ぽんぽんと肩を叩かれて振り向くと、クラスメイトが「タツがちょっと呼ばれたから行ってくるって言ってた」と声をかけてきた。俺はうなずいて、お礼を伝える。別にスマホがあるんだから連絡してくれたらいいのに。
急に誰かに捕まったのかな。
「あ、雪斗。今日廊下寒いね」
教室を出るなり、タイミング良く両手を擦る貴臣に出くわした。俺はポケットに入れておいたカイロを「貸してやるよ」と渡す。
「その代わり、学食のデザートおごって」
「いいよ。じゃあカイロちょうだい」
「確かに。あげるわ」
セーター裾を伸ばしながらスマホを確認すると、タツから嘆いているペンギンと助けてと叫ぶペンギンのスタンプが送られてきていた。
何だよ、結局こっちでも送ってくんのか。しかも出たよ、タツのペンギンシリーズ。新しいスタンプが出る度に買っていて、どうやら新作みたいだった。
タツを助けてあげたい気持ちはあっても、俺が見ず知らずの先輩といるタツを迎えには行けない。
「タツの分も先に席取っといてやろう」
「おー、宇野からなんか来てる? あ、ほんとだ。先輩に捕まったって泣いてる」
「部活で何かあったのかな」
グループに送られてきている内容を見た貴臣がクスクス笑う。予定を合わせて3人で学食に行ってから、週に一度くらいは3人で学食に行くようになった。
最初は貴臣とタツが仲良くなれるかハラハラすることもあったけど、いつの間にか仲良くなっていた。もともと社交性のある2人だから、慣れるまでも早かった。2人で遊ぶことはなくても、たまにゲームをしたりやりとりはあるらしい。
貴臣曰く、タツと貴臣は似ている部分があるんだとか。俺からすれば違いすぎて、どこが似てんのか全然わかんねぇけど。それはタツも同じことを言っていたから、たぶんそうなんだろう。2人だけにわかって俺にわからないのはちょっと癪だ。
口を揃えて「雪斗にはわからないと思う」と見透かされたように言われたのも、何かムカつく。俺だってちゃんと考えてんのに、こいつらには敵わない感じが悔しい。そういうところは似てるような気もするから、そういうことにしておく。
「うわっ、貴臣っ……おまっ、手冷たっ⁉」
突然、首にヒヤリとしたものが触れてぎょっとする。それが貴臣の手だとすぐ気づいたものの、あまりの冷たさに鳥肌が立った。
バカ、俺の首がとれちゃうだろうが。貴臣はきょとんとした顔で「雪斗眠いの?」と訊ねる。
「違う、貴臣が冷たいんだろ。何でそんな冷えてんだよ」
「廊下寒かったからかな」
「これも持っとけ」
もう1つ持っていたカイロも貴臣の手に握らせる。触れた指先がひどく冷たい。ふっと笑った貴臣がふざけて俺の頬に触れてこようとするのを止めた。
細いわりにしっかり骨張った指に意識を持って行かれそうになったのを振り払って、口を開く。
「俺で遊ぶなって。ほら、歩け」
「雪斗がたくましくなったなぁ」
からかい口調の貴臣をスルーして、俺は先を歩いていく。あのきれいな瞳で言われると吸い込まれそうな気分になる。
学食で貴臣と俺が食券と引き換えて席に着いたと同時に疲れた顔のタツがやって来た。
「先輩ってなんでああダル絡みする生き物なんだろ……」
色んな生徒が行き交う学食は騒がしさもけた違いで、タツの消えそうな声をどうにか拾った。魂が抜けているタツ。どんな絡まれ方をしたんだ。
「タツにダル絡みしたくなる気持ちちょっとわかるかも。タツって何でも話しやすいからな。ほら、食券寄越して。俺が代わりに行って来てやるよ」
それか、と俺は自分のカツカレーを持ってるスプーンで指す。今日の気分は何を食べてもいい。
「これ食っとく? タツ食券買えたか?」
「えー、おれはラーメンにした。全然違うし、悪いだろ。自分で行ってくる」
「カレー好きじゃねぇの? 好きならとりあえず食って待ってて。あ、貴臣からもらったデザートはダメだからな」
席を立とうとした俺が動くより先に、貴臣が自分の生姜焼き定食をタツの前へ滑らせた。えっと声を出した俺をよそに、貴臣はタツに微笑みかける。
「これでもいいならあげるよ。代わりに俺がそれもらってくる。値段は違うなら、差額も払うよ」
「……や、たぶん同じくらいだからいい」
ありがとう。大人しく食券を差し出したタツから受け取り、さっと立ち上がる貴臣。
遠くなる貴臣の背中を見つめながら、優しいやつだなと思った。相変わらずだ。俺が譲るんで良かったのに。
「なるほどねー。お前が譲るのが何であれ、おれが受け取るのは許せないってやつ」
「貴臣はそんな心狭いわけねぇだろ」
「そんなん知ってるわ。ラーメン食べたかったんだろ。ありがたくいただきます」
俺の言葉をさらっと流して、手を合わせるタツ。生姜焼きを咀嚼しながら「うまっ」と声を出す。俺は腑に落ちないまま、カツカレーにスプーンを入れた。
「ラーメン、そういや今月から新作って書いてあったか」
「そーそー。おれ、それにしたから。芹澤もちょっと興味あったんじゃね?」
「なるほど」と、俺がうなずいてカレーを口に運ぶと「単純だな」とタツからバカにしたように言われた。悪いかよ。どうせ単純だ。
「ごめん、調理部の人から話しかけられて。ちょっと今日の部活のこと話してくる」
戻った貴臣はラーメンを持ったまま、そう言って席を離れた。向こうにいた調理部の人たちが手を振り、貴臣を輪に招き入れる。その光景を見て、心臓がぎゅっと握られたように痛んだ。
カレーをかき込んでも、温かさが届かない。冷たい風が吹き抜けているような感覚が残る。
「芹澤、頼りにされてんなー。あれは先輩からダル絡みって感じじゃねーよな」
隣でタツも貴臣を見ながら言った。俺はそうだね、と答えて口の端を上げてみたものの、自分がどんな顔になっているかわからない。
「さすが貴臣だ」
「すげー人気。うちは男しかいねーけど、あれは女子からもモテるよな。文化祭のときとか、けっこー声かけられてんの見た」
「……全部ちゃんと断ってたけど」
嫌なこと思い出させてくれるなよ、タツ。口には出せずにスプーンを握る手に力が入る。
普段は関わりのない他校の女の子たちがこぞって貴臣に話しかけていたのを思い出すだけでも胸がざわつく。貴臣は誰のことも相手にしなかったとうんざりした様子で言っていたから、本人としては迷惑だっただろう。
視線の先で、貴臣は誰かと楽しげに笑っている。自分以外と笑う貴臣にも慣れたものだと思っていた。そう簡単に慣れるもんじゃねぇか。
賑やかな笑い声が耳に響くのに、自分だけがどこか遠くにいるような気がした。
調理部だからって、放課後に話せるのに。待っててくれればいいのに。俺は今日、この時間くらいしかない。
何も昼休みくらい、貴臣に休ませてくれたっていいだろ。貴臣から目をそらして、ガツガツとカレーをかき込む。今日ここに来ることが貴臣にとって日常になっていても、俺にとってはとくべつなことで、楽しみだったのに。俺だけだった。
思いの外カレーが辛くて、鼻の奥がツンとした。目を閉じて、波が引くのを待つ。
「……雪斗?」
目を開ければ、俺を心配そうにタツがのぞき込んでいる。貴臣のことで落ち込むのは一緒に来ているタツに失礼だ。タツと来ることだって、俺は楽しみにしている。
「カツカレーはちょっと失敗したかも。胃に来た」
そう言ってごまかそうとすると、タツが「大丈夫か?」と表情を曇らせる。普段の軽い調子とは違う響きが耳に残った。
「おれ、お茶買ってあるけどまだ口つけてねーから飲んどく?」
「ううん、ちょっとがっつきすぎたせいだと思う。ありがとう」
「無理すんなよ」
うなずいて、静かに息をつく。大したこともないのに苛立つ自分のことが、情けなくて仕方がない。タツに迷惑をかけてどうする。
ただの幼なじみなんだから。自分だけを見ていてほしいなんて、わがままはいらない。
貴臣をそっと見ると、目が合った貴臣が何も知らずに微笑んで俺に手を振る。その笑顔が心底憎らしい。そう思ってしまう自分が、いっそう惨めだった。
急に誰かに捕まったのかな。
「あ、雪斗。今日廊下寒いね」
教室を出るなり、タイミング良く両手を擦る貴臣に出くわした。俺はポケットに入れておいたカイロを「貸してやるよ」と渡す。
「その代わり、学食のデザートおごって」
「いいよ。じゃあカイロちょうだい」
「確かに。あげるわ」
セーター裾を伸ばしながらスマホを確認すると、タツから嘆いているペンギンと助けてと叫ぶペンギンのスタンプが送られてきていた。
何だよ、結局こっちでも送ってくんのか。しかも出たよ、タツのペンギンシリーズ。新しいスタンプが出る度に買っていて、どうやら新作みたいだった。
タツを助けてあげたい気持ちはあっても、俺が見ず知らずの先輩といるタツを迎えには行けない。
「タツの分も先に席取っといてやろう」
「おー、宇野からなんか来てる? あ、ほんとだ。先輩に捕まったって泣いてる」
「部活で何かあったのかな」
グループに送られてきている内容を見た貴臣がクスクス笑う。予定を合わせて3人で学食に行ってから、週に一度くらいは3人で学食に行くようになった。
最初は貴臣とタツが仲良くなれるかハラハラすることもあったけど、いつの間にか仲良くなっていた。もともと社交性のある2人だから、慣れるまでも早かった。2人で遊ぶことはなくても、たまにゲームをしたりやりとりはあるらしい。
貴臣曰く、タツと貴臣は似ている部分があるんだとか。俺からすれば違いすぎて、どこが似てんのか全然わかんねぇけど。それはタツも同じことを言っていたから、たぶんそうなんだろう。2人だけにわかって俺にわからないのはちょっと癪だ。
口を揃えて「雪斗にはわからないと思う」と見透かされたように言われたのも、何かムカつく。俺だってちゃんと考えてんのに、こいつらには敵わない感じが悔しい。そういうところは似てるような気もするから、そういうことにしておく。
「うわっ、貴臣っ……おまっ、手冷たっ⁉」
突然、首にヒヤリとしたものが触れてぎょっとする。それが貴臣の手だとすぐ気づいたものの、あまりの冷たさに鳥肌が立った。
バカ、俺の首がとれちゃうだろうが。貴臣はきょとんとした顔で「雪斗眠いの?」と訊ねる。
「違う、貴臣が冷たいんだろ。何でそんな冷えてんだよ」
「廊下寒かったからかな」
「これも持っとけ」
もう1つ持っていたカイロも貴臣の手に握らせる。触れた指先がひどく冷たい。ふっと笑った貴臣がふざけて俺の頬に触れてこようとするのを止めた。
細いわりにしっかり骨張った指に意識を持って行かれそうになったのを振り払って、口を開く。
「俺で遊ぶなって。ほら、歩け」
「雪斗がたくましくなったなぁ」
からかい口調の貴臣をスルーして、俺は先を歩いていく。あのきれいな瞳で言われると吸い込まれそうな気分になる。
学食で貴臣と俺が食券と引き換えて席に着いたと同時に疲れた顔のタツがやって来た。
「先輩ってなんでああダル絡みする生き物なんだろ……」
色んな生徒が行き交う学食は騒がしさもけた違いで、タツの消えそうな声をどうにか拾った。魂が抜けているタツ。どんな絡まれ方をしたんだ。
「タツにダル絡みしたくなる気持ちちょっとわかるかも。タツって何でも話しやすいからな。ほら、食券寄越して。俺が代わりに行って来てやるよ」
それか、と俺は自分のカツカレーを持ってるスプーンで指す。今日の気分は何を食べてもいい。
「これ食っとく? タツ食券買えたか?」
「えー、おれはラーメンにした。全然違うし、悪いだろ。自分で行ってくる」
「カレー好きじゃねぇの? 好きならとりあえず食って待ってて。あ、貴臣からもらったデザートはダメだからな」
席を立とうとした俺が動くより先に、貴臣が自分の生姜焼き定食をタツの前へ滑らせた。えっと声を出した俺をよそに、貴臣はタツに微笑みかける。
「これでもいいならあげるよ。代わりに俺がそれもらってくる。値段は違うなら、差額も払うよ」
「……や、たぶん同じくらいだからいい」
ありがとう。大人しく食券を差し出したタツから受け取り、さっと立ち上がる貴臣。
遠くなる貴臣の背中を見つめながら、優しいやつだなと思った。相変わらずだ。俺が譲るんで良かったのに。
「なるほどねー。お前が譲るのが何であれ、おれが受け取るのは許せないってやつ」
「貴臣はそんな心狭いわけねぇだろ」
「そんなん知ってるわ。ラーメン食べたかったんだろ。ありがたくいただきます」
俺の言葉をさらっと流して、手を合わせるタツ。生姜焼きを咀嚼しながら「うまっ」と声を出す。俺は腑に落ちないまま、カツカレーにスプーンを入れた。
「ラーメン、そういや今月から新作って書いてあったか」
「そーそー。おれ、それにしたから。芹澤もちょっと興味あったんじゃね?」
「なるほど」と、俺がうなずいてカレーを口に運ぶと「単純だな」とタツからバカにしたように言われた。悪いかよ。どうせ単純だ。
「ごめん、調理部の人から話しかけられて。ちょっと今日の部活のこと話してくる」
戻った貴臣はラーメンを持ったまま、そう言って席を離れた。向こうにいた調理部の人たちが手を振り、貴臣を輪に招き入れる。その光景を見て、心臓がぎゅっと握られたように痛んだ。
カレーをかき込んでも、温かさが届かない。冷たい風が吹き抜けているような感覚が残る。
「芹澤、頼りにされてんなー。あれは先輩からダル絡みって感じじゃねーよな」
隣でタツも貴臣を見ながら言った。俺はそうだね、と答えて口の端を上げてみたものの、自分がどんな顔になっているかわからない。
「さすが貴臣だ」
「すげー人気。うちは男しかいねーけど、あれは女子からもモテるよな。文化祭のときとか、けっこー声かけられてんの見た」
「……全部ちゃんと断ってたけど」
嫌なこと思い出させてくれるなよ、タツ。口には出せずにスプーンを握る手に力が入る。
普段は関わりのない他校の女の子たちがこぞって貴臣に話しかけていたのを思い出すだけでも胸がざわつく。貴臣は誰のことも相手にしなかったとうんざりした様子で言っていたから、本人としては迷惑だっただろう。
視線の先で、貴臣は誰かと楽しげに笑っている。自分以外と笑う貴臣にも慣れたものだと思っていた。そう簡単に慣れるもんじゃねぇか。
賑やかな笑い声が耳に響くのに、自分だけがどこか遠くにいるような気がした。
調理部だからって、放課後に話せるのに。待っててくれればいいのに。俺は今日、この時間くらいしかない。
何も昼休みくらい、貴臣に休ませてくれたっていいだろ。貴臣から目をそらして、ガツガツとカレーをかき込む。今日ここに来ることが貴臣にとって日常になっていても、俺にとってはとくべつなことで、楽しみだったのに。俺だけだった。
思いの外カレーが辛くて、鼻の奥がツンとした。目を閉じて、波が引くのを待つ。
「……雪斗?」
目を開ければ、俺を心配そうにタツがのぞき込んでいる。貴臣のことで落ち込むのは一緒に来ているタツに失礼だ。タツと来ることだって、俺は楽しみにしている。
「カツカレーはちょっと失敗したかも。胃に来た」
そう言ってごまかそうとすると、タツが「大丈夫か?」と表情を曇らせる。普段の軽い調子とは違う響きが耳に残った。
「おれ、お茶買ってあるけどまだ口つけてねーから飲んどく?」
「ううん、ちょっとがっつきすぎたせいだと思う。ありがとう」
「無理すんなよ」
うなずいて、静かに息をつく。大したこともないのに苛立つ自分のことが、情けなくて仕方がない。タツに迷惑をかけてどうする。
ただの幼なじみなんだから。自分だけを見ていてほしいなんて、わがままはいらない。
貴臣をそっと見ると、目が合った貴臣が何も知らずに微笑んで俺に手を振る。その笑顔が心底憎らしい。そう思ってしまう自分が、いっそう惨めだった。