だって適当に返そうと思えば返せるのに、ちゃんと考えてくれるところとか愛おしいって思うし。ほんとに可愛い後輩だよ」
先輩の声はとても優しくて心地よくて、向けられる視線だって柔らかい。
「……あれ、でもそれ……」
どこかで聞いたことあるような言葉。
〝夏樹先輩は、後輩思いでたまに冗談言うけど実はすごく優しくて俺のことを否定しないし、むしろ受け止めてくれたっていうか。なんか頼り甲斐あるところとか真っ直ぐな言葉とか、とにかくかっこいいっていうか〟
さっき俺が鳥羽に言った言葉だ!
「先輩、もしかしてさっきの……」
「ああ、うん。ちょっと聞こえてきちゃった」
「ちょ、ちょっとってどのあたりから……」
「え? 確かタケの話をしてるあたりからだったかな」
……それって、ほとんど初めから……!
てことはもちろん俺が先輩のことを〝かっこいい〟って言ったのも聞こえているわけで。
「矢野くん、俺ってかっこいい?」
「……わっ、忘れてください……!」
「えーやだね。だって矢野くんがそんなこと言ってくれるの珍しいし」
恥ずかしくなって顔を両手で覆うと、「矢野くん、耳まで真っ赤だよ」と先輩はわざと指摘する。
「言わないでください……っ」
俺ばかりからかわれて嫌なはずなのに、なぜか嫌いにはなれなくて。
むしろ、先輩といると楽しくてたまらないのはなぜだろう。
「すぐ顔を真っ赤にする矢野くん、可愛いね」
先輩のせいで、日誌は思うように進まない。
放課後、午後十六時二十分。
俺の教室に先輩がいる。
俺の世界に先輩がいる。
先輩にドキドキしてしまう、この感情の正体を俺はまだ知らない──。
◇
二学期終業式が終わり、体育館からぞろぞろと生徒が教室へ戻って行く。そのあとは掃除やHRがあって、お昼頃に学校は終わった。
「俺に会えないからって寂しがるなよ、矢野」
どこまでも鳥羽は鳥羽らくて、
「じゃあまた三学期になー!」
柳木は最後まで元気だった。
そして、俺は生徒会室に立ち寄る。今日は作業はないけれど、最後のあいさつがあると言っていたからだ。
「じゃーみんな、次に会うのは年が明けてからだから風邪引かないようにね」
会長からのあいさつで締め括られる。
──はずだったのに。
「ちょっと待て! これではいさよならーってか?」
横槍を入れたのは、もちろん武田先輩。
「うん、そうだけど」
「はぁ? まじで忘れてるとかありえねー……」
不満たっぷりに不貞腐れる武田先輩に、「忘れてるってなにを」と会長が首を傾げる。
「なにって今日は待ちに待ったクリスマスじゃん! そんなことも忘れたのかよっ!」
「いや、知ってるけど。それと今日はイブだから」
「じゃーなんでそんな冷静なんだよっ!」
「じゃあ逆になんで武田はそんなに激おこなの?」
会長の口からひょんに現れた言葉によって気が抜けたのか、「げ、激おこ……?」と急激にクールダウンする武田先輩。その姿を見てみんなで顔を見合わせて笑った。
「そう、武田。さっきからすごい激おこじゃん。クリスマスに苦い思い出でもあるの?」
「いや、べつにそういうわけじゃねーけど……」
口籠る武田先輩を見て、「あー分かった」と会長はわずかに笑みを漏らした。
「武田、クリスマスに一人で過ごさなきゃいけないのが寂しいんでしょ」
「……はあぁぁ?」
「寂しいなら寂しいって言えばいいのに。武田ってば素直じゃないね。夏樹もそう思わない?」
クスッと笑った会長が、ふいに夏樹先輩に話を振るから先輩は一瞬困惑したけれど、
「ああ、そーだな。タケ、寂しいくせに素直になれない天邪鬼だもんな」
夏樹先輩までもが武田先輩をからかいだす。
「えー、武田先輩寂しいんですか?」
「そうなんですか?」
だから、一年までもがこうやってニヤニヤしだす。
それを聞いた武田先輩は顔が赤くなる。
「ちっげーよ! べつに寂しくなんかねーし!」
やっぱり素直にはなれないようで。
天邪鬼な武田先輩。
「おまえら寄ってたかって卑怯だぞ!!」
みんなに指をさしながら文句をついていく先輩に、
「卑怯とは心外だなぁ。俺たちは、武田が素直になるように促してただけなのに」
「どこがだよっ! 山崎…っ、おまえが一番煽ってんだからな!」
「えー、ひどいなぁ」
結局、クリスマスの話題はどこへ消えたのやら。
「じゃあそんなこと言うやつはしーらない」
フイッと顔を逸らした会長が、「みんなそろそろ帰ろうか」と、話を強制的に中断させる。
それに一人だけ悔しそうなのが武田先輩で、「ぐっ…」と顔を歪めたあと、
「ちょっと待てよ!」
「何?」
「いやっ、だから、クリスマス……」
「はっきり言ってくれないとわからないよ」
モゴモゴと口籠る武田先輩に、会長が優しく諭すと、「あーもうっ、だから!」と声を荒げてこう言った。
「せっかくのクリスマスイブなんだし、みんなで慰労会でもしねーか?!」
クリスマスに慰労会……なんとも組み合わせがミスマッチだけど。
「──ぷっ」
突然、漏れた笑み。
それは、会長と夏樹先輩のもので。
「ちょっ、おまえら……人がせっかく真剣に言ったのに……!」
武田先輩は恥ずかしそうに二人に詰め寄った。
「いやだって、やっと言ったなぁと思ったらクリスマスイブに慰労会って……」
と、会長がクスクスと笑ったあと、
「右に同じく」
夏樹先輩が笑いを堪えていた。
「お前ら俺の気持ちを弄びやがってー…!!」
と、武田先輩は会長の胸ぐらを軽く掴む。
「ごめんごめん。あまりにも武田が素直じゃないから、ちょっとからかいたくなっちゃってさ」
「山﨑、ほんっと俺にだけ優しくねえよな。笑ってんのに目がマジだし。当たり強えし。絶対ドSだろ」
「そんなこと言ってると会長命令で武田にだけ雑務与えてもいいんだよ?」
「それはマジで勘弁してくれ……!」
結局、武田先輩が先に折れて勝敗が決まる。
さすがの武田先輩でも言葉で会長を言い負かすのは難しいようだった。
「そういうわけで、これから武田の傷心の身を慰めるクリスマスイブにしようと思うんだけど、みんな来れそう?」
会長がそう言うと、「なんだよ傷心の身って……」と武田先輩はブツブツ文句を言っているようだったが、会長に直接は言えないようだった。
よっぽどクリスマスイブに一人で過ごしたくないみたいだ。
「俺、大丈夫ですよ」
元々、特に予定もなかったし……いや、夏樹先輩には遊びに行こうと誘われてはいたけれど、告白の返事を返せていない手前、一緒に遊ぶのもなんか違うし。
だけど、みんなと過ごすなら話は別だ。
「矢野、まじかー!」
ぱあっと顔を輝かせた武田先輩が俺の元へ走って来ると、「おまえってやつはいいやつだな〜!」と、頭をぐりぐりと撫で回される。
「ちょっと先輩、やめてください」
「いーじゃねえか。こういうときくらい撫でさせろ」
俺がやめてくださいと何度お願いしたところで、武田先輩がやめてくれることはない。
「俺もべつにいいよ」
そんな最中、夏樹先輩もそう言って。
「おっ、まじで?」
武田先輩の意識が逸れて手が止まる。
そのことに安堵したと同時に俺は武田先輩から距離を取る。
それから次々と「俺も大丈夫です」と声が上がり、結局生徒会みんなで行くことになる。
***
そして、フードコート店で腹ごしらえをしたあとに、みんなで向かった先はカラオケ店だった。
「よーし! 今日は思いっきり歌おうぜ!」
仕切るのは当然、武田先輩だ。
その姿を見て「元気だなぁ」と会長が呆れたように笑っていた。
「おまえらも次々と好きな歌入れろよー」
後輩にカラオケ機器を手渡して、終始明るい武田先輩。よほど一人じゃないのが嬉しいのか、いつも以上に楽しそうだ。
会長は、武田先輩に付き合う形でカラオケに来たわけだけど。
……あれ、でも会長って。
「あの、会長。用事はよかったんですか?」
「ん? 用事って?」
「あ、いや、この前。会長、クリスマスを一人で過ごすとは言ってないって武田先輩に……」
「ああ、あれね。武田のことからかってただけだよ」
「そうだったんですか?」
「うん」
確かに会長は、武田先輩をからかっているときは楽しそうな感じがする。生き生きしてるっていうか、仲いいから信頼関係もあってのことなんだろうけれど。
「それにしてもクリスマスに生徒会みんなで集まるなんて、非リア充すぎますね」
「あー実はみんなには言ってないけど俺、付き合ってる子はいるんだ。共学校に知り合いがいるって言ったでしょ。あれ、彼女のこと」
「そ、そうだったんですか?」
「うん」
なんだ、そっか。やっぱり会長に恋人いるんだ。そりゃあこれだけ勉強もできてスポーツも得意で、生徒たちや先生からの信頼も厚くてかっこよければモテるはずだ。
……でも、それならどうして今日……
「今日会わなくてよかったんですか?」
「ああ、それは大丈夫。元々、クリスマスに会う予定だったし、今日は空いてたから」
「あ、ああなるほど……」
呆気に取られていると、武田先輩を見た会長は、「まだ武田には言ってないから秘密ね」と人差し指を立てて、クスッと笑った。
「は、はい」
会長は、どこまでも余裕のある人だった。
それから武田先輩や一年が歌い、室内は騒がしくなった。
会長は、歌わずにタンバリンで合いの手を打ったり夏樹先輩と話したりしていた。たまに強引に武田先輩に付き合わされて歌わせられるときもあったけれど、一人で歌うことはなかった。人前で歌うのが苦手だからだ。
それからあっという間に二時間が過ぎる。が、まだ武田先輩は騒ぎ足りないのか延長をした。もちろん他の人たちも楽しそうだ。俺はそれを見ながらジュースを飲んだり、ポテトを食べたりする。
さすがにずっと室内に篭っていると暑くなった。
「すみません、少し外の空気吸ってきます」
隣にいた会長に声をかけると、コートだけを持ってそろりと出る。
店内から出ると、空に向かって息を吐く。
白い息がふわっと上がり、あっという間に消える。
「ううっ、寒っ……」
この時期の夕方は急に冷え込む。
ちょっと油断したかも。マフラーも持ってくればよかった……
手のひらに息をかけていると、「矢ー野くん」とふいに聞こえた声に反応して顔を向ける。
「……夏樹、先輩」
「すっごい小さくなってるね」
「外の寒さ油断してました」
「たしかに。今日は寒いね」
話をしている間も冷たい風が吹いてきて、「ックシュ!」と、あまりの寒さに思わずくしゃみが出る。
「矢野くん、マフラーは?」
「え? あ、お店に忘れちゃって……」
コートだけは持ってきたけど、首がすっごく寒い。もう一度、くしゃみが出るから暖をとるように両手に息を吐いていると、
「じゃあこれ貸してあげる」
首元に暖かくて、柔らかいものが触れる。
「……えっ、先輩……」
俺の首に巻かれたのは、先輩が今まで付けていたマフラーだった。
「な、なにしてるんですか」
「ん? だって矢野くん寒そうだから」
「だ、だからって……」
なんで俺にマフラーを付けてくれるんだろう。
「そしたら先輩が寒いじゃないですか」
「俺は大丈夫。矢野くんが付けてていいよ」
「や、でも……」
やっぱりこんなのおかしいと思ってマフラーを剥ごうとすると、
「好きな人に風邪引かせたくないから」
と、はっきりと告げられる。
その言葉を聞いて、全身の血液が顔に集中しだすと、カアッと熱くなる。
「……先輩はまた、そうやって……」
恥ずかしくなって俯くと、「だってほんとのことだから」と先輩は言う。
〝矢野くんのことが好きだ〟
公園で告白されたときのことを思い出す。
あれから一ヶ月は過ぎているのに、まだ自分の気持ちを知ることができない。
「……先輩は、どうやって気づいたんですか」
「ん?」
「その……俺のことを好きって……」
自分で説明していて恥ずかしくなっていると、「うーん、そうだなあ」と先輩は少し空を見上げながら話し始める。
「前にも話したと思うけど、生徒会メンバーとして少しずつ共有する時間が増えて、その中で矢野くんのことを知ってくうちに気になりだして。もっと一緒にいたいなとか矢野くんの笑ってる姿もっと見たいなとか、矢野くんが笑ってると俺も嬉しいとか。そういう風に思うようになって、気づいたら好きになってたんだよね。ほんと、恋って不思議だよね」
いつのまにか先輩は顔を下げて俺を見つめていた。
その眼差しがあまりにも優しくて、先輩の目が俺に〝好き〟って言っているみたいだった。
「そう、だったんですね」
「どう。参考になった?」
「俺、今まで人を好きになったことがなくて、だから好きとかも正直よく分からないんですけど……」
人を好きになる瞬間のことを話で聞いてみてもあんまりピンときたりしないけれど、誰かと一緒にいて楽しいとか嬉しいとか、そういう感情は分かる。
「でも……もう少し考えてみたら、答えが出るような気がします。だから、もう少しだけ待っていてください」
──俺は、夏樹先輩と一緒にいて楽しいし、先輩が笑うと嬉しくなる。
それには、きっと理由があって。
「分かった。待ってるね」
先輩は嬉しそうに微笑んだ。
その顔を見て、俺も安心する。
「じゃあそろそろ冷えてきたし室内に入ろっか」
俺を見る眼差しは、とても優しかったんだ。
◇
クリスマスもあっという間に終わり、もうすぐで今年が終わろうとしていた。
リビングに飲み物を取りに行くと、母さんは誰かと電話をしているようだった。
「どうしたの?」
「それがねえ、由莉(ゆり)が風邪ひいて熱が出たって。しかも今、家になにもないって言うのよ。だから今から様子を見に行ってこようと思ってね」
由莉とは、三つ離れた俺の姉だ。
その姉が俺にたくさんの洋服をくれたわけなんだけど。
「姉さん、大丈夫なの?」
「うーん、まぁ熱だけみたいだし食べて薬飲んで寝たら良くなるでしょ」
姉は今、大学生で都内に一人暮らしをしている。家から電車でさほど遠くはない。
普段あまり家に帰ってこない姉さんとは、今年一度も会ってはいなかった。それだけ大学とバイトで忙しいのかもしれない。
「今から行ったら帰りの電車もうなくなるわねえ。かといって由莉を一人にしたままタクシーで帰るのも心配だし。今日は由莉の家に泊まろうかしら」
時刻は、二十三時過ぎ。
あと一時間もすれば今年が終わる。そうなれば、最終電車だって終わるわけで。
「あら、でも朝陽が一人になっちゃうわね。やっぱりタクシーで帰って来ようかしら」
「俺は大丈夫だから姉さんのそばにいてあげて」
「そう? でも……」
「ほんっとに大丈夫だから!」
俺の言葉にようやく納得したのか、「じゃあそうしようかしら」と母さんは軽く身支度を整える。
「じゃあ戸締り気をつけるのよ」
「うん、分かった」
「夜、インターホン鳴っても出なくていいからね」
「うん、知ってる」
「あと──」
母さんがまだ話しだしそうだったから、
「早く行かないと終電終わっちゃうよ」
無理やり話を切ると、「あらいけない」と慌てた様子で家を出た。
……全く。これじゃあどっちが親で子か分からない。
ひと段落ついて時計を見ると時刻は二十三時半。
我が家では年越しそばを食べるのだが、今日は母さんがいない。材料は買ってあるだろうけど、今から作ってもきっと料理不得意な俺は間に合わない。最悪、怪我をするだろう。