「大丈夫だったんですか?」
「まぁ、なんとかね。俺よりタケの方がやばいみたいだけど。タケの担任、怖いって有名だし」
「それ大丈夫なんですか?」
「それは分かんないけど自業自得だな」
笑った先輩は、武田先輩のことなんて心配していなさそうだ。
先輩たちの距離感ってこんな感じなのかな。
「そういえば俺、普段の会長のことよく分からないんですけど、いつもはどんな感じなんですか?」
気になって尋ねてみると、先輩は「普段の山﨑? そうだなぁ」と首を傾げながら考え込む。
「クラス違うから全部知ってるわけじゃないけど、あんま変わらないと思うよ。あのままの感じっつーか。たまにクラス行くけど、周りに人たくさんいて慕われてるみたいだし」
「そうなんですね。さすが会長ですね」
やっぱり会長は、普段もすごい人なんだ。たくさんの人に慕われてるってことは、それだけ努力をしているってことだ。
「あと、大人だよなって思う。俺らと同い年のはずなのに、考え方も全然違うし、かなり先を見て行動してるって感じするし。それにタケとは全然違う」
「確かに、武田先輩と山﨑先輩が同い年って感じがあんまりしませんよね。どうやったらあんなに冷静で大人っぽくなれるんですかね」
「ほんと不思議だよね」
「もしかして会長、年齢偽ってるんですかね?」
見た目は高校生だけど、中身は三十歳とか。だとしたらあの冷静さと大人っぽさに納得がいく、と一人勝手に想像していると、
「矢野くん、今日はやけに山﨑のこと話すね。もしかして山崎のこと気になるの?」
何を聞かれたのか一瞬理解が追いつかなくて、俺が固まっていると、さらに先輩は言葉を続けた。
「山崎のこと好きなの?」
真っ直ぐ見つめられて動揺する。
「違います! あ、いや、人としては尊敬してるので好きですが、それは恋愛としてじゃなくて……さっき会長と話してるとき、いつも一人で頑張りすぎじゃないのかなって思うことがあったのでそれで……」
長々と話したあと、それを聞いた先輩は、「なんだ。そっかあ」と立ち止まる。
「もしかしたら矢野くんが山﨑のこと好きなのかなってちょっと思っちゃったから」
いつもより元気のない笑顔。
先輩、不安になったってこと?
「俺……まだ返事ができてなくて説得力なんてないかもしれませんが、今は夏樹先輩のことを考えてるので他の人を好きになるとかないですから、絶対に」
先輩を不安にさせたくなくて言ったけれど、自分の言葉を頭の中で再生すると少しおかしな状況にもなったので。
「あの、つまり、えっと……」
言い訳しようにも言葉が出てこない。
そんな俺を見て、フッと笑った夏樹先輩がこう言った。
「矢野くんの頭の中に俺がいるんだ。嬉しいな」
先輩の嬉しそうな顔を見て、俺まで気が緩む。
夏樹先輩が嬉しいのが嬉しい。
……ん? それって、どうして……。
「矢野くんどうかした?」
「あ、いえ! なのでもう少し待っててください」
「うん、分かった。待ってるね」
どうして俺、先輩が笑うと嬉しいって思うんだろう。
その謎は溶けそうにない。
「そういえば再来週、俺たち修学旅行なんだよね」
「あ、三泊四日でしたっけ」
「ん? 矢野くんよく知ってるね」
「さっき会長が教えてくれたので」
「そっか」
先輩たちが学校にいないってはじめてだよな。しかも、四日も会えないのか。
それは少し寂しいかも……え? 俺なんで夏樹先輩に会えないからって……
「先輩は、修学旅行楽しみですか?」
自分の気持ちが分からなくてモヤモヤするので、会話を続けて気を紛らわせる。
「そうだね。すごい楽しみ。ただ、ちょっと寂しい部分もあるけど」
「何か心配事ですか?」
「矢野くんに会えなくなるから」
何の前触れもなくそんなことを言うから、思わず赤面してしまう。
そんな俺を見て先輩はまた笑った。
「なにか欲しいものあったりする?」
「い、いえ、特には……」
「なんでもいいの?」
「なんでもっていうか……先輩が選んでくれたものなら嬉しいです」
そう言うと、先輩はなぜか目を白黒させて固まる。
「……あの、先輩?」
「ああ、うん。なんでもない。分かった。楽しみにしててね」
寂しいって思う気持ちを、先輩に隠したまま俺は笑った。
◇
先輩たちが修学旅行に行った。
それもあって校内は、静まり返ったようになっていた。
「二年生がいないとなんか一気に静かになった感じするよなぁ」
柳木が休み時間にお菓子を食べながら、そんな話を持ち出した。
「三年生は受験とかで忙しいもんね。ちょっとピリピリしてる感じはするけど」
「そうだね。でも、あんまり先輩たちと接点ないよね俺たちって」
体育祭とかでは学年別で対抗するから少し話したけど、上級生ってなんか声かけにくいし。……あ、でも夏樹先輩とかは話しやすいんだよね。
なにが違うんだろう?
「生徒会での接点とかなかったわけ?」
「俺が生徒会に入った頃にはちょうど入れ替わるタイミングだったから顔合わせした程度だったかなぁ」
三年生は受験で忙しくなるから、四月で後輩に引き継がれることになる。
「じゃあ話もそんなにしてないんだ?」
「うん、そうなるね」
ほんとに一瞬顔を合わせてあいさつをしたくらい。あとは、今の二年生が引き継いで、そして俺たちが生徒会に入ったのが四月終わり。
──あ、でもそっか。
「生徒会に入ってもうすぐで一年になるのかぁ」
「え、矢野、もうそんなになる?」
「みたいだね。なんか早いなぁ。一年あっという間」
初めは、生徒会役員に選ばれたことを後悔した。どうして俺なんだろうって。俺には向いてないんじゃないかって。失敗したらどうしようって思ってた。
だけど、そこで先輩たちと出会って。初めはすごく緊張したけど、みんな優しい人たちばかりですぐに馴染むことができた。
自分の顔に自信はなくて、またからかわれたらどうしようって思ってたけど、中学のときと比べるとからかわれることは減って素直にホッとしてる。
「一年大変だった?」
「うーん……大変ってよりおもしろかったかも」
「えっ、生徒会の仕事が楽しい……? 矢野、お前ちょっとずれてねぇ……?」
柳木ってば、ほんっとそういうこと言うから、ムキになった俺は言い返す。
「ずれてない! 俺も自分でも意外だったけど、大変よりもおもしろい方が多くて……!」
「生徒会の作業がおもしろいとか、矢野……お前ドMなの?」
「ちっ、がうから……!」
ダンっと机を叩いて抗議するが、柳木も鳥羽もケラケラ笑っていた。
あー、もうっ、ほんとにこの二人はからかうことが好きなんだから……
「まあ、矢野がドMなのは一旦置いておいて、もうすぐ先輩たちともお別れだなー」
数秒前まで笑っていた柳木が、お菓子をつまみながら突然そんなことを告げるから、「……え?」と思わず気が抜ける。
「だって生徒会は四月で引き継がれるんだろ? だったら二年生もあと少しで終わりじゃん」
「あー、ほんとだ。そうなるよな」
……うん、たしかにその通りだ。てことは、夏樹先輩とも頻繁に会えなくなる……ちょっと寂しくなるなぁ。
「……え?」
俺、今なんて……
先輩と会えなくなるのが寂しいって?
「矢野? どうした?」
鳥羽の声にハッとする。
「あ……な、なんでも、ない……」
あからさまに動揺する俺を見て、当然不審に思ったのか。
「なんでもないってわりには見えないけど」
「そうそう。だってなんか顔赤いし」
……顔、赤い……っ!
「ききききっ、気のせいじゃない?!」
──ピコンッ
「あ、矢野のスマホじゃね?」
柳木が俺のスマホを指さすから、視線はそこへ落ちる。
「それにしてもさぁ──…」
柳木と鳥羽は、話に夢中で俺のことなんかほったらかし。
よかった、助かった……。
でも、こんな時間に誰だろう。
【夏樹先輩:メッセージ一件】
えっ、うそ……。先輩から? なんだろう……。
【そっち今授業中? 俺ら班で自由行動してるところ】
メッセージと一緒に写真が送られる。
その写真を見て、思わず頬が緩む。
【今、休み時間です。修学旅行楽しそうでよかったです】
先輩の顔を見ると、なぜか不思議と安心してしまう。
【楽しいよ。すげー楽しい】
ひとつメッセージが送られていると、またピコンッと音が鳴る。
【でも、矢野くんに会えないの残念】
その言葉を見て、わずかに動揺していると、またメッセージが送られてくる。
【会えないかわりに少しだけ声聞きたい】
休み時間は残り五分。
だけど、俺は──。
「ごめん、ちょっと席外すね」
友達に断りを入れてから廊下を出る。
【いいですよ】
メッセージを送ると、すぐに着信が鳴った。
俺は緊張しながら画面をタップする。
「も、もしもし……」
『あ、矢野くんの声だ』
機械越しに聞こえる先輩の声は、いつもと変わらず柔らかくて優しい声だ。
『休み時間にゆっくりしてたところ急に無理言ってごめんね』
先輩に謝らせたくなくて、
「いえ、全然大丈夫です!」
と即座に答えた。
『今までほぼ毎日会ってたからさあ、急に会えなくなるとなんかちょっと調子狂うっていうか、矢野くんの声聞きたいなって思っちゃって。でも、声聞いたら今度は会いたくなっちゃった』
機械の向こう側から先輩が微かに笑った声が聞こえた。
──先輩の顔、見たい。
「先輩、俺も……」
──〝生徒会は四月で引き継がれる。だったら二年生もあと少しで終わり〟
鳥羽の言葉を聞いて俺は、 〝寂しくなる〟と思ってしまった。
そして今も、先輩の顔を見たいと思った。
今までずっと気づかなかった。いや、気づかないフリをしていたのかもしれない。気づいてしまったら〝今の関係〟を壊してしまうことになるかもしれないと思ったからだ。
だけど、もう俺は気づいてしまった。この感情の正体に。
「俺も先輩に会いたいです」
気づいてしまったら嘘をつくことはできなかった。
『矢野くんがそんなこと言ってくれるの珍しいね。嬉しい』
先輩の声はいつだって優しい。
その優しい声で何度でも名前を呼んでほしくなる。
「先輩」
スマホを持つ手に力が入る。
『ん?』
「修学旅行が終わったら話したいことがあります」
その瞬間、廊下の窓からふわりと冷たい風が入り込み俺の頬を撫でた。
『……うん、分かった』
機械の向こう側から先輩の真剣な声が聞こえる。
その直後、チャイムが鳴ったので。
「あ、じゃあ、修学旅行楽しんでください!」
『ありがとう。矢野くんも授業頑張って』
スマホを切ると、教室に戻った。
「夏樹先輩何だって?」
すぐに鳥羽に聞かれる。
どうして夏樹先輩だと分かったんだろう。
「お土産何がいいって聞かれただけ」
「ふーん」
「何?」
「べつに何も」
何もって顔してないけど、聞かれたくないから今話した内容は内緒にしておこう。
先輩たちが修学旅行から帰ってきた翌日は、生徒会室にはたくさんのお土産が置かれていた。
「こっちは俺から。で、そっちは夏樹と武田から」
会長がテキパキと説明をしていく。後輩である俺たちは、「ありがとうございます」と口を揃えた。
「感謝しろよー」
武田先輩がそう言って後輩に絡むのを見て俺は思わず苦笑い。
それにしても、夏樹先輩がいない。
椅子から立ち上がり、会長の元へ向かう。
「あの、夏樹先輩って……」
「ん? ああ、夏樹ね。今、忘れ物を取りに教室に行ってるよ。何か用事でもあった?」
「用事ってほどでもないんですけど……」
「じゃあ、夏樹のこと呼びに行ってもらっていい? ついでに生徒会メンバー分のジュース買ってきてほしいんだ」
と、会長は俺に千円札を手渡しながら、「夏樹、二年四組だから」と続けた。
やっぱり会長はどこまでも抜かりがない。
生徒会室を出て先輩の教室に向かう。
──『修学旅行が終わったら話したいことがあります』
そう言ったけれど、なかなかタイミングが合わない。生徒会室では絶対に無理だし、かと言って帰り道にサラッと言うのもなんか違うし。
考えていると、先輩の教室の前にたどり着く。中を覗くと、夏樹先輩が机に軽く腰掛けている後ろ姿が見えた。
何か考えてる……?
「……夏樹先輩」
恐る恐る声をかけると、振り返った先輩は、「あ、矢野くん」と笑った。
「どうしたの?」
「会長におつかいを頼まれたので、そのついでに様子見に来てみました。忘れ物は見つかりましたか?」
「うん、見つかったよ」
先輩は立ち上がろうとはしない。
俺はそうっと教室の中に足を踏み入れる。
「そうだ。矢野くんにお土産があるんだ」
そう言って鞄から取り出して「はい」と手渡される。
「色々見てみたんだけどどれがいいか分からなくなって。で、最後に見たそれがなんか雰囲気が矢野くんっぽくて」
見てみると、小さな猫のキャラクターもののキーホルダーだった。
「俺っぽいってなんですか……でも、嬉しいです。ありがとうございます。修学旅行は楽しかったですか?」
「うん、すごく楽しかったよ。いろんな景色も見れたし、おいしいものも食べれたし」
「そうですか。よかったです」
どうしたんだろう。いつもより少しだけ元気がないように見える。
「先輩は、生徒会室行かないんですか?」
「俺はもう少ししてから戻るよ」
笑っているはずなのに、肩が落ちている気がする。
「分かりました。会長に伝えておきますね」
何か様子がおかしい。何でだろう。
──『修学旅行が終わったら話したいことがあります』
もしかして俺が言ったあの言葉が原因?
先輩、悪い方に考えたりしてる?
廊下に出ようと思ったが、足を止める。
「先輩、今元気ないですよね」
「俺? いや、元気だよ」
「先輩、笑ってるけどいつも通りには見えないです。それって俺が言った言葉を気にしてるからですか?」
「そんなことないよ。矢野くんの気のせい」
「嘘ですよね。俺だって先輩と一緒にいる時間は長かったので先輩のこと分かるつもりです!」
かなり待たせてしまった。その上、散々先輩には迷惑をかけたと思う。
俺は、女の子が好きだ。今でもそうだ。でも、夏樹先輩に告白をされて、先輩のことを考えるようになって、分かったことがある。
「たくさん時間がかかってごめんなさい。もっと早く言えば先輩に迷惑かけなかったのに……」
「だから、べつに矢野くんのせいじゃないって。てか、ちょっと今はあんまり聞きたくないっていうか」
やっぱり誤解している。だから、先輩は元気がないんだ。
やっと見つけた、俺の答え。
夏樹先輩には、ちゃんと伝えたい。
「俺、先輩のことが好きです」
ここは、教室の中。だけど、廊下もすぐ近くにあって。そこを誰が通るか分からない。
「夏樹先輩のことが好きなんです」
どうしても今伝えなきゃいけないって思った。
「矢野、くん……」
先輩は、ただ俺のことをじっと見つめているだけだった。
緊張する。手だって震える。
だけど、今言わなかったらきっと後悔する。
その方がよっぽど嫌だから。
「告白されたときはわけ分からなくて、どうして俺なんだろうって思ったりもして。でも、先輩と過ごしてるときはすごく楽しくて、いつも笑ってる自分がいて。先輩が真っ直ぐ気持ちを伝えてくれる。それがドキドキするけど、嬉しくもあって」
廊下とか教室とか、もうそんなこと考えてる暇なんかなくて、俺は伝えたいって思った。
「先輩ともっと話したい。先輩の笑った顔をもっと見ていたい、気づけばそう思うようになっていて。修学旅行で先輩が四日もいないって思ったらちょっと寂しくなって、声を聞いたら会いたいなって思ったんです。たくさん時間がかかってしまってごめんなさい。でも、その分ちゃんと考えました。俺は、夏樹先輩のことが好きです。だから──」
だから俺と付き合ってください、そう言おうと思ったら、腕を引かれて抱きしめられた。
しかも、かなりの力で。
「あのっ、先輩?!」
「矢野くんの言葉の破壊力まじでやばいよね」
「ここだと人が来てしまうんですが……」
「たった今、告白の返事くれた人が何言ってんの」
「それとこれとは話が違うっていうか」
先輩の腕の中にすっぽりと収まっている俺に、「今のほんと?」と耳元で尋ねてくる。
その声がいつもより頼りなくて、甘えているようで。
「ほんとです。俺、先輩のことが好きです」
もっとちゃんと言葉で伝えたくなった。
そしたら先輩は、「すごい嬉しい」と言って、また腕の力を強めた。でも、苦しくなくて、心地よくて。
「俺も矢野くんのこと好き」
「……はい」
「すごい好き」
「……俺も、です」
「俺たち両想い?」
「はい、そうです」
そんな会話がくすぐったくて、だけど幸せで。