「そういうことを真剣に言うのやめてください……っ!!」
「えー、なんで。可愛いのに」
「俺は男です! 武田先輩に言われても嬉しくありません!」
「じゃあ俺以外のやつに言われたら嬉しいのかよ! 夏樹とか!」
えっ、夏樹先輩に言われたら……?
確か、前に可愛いとか言われたことあったような。そのときは嬉し……
「え、否定しないってことはそうなのか?」
「あ、いや、べつにそういうわけじゃないです! そ、そもそも先輩はタイプじゃないので勘弁してください!」
慌てて誤魔化すと、「はあ?」と武田先輩はムキになって。
「なんで俺が振られる形になってんだよ。矢野、このやろー!」
と、肩を組まれて、髪をボサボサにされる。
なかなか会話は収まりそうになかったが、拍手が数回上がったと同時に、
「はいはい、二人ともそこまでにして。まずはやること済ましちゃおうよ。早く済んだら武田の好きなアイス奢ってあげるよ」
会長の一言により、武田先輩は「仕方ねえなあ」と静かになる。
俺はボサボサになった髪の毛を整えながら、さっきの会話を思い出す。
──『俺以外のやつに言われたら嬉しいのかよ! 夏樹とか!』
そう言われたことに対して、少し迷った自分がいた。
俺、夏樹先輩に言われるのは嬉しいと思ってるってことか?
……なんで?
「どうかした?」
隣に座っていた千葉くんに声をかけられる。
「あ、うん、何でもない!」
と笑って誤魔化した。
その直後、「来週体育祭だよな! みんな何すんの?」と武田先輩がまた話し出した。
それを見て会長はまた呆れたように苦笑いしていたが、その会話に付き合うことにしたらしい。
「俺は、玉入れと短距離かな」
「ふーん。じゃあ夏樹は?」
「俺は、借り物競走」
「えっ、あの何を書かれるか分からない難題だらけのやつ? よくする気になったなぁ」
「居眠りしてたらもう決まってたんだよ」
「ああ、だよなぁ。そんな面倒なのわざわざやらねーもんな」
……夏樹先輩、借り物競争なんだ。
借り物競走のお題は、男子校ではおもしろおかしく書くらしいけれど、一体どんなことが書かれているんだろう。
「じゃー、矢野は?」
と、武田先輩が俺に尋ねてくる。
「あっ、俺はパン食い競走です」
「えーまた意外なの選んだな。てか、身長届くか?」
「何言ってるんですか! 届きますよ!」
生徒会に入っている生徒は競技をするだけじゃない。定期的に校内を見回ったり、備品確認をしたり、常に作業が山積みだ。
「学年対抗だけど、今年は絶対二年が勝つからな!」
武田先輩は相当やる気みたいだ。
「俺たち一年だって負けませんから!」
と、千葉くんが反論すると、
「じゃあ勝負だな!」
「分かりました。受けて立ちましょう!」
「それなら賭けしようぜ。負けた方がピザ奢るとか」
「なんですかそれ。仮に俺らが負けたとして、後輩にピザ奢らせるんですか!」
「まだ負けと決まったわけじゃねえだろ? それとももう負け確定か」
「そんなわけありません! その勝負乗りました!」
あれよあれよと話が進んでいった。
それを聞いていた俺は思わず苦笑い。
体格も力も違う二年生に勝てるはずがないんじゃ、と負け越しになっていると、
「……そーいえば夏樹さぁ、この前女といた?」
突拍子もない言葉が現れて、夏樹先輩は「……は?」と困惑する。
「いやー、なんか俺のクラスのやつがお前のこと駅前で見かけたって言ったんだけど、そんとき女といたって聞いたから」
固まる夏樹先輩に、武田先輩が言う。
……ん? 駅前? それってもしかして──
「なに。夏樹、彼女いたの?」
会長もびっくりした様子で尋ねる。
「いや、あれは……」
まさか先輩、俺のことを言ったりしないよね? いや、その前に俺、周りから女の子だと思われてるってことだよな。つまりそれって、デート……
──ぶわっと顔が熱くなる。
その瞬間、「ふはっ」と誰かの笑い声が漏れる。
見なくても分かる。夏樹先輩の声だ。
「夏樹?」
ダメだ。今、先輩の方見れない。
「いや、彼女じゃないよ」
「じゃあなんで一緒にいるんだよ」
「好きな子だから」
夏樹先輩が言葉を紡いだ瞬間、俺は一瞬耳を疑った。
「いやいや、夏樹に好きなやつ? 嘘つけ。友達とかじゃねえの」
俺と同じように疑う武田先輩。
何て答えるのか気になっていると、先輩はこう言った。
「今はまだ友達だけど、俺にとっては好きな子だよ」
その言葉を聞いて、俺は弾かれたように顔を上げた。
瞬間、真っ直ぐに向けられた視線とぶつかり、ドキッとする。
「まあ、いつか付き合えたらって思ってる」
本当か嘘か分からない。
この空気を和ますために先輩が冗談を言っているだけかもしれない。
それなのになぜ、こんなにドキドキしてしまうんだろう。
「俺にも会わせろよ!」
「なんで。やだよ」
「じゃー、あんな可愛い子とどーやって知り合ったのかだけでも教えてくれよ!」
「うーん、それも無理」
「なんでだよ!」
「なーんでも」
夏樹先輩が頑なに口を閉ざしていると、「せっかく女子と出会える方法聞けると思ったのに」と、武田先輩はぐでーんと机に項垂れる。
「出会い方なら近くに共学校があるでしょ」
と、会長が言う。
「そーだけど、どうやって知り合うんだよ! 知り合いなんかいないしなぁ」
「俺、そこに知り合いいるよ」
「えっ……まじで?!」
「うん、ほんとに」
「じゃあ今すぐにでも紹介してくれ!」
武田先輩ひ食い入るように会長席に詰め寄ると、「どうしようかなぁ」と会長は笑う。
「頼むよ、山崎!」
「じゃあ残ってる雑務、まじめにこなしたら考えてあげてもいいよ」
会長はニコリと微笑んでいた。
そんなやりとりをしているのが全然気にならないくらい、俺はドキドキが鳴り止まなかった。
◇
体育祭当日。青空が広がり、暑かった。
短距離走や長距離走、玉入れなど。たくさんの競技が終わり、午後からは借り物競走などが始まる。
「次はー、パン食い競走です。選手のみなさんは、グラウンドに集まってください」
放送部のアナウンスで、一斉にグラウンドに集まる。もちろん俺も。
高校に入って初めての体育祭。当然だけど、男子しかいなくて、共学校より熱気がすごい。
「今日、暑いね。体育祭日和だ」
鳥羽が言う。
見上げると、日光があまりにも眩しくて思わず目を細めて、
「……俺、早く日陰に戻りたい」
うんざりして思わずため息が溢れる。
「矢野は色白だからなぁ。肌焼けたらスカート着るとき大変だもんね」
「ちょっと、そういうことここで言うのなしだから!」
「みんな体育祭に夢中だから聞いてないって」
「もう〜……他人事だからってよく言うよ」
鳥羽とそんなくだらないやりとりをしている間に、パンッと音が鳴り第一走者がスタートする。
そしてあっという間に俺の順番が回ってくる。意外とパンを口で掴み取るのが難しくて、みんな苦戦していた。おまけに昼食後ということもあり、走ることすら困難で。俺も、パンをくわえるのにはかなり時間がかかった。
「おつかれー」
「うん、鳥羽も」
タオルで額の汗を拭う。
それにしても暑くてのどが乾いたなぁ。
「俺、飲み物買って来るけど鳥羽何かいる?」
「え、いいの? じゃあフルーツジュースで」
「……それ、逆に喉乾かない?」
「おいしいよ」
パン食い競争といっても適度に運動しているから喉カラカラなわけで。そんなときにフルーツジュースって、絶対逆効果な気がする。
「いや、おいしいのは分かるけど……まあ、いいや。それ買ってくるよ」
「ありがとう。あとでお金渡すよ」
「うん、分かった」
おでこからハチマキを取って、自販機に向かう。
鳥羽はフルーツジュース。俺は何にしよう。さすがに甘いのは今飲みたくないし、炭酸って気分でもない。
「──あれ? 矢野くん」
自販機の前で悩んでいると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「……あっ、先輩」
振り向くと、そこには夏樹先輩がいた。
「矢野くん、さっきパン食い競走してたね」
「うっ……。み、見てたんですか」
「うん、もちろん。さっきの矢野くんの一生懸命な姿、可愛かったなぁ」
公共の場で軽々とそんなことを言うから、
「ちょっ、先輩、何言ってるんですか……!」
周りに人がいないか確認する俺。
「んー、だって可愛かったから?」
「いやっ……そういうことじゃ、なくて……」
先輩の言葉にいちいち意識してしまう。
そのせいで忘れようとしていたことが思い出されて、先輩の顔を見るとブワァッと顔が熱くなる。
〝好きな子だから〟
一週間ほど前の記憶が、頭の中に浮かぶ。
先輩にとって俺は……
「そういうことじゃなくて、なにー?」
──先輩の声にハッとする。
「い、いえ、なんでもないです」
慌てて咄嗟に目を逸らす。
「ふーん、そっかぁ」
なんで俺、先輩の言葉にだけ動揺するんだろう。
恥ずかしくて、俯いてしまう。
あれからずっと先輩にどうやって接したらいいのか分からなくなって、距離を開けてしまう。
きっと先輩は気づいているかもしれない。
「──あっ、矢野くん前髪あとついてる」
おもむろに告げられた言葉に動揺して、え、と顔を上げると、すぐそばまで近づいていた手に気づき。
うわっ、やばい……っ!
思わず、ぎゅっと目を閉じる。
──ふわりと前髪に触れる小さな波。
「パン食い競走、頑張った証拠だね」
優しく丁寧に動く指先から、熱が伝って、恥ずかしくなって、息を飲む。
「今回は分からないかもね」
「な、なにが、ですか?」
「タケに言ってたよね。一年が勝つって」
「あ、あれは俺が言ったわけじゃなくて……」
弁解をしようと恐る恐る顔を上げれば、綺麗な瞳が俺を捉える。
──ドキッ
な、なんだこの、動悸。
全然、おさまらない。
「矢野くん?」
どうして俺、先輩にどきどきするんだろう。
「あ、えっと、なんでもない、です」
「ほんと? でも、なんでもないって顔してないけど」
動揺するなんておかしい。意識するなんておかしい。
「あのっ、ほんとになんでもないですから!」
俺は、女子が好きなんだ。男子は恋愛対象ではない。
きっと、鳥羽に聞いた言葉を意識してしまっているだけで先輩のことに対してどきどきしてるわけじゃない。うん、絶対にそうだ。
「矢野く──」
すると先輩の足が一歩、俺に近づいて。
「次はー、借り物競走です。選手のみなさんは、グラウンドに集まってください」
その瞬間、先輩の声を遮るようにアナウンスが入る。
あれ、でも今……
「先輩、今何か言いかけて……」
「あー…うん、それは今度でいいや」
言葉を濁した先輩は、鼻先を掻いて、
「じゃー俺、次借り物だから行くね」
いつものように微笑んだ。
どきどきはする。緊張もする。
けれど、俺は、
「が、頑張ってください!」
いつも先輩には、助けられてばかりだからと、たまには俺だって先輩の力になりたくて応援した。
「敵同士なのに応援しちゃっていいの?」
すると、少し先の方で立ち止まった先輩がそんなことを言うから、
「え、あっ、ほんとだ……!」
武田先輩にあれだけ言ったのに、敵の応援をするなんて俺ってばなにをして。
「でも、ありがとう」
「えっ……?」
「俺、すごい頑張っちゃうから」
少し離れたところで、先輩が言う。
その姿は、俺よりも背が高くて頼り甲斐があってとてもかっこよく見えてしまった。
「……顔、あっつ……」
火照った顔を冷ますように買ったばかりのフルーツジュースを頬に当てた──。
「遅かったね」
しばらくして鳥羽がいるテントに戻ると、すでに借り物競走は始まっていた。
「……ちょっとトラブルがあって」
「トラブルって?」
「いや、まあ、ちょっと……」
目を明後日の方へ向けてその場を凌ぐ。
「ふーん。なんかよく分からないけど、おつかれ。あと、これありがとう」
どうやら嘘は気づかれていないみたいだと、安堵する。
俺は、カラカラになった喉に水をごくごく飲んで流し込んだ。
「ふう……」
いつの間にかさっきの動悸は消えていた。
何だったんだろう? 暑くて体調が悪かったのかな。それとも先輩に……いや、考えるのはよそう。きっと、気のせいだ。
「あっ、あれ、先輩じゃない?」
鳥羽の声にハッとして前方を見ると、紙を掴んだ先輩がピタリと固まっていた。
「どうしたんだろう」
……あっ、そういえば生徒会の雑務のとき。
「な、なんか体育祭実行委員が無理難題を書くって言ってた」
「無理難題?」
「う、うん。好きな人とかタイプとか」
「うわー、それ男子校で書くやつじゃないじゃん」
共学校ならあり得るけれど、男子校で好きな人とか暴露しちゃう人なんて絶対いないのに。体育祭実行委員は盛り上げようとそんな紙を用意するのかも。
「じゃー、それが当たったとか?」
「ど、どうなんだろう」
もしかして、ほんとに一番答えにくい回答を引いちゃったとか?
「あー、なんかキョロキョロし始めた」
鳥羽が先輩の実況を始めるから、意識を目の前へ戻して。
「……ほんとだ。何を探してるんだろう?」
「矢野じゃないの」
いきなり鳥羽がこっちを向くから、ギョッとして、
「な、なんで」
「仲良いから?」
「だったら生徒会みんなが候補に入るでしょ」
「あー、それもそっか」
なんとか危機を凌いだ俺は、安堵の息を吐く。
──が、その矢先。
「あっ、先輩こっち来る」
鳥羽の言葉に驚いてグラウンドを見ると、たしかにズンズンとこちらへ向かって来ている姿が視界に映る。
「えっ、な、なんで……」
もしかして俺? いや、その考えはおかしい。なんで俺なんだよ。自意識過剰すぎる。もっと他にいるじゃん。鳥羽とか他の人とか……
俺以外の人ってことは誰なんだろう。
──ズキッ
胸に鈍い痛みが走って、思わず先輩から目を逸らす。
なんで俺、今ズキッて……意味が分からないんだけど。それとも、先輩が誰かを呼びに来たことに対して傷ついたの?
あーっ、どっちにしてもなんかもやもやする。この感情は一体……
「矢野くん、ちょっと来て」
突然俺の名前を呼んだ先輩の声に、想像が弾け飛ぶ。
「えっ、お、俺ですか?」
「うん、矢野くん」
な、なんで……?
「一緒に来てもらっていい?」
あちこちから歓声が聞こえて、うるさい。
けれど、低くて落ち着きのある先輩の声は、なぜかするりと耳に入り込む。
「ほんとに俺で間違いないんですか? 呼び間違いとかだったら……」
注目を浴びていて、恥ずかしくなった俺は目線を下げる。
けれど、先輩は。
「ううん、矢野くんで合ってるよ」
恥ずかしがるそぶりひとつも見せずに、堂々と逞しくて。
たった一言それだけなのに、鼓動がうるさくなるのが分かった。
「えっと……」
先輩の言葉に動揺して、口の中が急速に乾いていく。
クラスメイトや他のクラスから、かなりガン見される。二年の先輩がここにいたら目立つのは当然だ。
借り物競走中の生徒は、次々とお題の答えを持って行ったり人を連れて行ったりしている。
刻々と時間は過ぎてゆく。時間は待ってはくれない。
先輩はいつも俺のことを肯定してくれる。拒絶したりしない。軽蔑だってしない。
敵とか味方とか、恥ずかしいとか、どきどきするとか。そういうのは今、関係なくて。
先輩が俺を必要としてくれるなら、俺だって力になりたい……!
「わ、分かりました」
勇気を振り絞って声を出した。
「よかった」
すると先輩は、ホッと安堵したような表情を浮かべていた。
それから先輩と並んで歩き出すと、「うえーい! 頑張れ、矢野!」や「ひゅーひゅー!」などと背後で騒ぎ出すクラスメイトたち。
あーもうっ、ほんとにうるさい……!
振り向いて一言文句でも言ってやりたかったけど、今俺の心にそんな余裕はなかった。
──どうして呼ばれたのか。
そのことで頭はいっぱいだったからだ。
「おーっと次のゴールは、二年三組の夏樹孝明選手!」
アナウンスが盛り上げるように声を張るから、周りからは大歓声。まるでどこかの球場にいるような気分になって、少し居心地は悪い。
「お題を確認させていただきますね」
ゴールで待ち受けている審査員が、先輩の手から紙を受け取る。
な、なんて書いてるんだろう……
武田先輩たちが言ってた、好きな人とか好きなタイプとかなのかな。
えっ、でも先輩が男である俺のこと好きなんてありえないし……いやでも、この前、駅前で一緒にいた女の子(俺)のことを好きな子って言ってたし。
も、もしかして──…
「じゃあ、確認させてもらいますね」
カサカサッと四角く折り畳まれた紙を開く。
俺は、どきどきが止まらなかった。
この場で〝好きな子〟だと断定されるのが少しだけ怖かったからだ。
「お題は──…」
……ああ、いよいよだ。
ゴクリ、と固唾を飲む。
「〝一番仲良い後輩〟とのことですね」
予想していた言葉とは似ても似つかないものが聞こえてきて、え、声を漏らした俺は、当然ポカンと固まった。
好きな人ではなく……一番仲良い後輩?
「この場合、本人ではなく相手にお聞きしますね。てことで、まずはきみのお名前お聞きしていいですか?」
と、マイクを向けられるから、
「……あ、えっと……矢野、朝陽です」
呆気にとられながら、ぽつりぽつり名前を呟く。
「じゃあ矢野くんにお聞きします。ずばり、夏樹先輩の一番仲良い後輩ですか?」
またズイッとマイクを向けられるから、
「あ、えっとー……」
なんだ、この状況。審査員が判断するんじゃなくて連れて来た相手に確認するのか?!
これ、公開処刑レベルだよっ……!
なんて返せばいいのか迷って、恐る恐る夏樹先輩へと顔を向けると、ニコッと微笑まれただけで。
〝好きな子だから〟
数週間ほど前に生徒会室で答えた先輩の声が頭の中にこだまし、赤面する。
そんなことを言われてからどうやって先輩に接したらいいんだろうって分からなくなっていたけれど、よく考えてみたら先輩は俺のことを困らせるような人ではない。からかうことはあっても嘘はつかない気がする。
だからきっとあれは、俺が女装していると気づかれないためにわざと〝好きな子〟だと言ってみんなに女の子であることを印象づけたのかもしれない。
それに、〝一番仲良い後輩〟として呼ばれたなら俺のことをそういう対象として見てるわけじゃない気がする。
だったら今、俺がするべきことは──
グッと拳を握りしめて、顔を上げて。
「はいっ。一番、仲良い後輩だと自負しています!」
マイクで拡張された俺の声は、グラウンド中に響いた。
自分に自信がなくて、自分の顔がコンプレックスで自信をつけるために女装をしていた俺が、まさかこんな人前でそんな自意識過剰なことを言うなんて思っていなかった。
全身から炎が吹き出しそうなくらい恥ずかしくて、今すぐ逃げたくてたまらなかった。
「はい! じゃあ二人は仲良い先輩後輩ということでお題は成功です。ゴールへどうぞ」
けれど、先輩が俺を肯定してくれたから今度は俺が先輩の力になりたいと思った。
ほんとに、ただそれだけだ。
「じゃー行こっか」
恥ずかしいやら照れくさいやら、お互い顔を見合わせて笑った。
外野からはいえーいいえーいと歓声が漏れて、大熱狂の嵐。
「矢野くん、ありがとう」
「い、いえ、こちらこそ……」
二人して、足を揃えてゴールテープを切ったのだった。