暇だと言うタツを自分から誘って、たこ焼きのおごり付きで相談に乗ってもらうことにした。

「俺が1人でも大丈夫だって貴臣に思わせるには、何がいいと思う?」

 たこ焼き屋の近くにある公園のベンチに腰を下ろして、打ち明ける。

 夕暮れ時の公園は、俺達以外には人がいなかった。夜が近づいても、もうそんなに寒くない。俺はパーカーの裾を少し捲って、たこ焼きのパックを開けた。ふわりとソースの甘辛い香りとかつお節の香りが鼻をくすぐる。

 うまそうな香りに反応するかのように、空腹で腹が音を上げた。クスクス笑いながら、タツが口を開く。

「芹澤に思わせるのって大変そうだよな」
「俺なりに、がんばってみてはいるんだけど」

 俺から甘えている以外にも貴臣が先回りしてやってくれてしまうことも多くある。自分でやることも増えてきたものの、いまだ貴臣がそうなのは、俺が危なっかしく見えているんじゃないかと考えついた。

 湯気の立つたこ焼きを一口で頬張ったタツは「ふぁいいち」と、熱さで声を詰まらせて目を細める。

 俺はタツの横にあった紙コップのウーロン茶を差し出した。落ち着いてため息をついたタツが顔を上げる。

「何でそこで頼るのがおれなんだよ。1人で頑張ろうって気持ちはねーの?」

 あっつ、と呟きながらタツは口元を押さえる。軽い感じで言われているのに、いきなり正論で刺された。

「そうなんだけど。自分のこと客観的に見てるつもりで間違ってそうで……その点、タツは俺のこと客観的に見れるだろ?」
「芹澤は? 厳しい目で見てくれんじゃね?」

 1人でがんばろうとしてるなんて言ったら、あいつは絶対にそのままでいいと言うに決まっている。

「貴臣はダメだろ。てか、タツもわかってて言ってるだろ」

 まあな、とタツがうなずく。

「一応言ってみた。別におれだって今のままでもいいと思うけど」
「このままだと、俺があいつの自由を奪ってる気がする」
「むしろ奪われてんのは雪斗じゃね? 芹澤に振り回されてんじゃん」

 その考えはなかった。俺はたこ焼きを箸で割って、口元に運ぶ。たこ焼きを味わいながら背もたれに寄りかかって、タツの方を向く。

「振り回されてはねぇし、そもそもが一緒にいたいのは俺の意思だから自由を奪われた感覚はない」
「なら、解決だろ。芹澤だって、同じこと考えてんじゃね。あいつは雪斗に変わってくれとか望んでねーって」
「けど、もし……貴臣に彼女とかできたら俺が邪魔になるだろ。貴臣の邪魔はしたくないんだよ」

 貴臣は相変わらず俺にはそのあたりの話を全然してくれない。幼なじみだからって言いたくないことくらいはあるだろうけど、そろそろ話してくれるんじゃないかって期待していた。

 何も知らないままいるのは寂しい。

 俺だって応援することはできるのに。むしろ、そのくらいしかできない。

「へー。芹澤に彼女とかできんの?」
「うん、そのうちできるっぽい。それか、もう付き合ってるか」
「は? 本気で?」

 箸を動かしていたタツの動きが止まる。

 タツも知らなかったのかな。そうだったら、俺もほんの少し救われた気持ちになる。

「本気も何も、この前貴臣の友達からそんな感じの話を聞いたんだよ」

 その後は特に話すこともなかったため、続報は得られていないけど。女の子とのやり取りが続いていることは、何となく俺もわかっている。

 俺といるときでも、たぶん、今女の子とやりとりしているんだろうなってときがある。俺の勘。

「お前に話してないなら、それは他のやつの勘違いじゃね?」
「話せないだけじゃなくて? 俺には言いにくいってこともあるじゃん」
「さすがにそんなことはねーだろ」

 そう言って、目を見開いたタツが俺を見つめてきた。何だよ、俺まだ何も言ってねぇだろ。

 自分の持っているウーロン茶がタツのものと間違えたかと思って念のため確認するも、やっぱり自分のものだった。

「タツのウーロン茶こっちじゃん」と指差すと、タツは「わかってるよ」と自分のウーロン茶を手に持った。氷のぶつかる音が響く。

「芹澤が女子といても、付き合ってるとか……そういうんじゃねーだろ。たぶん」
「いや、それは知らねぇけど。え、今と女の子と一緒にいんの?」

 何で知ってるんだ、と訊ねようとして、タツの視線が一瞬だけ俺の向こうにあったことに気づいた。タツの見ていた先を辿ろうとすると、タツが焦ったように「違うんだって」と声を上げた。逆にそれが、そうだと言っている。

「違わねぇじゃん」

 ここから少し距離があっても誰だかわかる。貴臣と制服姿の女の子が並んで横断歩道を渡っているところだった。

 上目遣いで貴臣を見る顔は好意を表していると考えていいだろう。明るい笑い声がここまで届いていた。貴臣も楽しそうに微笑んでいる。

「……何だ、別に俺が邪魔してるってわけでもねぇのか」

 自嘲の笑みが溢れる。そっかそっか、ならよかった。うなずきつつ、たこ焼きをパクっと放り込む。外側が冷めただけで中はまだ熱いままで、舌先がビリビリと痛んだ。

 貴臣は俺が今のままでいようと、気にすることもない。意識しているのは俺だけで、気にしているのも俺だけなんだ。

 俺と貴臣は幼なじみでしかない。その事実を実感して、胸のあたりがずしりと重かった。当たり前のことだ。ショックを受けるようなことじゃない。ただこれは、話してもらえてないことが残念なだけだ。

「いや待て。落ち着け、雪斗。彼女かどうかはまだわかんねーだろ」
「貴臣楽しそうだし、彼女の可能性高いだろ」

 興味がない女の子から好意を持って話しかけられたときの貴臣の冷たさを俺は知っている。まるで相手にしない。あれはどう見たって、それとは違う。

 まだ彼女でないにしても、今まさに貴臣からがんばっている最中なのかもしれない。
 
「あのな、お前が芹澤のこと一番わかってんだろーが。好きな人見てる顔かどうか、わかんだろ」

 タツに肩をバシバシ叩かれた。さらにと2人を見ろとばかりに指を差す。あんまり騒ぐと気づかれるだろ。俺は口元に指を当てて「静かにして」と言った。

 それでもタツが見ろと繰り返すので、仕方なく目を向ける。横断歩道を渡りきった貴臣の横顔を凝視した。

「そんな顔……見たことねぇんだからわかるかよ。楽しそうなのは合ってんだろ」
「楽しそうっつーか、普通に話してるだけじゃね。あれ、雪斗は知らん人?」
「うん。俺は知らない」

 楽しそうにはしゃいでいるのは女の子だけに見えなくもないけど、俺がそう思いたいだけかもしれない。貴臣から積極的に話しているようにも見える。

 こちらに気づく様子もない貴臣の背中を見ていると「行かねーの?」と、タツに訊ねられた。

「何で?」

 俺が行ったら、それこそ邪魔になるだろ。俺はたこ焼きを無理やり口に運ぶ。

 あんなに空腹だったのに、今はもう胸が詰まって入らない。舌先の違和感は残ったままだった。

「行きたそうにしてるから」
「そんなわけねぇだろ。行ってどうすんだよ」
「意外と偶然会っただけかもしれねーだろ。訊いてみれば早いじゃん」

 一瞬迷ったものの、動かなかった。声をかけるとしても、うまくできる自信がない。

「いい。貴臣が言いたくなかったことでもあるから、見なかったことにする」

 俺に知られたくなかったってことは、何かあるんだろう。気になるけど、俺からは言わずにいようと決めた。

「へー……そう。んじゃあ、おれらも恋バナしとく? お前は好きな人とかいんの?」
「何だよ、俺らもって」

 いつの間にか完食していたタツがビニール袋にごみをまとめがてら言った。俺は食べ切れなかった分を残して、持ち帰ることにした。

 俺に恋愛で話すことがあると思ってんのか、こいつ。

「んー、ほら恋のお悩み相談室的な。恋愛相談乗ってやろーか」

 隣から肘で小突かれた。にやにやするタツは俺の考えていることもわかっていそうで怖い。それでも直接的なことは言わないでいてくれてるなら、感謝すべきか。

「好きとか嫌いとか、俺にはわかんねぇよ」
「ふーん、じゃあ気になる人はいる?」
「えー、言うの? それ」
「いるかいないか、だけでもいいよ」

 タツにだったら、そのくらいは言ってもいいかな。茶化すこともしないだろう。それ以上も以下もない。気になるで留めておきたい人。

「まあ……いるよ」
「誰?」

 結局そこも訊いてくるのかよ。笑って、笑える自分にホッとした。俺は大丈夫だ。嫉妬なんてものはいらないし、これはなかったことにできる。

「文化祭で声かけられた子とか?」
「あれ、そんなんあったっけ」

 貴臣にだったら記憶があるけど、自分にはない。誰かいたっけ。

「あっただろ。あーあ、かわいそうに。お前から丁寧に案内されて喜んでんの見たけど」
「あー、あれは俺に興味があったわけじゃねぇから。あんときは、貴臣が隣りに来たから。目当てはそっちだし、それ見越して貴臣が断ってくれた」

 貴臣が難易度高そうだったから、貴臣と仲が良さそうな俺ならいけるんじゃないかと思われただけだ。自分にだという認識がなかった。

 タツが口元押さえながら「うわーやな感じー」と笑った。何でだよ。

「お前はいいやつだし、おれはお前が好きだよ」
「え、何急に」

 タツの目を見て、冗談で言ってるわけでも突然の告白での発言でもないとわかった。

 真面目に言われると照れくさいけど、ここは俺も同じ言葉を返しておく。ほんとのことだし。
 
「俺もタツのこといいやつだと思ってるし、好きだよ」
「ばーか、返さなくていいんだよ。自分に自信がなさすぎるのも良くねーなって話だから! 友達から見ていいやつなんだから、自信持てよ」
「えー、嬉しいけどよくわかんねぇ」

 どういう流れ? 俺が首を傾げると、タツは「芹澤に怒られても今のは動画を撮るべきだった」と額に手を当てた。

「しゃーない。おれはお前からの好きをもらったってことで、芹澤に報告しとくか」
「いや、何でだよ。貴臣もいい迷惑だろ」

 そういう絡み方をするから、タツは貴臣に怒られるんだろ。いっこうに懲りないやつだ。

「じゃあ、何も言わずにおれからのお土産ってことでたこ焼きやるか。あーあ、ここに芹澤がいればなー」

 悔しがっただろうな。スマホをタップしてから、タツが勢いをつけて腰を上げた。

「んで、雪斗の気になるやつって誰?」
「もういいだろ、俺のは。気になるだけだし。どうせ、それで終わりだよ」

 貴臣が歩いてった先を見て苦笑する。今回は違ったとしても、いつかきっと彼女と歩く貴臣を見ることになる。

「俺より、タツの話は?」
「おれは今、ひとりですげー楽しんでるから十分。雪斗の応援に徹するわ」
「何だそれ。応援するだけ損だよ」
 
 いずれ訪れる日の心の準備が、俺には当分できる気がしなかった。


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 本屋に寄るタツに手を振って、駅へ向かう。途中で見慣れた姿が目に入って、足を止めた。

 さては、やったなタツ。偶然こんなところで貴臣が待っているわけない。

「宇野が雪斗が俺にたこ焼き買ってたって連絡来た」

 スマホ片手に貴臣がこちらに駆け寄ってきた。確かに俺の手元には貴臣に渡すためのたこ焼きがあるけど、タツが買ってくれたものだ。俺じゃない。

「あいつ何考えてんだ」

 ぽつりと独りごちる。まさか、さっきまで女の子といた貴臣を呼び出すとは思ってもみなかった。

「これ、貴臣にって俺じゃなくてタツが買ってた。さすがにたこ焼きあるからってだけで来たわけじゃねぇだろ?」

 提げていたビニール袋を渡すと、貴臣は不思議そうに首を傾げて「これのためだよ」と答えた。そんなわけねぇだろうが。

 たこ焼きのためにわざわざ俺を待ってたなんて、そんなアホみたいなことがあるか。女の子が帰るのが早くて暇になったのならうなずける。

 楽しそうだったけど、帰られたのか。貴臣でも手強い相手がいるのかな。

「俺も今日誘ってほしかった」
「貴臣は予定あっただろ」
「でも、雪斗と行きたかったのに」

 ムスッとした顔をする貴臣に俺は思わず笑ってしまった。

「いつでも行けるだろ。そんな食べたかった? 今食べるか?」

 貴臣は首を横に振る。

「たこ焼きは何でもいいけど、雪斗がすぐ宇野とどっか出かけちゃうから」
「お前なんか俺以外の色んな人とでも出かけるだろうが。俺はお前以外に宇野くらいしか友達がいないんだよ」

 そもそも今日はタツと貴臣のことで話すことが目的だった。あの場にいられたら困る。

「俺だって、雪斗しかいないよ」

 駅を目指して歩いていた足を止めて、俺は振り返る。笑おうとした唇が震えた。

「いるだろ。お前のこと好きなやつはたくさんいるんだよ」

 貴臣だってそのくらいのことはわかってるだろうに。見え透いた嘘を言う貴臣のくせして、まっすぐ俺を見るから余計に頭に血が上ってしまった。今そんなものはいらない。

「考えてから言えよ、ふざけんなバカ」

 声は張り上げなかったものの、完全な八つ当たりの言葉。口に出してから、眉を下げて謝ってくる貴臣を見ても、どうしてか自分から謝罪の言葉がすぐに出てこなかった。

 いきなりキレだす俺が悪い。そんなこと、わかってるけど。

「ほんとに、雪斗だけだよ」と、静かで落ち着いた貴臣の声が心をざらつかせる。

「そんなわけねぇだろ。頼むから、そういうこと言うなよ。俺以外にたくさんいるくせに、俺しかいないみたいなの……ほんとにうんざりする」

 違う、言いたいのはこんなことじゃない。だけど、止められなかった。そのくせ、傷つく貴臣を見て俺のほうが傷ついていると思ってしまう。

 俺しかいないと言いながら、俺には何も言ってくれなかった。俺以外には話してる時点で、俺だけなんて嘘だ。

 貴臣がそばにいる今がしんどくて、この場から逃げたかった。言い逃げすることもできなくて、貴臣の前まで戻る。

「ごめん。そうじゃなくて……貴臣は、俺のこと考えなくていいから。ちゃんと、自分のやりたいようにやって」
「俺はやりたくないことをやったことは一度もないよ」
「そう、だよな。そうなんだろうけど……そうじゃなくて。いいよ、俺は1人でも大丈夫だから」

 口の端を上げて笑顔を作る。どうかうまく笑えていてほしい。

「雪斗は俺がいらないってこと?」
「お前だってそうだろ。今日は、頭冷やしたいから1人で帰る」

 答えることもなく立ち尽くす貴臣を置いて、くるりと背を向ける。駅まで全速力で走った。結局いい逃げみたいになってしまった。

 最低なことをした。貴臣のことを傷つけようと思って、傷つけた。でもきっと、このほうがいい。俺から離れて、貴臣はもっと自由にいるべきだ。

 俺の知らないところで彼女と幸せになってくれれば、俺も傷が浅くて済む。

 せめてもっとかっこよく、できたらよかったな。俺は相変わらず、ダメなままだ。

 駅の明るさが目に染みる。改札を抜けて、息を整えた。振り向いたら戻ってしまいそうな気がして、そのまま歩き続ける。

 さっきの悲しそうに目を伏せた貴臣の顔が浮かんでしまって、胸が締めつけられる。たどり着いてしまいそうなこの気持ちも、なかったことにできたらいい。

 階段を上がる足取りは重く、一歩進むごとにどこかへ沈んでいきそうな気がした。

 ホームに出ると、電車の音が遠くに響いていた。あと少し来ないらしい。ベンチに腰を下ろすと、隣にタツがいた。

「あれ、雪斗? 芹澤と会えなかった?」

 本屋の袋を提げたタツが小さく手を振りながら声をかけてくる。さっきの笑顔と同じはずなのに、救われた。

「タツ……俺はもうダメかも」
「ちょっ、どした!?」

 ぎょっとして背中を擦るタツの手が優しくて、涙を堪えるだけで精一杯だった。