何も話さない俺をタツが落ち着くまで一緒にいてくれた。気晴らしにどっか出かけるかと、連れ出してくれた次の日。
今日が休みでよかった。学校だったら、確実に気まずかっただろう。同じクラスだと絶対に貴臣と顔を合わせる必要があるから困る。家にいたとしても窓を開ければ貴臣の部屋が見える。出かけられたほうが気が楽だった。
「おー、こっちこっち!」
どこか浮かない気持ちで待ち合わせ場所へ行くと、にこやかなタツと遠慮がちな貴臣が立っていた。人が行き交う中でも目立つ。
その瞬間、待ち合わせが駅から離れた場所だった意味を理解した。すぐ引き返されないようにタツの計算だろう。
やられた。まさか貴臣が来てるとは。
俺は真っ先にタツの元へ向かって腕を引っ張る。貴臣から距離を取って、ちらっと貴臣を見ると目が合ってしまった。焦って目をそらす。
タツを引き寄せ「何なんだよ、これ」と小声で問い詰めた。
「せっかくの休日に遊ぶかなーって誘っただけじゃん」
「いや、けど……何で貴臣もいるんだよ」
「だって、おれはお前から何も言われてねーし。お前らに昨日何かあったとして、それっておれに何か問題ある?」
開き直られては言い返す余地はない。タツのことだから、わかってて言ってるんだろう。何してくれてんだよ、と視線を注いだところでタツは一切取り合ってくれなかった。
「芹澤が暇だって言うから。雪斗から捨てられてかわいそうだったし、俺が拾っといてやったんだよ」
感謝しろよ、とタツに肩を叩かれる。ちょっと待て。俺は別に捨ててない。
「ほら、行くぞ。水族館でペンギン見よ。あ、その前に寿司な」
「え、寿司? 今から?」
「お前、朝メシ食べれなかったって言ってただろ。ちょうどいいじゃん」
ぐいぐい背中を押されて、有無を言わさずエスカレーターに乗せられた。ゆっくりと上がって、振り向けば貴臣も当然ついてきている。目が合わないうちに前を向いた。
タツは何を企んでこんなことすんだよ。貴臣に頼まれたとは考えにくい。タツに直接頼む貴臣が想像できなかった。タツが俺らを仲直りさせようとしてくれてんのかな。
「世話の焼けるやつだなー。大人しく楽しめばいいのに。友達3人で出かけるくらい良くね?」
「それは……そうかもだけど、何で寿司と水族館?」
「は? おれが寿司食ってペンギン見たかったからに決まってんだろ。なー、芹澤?」
貴臣の表情が気になって少しだけ首を捻ると、困ったように眉を下げて微笑みながら「そうだね」とうなずいていた。
「貴臣を困らすなよ」
「お前に言われたくねーわ。間に挟まれておれだって困ってる」
そんなのは、タツが貴臣も誘うからだ。俺のせいじゃねぇ。
回転寿司屋に入って、予約をしてくれたというタツに任せて2人で待っている。隣の貴臣を意識しないようタツの動きをずっと追いかけていると、タツは顔をしかめて戻ってきた。
「失敗した。うっかり予約2人にしてたわ。お前ら行ってきていーよ。おれはちょっとこれから駅まで行ってくる」
「は? 何で駅?」
俺の問いには答えず、タツはスマホをタップする。
「後輩が来るっつーか、ヘルプで俺が呼んだ。お前らは、2人でしっかり話せよ」
タツから案内票を差し出されて、俺は一瞬ためらった。ここで俺が断ったところでどうしようもないか。
タツは動くの遅い俺の手の中に滑り込ませてきて、受け取るしかなかった。
「ペンギン見たいのタツなのに、行く気ねぇのかよ」
「ちょうど後輩も喜びそうだから、そいつと見てくるよ」
貴臣は何て誘われて来たのか知らないけど、少なくとも俺は貴臣といるために今日来たわけじゃない。このままじゃ、気晴らしになりそうもない。
寿司は仕方ないにしても、水族館まで一緒に行きたくはなかった。
貴臣は彼女と行けばいいだろ。俺と行ってどうすんだ。
「おれはもう行くから。水族館で良さげな写真、撮れたら送って」
じゃーな、とタツは手を振ってあっさり行ってしまった。
「何なんだよ……」
振り返りもしないタツの背中を見送ってから、俺は案内票に目を落とす。狙ったのか、本当に間違えたのかはわからなかった。もしかすると予約した時点では俺だけを連れてきてくれるつもりでいたのかもしれない。どちらにせよ、タツがいなくなって、間にいてくれる存在を失ってしまった。
隣の貴臣に目をやると、貴臣も苦笑いを浮かべている。どうすんの、これ。
何とも言えない空気の中、自分たちの予約番号が呼ばれてしまった。
「とりあえずご飯食べようよ。雪斗、お腹すいてるんでしょ?」
貴臣の提案にため息を堪えてうなずく。せっかく電車に乗って来たし、確かに空腹だ。予約までしてもらってるのに帰るのは申し訳ない。
頭の中に言い訳を並べながら、店の奥へ進んだ。席に着くと、貴臣が手を拭いてタッチパネルに触れる。
「雪斗は何する? 俺は、これにしようかな」
貴臣が選ぼうとしているのは6貫セット。表示されたメニューを見て、俺は「バラで頼めよ」と言った。
「お前、それだとイカとエビ食えねぇじゃん」
「うん。雪斗が食べるでしょ?」
当然のことのようにさらりと返してくる貴臣。すぐに言葉が出てこなかった。
「え、俺が食べる前提?」
「あ……ごめん。よくそうしてたし、雪斗は嫌いなものじゃないし、いっかなって」
いつもと違う空気感でいつも通りのことをしようとする貴臣がおかしくて、吹き出してしまった。
「いいよ。貴臣が好きなように頼めば。苦手なもんは、俺が食べるよ」
調子狂うな。思えば、俺は貴臣のこととなると調子が狂わされてばっかりだ。こっちは気まずくてどうしようか、それだけで頭がいっぱいだというのに。
貴臣は安堵した表情で「じゃあこれにする」と、6貫セットを頼んだ。俺も適当に好きなものを選んで注文する。
普段なら落ち着く沈黙の時間が、今日は妙な緊張感をはらんでいる。お茶を用意しても時間が余ってしまい、回転レーンに流れる皿をぼんやり見つめて寿司が届くまでの時間をやり過ごすことにした。
「せっかくだから、水族館も行ってみる?」
貴臣も静けさに耐えかねたのか、口を開いた。この状況で俺が行きたがると思ってんのかな。
「行かねぇよ……彼女と行けよ」
俺がぼそっと返すと、貴臣は目を瞠った。
「存在しない人と行けって言われても困るよ」
「今は違っても、将来的にだよ。俺じゃなくて、女の子誘えばいいだろ」
女の子と歩いていたのを見たことは言わなかった。あの子はまだ彼女ではないらしい。ほんの少しほっとしている自分に苛立つ。ほっとするところじゃない。
ソファーの背もたれに寄りかかって、下唇を噛んだ。
「誘うような子がいないよ。俺は雪斗と行けるなら、そっちのがいいけど。雪斗は俺とだと嫌なの?」
貴臣がそっと目を伏せる。
「その訊き方はずるいだろ……彼女ができたら、そっち優先に決まってんだろってこと」
俺にわざわざ訊いてどうすんだよ。俺がそう言うと、貴臣は怪訝そうな顔をした。
「さっきから、その彼女ができたらって何なの? 雪斗は俺に彼女ができると思ってんの?」
「思ってるっつーか、できるだろ」
貴臣の視線から逃れたと同時に、寿司の到着を知らせる音楽が鳴った。
「ほら、貴臣の」
話題を切って、貴臣の前に皿を置いた。貴臣は「ありがとう」と言いながら、俺が頼んでいた寿司の皿にイカとエビを乗せる。
自分で頼んだものよりも先に貴臣の頼んだエビを口に運んだ。
「雪斗が何を勘違いしてるか知らないけど、俺に彼女ができる予定ないよ。好きな人いると、俺わかりやすいと思うし」
何で急に、と腕を組んで唸る貴臣。その好きな人といるときの顔を俺は知らない。引っかかっても訊き返す勇気はなかった。
程なくして、閃いたように貴臣が「もしかして」と呟く。
「昨日、俺が女子といるの見た? 確か、たこ焼き屋の近くも通った気がする」
ギクッと肩が強張っても、俺は答えなかった。それなのに、なるほど、と納得した様子でうなずく貴臣。
「雪斗さ、ナギくんて覚えてる? 中学のときの同級生」
「うん。学級委員だったよな」
何で今その話題になるんだろう。昨日、貴臣の隣にいたのは確かに俺の知らない人だった。
「ナギくんと連絡取りたいって子がいて、繋いでたんだよね。色々あって、昨日は2人が再会する場に俺も一緒に行ってた。雪斗にも言おうかと思ったけど、そんな人数増やして会うものでもなかったから」
「……それは、つまり?」
「昨日一緒にいた子とは、何にもないってこと」
昨日見かけたことは言うつもりもなかったはずが、貴臣にはバレバレだった。最悪だ。
「でも、貴臣楽しそうだった……だろ」
女の子と一緒にいるなんてめったにないことで、さらに楽しそうだったから勘違いしてしまった。
「楽しそうも何も、さすがに友達の知り合いに嫌な態度取らないでしょ。ナギくんの昔話で盛り上がるくらいのことはあったよ」
「あー、そういう……」
箸を置いてうつむく。女の子側がはしゃいで見えたのは貴臣に対するものではなく、これから会う人に対しての感情だったのか。
それを俺が勝手に見かけて、ショックを受けて勘違いした挙句、話してくれない疎外感から貴臣に当たってしまった。
「誤解されて、逆ギレまでされたのはさすがに傷つくなぁ」
「……いや、けど貴臣には俺だけじゃないのはほんとだろ」
弱々しい声が出た。素直に謝るべきところだとわかってはいるけど、まだ少しだけ腑に落ちてない部分で反論をする。
「他の人は関係ない。俺にとって雪斗が一番でそこは絶対揺らがないんだから、雪斗だけで合ってるよ」
さらっと言ってのけたかと思えば、おどけて「一番とか引いた?」と訊ねてくるから、俺は苦笑する。
「引くことはねぇけど、おま……よく恥ずかしげもなく言えるな」
「だってほんとのことだよ」
顔が熱くなっている気がして、ごまかすようにイカを口に放り込む。軽快なメロディが聞こえてきて、俺が頼んだものが届いていた。
貴臣が寿司を取ってくれて、俺の前に置いてくれる。俺は貴臣に「ごめん」と頭を下げた。
「いいよ。前まで俺が何してようと気にしてなさそうだったのに、最近はよく見ててくれるんだね」
顔を上げられない俺を覗き込んで、貴臣はいたずらっぽく笑う。何だってこいつはこういうことを何てことないみたいに言えるんだ。
「そんなことはねぇよ」
「うん。だよね」
言いつつ、貴臣が嬉しそうにマグロをつまんだ。俺に合わせて同調しただけなのが丸わかりだった。
「ほんとにそんなことはねぇから」
「わかってるよ。水族館は一緒に行っとく?」
「わかってねぇじゃん」
空気が和んできたのをいいことに貴臣がとぼけて押し通そうとしてくる。
電車を乗り継いで来て、近所にもある回転寿司食べて終わりっていうのも、もったいないかな。貴臣に彼女もそういった類の相手もいないとわかった今、断る理由もない。頑なに断って、その理由を訊かれても俺には答えが浮かびそうにない。
期待に満ちた瞳で見つめてくる貴臣。小さい頃は貴臣の家族とうちの家族でよく行っていた。久しぶりに行ってみるのも悪くはない。
さっきのタツの言葉を思い返す。別に友達と出かけるくらい、いいかな。「行くか」と、俺は折れてしまった。
「やった。かなり久しぶりに行くよね」
「貴臣、昔はアシカショーで怖がって泣いてたな」
あの頃はこんなよくわからない感情を抱えることもなく、ただ大事な幼なじみだったのに。いつの間にか形を変えてしまった。
「いつの話してんの。もう今は大丈夫だよ」
お茶を啜った貴臣がはにかんで、俺は胸のざわつきに気づかないふりをした。その先なんかいらない。
寿司を食べ終えて、すぐに向かった水族館。中は薄暗く、混雑していた。
それでも冷房が効いて涼しくて、ゆったりとした時間が流れている。青く見える空間は静かで幻想的だった。目の前にはサンゴ礁の海の世界。
小さな子どもが後ろにいて、俺は屈みながらカラフルな魚を見つめる。
「雪斗見て。かわいい」
「うん、すげー貴臣のこと見てる」
浮かれた貴臣をスマホで写真に収めると「これは宇野に送らないでよ」と笑われた。送ってやらないよ、と笑みを返す。
魚の名前と水槽を比較して、どれがどれだと見ていると後ろにいた小さな男の子がいつの間にか横にいて全部を説明してくれた。
「すごいな、全部わかんの?」
「うん、ぜんぶわかるよ。おぼえたの!」
披露された知識は見事で、俺と貴臣は聞き入ってしまった。拍手をすると、はにかんで「またあえたらおしえてあげるね」と言ってくれた。
一緒に来ていた保護者らしき人に会釈をして、先へ進む。
「雪斗ってさ、子どもには慣れてるよね。同級生とかだとあんま話さないのに」
「んー、だって純粋に魚が好きで話しかけてるってわかるじゃん」
同級生に話しかけられるときは、大抵の場合は貴臣という狙いがある。小さな子どもにはそれがない。
「将来は子どもほしいなとか……あるの?」
「え、そういうのは今のところ全然ない。想像もできねぇし。逆に貴臣はあんの?」
「……俺も、全然ないかな」
貴臣の表情が読めず、俺は「クラゲあっちだって」と話題を終わらせた。
夢中で見ていると、時間が経つのもあっという間だった。アザラシや爬虫類を見た後、ペンギンのエリアに進んでいく。
「あ、ペンギンの写真はタツに送るか」
俺は泳ぐペンギンを見上げて、写真を撮る。向こうに見える青空がクリアで、空を泳いでいるみたいだった。動いているのを上手く撮るのは大変で、少しブレたけど許容範囲だろう。
送るとすぐに既読がついて<2人の写真は?>と返ってきたけど、そこは無視しておいた。なくてもいいだろ。
「雪斗、一緒に撮ろ」
「タツから言われたからって、いらねぇだろ」
「いいじゃん」
隣に並んだ貴臣が、俺の肩に手を置いて「撮るからね」とスマホの角度を見る。そんな近づかなくていいだろ、と距離をとっても貴臣が俺の方に顔を寄せた。
画面に映った俺はどんな顔をしていいかわからず、眩しさに目を細める。カシャっというシャッター音を待っていると、別の音が聞こえた。
「動画になってた」と、貴臣が画面を覗き込んで操作する。どこからかはわからないが、今まで動画が撮られていたらしい。撮り始めの音には気づいていなかった。
「焦んなくていいから。ゆっくりでいいよ。後ろのペンギンもいなくなったし」
ペンギンが泳いでくるのを待って、気を取り直して撮る。連続するシャッター音に思わず口元が上がってしまった。何枚撮る気だ。
「タツにどんだけ送るんだよ」
「いいやつ1枚送るよ。雪斗の機嫌直ったよって」
「俺、不機嫌になったつもりねぇけど」
「うん、じゃあご機嫌だよって送る」
ご機嫌になってるつもりもない。満足そうな貴臣を横目に俺はマップで次のエリアを確認する。
アシカショーが間もなくだとアナウンスが聞こえた。
「貴臣、アシカショー見よう。泣くなよ」
「だから、あれは小さい頃でしょ。今もう泣かないよ」
アシカショーの会場は既に人で埋め尽くされていた。子どもたちのはしゃぐ声が長椅子の空いた部分を探して、貴臣と腰を下ろす。
「雪斗もいつか、好きな人ができたらこういう場所に一緒に来たりするんだろうね」
始まりの歓声と拍手でかき消されそうな貴臣の声。アシカでなく貴臣を見てしまうと目が合って、微笑まれた。
「そのときは俺にちゃんと教えてよ」
ぎゅっと心臓がつかまれたように痛い。どうにか振り絞って「できる日が来たらな」と明るい声を出した。俺にそんな日は来るはずもない。
「けど、たまにはこうやって雪斗とも来たい。一緒に来てくれる?」
「当たり前だろ。貴臣こそ、彼女できても俺のことほっとくなよ」
冗談めかして言ってみたけど、重荷にはならないようにありたい。貴臣に彼女ができたら、俺は何かと理由をつけて断るだろう。
貴臣はアシカに目をやって「そう言って雪斗にほっとかれるんだろうなぁ」と呟く。聞こえなかったことにして、周りに合わせて拍手をした。
昔は泣いていた貴臣と、それを見て心配でアシカショーどころではなかった俺を思い出す。隣にいる貴臣はすっかり大人びて、俺から心配されるような人間じゃない。
懐かしい光景を前にしても、昔のような純粋な気持ちには戻れそうもなかった。
:
:
タツにもお土産を買って、帰路につく。お土産を買ったことを伝えると、タツから喜ぶペンギンのスタンプが送られてきた。その後に<仲直りできてよかったな>とあって、俺は<ケンカしてない>と返しておいた。
不機嫌になっていたのでも、ケンカしたつもりもない。ただ、一方的な八つ当たりだった。
貴臣の家を通り過ぎて、俺の家の前で足を止める。何も言われなくても、貴臣もここまでついてきたということは、うちに泊まるんだろう。
「ゲームの続きでもする?」と、家の鍵を開けながら貴臣に訊ねる。
「うん、この前いいとこだったもんね。そうしよう」
結局いつもの流れになって、夜になっても貴臣が隣にいる。
1日遊んで疲れたのかな。俺のことで悩ませたせいもあるのかもしれない。
風呂上がりの貴臣はゲームのコントローラーを握りしめて、目を擦る。こくこく舟を漕ぎ始めたかと思えば、まぶたが閉じていく。
「貴臣、もう寝れば?」
「あともう少しだからクリアしよう」
言いつつ、もうほとんど夢の中だろう。無理しないで寝たらいいのに。
何も話さなくても落ち着く、普段通りの空間。胸の奥底がくすぐったいような感覚になって、心地よさで満たされる。
貴臣が俺の肩に侵食してくるのを見て、思わず笑ってしまった。
また色んなことを考えてぐるぐるするくらいなら、ずっとこの時間が続いていてほしい。
今、浮かぶ感情はひとつしかなかった。
――貴臣のことが、好きだ。
今日が休みでよかった。学校だったら、確実に気まずかっただろう。同じクラスだと絶対に貴臣と顔を合わせる必要があるから困る。家にいたとしても窓を開ければ貴臣の部屋が見える。出かけられたほうが気が楽だった。
「おー、こっちこっち!」
どこか浮かない気持ちで待ち合わせ場所へ行くと、にこやかなタツと遠慮がちな貴臣が立っていた。人が行き交う中でも目立つ。
その瞬間、待ち合わせが駅から離れた場所だった意味を理解した。すぐ引き返されないようにタツの計算だろう。
やられた。まさか貴臣が来てるとは。
俺は真っ先にタツの元へ向かって腕を引っ張る。貴臣から距離を取って、ちらっと貴臣を見ると目が合ってしまった。焦って目をそらす。
タツを引き寄せ「何なんだよ、これ」と小声で問い詰めた。
「せっかくの休日に遊ぶかなーって誘っただけじゃん」
「いや、けど……何で貴臣もいるんだよ」
「だって、おれはお前から何も言われてねーし。お前らに昨日何かあったとして、それっておれに何か問題ある?」
開き直られては言い返す余地はない。タツのことだから、わかってて言ってるんだろう。何してくれてんだよ、と視線を注いだところでタツは一切取り合ってくれなかった。
「芹澤が暇だって言うから。雪斗から捨てられてかわいそうだったし、俺が拾っといてやったんだよ」
感謝しろよ、とタツに肩を叩かれる。ちょっと待て。俺は別に捨ててない。
「ほら、行くぞ。水族館でペンギン見よ。あ、その前に寿司な」
「え、寿司? 今から?」
「お前、朝メシ食べれなかったって言ってただろ。ちょうどいいじゃん」
ぐいぐい背中を押されて、有無を言わさずエスカレーターに乗せられた。ゆっくりと上がって、振り向けば貴臣も当然ついてきている。目が合わないうちに前を向いた。
タツは何を企んでこんなことすんだよ。貴臣に頼まれたとは考えにくい。タツに直接頼む貴臣が想像できなかった。タツが俺らを仲直りさせようとしてくれてんのかな。
「世話の焼けるやつだなー。大人しく楽しめばいいのに。友達3人で出かけるくらい良くね?」
「それは……そうかもだけど、何で寿司と水族館?」
「は? おれが寿司食ってペンギン見たかったからに決まってんだろ。なー、芹澤?」
貴臣の表情が気になって少しだけ首を捻ると、困ったように眉を下げて微笑みながら「そうだね」とうなずいていた。
「貴臣を困らすなよ」
「お前に言われたくねーわ。間に挟まれておれだって困ってる」
そんなのは、タツが貴臣も誘うからだ。俺のせいじゃねぇ。
回転寿司屋に入って、予約をしてくれたというタツに任せて2人で待っている。隣の貴臣を意識しないようタツの動きをずっと追いかけていると、タツは顔をしかめて戻ってきた。
「失敗した。うっかり予約2人にしてたわ。お前ら行ってきていーよ。おれはちょっとこれから駅まで行ってくる」
「は? 何で駅?」
俺の問いには答えず、タツはスマホをタップする。
「後輩が来るっつーか、ヘルプで俺が呼んだ。お前らは、2人でしっかり話せよ」
タツから案内票を差し出されて、俺は一瞬ためらった。ここで俺が断ったところでどうしようもないか。
タツは動くの遅い俺の手の中に滑り込ませてきて、受け取るしかなかった。
「ペンギン見たいのタツなのに、行く気ねぇのかよ」
「ちょうど後輩も喜びそうだから、そいつと見てくるよ」
貴臣は何て誘われて来たのか知らないけど、少なくとも俺は貴臣といるために今日来たわけじゃない。このままじゃ、気晴らしになりそうもない。
寿司は仕方ないにしても、水族館まで一緒に行きたくはなかった。
貴臣は彼女と行けばいいだろ。俺と行ってどうすんだ。
「おれはもう行くから。水族館で良さげな写真、撮れたら送って」
じゃーな、とタツは手を振ってあっさり行ってしまった。
「何なんだよ……」
振り返りもしないタツの背中を見送ってから、俺は案内票に目を落とす。狙ったのか、本当に間違えたのかはわからなかった。もしかすると予約した時点では俺だけを連れてきてくれるつもりでいたのかもしれない。どちらにせよ、タツがいなくなって、間にいてくれる存在を失ってしまった。
隣の貴臣に目をやると、貴臣も苦笑いを浮かべている。どうすんの、これ。
何とも言えない空気の中、自分たちの予約番号が呼ばれてしまった。
「とりあえずご飯食べようよ。雪斗、お腹すいてるんでしょ?」
貴臣の提案にため息を堪えてうなずく。せっかく電車に乗って来たし、確かに空腹だ。予約までしてもらってるのに帰るのは申し訳ない。
頭の中に言い訳を並べながら、店の奥へ進んだ。席に着くと、貴臣が手を拭いてタッチパネルに触れる。
「雪斗は何する? 俺は、これにしようかな」
貴臣が選ぼうとしているのは6貫セット。表示されたメニューを見て、俺は「バラで頼めよ」と言った。
「お前、それだとイカとエビ食えねぇじゃん」
「うん。雪斗が食べるでしょ?」
当然のことのようにさらりと返してくる貴臣。すぐに言葉が出てこなかった。
「え、俺が食べる前提?」
「あ……ごめん。よくそうしてたし、雪斗は嫌いなものじゃないし、いっかなって」
いつもと違う空気感でいつも通りのことをしようとする貴臣がおかしくて、吹き出してしまった。
「いいよ。貴臣が好きなように頼めば。苦手なもんは、俺が食べるよ」
調子狂うな。思えば、俺は貴臣のこととなると調子が狂わされてばっかりだ。こっちは気まずくてどうしようか、それだけで頭がいっぱいだというのに。
貴臣は安堵した表情で「じゃあこれにする」と、6貫セットを頼んだ。俺も適当に好きなものを選んで注文する。
普段なら落ち着く沈黙の時間が、今日は妙な緊張感をはらんでいる。お茶を用意しても時間が余ってしまい、回転レーンに流れる皿をぼんやり見つめて寿司が届くまでの時間をやり過ごすことにした。
「せっかくだから、水族館も行ってみる?」
貴臣も静けさに耐えかねたのか、口を開いた。この状況で俺が行きたがると思ってんのかな。
「行かねぇよ……彼女と行けよ」
俺がぼそっと返すと、貴臣は目を瞠った。
「存在しない人と行けって言われても困るよ」
「今は違っても、将来的にだよ。俺じゃなくて、女の子誘えばいいだろ」
女の子と歩いていたのを見たことは言わなかった。あの子はまだ彼女ではないらしい。ほんの少しほっとしている自分に苛立つ。ほっとするところじゃない。
ソファーの背もたれに寄りかかって、下唇を噛んだ。
「誘うような子がいないよ。俺は雪斗と行けるなら、そっちのがいいけど。雪斗は俺とだと嫌なの?」
貴臣がそっと目を伏せる。
「その訊き方はずるいだろ……彼女ができたら、そっち優先に決まってんだろってこと」
俺にわざわざ訊いてどうすんだよ。俺がそう言うと、貴臣は怪訝そうな顔をした。
「さっきから、その彼女ができたらって何なの? 雪斗は俺に彼女ができると思ってんの?」
「思ってるっつーか、できるだろ」
貴臣の視線から逃れたと同時に、寿司の到着を知らせる音楽が鳴った。
「ほら、貴臣の」
話題を切って、貴臣の前に皿を置いた。貴臣は「ありがとう」と言いながら、俺が頼んでいた寿司の皿にイカとエビを乗せる。
自分で頼んだものよりも先に貴臣の頼んだエビを口に運んだ。
「雪斗が何を勘違いしてるか知らないけど、俺に彼女ができる予定ないよ。好きな人いると、俺わかりやすいと思うし」
何で急に、と腕を組んで唸る貴臣。その好きな人といるときの顔を俺は知らない。引っかかっても訊き返す勇気はなかった。
程なくして、閃いたように貴臣が「もしかして」と呟く。
「昨日、俺が女子といるの見た? 確か、たこ焼き屋の近くも通った気がする」
ギクッと肩が強張っても、俺は答えなかった。それなのに、なるほど、と納得した様子でうなずく貴臣。
「雪斗さ、ナギくんて覚えてる? 中学のときの同級生」
「うん。学級委員だったよな」
何で今その話題になるんだろう。昨日、貴臣の隣にいたのは確かに俺の知らない人だった。
「ナギくんと連絡取りたいって子がいて、繋いでたんだよね。色々あって、昨日は2人が再会する場に俺も一緒に行ってた。雪斗にも言おうかと思ったけど、そんな人数増やして会うものでもなかったから」
「……それは、つまり?」
「昨日一緒にいた子とは、何にもないってこと」
昨日見かけたことは言うつもりもなかったはずが、貴臣にはバレバレだった。最悪だ。
「でも、貴臣楽しそうだった……だろ」
女の子と一緒にいるなんてめったにないことで、さらに楽しそうだったから勘違いしてしまった。
「楽しそうも何も、さすがに友達の知り合いに嫌な態度取らないでしょ。ナギくんの昔話で盛り上がるくらいのことはあったよ」
「あー、そういう……」
箸を置いてうつむく。女の子側がはしゃいで見えたのは貴臣に対するものではなく、これから会う人に対しての感情だったのか。
それを俺が勝手に見かけて、ショックを受けて勘違いした挙句、話してくれない疎外感から貴臣に当たってしまった。
「誤解されて、逆ギレまでされたのはさすがに傷つくなぁ」
「……いや、けど貴臣には俺だけじゃないのはほんとだろ」
弱々しい声が出た。素直に謝るべきところだとわかってはいるけど、まだ少しだけ腑に落ちてない部分で反論をする。
「他の人は関係ない。俺にとって雪斗が一番でそこは絶対揺らがないんだから、雪斗だけで合ってるよ」
さらっと言ってのけたかと思えば、おどけて「一番とか引いた?」と訊ねてくるから、俺は苦笑する。
「引くことはねぇけど、おま……よく恥ずかしげもなく言えるな」
「だってほんとのことだよ」
顔が熱くなっている気がして、ごまかすようにイカを口に放り込む。軽快なメロディが聞こえてきて、俺が頼んだものが届いていた。
貴臣が寿司を取ってくれて、俺の前に置いてくれる。俺は貴臣に「ごめん」と頭を下げた。
「いいよ。前まで俺が何してようと気にしてなさそうだったのに、最近はよく見ててくれるんだね」
顔を上げられない俺を覗き込んで、貴臣はいたずらっぽく笑う。何だってこいつはこういうことを何てことないみたいに言えるんだ。
「そんなことはねぇよ」
「うん。だよね」
言いつつ、貴臣が嬉しそうにマグロをつまんだ。俺に合わせて同調しただけなのが丸わかりだった。
「ほんとにそんなことはねぇから」
「わかってるよ。水族館は一緒に行っとく?」
「わかってねぇじゃん」
空気が和んできたのをいいことに貴臣がとぼけて押し通そうとしてくる。
電車を乗り継いで来て、近所にもある回転寿司食べて終わりっていうのも、もったいないかな。貴臣に彼女もそういった類の相手もいないとわかった今、断る理由もない。頑なに断って、その理由を訊かれても俺には答えが浮かびそうにない。
期待に満ちた瞳で見つめてくる貴臣。小さい頃は貴臣の家族とうちの家族でよく行っていた。久しぶりに行ってみるのも悪くはない。
さっきのタツの言葉を思い返す。別に友達と出かけるくらい、いいかな。「行くか」と、俺は折れてしまった。
「やった。かなり久しぶりに行くよね」
「貴臣、昔はアシカショーで怖がって泣いてたな」
あの頃はこんなよくわからない感情を抱えることもなく、ただ大事な幼なじみだったのに。いつの間にか形を変えてしまった。
「いつの話してんの。もう今は大丈夫だよ」
お茶を啜った貴臣がはにかんで、俺は胸のざわつきに気づかないふりをした。その先なんかいらない。
寿司を食べ終えて、すぐに向かった水族館。中は薄暗く、混雑していた。
それでも冷房が効いて涼しくて、ゆったりとした時間が流れている。青く見える空間は静かで幻想的だった。目の前にはサンゴ礁の海の世界。
小さな子どもが後ろにいて、俺は屈みながらカラフルな魚を見つめる。
「雪斗見て。かわいい」
「うん、すげー貴臣のこと見てる」
浮かれた貴臣をスマホで写真に収めると「これは宇野に送らないでよ」と笑われた。送ってやらないよ、と笑みを返す。
魚の名前と水槽を比較して、どれがどれだと見ていると後ろにいた小さな男の子がいつの間にか横にいて全部を説明してくれた。
「すごいな、全部わかんの?」
「うん、ぜんぶわかるよ。おぼえたの!」
披露された知識は見事で、俺と貴臣は聞き入ってしまった。拍手をすると、はにかんで「またあえたらおしえてあげるね」と言ってくれた。
一緒に来ていた保護者らしき人に会釈をして、先へ進む。
「雪斗ってさ、子どもには慣れてるよね。同級生とかだとあんま話さないのに」
「んー、だって純粋に魚が好きで話しかけてるってわかるじゃん」
同級生に話しかけられるときは、大抵の場合は貴臣という狙いがある。小さな子どもにはそれがない。
「将来は子どもほしいなとか……あるの?」
「え、そういうのは今のところ全然ない。想像もできねぇし。逆に貴臣はあんの?」
「……俺も、全然ないかな」
貴臣の表情が読めず、俺は「クラゲあっちだって」と話題を終わらせた。
夢中で見ていると、時間が経つのもあっという間だった。アザラシや爬虫類を見た後、ペンギンのエリアに進んでいく。
「あ、ペンギンの写真はタツに送るか」
俺は泳ぐペンギンを見上げて、写真を撮る。向こうに見える青空がクリアで、空を泳いでいるみたいだった。動いているのを上手く撮るのは大変で、少しブレたけど許容範囲だろう。
送るとすぐに既読がついて<2人の写真は?>と返ってきたけど、そこは無視しておいた。なくてもいいだろ。
「雪斗、一緒に撮ろ」
「タツから言われたからって、いらねぇだろ」
「いいじゃん」
隣に並んだ貴臣が、俺の肩に手を置いて「撮るからね」とスマホの角度を見る。そんな近づかなくていいだろ、と距離をとっても貴臣が俺の方に顔を寄せた。
画面に映った俺はどんな顔をしていいかわからず、眩しさに目を細める。カシャっというシャッター音を待っていると、別の音が聞こえた。
「動画になってた」と、貴臣が画面を覗き込んで操作する。どこからかはわからないが、今まで動画が撮られていたらしい。撮り始めの音には気づいていなかった。
「焦んなくていいから。ゆっくりでいいよ。後ろのペンギンもいなくなったし」
ペンギンが泳いでくるのを待って、気を取り直して撮る。連続するシャッター音に思わず口元が上がってしまった。何枚撮る気だ。
「タツにどんだけ送るんだよ」
「いいやつ1枚送るよ。雪斗の機嫌直ったよって」
「俺、不機嫌になったつもりねぇけど」
「うん、じゃあご機嫌だよって送る」
ご機嫌になってるつもりもない。満足そうな貴臣を横目に俺はマップで次のエリアを確認する。
アシカショーが間もなくだとアナウンスが聞こえた。
「貴臣、アシカショー見よう。泣くなよ」
「だから、あれは小さい頃でしょ。今もう泣かないよ」
アシカショーの会場は既に人で埋め尽くされていた。子どもたちのはしゃぐ声が長椅子の空いた部分を探して、貴臣と腰を下ろす。
「雪斗もいつか、好きな人ができたらこういう場所に一緒に来たりするんだろうね」
始まりの歓声と拍手でかき消されそうな貴臣の声。アシカでなく貴臣を見てしまうと目が合って、微笑まれた。
「そのときは俺にちゃんと教えてよ」
ぎゅっと心臓がつかまれたように痛い。どうにか振り絞って「できる日が来たらな」と明るい声を出した。俺にそんな日は来るはずもない。
「けど、たまにはこうやって雪斗とも来たい。一緒に来てくれる?」
「当たり前だろ。貴臣こそ、彼女できても俺のことほっとくなよ」
冗談めかして言ってみたけど、重荷にはならないようにありたい。貴臣に彼女ができたら、俺は何かと理由をつけて断るだろう。
貴臣はアシカに目をやって「そう言って雪斗にほっとかれるんだろうなぁ」と呟く。聞こえなかったことにして、周りに合わせて拍手をした。
昔は泣いていた貴臣と、それを見て心配でアシカショーどころではなかった俺を思い出す。隣にいる貴臣はすっかり大人びて、俺から心配されるような人間じゃない。
懐かしい光景を前にしても、昔のような純粋な気持ちには戻れそうもなかった。
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タツにもお土産を買って、帰路につく。お土産を買ったことを伝えると、タツから喜ぶペンギンのスタンプが送られてきた。その後に<仲直りできてよかったな>とあって、俺は<ケンカしてない>と返しておいた。
不機嫌になっていたのでも、ケンカしたつもりもない。ただ、一方的な八つ当たりだった。
貴臣の家を通り過ぎて、俺の家の前で足を止める。何も言われなくても、貴臣もここまでついてきたということは、うちに泊まるんだろう。
「ゲームの続きでもする?」と、家の鍵を開けながら貴臣に訊ねる。
「うん、この前いいとこだったもんね。そうしよう」
結局いつもの流れになって、夜になっても貴臣が隣にいる。
1日遊んで疲れたのかな。俺のことで悩ませたせいもあるのかもしれない。
風呂上がりの貴臣はゲームのコントローラーを握りしめて、目を擦る。こくこく舟を漕ぎ始めたかと思えば、まぶたが閉じていく。
「貴臣、もう寝れば?」
「あともう少しだからクリアしよう」
言いつつ、もうほとんど夢の中だろう。無理しないで寝たらいいのに。
何も話さなくても落ち着く、普段通りの空間。胸の奥底がくすぐったいような感覚になって、心地よさで満たされる。
貴臣が俺の肩に侵食してくるのを見て、思わず笑ってしまった。
また色んなことを考えてぐるぐるするくらいなら、ずっとこの時間が続いていてほしい。
今、浮かぶ感情はひとつしかなかった。
――貴臣のことが、好きだ。