女装した俺が、先輩に気に入られた件について。


「な、なんで、そんなこと聞いてくるんですか」
「この前、言ったじゃん」
「言ったって、なにを……」
「女装するなら俺の前だけにしてって」

 真っ直ぐ俺を見つめる先輩の瞳とぶつかって、思わず息を飲む。

「それとも矢野くん、それ忘れてた?」
「……お、覚えて、ます」

 あの日から先輩の声が、言葉が、やけに頭にくっきりとこびりついて離れないんだ。

「で、でも、どうしてそんなこと……」

 先輩は言うんだろう。

「どうして、か」

 俺の言葉を反芻したあと、急に真剣な顔つきになって。

「…──もしも俺が、矢野くんのことを好きって言ったらどうする?」

 やけに、クリアに聞こえてきた、それに。

「……え?」

 一瞬、本気で告白をされたのかと思った。

 先輩が俺のことを……?

 いや、まさか。
 でも、もしかして。

「なーんて」

 パチンッと聞こえた音にハッとすると、たった今先輩が両手を叩いた音だと気づく。

 それが冗談だったのだと理解する。

「ちょ、先輩……今のは冗談がすぎます」
「だよね。ごめんね」

 先輩は、悪びれる様子もなく謝る。
 おかげで俺の寿命はかなり縮んだ気がする。

 先輩の言動は、いちいち心臓に悪い。

「今度はいつ女装するの?」
「まだ分かりませんけど……どうしてそんなに気にするんですか?」
「どうしてって、俺もついてくから」

 さも当然だ、と言いたげな表情を浮かべていた。

 夏樹先輩ならほんとにやりかねない。

 俺の前だけってのも実質、ほんとのことなのかもしれないし。でも、だからってそれは。

「いやですよ」
「なんで?」
「普段の俺を知ってる先輩に、女装してる姿見られるなんて恥ずかしくてできません」
「一度見た仲なのに?」
「それはそうですけど……ってなんかその言い方はちょっと語弊を招くというか……ゴニョゴニョ……」

 語尾を濁して、目を逸らすと、「何を気にしてるか分からないけど」と先輩は言ったあと、こう続けた。

「約束したんだから、女装するときは俺のこと呼んでね。絶対だよ」

 満面の笑みを浮かべた先輩。

「……べつに約束したわけじゃないんですけど、もしも仮に俺が約束を破ったらどうなるんですか?」

 恐る恐る尋ねてみると、

「どうって、お仕置きしちゃおうかな」
「生徒会の雑務を代わりに請け負うとか購買でパン買って来てとかですか?」
「なんかそれパシリみたいだね」
「……違うんですか?」
「うーん、ちょっと違うかなぁ」

 先輩は、おかしそうにクスッと笑った。

 俺の頭では考えることに限界があって、これ以上は見当もつかない。

「俺のいないところで女装したら矢野くんにキスしちゃおうかな」

 ニコリと笑って平気でそんなことを言うから。

「なっ、何言って……!」

 一瞬で顔が熱くなった。

 ──キーンコーンカーンコーン。

 予鈴が鳴って、会話が遮られる。

「あ、残念。そろそろ俺、教室戻らないと」

 冷静に立ち上がる先輩は、俺とは違って余裕があって、「じゃあまた放課後に」と軽く俺に手を振り階段を降りていく。

 一人取り残された俺は、いまだ放心状態で。

「……今の、何だったんだ」

 頭を抱えてしばらく動けなかった。

 ◇

 今日もまた放課後、生徒会室で雑務に追われている。

「なぁなぁ、これもう終わりでよくね?」
「ちょっと武田なに言ってるの。後輩の前でそんな発言やめてよね。真似したらどうするの」
「山崎こそ、その真面目すぎるのどうにかしろよー!」

 生徒会室の中は、今日もにぎやかだ。
 武田先輩がすぐサボろうとして、それを会長が呆れた顔で見つめていた。

「矢野っ、もうすぐそっち終わるんだろ? こっち手伝ってくれよ」

 武田先輩がすぐに絡んでくる。

「え? いや、俺まだ終わってないので自分の分は自分でお願いします」

 丁寧にお断りをすると、俺の言葉に後押しするように会長が言った。

「そうだよ、武田。後輩に頼むなんて先輩の名がすたるよ」
「困ってるときは支え合いが大事だろ!ってことで、俺の分手伝ってくれよ」
「後輩の前で何バカなこと言ってるの。ふざけてばかりいないで手を動かしなよ」
「……お前さあ、俺だけに当たり強くねえ?」

 いつもの先輩たちのやりとりを見て、俺はクスッと笑った。

「なあ、夏樹。あいつ俺にだけ酷くねえ? 夏樹からも何か言ってくれよ」

 今度は武田先輩は夏樹先輩に絡み出すが、

「事実を言ってるだけだからべつに酷くないんじゃない。さっきからタケ、ずっと口しか動かしてないし」

 夏樹先輩はフォローどころか目も合わさずに淡々と答えた。

「夏樹に一票」

 会長が笑いながらそんなことを言うと、そばに座っていた同級生も「俺も」と手を上げていた。

「あ、じゃあ、俺も夏樹先輩に一票です」

 慌てて俺も手を上げると、「なんだとー!」と武田先輩が近づいてくる。

「日頃から可愛がってやってたのに。この裏切りめ!」

 と、俺の髪をめちゃくちゃに撫でだすから、慌てて立ち上がり距離を取る。

「べつに可愛がってもらってません! てか何で俺だけなんですか! 他にも手上げてる人いましたよね?!」
「〝じゃあ〟って言って手上げただろ。じゃあって何だよ?! 俺は何かのついでか!?」
「面白そうな流れだったので乗ってみました」
「何だと、生意気なー!」

 腕を肩に回されてロックオンされた俺は、そのまま髪の毛をボサボサにされる。

「ほら、そういうところだよ武田。すぐ後輩に絡んだり面倒くさいことを頼もうとしたりするから先輩らしく見えないんだよ。信頼されたいなら口ばかり動かしてないで手を動かさないと」

 会長の一言により「ぐっ……」悔しそうにしていたが武田先輩は渋々、俺から腕を離して自分の席につくと、放置されっぱなしだった資料に目を通し出す。

 刻々と時間は過ぎ、時刻は午後十八時。

「会長、これ終わりました」

 俺が雑務を終えて提出に向かうと、会長は受け取って確認をする。
 会長が寝ている姿とか疲れてる姿を一度も見たことがない。それに誰よりも一番最後に帰るのに、朝は早く登校しているし、会長ってやっぱりすごいや。

「うん、矢野くんのまとめ方は上手だからとても見やすくていいと思う」
「ほんとですか? ありがとうございます」

「うん、じゃあ矢野くんもう帰っ──…」

 会長が言いかけて、わずかに俺から視線が外れたあと、「二人とも帰っていいよ」と言葉を言い換えた。

 その言葉に困惑した俺は、会長の視線をたどって振り向く。
 すると、背後に夏樹先輩がいた。

「な、夏樹先輩も終わったんですか?」

 緊張で少しだけ声が上擦ってしまう。

「一応ね。それで山﨑に持ってきたところ」
「そう、だったんですね!」

 女装姿を見られて以来、夏樹先輩とは少しだけ気まずい。

「ざっと確認した感じ夏樹のも大丈夫そうだね」

 会長がそう言うと、「あ、贔屓はずりぃぞ」と武田先輩が椅子に背もたれて文句をつく。

「いかに普段から真面目にしてるかどうかで接し方は変わってくるものだよ」

 会長の言葉にみんながクスッと笑う。

「何だよ。俺だって普段は真面目にしてるだろ?」

 武田先輩の言葉に誰一人として同意をする示す者は現れず、「おいっ、何とか言えよ!」と自分自身でツッコミを入れる。
 会長は武田先輩を呆れ顔で見ていたが、立ち止まっていた俺たちに気づいて軽く手を振ってくれた。

「武田先輩、無視したままでいいんですか?」

 生徒会室を出てすぐに尋ねると、

「いいのいいの。あいつに構ってるといつ帰れるか分からなくなるから」

 夏樹先輩の言葉を聞いて俺は思わず苦笑いをする。

「それより一緒に帰ろ。矢野くんに話したいことがあるんだ」

 何のことで話があるのか予想ができた俺は、仕方なく頷いた。

 公道を二人して並んで歩いていると先輩に尋ねられる。

「そういえば矢野くんと一緒に帰ったことないけど、歩き? バス?」
「俺は電車で来てます。先輩は?」
「俺も電車だけど、どこから乗ってるの」
「中央線から乗ってます」
「あ、じゃあ、同じホームだね」
「え、そうなんですか?」
「うん。俺は目白駅で降りるから──」

 先輩も同じホームから乗っているなんて知らなかった。
 でも、そんなことよりも他のことが気になって話に集中できない。

「……あ、あの、先輩……」

「ん?」
「今朝のあれって……」
「あーあれね。もしかして矢野くん気にしてた?」
「や、べつにそういうわけじゃ、ないんですけど……」

 先輩があんなこと言うから気になってしまった、とは言えないし。でも、どういうつもりで言ったのかは気になって真意は確かめたい。と、頭を悩ませているの、頭上からクスッと声が聞こえる。

「今朝も言ったけど冗談だよ。だからそんな気にしなくていいから」
「で、でも……」
「ほんとーに冗談だから、気にしないで」

 と、先輩の腕が伸びてきてポスッと俺の頭に乗っかると、乱暴に頭を撫でられる。

「ちょっ、先輩っ……なに、して……」
「何って、矢野くんが今朝のこと気にしてたみたいだから忘れさせてあげようと思って。でも、矢野くんが意識してくれてるみたいだし、本気でしちゃおうかな」
「なななっ、なにバカなこと言ってるんですか……っ!」

 俺は盛大に動揺してしまう。そんな俺を見て「あはははっ」と先輩は楽しそうに声を上げる。

「先輩、ひどいですよ……!」
「だって矢野くんがあまりにも可愛くて」
「俺は可愛くありません!」

 笑い続ける先輩を追いかけながら、少しだけ遠い日の記憶を思い出す──。

 入学したばかりの俺は、学校生活に慣れることに必死だった。校内は当然だけれど男子ばかりで、ガラの悪い人も中にはいた。べつに絡まなければ問題はなく過ごすことができた。

 ある日、生徒会の書記を決めることになった。なんでもこの学校は、一年生二人が書紀をすることになっているらしい。生徒会は放課後に集まってやることが多いとか、体育祭や文化祭などのイベント事では学校と文化祭委員の間に入って指示を出したりなど、やる事は多岐に渡るらしい。みんなそれが嫌で、学級委員長や副委員長、クラスの係はすんなりと決まっていった。残りの人数の中で書紀へ立候補する人を選ばなければならなくなった。その中に俺もいて、だけど一番気が弱そうだと思われたのか押し付けられてしまった。言葉で言い負かすことができなかった俺は、仕方なく引き受けた。

 六クラスから一人ずつが立候補して、生徒の前で演説をする。だけど、立候補といっても俺のように仕方なく引き受けた人も多くて、演説はやる気のないものがほとんどだった。俺は、一度自分が引き受けたからには適当なことはしたくなくて、それなりに演説をした。もちろん受かるとは思っていなかった。
 だけど、後日、生徒会室に呼ばれて、『書記に合格した』ことを伝えられる。そのときに、はじめて夏樹先輩と会った。第一印象は背も高いし、クールっぽく見えて少し怖そうな人だと思った。

 ──それがまさかこんなに仲良くなれるなんて思っていなかった。

「…──のくん、矢野くん」

 聞こえる声に我に返ると、すぐ近くに先輩の顔があって、思わずドキッとする。

「……な、何ですか?」
「なにって、今ボーッとしてたから。暑かった? それとも体調悪い?」
「あ、いえ! 大丈夫です」

 不自然にならないように気をつけながら距離を取る。

「そっか、ならよかった」
「心配かけてすみません!」
「ううん、大丈夫」

 と、先輩は優しく微笑む。

「てか聞いてよ。今日の昼さ──」

 そのあとも他愛もない会話をしながら駅まで先輩と一緒に歩いた。

 ◇

『矢野ってすっげぇ可愛い顔してるよな!』
『矢野くんって女の子より女の子みたい』

 ……あー、もう嫌だ。耳を塞ぎたくなったそのとき、

 ──ピピピッ…

 つんざくようなうるさい音で、俺は目が覚めた。

 カーテンの隙間から溢れる光が眩しくて、思わず目を細める。

「なんだ、今の夢か……」

 むくりと起き上がり、スマホのアラームを消す。なんとも目覚めの悪い朝。

「はぁ……嫌な夢見た……」

 最近はあまり見なかったのに、久しぶりに過去の苦い記憶を見た。
 スマホの時間を確認すると、六時過ぎ。ここから駅まで十分もあれば着くから余裕だ。

「……あれ、今日って……」

 目を凝らしてスマホに表示されている日付を確認すると、今日は土曜日。学校が休みの日だ。
 なーんだ。今日、学校じゃないじゃん。昨日、アラーム解除するの忘れてた。休みの日は八時まで寝ようって決めてたのに。

 よし、二度寝しよう。そう思って、また布団に潜り込む。

「ああっ、だめだ! 寝れない!」

 さっきの夢が原因で目は冴えて、二度寝どころではない。

「……とりあえず起きるかぁ」

 どうせベッドでゴロゴロしたって嫌なこと思い出すだけだ。顔洗ってさっぱりして、ご飯でも食べよう。
 ふあーあ。あくびをひとつしたあと、重たい身体を無理やり動かした。

「あら、朝陽。おはよう。今日は早かったのね」

 顔を洗ってリビングに向かうと、休日なのにいつもの時間に起きた俺に母さんは驚いた。

「アラーム間違えてセットしちゃったみたいで」
「そうだったの。でも、休みの日も早起きするといいことあるわよ、きっと」
「……そうだといいけど」

 食パンをトースターで焼いて朝食を準備する俺は、このあとの予定を頭の中で考えた。

 家にいてもゴロゴロするだけだし、図書館にでも行ってみる? いやでも、そんな気分にもなれないし……

「このあとお友達と久しぶりに会ってランチに行って来るんだけどお昼ご飯大丈夫そう? 何か作ろうか?」
「適当に食べるから大丈夫だよ」

 母さんはパートで働いている。基本、土日は休みの日が多い。父さんは、今単身赴任中で家にいない。

 軽く朝食を済ませてから部屋に戻る。予習でもしようと教科書とノートを広げてみるが、全然集中できなくて放り投げた。
 ベッドでゴロゴロしていると、時間はあっという間に過ぎる。

「朝陽、お母さん行ってくるね」
「あー、うん気をつけて」

 玄関に向かった音が聞こえたあと、バタンッとドアが閉まった音がした。時刻は十時半。

「あーあ……今日、どうしよう……」

 キャスター付きの椅子で移動して、カーテンを開けると、そこは青空が広がっていた。

 いい天気だなぁ。こんな日にずっと家の中でくすぶっているのはもったいないなー。

 ──矢野ってすっげぇ可愛い顔してるよな!

 頭の中で、また嫌な言葉がリピートされる。

「あーもうっ、いい加減忘れたいのに……!」

 自分に自信がもてなくて、何をやるにも後ろ向き。
 けれど、女装をしているときだけは自分に自信が持てる。

「久しぶりに女装……してみようかなぁ」

 クローゼットに隠すようにしまってある姉からもらった女物の洋服。それほど多くはないが、クローゼットの半分を占めていた。
 ウィッグはロングの一種類のみ。特にこだわっているほど女装に手をかけているわけではないため、ロングをその日の気分で下ろしたままか結んだりしている。

 化粧は、もちろんしていない。そこまで気合いを入れてするほどでもないし、元々肌は綺麗な方だからこのままでも大丈夫。

「……うん、久しぶりのわりにはいい出来」

 鏡の前でおかしなところはないかチェックする。
 どこをどう見ても、女子だ。

 白のTシャツに黒ワンピースを重ねただけの、何ともラフな格好。そこまで肩幅があるわけではないため、これが男だと気づくのはまずないだろう。

 ……あっ、でも例外が一人だけ。

女装した俺が、先輩に気に入られた件について。

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