「〝一番仲良い後輩〟とのことですね」
予想していた言葉とは似ても似つかないものが聞こえてきて、え、声を漏らした俺は、当然ポカンと固まった。
好きな人ではなく……一番仲良い後輩?
「この場合、本人ではなく相手にお聞きしますね。てことで、まずはきみのお名前お聞きしていいですか?」
と、マイクを向けられるから、
「……あ、えっと……矢野、朝陽です」
呆気にとられながら、ぽつりぽつり名前を呟く。
「じゃあ矢野くんにお聞きします。ずばり、夏樹先輩の一番仲良い後輩ですか?」
またズイッとマイクを向けられるから、
「あ、えっとー……」
なんだ、この状況。審査員が判断するんじゃなくて連れて来た相手に確認するのか?!
これ、公開処刑レベルだよっ……!
なんて返せばいいのか迷って、恐る恐る夏樹先輩へと顔を向けると、ニコッと微笑まれただけで。
〝好きな子だから〟
数週間ほど前に生徒会室で答えた先輩の声が頭の中にこだまし、赤面する。
そんなことを言われてからどうやって先輩に接したらいいんだろうって分からなくなっていたけれど、よく考えてみたら先輩は俺のことを困らせるような人ではない。からかうことはあっても嘘はつかない気がする。
だからきっとあれは、俺が女装していると気づかれないためにわざと〝好きな子〟だと言ってみんなに女の子であることを印象づけたのかもしれない。
それに、〝一番仲良い後輩〟として呼ばれたなら俺のことをそういう対象として見てるわけじゃない気がする。
だったら今、俺がするべきことは──
グッと拳を握りしめて、顔を上げて。
「はいっ。一番、仲良い後輩だと自負しています!」
マイクで拡張された俺の声は、グラウンド中に響いた。
自分に自信がなくて、自分の顔がコンプレックスで自信をつけるために女装をしていた俺が、まさかこんな人前でそんな自意識過剰なことを言うなんて思っていなかった。
全身から炎が吹き出しそうなくらい恥ずかしくて、今すぐ逃げたくてたまらなかった。
「はい! じゃあ二人は仲良い先輩後輩ということでお題は成功です。ゴールへどうぞ」
けれど、先輩が俺を肯定してくれたから今度は俺が先輩の力になりたいと思った。
ほんとに、ただそれだけだ。
「じゃー行こっか」
恥ずかしいやら照れくさいやら、お互い顔を見合わせて笑った。
外野からはいえーいいえーいと歓声が漏れて、大熱狂の嵐。
「矢野くん、ありがとう」
「い、いえ、こちらこそ……」
二人して、足を揃えてゴールテープを切ったのだった。
体育祭は、あっという間に終わった。
そして今年優勝したのは、三年だった。
そして今、十五時半過ぎ。生徒会は体育祭の片付けと校内の確認作業に追われていた。
「あー、負けたのは悔しいが楽しかったなぁ!」
武田先輩がテント片付けをする傍ら俺に話しかける。
どうやらよっぽど楽しかったらしい。
「ですね」
俺は相槌を打ちながら手は止めない。
まだ話し足りない武田先輩は、近くいた夏樹先輩に話しかける。
「つーか、夏樹が矢野呼んだときはびっくりしたなぁ!」
そんな会話が聞こえてドキッとした俺は、気になって聞き耳を立てる。
「なんでびっくり?」
「てっきりお題に好きな子とか書いてあんのかと思って!」
「……それ去年のお題だろ」
「まぁそーなんだけどさぁ、男子校っつったら定番っつーか! そういうのあった方が盛り上がるって実行委員も分かってんじゃね」
「まあ、そうかもな」
へえ、やっぱりそういうお題があった方が盛り上がるんだ。
確かに、夏樹先輩が来たときはお題が『好きな子』かと思った。いや、それで呼ばれても困るけれど、そうじゃなくてもびっくりはしたし。
一番仲良いと思われてるのは普通に嬉しい。
でも、ほんとに後輩としてなのだろうか?
結局、あれから夏樹先輩には聞けていない。〝好きな子〟と言ったのが冗談だったのかどうか。
「それにしてもお前、矢野のことすげー可愛がってるよな」
「……そうだっけ」
「ああ。て、自分で気づいてねーの?」
「あー……うん、まあ」
「あっそ。でもさ、お前好きな子いるんだったらもうちょい自重しろよな」
「なんで?」
「あんまり矢野と仲良すぎたら勘違いされるぞ」
と、武田先輩が言っているのが聞こえた。
この前、駅前にいた女の子は女装していた俺だし、それは夏樹先輩も知っているけれど。
「そうだな、気をつける」
夏樹先輩の声が聞こえた。
直後、先輩と目が合って、微笑まれる。
まるで二人だけしか分からないやりとりのようで、ドキッとする。
「夏樹、こっち持ってくれ」
「おー」
また何事もなかったかのように作業を続ける夏樹先輩。
「……今の、何なんだ」
俺は、小さな声でボソッと呟いた。
◇
考えても考えても答えにたどりつきそうになかった俺は、考えることを諦めた。
そのかわりに。
「……ねぇ、好きって何だと思う?」
ある日の昼食中、友達に尋ねる。
「……は?」
お箸で掴んでいた卵焼きはポロッと抜けて、お弁当の中に逆戻り。鳥羽は、思考停止したように俺を見つめたまま固まった。
鳩に豆鉄砲食らったような顔してる。
そうなるよなぁ……。
「やっぱりいいや」
何もなかったように目を伏せそうとするが、
「──ちょっと待って」
わざとらしく手を突き出すと、俺の言葉を遮るように声を荒げた鳥羽。
俺はびっくりして、目をまん丸にしていると、少し顔を寄せた鳥羽が、
「その話、詳しく話して」
俺の話に興味を持ったらしい。
「え、詳しく……? いや、やっぱりいい」
「なんで。矢野から言いかけたんじゃん」
「そうなんだけど、ちょっと言いにくいっていうか……」
なんて言い訳をすればいいか分からずに口ごもっていると、
「分かったから、とにかく早く」
さらにズイッと顔を寄せるから、これ以上は逃げられないと悟った俺は、仕方なく観念した。
せめて〝好き〟の確認だけ。誰に言われたとか、そういうことは伏せておこう。鳥羽に言ったらややこしくなりそうだし。
「……す、好きってどういうことなんだろうなぁと思ってさ」
男同士でこんな話題を話すことになるとは思っていなかった。
「好き?」
一瞬鳥羽は困惑したあと、
「好きってラブ? ライクじゃなくて?」
「う、うん、ラブの方」
「それなら、好意を抱くってことじゃないの。もっと相手に近づきたいとか仲良くなりたいとか」
気を取り直したように説明し始める鳥羽。
「あ、ああ、うん……」
俺もそのくらいは知識にある。人を好きになったことはないけれど。
「あー、あとは精神的なつながりはもちろん、肉体的な関わりを持ちたいとか。一緒にいるだけでドキドキするとか」
思い出したように淡々としゃべりだすが、ある言葉に反応した俺は、
「えっ、ちょっ……はぁ?!」
分かりやすく動揺してしまう。
「顔、赤いけど」
俺の顔は熱すぎる。
「……そうやって指摘するのやめて」
自分でも顔が赤いのなんて把握済みだ。
うあー、もうっ最悪。鳥羽に聞かなきゃよかった。ていうか、俺の想像以上の回答が現れるものだから、びっくりして。
「なんで聞いてきた本人がそんなにダメージ受けてるみたいな顔してるの」
「や、だって……鳥羽が、その、肉体的とか過激的なこと言うから……」
「なに、過激的って。俺はただ一般論を述べたまで」
「一般論……」
てことは、世間の大半がそう思ってるってこと?
……じゃあ、先輩は?
もしも仮に先輩がそうだったとしたら、俺ともそういうことをしたいと思って──…
いやっ、やめやめ! そういうこと憶測だけで考えるのは良くない気がする! 変に意識すると、先輩とどうやって接したらいいか分からなくなるし……
「なに。もしかして誰かに好きとか言われたの?」
ニヤニヤしながら俺に尋ねる鳥羽に、「なっ!」一瞬反応してしまったあと、
「そ、そんなわけないでしょ……! ただ、気になっただけ!」
「へぇ、気になっただけ」
「そ、そうだよ! それだけだから!」
否定をすればするほど怪しくなる。
──〝好きな子だから〟
また、先輩の声が言葉が頭の中でリピートされて、顔がプシューっと熱くなる。
耳も、手も、首も、全身から熱を帯びている。
「それだけ……ねえ」
俺を見る鳥羽は、フッと笑みを漏らす。
まるで全てお見通しだと言わんばかりの表情だ。
「もう……やっぱりさっきの話忘れて、今すぐ」
「それは無理。矢野から好きってなにとか聞かれたの初めてだし」
〝好き〟って言葉を聞くたびに、先輩の言葉を思い出してしまう。
そのせいでボンッと顔から炎が出るように熱く。
「あーもうっ……!」
そして、羞恥心に駆られる俺は悶えるように机に項垂れる。
「なに。どうしたの?」
「今後好きっていうの一切禁止」
「なんで?」
理由は絶対言いたくなくて。
「とにかくダメなものはダメだから!」
釘を刺したあと、机に俯いて顔を隠した。
鳥羽に聞くのが間違いだったのかも。もっと他の人でからかわないような人……いやでも、誰に聞いても何か誤解されそうでやだなぁ。
ていうか、そもそも先輩だって俺のことが好きだったわけじゃないかもしれない。ただ、あのときは俺のことを庇ってくれただけだよね……うん、きっとそうだ!
俺が過剰に反応することじゃない。
もう忘れよう、うん、それがいい。
「ねえねえ、矢野」
髪を触られるから、くすぐったくて起き上がる。
「……なに」
「あれ、お前のこと探してるんじゃないの」
鳥羽が廊下の方へと指をさすから、
「探してるって、誰が……」
わけが分からなくて、渋々身体を起き上がらせると、ある人物が目に止まる。
廊下でキョロキョロと教室を見渡していたのは、夏樹先輩だった。
「えっ……!」
うそ、やばい。なんで、こんなときに限って会っちゃうんだろう。
「──あっ」
俺に気がついたのか先輩が、真っ直ぐ俺を見つめてニコリと微笑む。軽くあげた手のひらには、何かを掴んでいるようで。
〝肉体的な関わりを持ちたい〟
──ボンッ
頭の中から湯気が出る。
「早く行ってあげれば」
そうだ。先輩が待ってるんだった。
「う、うーん……」
今顔を合わせるのは気まずい。でも……いや、今は考えるのよそう。忘れよう。
「ち、ちょっと行ってくる」
緊張した面持ちで、席を立ち上がる。
先輩のそばに近づくたびに鼓動が音を鳴らす。
「あ、矢野くん」
ドアの前で立ち止まると、「今、寝てた?」と先輩はおかしそうにクスッと笑った。
「いえ、寝てたわけじゃないんですけど……」
さっきあんな話してたから、どうしちゃっても意識しちゃうし……ていうか先輩の顔、見れない。今までは普通に見れたのに。
「矢野くん?」
言えるはずない。先輩の言葉に意識してしまってた、なんて。絶対に。口が裂けても言えない。
とにかくまずは話を聞こう。先輩、俺に用があったみたいだし。
「せ、先輩こそ、どうしたんですか? そのプリント」
「あーうん。これ、山﨑に配っておいてって頼まれてさ。校内の改善点とかもっとこうしてほしいとか要望みたいなやつだって」
「あ、そういうのあると助かりますよね。俺も購買のパンがもっと増えるといいなぁと思ってて……」
プリントを見ながら、そんなことを俺がポツリと言うと、フッと笑みが漏れて、「可愛い要望だね」と、夏樹先輩にからかわれる。
「ちょっと先輩、そういうのここで言うのは……」
俺は慌ててキョロキョロする。
周りに聞いてる人がいないかどうか確認だ。
「なにが?」
「いやっ、だから……!」
「?」
あー、ダメだ。先輩、全然気がついてない。無意識に言ってるのかな。いやっ、だとしたらそれこそ本心ってことになっちゃう……!
じゃあ先輩は本気で俺のことが好きってことになるんじゃ……いやいやっ、そんなわけないよね!!
「な、なんでもありません。それよりこれ、ありがとうございます!」
きっと、先輩のあれは違う。だって俺、男だし。恋愛対象は女子で。先輩だってそうだと思うし。男同士なんて、現実ではありえない。
「これ、明日までの回収だって」
「あ、はい。分かりました」
先輩も生徒会の一員だから、ここに来たってことで、べつにあの話をしにわざわざ来たわけじゃない。俺の勘違いだ。
ホッと胸を撫で下ろし、安堵した矢先、「あのさ、矢野くん」と先輩が小さな声で俺の名前を呼ぶ。
「なんですか?」
プリントから目を離し、顔を上げる。
「……この前のことなんだけど」
そう告げられて、〝この前〟の話に思い当たることがありすぎた俺は、「えっ……!」と過剰反応してしまう。
えっ、もしかして先輩、今ここで言っちゃうの? ここで告白?! で、でも、クラスメイトがたくさんいるのに……っ
好きって言われても先輩は、男で俺も男で。そりゃ人として尊敬してるけど、好きとはまたべつっていうか。そもそも今、違うって結論が出たじゃないか。それでいいじゃないか。
あーダメだ。俺、まだ心の準備できてないのに……
「あー……やっぱ、なんでもない」
突然、そんなことを言ったあと、
「ごめん、今の忘れて」
首の後ろに手を添えると、何事もなかったかのように笑った。
「え、っと……先輩?」
なんでもないってわけじゃなさそうだったけれど。
でも、先輩が何もないって言ってるわけだし……
「じゃーそれだけ、またね」
俺に手を振ると、先輩は去って行った。
今のは一体、何だったんだろう。
俺の心に小さな疑問が浮かび上がった。
◇
楽しかった体育祭が終わり早くも一ヶ月が過ぎた。
次に待ち受けていた現実は皮肉なもので。
「あー、テストとかやりたくねえ!」
生徒会室に響いた悲鳴は、もちろん武田先輩の声。
「こら、武田。後輩の前でそんなこと言ってどうするの」
「だってさぁ、せっかく体育祭楽しかったのにテストとか……もう少し楽しい余韻に浸らせてくれよー」
会長に泣きつく武田先輩。会長は「はいはい」と呆れたように笑って慰めていた。
いっつもこの光景見てる気がするけれど、なんで武田先輩って生徒会に入ったんだろう。
それに夏樹先輩の方が見た目は不良っぽいのに、真面目に見えるってなんかおかしい。
でも、愉快な人で見ていて飽きない。
「あ、そうそう」
思い出したようにこちらへ顔を向けた会長は、
「今日は、生徒会の仕事ないからみんな早く帰って大丈夫だよ」
と、みんなに言う。
今日からテスト前の勉強期間ということで、部活や生徒会活動はない。部活生で赤点を取ったりしたら大変だからだ。なかには、それでも赤点を取る人もいるみたいだけれど。そうなったら再試に合格するまで部活はできないらしい。
「山崎はどーすんの?」
「俺は少し生徒会室の片付けをして帰るよ」
「ふーん、そっか」
会長は、勉強もスポーツもできるからテストで赤点取るはずなくて。その分、生徒会活動に力を入れている。何事にも手を抜かずに、先輩の鏡とも言えるかな。
そんな先輩に俺は密かに憧れている。
俺もいつかそんなふうになれたらいいなぁって。まぁ、顔は会長みたいに全然かっこよくないけど……せめて頼り甲斐のある人になりたい。
「じゃあおつかれさまでしたー」
俺以外の一年は、そう言って早めに生徒会室を出る。よほど勉強に専念したいみたいだ。
俺も帰ろう。数学がちょっとだけやばいんだよなぁ……
「じゃあ俺もお先です」
席を立ち上がり会長たちに頭を下げると、
「うん、またね」
「おー、じゃな」
と手を振る二人。
会長は会長らしいけど、副会長は全然らしくない。けれど、そんな返事さえもおかしくなって、クスッと笑いながら生徒会室を出た。
「ねえねえ、矢野くん」
が、すぐに夏樹先輩に呼び止められる。
「どうしたんですか」
生徒会室から現れた夏樹先輩は、肩にかばんをかけながら、
「俺も一緒帰っていい?」
俺の隣にさりげなく並んで歩く。
「えっ……」
一緒に、帰る……。
少しだけ肩が跳ねる。
「ダメ?」
「あ、えっと……」
……でも、結局〝好きな子〟ってのは誤解だって分かったし、俺が先輩を避ける理由はなくなったんだっけ。体育祭でも〝仲良い後輩〟として呼ばれたんだし。
きっと先輩の言葉に深い意味はないんだ。
一人勝手に納得したあと。
「いえ、大丈夫です」
これは、先輩と後輩として一緒に帰るだけだ。
何も問題はない。
「あ、でも会長たち待たなくてよかったんですか?」
「うん、いいのいいの。どうせタケの愚痴聞かされることになるだろうし」
「あー……」
武田先輩が愚痴を言っている姿が想像できて、思わず苦笑い。
夏樹先輩って意外と友達には冷たい気がする。でも先輩たちの距離って元々こういう感じだったのかな。
うーん。でもまぁ、男同士ってあんまりベタベタしないかも。
「それに矢野くんと帰る方が楽しいし」
たまにこうやってストレートに言われるから、聞いてるこっちが照れくさくなって。
──カアッと顔が熱くなり。
「そ、それは、よかったです」
言葉に困ってしまうときもある。
隣でニコリと笑う先輩は、なぜか気分が良さそうで。いつになくニコニコしている。
先輩の笑っている姿は、好きだ。
こっちまで不思議と明るくなれるから。
「テスト勉強と言えばさぁ、矢野くんは苦手な教科とかあるの?」
駅までの道を歩いている途中、先輩がそんなことを尋ねてくる。
「苦手な教科ですか……うーん、やっぱり数学ですかね」
「数学かぁ」
「はい。高校入ってわけわからない公式とか現れましたよね。あれにいつも苦戦してます」
なんでそんなにたくさんの公式を作るんだろうって、いつも思う。まるであれは呪文のように見える。
「矢野くん、そんなに数学嫌いなんだ?」
「嫌いっていうか、苦手なだけで……」
「えー、でも。すごく眉間にしわよってるよ」
そう言うと、「ほら」と眉間につんっと指をさす。
わずかにそこから熱を帯びて。
「な、何してるんですか……」
──どきっと、緊張する。
「なにって、しわを伸ばしてあげようと思って」
公道でこの人は一体何をしてるんだろう。
周りの目が気にならないのだろうか。
「もう〜、必要ないですから……!」
ぐいぐいと腕を押し返し、慌てておでこを前髪で隠す。