高校生になって半月ほどが過ぎた。ある月曜の朝。
 六時に起床し、学校へ行く準備をはじめる。寝巻きのまま僕は洗面所に向かった。寝ぼけた顔を洗い、歯磨きをし、鏡に向かってボサボサの癖毛をアイロンで整える。
 今日も変わらず、瞳は紫色。僕は毎朝、自分の目の色をチェックする癖がついている。とくに意味はないけれど、習慣化してるんだ。

「うん。いつもと同じ」

 目の色が変わっていないと、なんでか安心する。
 瞳をチェックしてから、顔面にフェイスクリームを軽く塗りつけた。ブレザーの制服に着替え、朝食のパンを頬張り、鞄を持って玄関へ向かう。

「ショウジ」

 僕がドアノブに手をかけた直後、エプロン姿の母がこちらへ歩み寄ってきた。
 今日の母の声色は、至って普通だ。

「学校行くついでにゴミ出しお願いしてもいい?」

 今日は燃えるゴミの日だったな。僕は母からゴミ袋を受け取る。

「ねえ、ショウジ。高校生活はどう?」
「ん。そこそこ慣れてきたかな」
「……変なことは、起きてない?」
「変なことって?」

 母の表情が、曇った。

「この前、言ってたでしょう。知らない子から変なことされたって……」

 知らない子──サヤカの件か。
 僕は母の言いかたに疑問を抱きながらも首を横に振る。

「別に変なことはされてない。『久しぶり』って言われただけだってば」

 やはり母は、僕が入学初日にサヤカに話しかけられたことを気にしているようだ。

「悪い子じゃなさそうだし、それとなく接してるよ」
「でも……気をつけなさいね。もしかすると、怪しい子かもしれないし」
「まさか」

 サヤカに会ったこともないのに、よくそんなこと言えるな。母の言葉に、僕は少しばかり怪訝な気持ちになる。

「そろそろ行くよ」

 面倒なので、僕は半ば強制的に会話を終わらせて家を後にした。

 やはり、母はサヤカの話になるとどこかおかしくなる。知らない相手のことを「怪しい」だなんて。そんな風に言う人じゃないはずなのに。
 
 悶々とした気持ちのままエレベーターで一階へ降り、エントランスを出てすぐ横にあるゴミ捨て場に袋を捨て、駅に向かって歩き出した。
 時刻は七時五十分。天気は快晴。春風が吹けば道に連なる葉桜が揺れる。僕のモヤッとした心を癒してくれるような、心地のよい一日のはじまりだった。

 この周辺は住宅が密集していて、平日の朝は出勤前の社会人や登校中の学生が多く歩く。僕もその中に溶け込む形で歩き続けた。

 ふと反対側の歩道に目をやると、見覚えのある制服を着ている女子学生がいることに気がつく。
 ブレザーを着用し、青いリボンを首からかけ、紺色のスカートを穿いていた。
 間違いない、東高校の制服だ。見るからに初々しい雰囲気がある。きっと僕と同じ一年生だろう。
 なんとなく気になり、僕は歩きながらその女子高生の横顔を見てみた。綺麗なストレートヘアが朝陽に照らされていて綺麗だ。雰囲気だけで清楚な感じがする。そんな彼女の目は……水色だ。光に当たっているからだろうか、なぜか今日は昨日よりも色合いが違う気がした。若干、濃くなっているのか?

「ていうか、なんで彼女がここに……!?」

 思わず心の声が漏れてしまった。
 僕の大きなひとりごとが、朝の通学路に響く。周囲にいた人たちにちらちらと見られ、恥ずかしい思いをする。
 そして、僕の声を聞いていたのは、彼女も例外ではなかったようだ。

「あれ? ショウくん!」 

 反対側の歩道を歩いていた彼女が──サヤカがこちらを振り向いた。頬に笑くぼを作り、手を振ってきたんだ。
 僕が唖然としていると、サヤカはこちらに身体を向け、左右を確認しながら駆け寄ってきた。
「おはよう!」と言いながら、あっという間に僕の隣に並ぶ。

「なんでここにいるんだ?」

 意図せずどもってしまう。
 テンパる僕に対し、サヤカはくすりと笑った。

「それはこっちの台詞だよ~。ショウくんもこの辺りに住んでるの?」
「あ、ああ。あそこの、十階建てのマンション」
「ええ、そうだったんだ? 私の家は、あの隣のアパートだよ」

 と言って、サヤカは僕の家の隣にある三階建てのアパートを指さした。去年建てられたばかりの新しい建物だ。

「春に引っ越してきたばっかりなんだよね。隣のマンションだったなんて奇遇だね」

 驚いたー! と、言う彼女はなんだか嬉しそう。

「まさか、松谷さんがこんなに近所だったなんて」
「やだ、ショウくん。私のこと、苗字で呼ばないでよ。サヤカって呼んで!」
「えっ。サ、サヤカ……さん」
「だめ。呼び捨てで!」
「……サヤカ」
「はい。よくできましたー!」

 なんだろう、この展開。ますますサヤカと近しい存在になってしまった気がする。それも自然な流れで、半強制的に、だ。