宇野に貴臣のフレンド申請を持ちかけるのは意外にも簡単だった。向こうから話しかけられることが圧倒的に多く、それのついでとして頼むことに成功した。
「いいよ。申請するから、IDとかわかる?」
「あ、IDはこれだって」
「おっけ。申請しとく」
宇野は何かと俺に声をかけてくれて、放課後も誘ってくれることが多い。俺は、どうしても誘いを断ってしまうことが多かった。いきなりだと断るくせが抜けないし、断った手前やっぱり行きたいとも言えない。
学校生活にはそれなりに慣れて、俺はどうにか学校生活を送れている。ただ、残念ながら1年はなかなか過ぎない。
「今日は調理部の人に誘われて、お昼に学食行ってみようってことになったんだけど雪斗も行かない?」
後ろの方で貴臣を待っているであろう人たちを一瞥して、俺は「行かない」と答える。
「部活の人と行くのに俺が行ったら悪いだろ」
「そんなことないよ。みんな良かったらって言ってくれたし」
「いいって、楽しんでこいよ。俺は教室で食べるから」
貴臣に頼まれたら、いいよと言いたくなる側の気持ちを俺は知っている。本当にいいわけじゃない。名残惜しそうな貴臣をさっさと行けと見送って、教室へ戻った。
貴臣だって、俺が調理部の友達と仲良くなれる性格じゃないのはわかるだろうに。友達いなさそうで心配かけてんのかな。
貴臣は忙しくなって、あっという間に俺の教室に来る回数が減った。俺からあっちの教室へ行っても貴臣は誰かと話していることがほとんどで、わざわざ呼び出すこともしていない。学校では話す回数も少なくなった。
これが普通になっていくのが、きっと正しいことなんだと思う。
昼休みの教室は、机を囲む生徒たちの笑い声で溢れていた。窓の外からは校庭で遊ぶ歓声も聞こえてくる。
そんな中、宇野は友達に軽く手を挙げて「今日俺はこっちで食うわ」と断りを入れると、俺の前の席にどっしりと腰を下ろした。コンビニの袋から大盛ナポリタンと菓子パンを出して机に並べ始める。
「宇野、今日も俺とでいいのか?」
何気なく訊ねた俺の言葉に宇野は目を丸くする。別にそんなに驚かなくても。
「池本からおれに話しかけてくれんの、たぶん初めて」
「え、入学してから? さすがに結構経つし、俺から話しかけてたことあったろ。ほら、貴臣のフレンドのときとか」
って、思いつくことがちょっと前のことしかなかったけど。何かしらあるだろう。
「いーや、あれは俺が話しかけたついで。完全に池本からってのは初めてだな」
昼は1人でもいいかと思っていたところに今度は宇野が来てくれるようになった。
「で、なんだっけ。あ、そうだ。おれが勝手にこっち来てんだから、いいんだよ」
最初は正直うっとうしかったけど、宇野は距離感を見極めるのが上手い。俺が言葉に詰まっても急かすことなく待っていてくれて、話すのが楽だった。
「そっか。いつも誘ってくれてるのも、断っててごめん」
「えー、何だよ。そんなことまで気にしてのか」
おれうざくなかった? と訊ねられて、ぶんぶん首を横に振る。断ってもまた誘ってくれるのはありがたかった。
「断るのすげー早くて、ちょっとだけ感じ悪って思ったりしたことあるけど。おれもしつこい自覚はあったし」
「俺、誘われるときいつも貴臣目当てだったから断るのくせになってて。いきなり誘われると、条件反射で断っちゃってた」
「え、そうなの?」
宇野は額に手を当てて「それは盲点だったわ」と、少し大げさにため息をついた。笑っているのか、呆れているのか、その声色はどこか楽しげだった。
「誘うなら面と向かってのがいいかなって思ってた。なんだ、そっか。断ったとき、しまったみたいな顔してたの、あれ間違えたーってことだったんだ?」
「うん。ほんとにダメな日もあったけど」
「タイミングも悪かったってことか」
「うん、そういうときもあった。けど、俺そんなに誘ってもらえるような面白いことないよ」
誰かと遊ぶときは貴臣が必ずといっていいほどいたし、貴臣が話すのを見ているだけで俺はあまり積極的に混ざっていかなかった。
「面白いことしそうで誘ってるわけじゃねーよ。あ、じゃあ今日はどう? 他の人誘わんから、2人で」
「うん。大勢だとちょっと苦手だから、宇野だけだと助かる」
大盛ナポリタンを頬張ってしゃべれない宇野は、満面の笑みで俺の肩をばしばし叩いた。喜んでんのか、ナポリタンがうまかったのか。何だかわからないけどうなずいて、俺は肩をそっと擦る。
「今日はどこ行くかなー。あ、宇野じゃなくてタツでいいよ」
「じゃあ、俺も雪斗で」
「雪斗さ、行きたいとこねーの?」
「これといってないかな」
さっそく名前で呼ばれて、その響きにじんわり胸が温かくなった。そういえば、貴臣以外で名前で呼ばれるなんて初めてかもしれない。
仲が良い人を作る必要もなく生きていたら、貴臣の他に友達ができることもなかった。軽くタツって呼んでいいって言ってくれたけど、そういうやりとりすらしたことなかったかもしれない。ようやく高校生になった実感を持てた気がした。
にやけそうになってコッペパンにかじりつくも「何その顔」とタツにいじられて、耐え切れずにふっと笑ってしまった。
「下の名前で呼ばれるの全然なかったなと思って」
「あー、芹澤とずっと一緒だったらないだろうな」
「何でそこで貴臣出てくんの?」
「おれの勘。けっこー当ってると思う」
何だその当たらなさそうな勘。よくわかんねぇな。
「タツほどしつこく毎日話しかけてくれた人もいねぇし。てか、そもそも何で話しかけてくれたの?」
「いやさー、おれ入学式の日にすっげー落ち込む雪斗を見てんだよね」
思い出すように左上に視線を向けるタツを見て、すぐに何だか思い出して俺はうつむいた。言われなくてもわかる。貴臣とクラスが離れて帰りたくなったあの日だ。
さすがに崩れ落ちるまではしなかった気がするけど、周りからどう見られているかなんて気にする余裕もなかった。あんだけ生徒がいる場だ、見られてても不思議じゃない。
ただ、貴臣と一緒のクラスじゃないことだけがあのときの俺の頭を占めていた。
「すげぇ恥ずかしいやつな」
「いいじゃん、そんだけ芹澤と同じクラスになりたかったんだろ。けど、芹澤が雪斗のこと励ましてて、なんかそれが面白くて気になったんだよ」
「そんな面白かった?」
コッペパンをかじって、首を傾げる。あれだけで毎日話しかけてくるほどの何かがあったとは思えない。
「落ち込む雪斗を見る芹澤も含めて面白かったよ。雪斗は自分が思うより十分面白いから」
「貴臣もなのか」
「うん。で、その後どうすんのかなーって気になってついてったら、意外とふつーに教室行って席座って。雪斗がおれと同じクラスだったから話しかけてみた」
「タツってよくわかんねぇわ」
ピンと来ない俺を置いて、タツがナポリタンの合間に菓子パンをもぐもぐと口に運ぶ。飾らない様子を見ていると、何だか和んだ。
ほんとにそれだけで声をかけてくれてたのか。おかげで俺は昼休みも話す相手がいて助かるけど。
「雪斗、一緒に昼メシは食べるし、ゲームは付き合ってくれるから、おれに対してまだ緊張してんのかなーって話しかけ続けてた」
俺の態度はお世辞にも良いものとは言えなかった。それでも、もういいやって諦めずにいてくれたなんて、いいやつだなと思った。
「最初は緊張してたけど、タツにはだいぶ慣れた気がする」
「やった。慣れればいいんだな、雪斗は。芹澤には慣れてるから、すげー懐いてんのか」
「貴臣は生まれたときからほぼ一緒にいるから、慣れってかいて当たり前なとこはあったかな」
だんだん、いなくて当たり前が増えていく。今もまさにそれに慣れようとしているところだ。
「いて当たり前ってすげーな。そういや、今日は芹澤が放課後迎えに来るとかねーの?」
「あ、今日部活ないから、それあるかも。来ないでいいって言っとく」
ズボンのポケットからスマホを出すと、貴臣からの通知が来ていた。
開いてみると学食のオムライスの写真に写り込む調理部らしき人たち。ちょうど今さっき送られてきたらしい。
写真の下に<余計なの入って来ちゃったけど学食のオムライスこんな感じだったよ。今度一緒に行こうね>の文字。
部員を余計なの扱いするなよ。と思いつつ、避けて撮ろうとしている貴臣の姿が目に浮かんで頬が緩んだ。貴臣は貴臣で楽しそうだ。
いいね、とスタンプで返して、送る内容を考える。と、タツと目が合った。
「芹澤からなんか来てたの?」
「今、学食にいるんだって。オムライスの写真送られてきてた。タツは学食って行ったことある?」
「ない。噂によると酢豚がうまいらしい。今度行ってみる?」
「いいね。酢豚食べるか」
俺もコンビニで買った食べかけの昼飯を撮ろうとスマホのカメラを構える。それに気づいたタツがピースをこちらに差し出してきた。
何も言わず、タツ含めての写真を撮る。俺も1人じゃないってところを見せるのにちょうどいいだろう。貴臣の安心材料になるといい。
「あ、よかったら3人で行こうって芹澤誘っといてよ」
「わかった。ついでに伝えとく」
写真を送りつけて、写り混んでるタツも含めて学食行こうと文字を打った。送信ボタンを押すなり既読がついて、そうかと思えば電話が来た。
「貴臣から電話だ。3人で行く話したからかな」
「おー、そんで電話ね。じゃあ、おれが3人でいいかどうか話してもいい?」
「まあ、タツなら大丈夫そうだからいっか」
スマホをタツに渡すと、タツは指をスライドさせて耳に当てた。いたずらっ子のように楽しげに口の端を上げるタツを見て「余計なことは言うなよ」と念押ししておいた。
任せろ、と小声で言ってから「もしもーし」と電話に向けて明るい声を出すタツ。全然信用ならない。
「おれ、宇野。あ、わかんねーけど、たぶんそう。3人で学食行こって話、おれがしたんだけど芹澤的にはどう?」
うんうんとうなずくタツを見て、ほっと胸をなでおろす。きちんと話せているみたいだ。
すぐに電話をかわってもらおうと手を伸ばすと、タツに押し返された。もう話が終わるかと思いきや、まだ続くらしい。タツは俺の食べかけのコッペパンを指さして、口パクで「食っとけ」と言った。
「……あ、いい? じゃ、こいつから連絡先教わってグループ作っとくから予定決めよ。楽しみにしてる。雪斗は今――」
俺も貴臣と話したいんだけど。俺から渡したばかりに待つしかない。貴臣、意外とタツと盛り上がってるのかな。
目の前で笑うタツの言葉をぼんやり聞きながら、俺はリュックから出したウェットティッシュで手を拭いて、大人しくコッペパンを平らげる。
「あ、待って。雪斗に代わるよ。せっかくかけてきたのに、おれで終わらせたら良くないだろ」
しばらくして、ん、とタツがスマホを差し出して、返してくれた。
「もしもし、貴臣?」
「今度はちゃんと雪斗だ」
少しの沈黙の後に聞こえた貴臣の声には、安堵の響きが混ざっていた。いきなりタツが出たから、コミュニケーション能力が高い貴臣でもさすがに戸惑ったかもしれない。
「ごめん。俺がタツに出ていいよって言った。貴臣、俺に何か用あった?」
「今日、放課後はそっち行けそうだから寄り道しないかなと思って。雪斗が気になってた映画見るとか」
見たい、と即答しそうになってハッとする。今日は珍しく先約がある。
貴臣からせっかくの誘い。放課後こっちに来られることも久しぶりだ。俺が宇野からの誘いを受けたばっかりにかぶってしまった。
まだ明確なことは決まっていないけど、宇野と遊ぶのは楽しみでもある。
当然のことながら選ぶべきは先に約束していたほうを優先だろう。後ろ髪を引かれつつ、貴臣へ断りを入れる。
「今日はタツと遊ぶから、明日は?」
「……あはは、いつ誘っても暇じゃなくなっちゃったね」
ぼそっと呟くような貴臣に苦笑する。俺も貴臣の誘いを断る日が来るとは予想してなかった。
「明日だと、俺が部活ある。週末には、また雪斗の家行くよ。シュークリーム作って持ってく」
「うん、ありがとう。紅茶買って待っとく」
「うん、またね。宇野によろしく」
今日だけじゃなく、週末の楽しみもできた。電話を切って、すぐタツに貴臣からの言葉を伝える。ナポリタンを完食したタツは、スマホを片手にうなずいた。
「よろしくされとくわ。芹澤の連絡先、俺にも教えといて」
「あ、うん。今送る」
貴臣の連絡先を送ると、タツがさっとグループを立ち上げてくれた。タツが送ったスタンプに俺もすぐにスタンプを返す。貴臣の既読はついたが、すぐに返事はなかった。調理部の人といるだろうから、見るだけ見てくれたんだろう。
タツは菓子パンの袋を丸めながら「雪斗も大変だなー」とよくわからないことを言って、クスクス笑った。
「いいよ。申請するから、IDとかわかる?」
「あ、IDはこれだって」
「おっけ。申請しとく」
宇野は何かと俺に声をかけてくれて、放課後も誘ってくれることが多い。俺は、どうしても誘いを断ってしまうことが多かった。いきなりだと断るくせが抜けないし、断った手前やっぱり行きたいとも言えない。
学校生活にはそれなりに慣れて、俺はどうにか学校生活を送れている。ただ、残念ながら1年はなかなか過ぎない。
「今日は調理部の人に誘われて、お昼に学食行ってみようってことになったんだけど雪斗も行かない?」
後ろの方で貴臣を待っているであろう人たちを一瞥して、俺は「行かない」と答える。
「部活の人と行くのに俺が行ったら悪いだろ」
「そんなことないよ。みんな良かったらって言ってくれたし」
「いいって、楽しんでこいよ。俺は教室で食べるから」
貴臣に頼まれたら、いいよと言いたくなる側の気持ちを俺は知っている。本当にいいわけじゃない。名残惜しそうな貴臣をさっさと行けと見送って、教室へ戻った。
貴臣だって、俺が調理部の友達と仲良くなれる性格じゃないのはわかるだろうに。友達いなさそうで心配かけてんのかな。
貴臣は忙しくなって、あっという間に俺の教室に来る回数が減った。俺からあっちの教室へ行っても貴臣は誰かと話していることがほとんどで、わざわざ呼び出すこともしていない。学校では話す回数も少なくなった。
これが普通になっていくのが、きっと正しいことなんだと思う。
昼休みの教室は、机を囲む生徒たちの笑い声で溢れていた。窓の外からは校庭で遊ぶ歓声も聞こえてくる。
そんな中、宇野は友達に軽く手を挙げて「今日俺はこっちで食うわ」と断りを入れると、俺の前の席にどっしりと腰を下ろした。コンビニの袋から大盛ナポリタンと菓子パンを出して机に並べ始める。
「宇野、今日も俺とでいいのか?」
何気なく訊ねた俺の言葉に宇野は目を丸くする。別にそんなに驚かなくても。
「池本からおれに話しかけてくれんの、たぶん初めて」
「え、入学してから? さすがに結構経つし、俺から話しかけてたことあったろ。ほら、貴臣のフレンドのときとか」
って、思いつくことがちょっと前のことしかなかったけど。何かしらあるだろう。
「いーや、あれは俺が話しかけたついで。完全に池本からってのは初めてだな」
昼は1人でもいいかと思っていたところに今度は宇野が来てくれるようになった。
「で、なんだっけ。あ、そうだ。おれが勝手にこっち来てんだから、いいんだよ」
最初は正直うっとうしかったけど、宇野は距離感を見極めるのが上手い。俺が言葉に詰まっても急かすことなく待っていてくれて、話すのが楽だった。
「そっか。いつも誘ってくれてるのも、断っててごめん」
「えー、何だよ。そんなことまで気にしてのか」
おれうざくなかった? と訊ねられて、ぶんぶん首を横に振る。断ってもまた誘ってくれるのはありがたかった。
「断るのすげー早くて、ちょっとだけ感じ悪って思ったりしたことあるけど。おれもしつこい自覚はあったし」
「俺、誘われるときいつも貴臣目当てだったから断るのくせになってて。いきなり誘われると、条件反射で断っちゃってた」
「え、そうなの?」
宇野は額に手を当てて「それは盲点だったわ」と、少し大げさにため息をついた。笑っているのか、呆れているのか、その声色はどこか楽しげだった。
「誘うなら面と向かってのがいいかなって思ってた。なんだ、そっか。断ったとき、しまったみたいな顔してたの、あれ間違えたーってことだったんだ?」
「うん。ほんとにダメな日もあったけど」
「タイミングも悪かったってことか」
「うん、そういうときもあった。けど、俺そんなに誘ってもらえるような面白いことないよ」
誰かと遊ぶときは貴臣が必ずといっていいほどいたし、貴臣が話すのを見ているだけで俺はあまり積極的に混ざっていかなかった。
「面白いことしそうで誘ってるわけじゃねーよ。あ、じゃあ今日はどう? 他の人誘わんから、2人で」
「うん。大勢だとちょっと苦手だから、宇野だけだと助かる」
大盛ナポリタンを頬張ってしゃべれない宇野は、満面の笑みで俺の肩をばしばし叩いた。喜んでんのか、ナポリタンがうまかったのか。何だかわからないけどうなずいて、俺は肩をそっと擦る。
「今日はどこ行くかなー。あ、宇野じゃなくてタツでいいよ」
「じゃあ、俺も雪斗で」
「雪斗さ、行きたいとこねーの?」
「これといってないかな」
さっそく名前で呼ばれて、その響きにじんわり胸が温かくなった。そういえば、貴臣以外で名前で呼ばれるなんて初めてかもしれない。
仲が良い人を作る必要もなく生きていたら、貴臣の他に友達ができることもなかった。軽くタツって呼んでいいって言ってくれたけど、そういうやりとりすらしたことなかったかもしれない。ようやく高校生になった実感を持てた気がした。
にやけそうになってコッペパンにかじりつくも「何その顔」とタツにいじられて、耐え切れずにふっと笑ってしまった。
「下の名前で呼ばれるの全然なかったなと思って」
「あー、芹澤とずっと一緒だったらないだろうな」
「何でそこで貴臣出てくんの?」
「おれの勘。けっこー当ってると思う」
何だその当たらなさそうな勘。よくわかんねぇな。
「タツほどしつこく毎日話しかけてくれた人もいねぇし。てか、そもそも何で話しかけてくれたの?」
「いやさー、おれ入学式の日にすっげー落ち込む雪斗を見てんだよね」
思い出すように左上に視線を向けるタツを見て、すぐに何だか思い出して俺はうつむいた。言われなくてもわかる。貴臣とクラスが離れて帰りたくなったあの日だ。
さすがに崩れ落ちるまではしなかった気がするけど、周りからどう見られているかなんて気にする余裕もなかった。あんだけ生徒がいる場だ、見られてても不思議じゃない。
ただ、貴臣と一緒のクラスじゃないことだけがあのときの俺の頭を占めていた。
「すげぇ恥ずかしいやつな」
「いいじゃん、そんだけ芹澤と同じクラスになりたかったんだろ。けど、芹澤が雪斗のこと励ましてて、なんかそれが面白くて気になったんだよ」
「そんな面白かった?」
コッペパンをかじって、首を傾げる。あれだけで毎日話しかけてくるほどの何かがあったとは思えない。
「落ち込む雪斗を見る芹澤も含めて面白かったよ。雪斗は自分が思うより十分面白いから」
「貴臣もなのか」
「うん。で、その後どうすんのかなーって気になってついてったら、意外とふつーに教室行って席座って。雪斗がおれと同じクラスだったから話しかけてみた」
「タツってよくわかんねぇわ」
ピンと来ない俺を置いて、タツがナポリタンの合間に菓子パンをもぐもぐと口に運ぶ。飾らない様子を見ていると、何だか和んだ。
ほんとにそれだけで声をかけてくれてたのか。おかげで俺は昼休みも話す相手がいて助かるけど。
「雪斗、一緒に昼メシは食べるし、ゲームは付き合ってくれるから、おれに対してまだ緊張してんのかなーって話しかけ続けてた」
俺の態度はお世辞にも良いものとは言えなかった。それでも、もういいやって諦めずにいてくれたなんて、いいやつだなと思った。
「最初は緊張してたけど、タツにはだいぶ慣れた気がする」
「やった。慣れればいいんだな、雪斗は。芹澤には慣れてるから、すげー懐いてんのか」
「貴臣は生まれたときからほぼ一緒にいるから、慣れってかいて当たり前なとこはあったかな」
だんだん、いなくて当たり前が増えていく。今もまさにそれに慣れようとしているところだ。
「いて当たり前ってすげーな。そういや、今日は芹澤が放課後迎えに来るとかねーの?」
「あ、今日部活ないから、それあるかも。来ないでいいって言っとく」
ズボンのポケットからスマホを出すと、貴臣からの通知が来ていた。
開いてみると学食のオムライスの写真に写り込む調理部らしき人たち。ちょうど今さっき送られてきたらしい。
写真の下に<余計なの入って来ちゃったけど学食のオムライスこんな感じだったよ。今度一緒に行こうね>の文字。
部員を余計なの扱いするなよ。と思いつつ、避けて撮ろうとしている貴臣の姿が目に浮かんで頬が緩んだ。貴臣は貴臣で楽しそうだ。
いいね、とスタンプで返して、送る内容を考える。と、タツと目が合った。
「芹澤からなんか来てたの?」
「今、学食にいるんだって。オムライスの写真送られてきてた。タツは学食って行ったことある?」
「ない。噂によると酢豚がうまいらしい。今度行ってみる?」
「いいね。酢豚食べるか」
俺もコンビニで買った食べかけの昼飯を撮ろうとスマホのカメラを構える。それに気づいたタツがピースをこちらに差し出してきた。
何も言わず、タツ含めての写真を撮る。俺も1人じゃないってところを見せるのにちょうどいいだろう。貴臣の安心材料になるといい。
「あ、よかったら3人で行こうって芹澤誘っといてよ」
「わかった。ついでに伝えとく」
写真を送りつけて、写り混んでるタツも含めて学食行こうと文字を打った。送信ボタンを押すなり既読がついて、そうかと思えば電話が来た。
「貴臣から電話だ。3人で行く話したからかな」
「おー、そんで電話ね。じゃあ、おれが3人でいいかどうか話してもいい?」
「まあ、タツなら大丈夫そうだからいっか」
スマホをタツに渡すと、タツは指をスライドさせて耳に当てた。いたずらっ子のように楽しげに口の端を上げるタツを見て「余計なことは言うなよ」と念押ししておいた。
任せろ、と小声で言ってから「もしもーし」と電話に向けて明るい声を出すタツ。全然信用ならない。
「おれ、宇野。あ、わかんねーけど、たぶんそう。3人で学食行こって話、おれがしたんだけど芹澤的にはどう?」
うんうんとうなずくタツを見て、ほっと胸をなでおろす。きちんと話せているみたいだ。
すぐに電話をかわってもらおうと手を伸ばすと、タツに押し返された。もう話が終わるかと思いきや、まだ続くらしい。タツは俺の食べかけのコッペパンを指さして、口パクで「食っとけ」と言った。
「……あ、いい? じゃ、こいつから連絡先教わってグループ作っとくから予定決めよ。楽しみにしてる。雪斗は今――」
俺も貴臣と話したいんだけど。俺から渡したばかりに待つしかない。貴臣、意外とタツと盛り上がってるのかな。
目の前で笑うタツの言葉をぼんやり聞きながら、俺はリュックから出したウェットティッシュで手を拭いて、大人しくコッペパンを平らげる。
「あ、待って。雪斗に代わるよ。せっかくかけてきたのに、おれで終わらせたら良くないだろ」
しばらくして、ん、とタツがスマホを差し出して、返してくれた。
「もしもし、貴臣?」
「今度はちゃんと雪斗だ」
少しの沈黙の後に聞こえた貴臣の声には、安堵の響きが混ざっていた。いきなりタツが出たから、コミュニケーション能力が高い貴臣でもさすがに戸惑ったかもしれない。
「ごめん。俺がタツに出ていいよって言った。貴臣、俺に何か用あった?」
「今日、放課後はそっち行けそうだから寄り道しないかなと思って。雪斗が気になってた映画見るとか」
見たい、と即答しそうになってハッとする。今日は珍しく先約がある。
貴臣からせっかくの誘い。放課後こっちに来られることも久しぶりだ。俺が宇野からの誘いを受けたばっかりにかぶってしまった。
まだ明確なことは決まっていないけど、宇野と遊ぶのは楽しみでもある。
当然のことながら選ぶべきは先に約束していたほうを優先だろう。後ろ髪を引かれつつ、貴臣へ断りを入れる。
「今日はタツと遊ぶから、明日は?」
「……あはは、いつ誘っても暇じゃなくなっちゃったね」
ぼそっと呟くような貴臣に苦笑する。俺も貴臣の誘いを断る日が来るとは予想してなかった。
「明日だと、俺が部活ある。週末には、また雪斗の家行くよ。シュークリーム作って持ってく」
「うん、ありがとう。紅茶買って待っとく」
「うん、またね。宇野によろしく」
今日だけじゃなく、週末の楽しみもできた。電話を切って、すぐタツに貴臣からの言葉を伝える。ナポリタンを完食したタツは、スマホを片手にうなずいた。
「よろしくされとくわ。芹澤の連絡先、俺にも教えといて」
「あ、うん。今送る」
貴臣の連絡先を送ると、タツがさっとグループを立ち上げてくれた。タツが送ったスタンプに俺もすぐにスタンプを返す。貴臣の既読はついたが、すぐに返事はなかった。調理部の人といるだろうから、見るだけ見てくれたんだろう。
タツは菓子パンの袋を丸めながら「雪斗も大変だなー」とよくわからないことを言って、クスクス笑った。